-3- 星間飛行者
『私は君たちに、危害を加えない。どうか、落ち着いて欲しい』
昆虫族の身振りとともに、機械音声が理性的な言葉を告げる。
「こっちの……私の、言葉が、分かりますか?」
私が尋ねると、やや間を置いて反応があった。
『分かる。この星についてから、通信を傍受して、情報を集めた。私はここに来る意図はなかった。漂着したんだ』
ダメだ。頭が混乱していて、落ち着いた会話ができそうにない。私はひとまず、古戸さんを覚醒させるべく、乱暴に肩を揺さぶり、頬を叩いた。
「うーん……宇宙からの色が見える……」
「変なこと言ってないで、古戸さん。宇宙人ですよ、宇宙人」
「宇宙人ならさっき見たじゃないか」
「別の宇宙人ですよ。日本語、話してます」
薄く目を開いた古戸さんがゆっくりと身を起こす。
「うわ……。いやあ、着ぐるみだろう、あれは」
「ここは山の中ですよ。しっかりしてください」
昆虫族は私たちの様子を見つつ、こちらにとぼとぼと歩み寄ってきた。身長一五〇センチほど。細い触覚を含めるともう少しある。
シルエット自体は人に似ている部分もあり、別の場所で見たらヒーローショーの着ぐるみかなにかと思ったかもしれない。しかし今の状況でそう考えるのは、少し現実逃避に過ぎる。
『私の名前は、おそらく君たちに聞き取ることはできないだろうが、三番目の惑星・遠くを見る、という意味がある。君たちの名前を教えてほしい』
呼び名はあとでちゃんと考えるとしよう。私たちの方も相互理解の第一歩として、それぞれ名前を告げ、この空間に落下してきた経緯を語った。
そのわずかな会話を交わす間にも翻訳の精度がどんどんと上がっていき、すぐに滑らかな会話ができるようになった。機械の学習性能だけを考えても、目の前の存在が非常に高度な技術を持っているのは明らかだった。
『宇宙虫のことも、あとでちゃんと話さないといけないが、まずは私のことを話したい』
私は頷き――それが肯定のジェスチャーだと伝わっているかどうかは分からない――こっそり録音を開始しようとした古戸さんを制止した。相手がこちらに歩み寄ろうとしているのに、芽生えかけた信頼を失いたくはない。
話が長くなりそうだったので、私はゆっくりとその場に腰を下ろした。白い床に継ぎ目はなく、畳に近い質感が尻に心地よい。昆虫族もまた力士の蹲踞に似た独特の姿勢で座り込んだ。
『私の住んでいた惑星は、ここから一万光年ほど離れた場所にある』
この昆虫族の使う翻訳機は、たとえほとんど未知の言語であっても、感情的なニュアンスを再現することに長けているようだった。あるいは地球人とこの昆虫族の間には、かなりの部分共通する精神構造があるのかもしれない。
ともかく私はこれからはじまる語りに、かなり重々しいものが含まれていることを感じ取った。
『私たちは宇宙虫たちとの散発的な争いを除けば、おおむね平和に暮らしていたんだ。この星よりも少し大きくて、暖かくて、酸素の多い場所だ。色の感じはとてもよく似ている。都市から少し離れれば、土の中に微量元素が含まれた、見事な青と緑の丘陵が広がっているんだ
しかしあるときから、大気の温度が不可逆的に低下しはじめた。はじめはゆっくりと、やがては急激に。原因は恒星が活動を低下させたことだった。
自然な現象なのかもしれないし、もしかすると宇宙虫たちがなにかしたのかもしれない。当時の科学者たちは、あと三百年前後で、惑星が居住不可能になると予測した。
私たちの種は、そうしようと思えば、とても長く眠ることができる。過去の歴史では、そうやって数百年、数千年、致命的な天変地異を生き残った個体もいる。一度氷漬けになっても、また温かくなるという見込みがあればいい。
しかし幸か不幸か、私たちの科学力はそんな楽観を許さない程度には高度だった。いくつもの方策が考案され、いくつかは実行に移された。有力だったものの一つが、外宇宙への植民計画だ。数十年の準備ののち、私は、栄誉ある〝さきぶれ大作戦〟のクルーに選ばれた』
「さきぶれ大作戦……」
古戸さんが真剣な口調で繰り返した。ネーミング――これはおそらく日本語訳の問題なので、おそらく昆虫族のセンスが悪いわけではない――はともかく、それは種族の命運を賭けた、紛れもなく大きな作戦だったのだ。
『しかしその時点で、私たちが居住可能な惑星というものは発見されていなかった。つまりあるかどうかも分からない新天地を目指して、限られた物資と人員で卵を――ああ、私たちは卵で殖えるんだ――運ぶことになった。
可能性が低いというのもおこがましい。それはほとんど見込みのない、死出の旅だった。それでもね、私はメンバーに選ばれたことが嬉しかったよ。種族と社会に貢献する、これ以上ないくらいの機会だったからだ。そして九人の仲間とともに、第三さきぶれ丸に乗り、母星を離れた』
滅びゆく文明と、その運命から逃れようとする種族。絶望を克服するため挑戦と、多くの犠牲。それは私が今まで経験してきた奇妙な出来事と、また別のベクトルで現実離れしていて、どうにも真実味のあるものとして捉えることができなかった。
もちろん一万光年の彼方までやってきて、嘘をつく意味もないだろうが。
「しかし見たところ、君の任務はあまりうまくいかなかったようだね」
『残念ながらその通りだ、異星の友よ。まだ見ぬ新天地を探す旅は、しばらくの間平穏に続いた。機械にもクルーにもトラブルはなく、母星との通信も保たれていた。まだしばらくの猶予はあったし、皆それほど悲観的にはなっていなかった。
しかし出発から十か月が経ったとき、第三さきぶれ丸は大きなトラブルに見舞われた。図らずも、あの恐るべき宇宙虫のコロニー付近を、それと気づかずに通過し、発見されてしまったんだ。
私たちの船はあくまでも植民船であり、自衛のための兵器は最低限しか積んでいなかった。宇宙虫どもの戦術兵器に補足されかけた私たちは、緊急プロトコルによる空間跳躍を実行した。
結果として、宇宙虫どもから逃げることには成功した。しかしトラブルはそれで終わらなかったんだ。跳躍した先は、非常に強い重力場の只中だった。そうだな、この出来事をどう説明したらいいか。理論的にやや複雑なのだが、重力場の中では時間が――』
「僕らの文明は既に相対性理論を発見しているよ。いわゆるウラシマ効果というヤツだ」
「ウラシマ効果……」
私は呟いた。名前からなんとなく想像はできるが、今一つ耳に馴染みがない。
「物体が光に近い速度で移動するとき、または極めて強い重力下にあるとき、そうでない場所よりも時間の流れが遅くなる現象だ。この場合、光速の宇宙船とか強い重力場が竜宮城ということになる」
古戸さんの解説を聞いた昆虫族が、なにか不思議な身振りをした。異星の文明が高度な物理学理論を発展させていたことに対する、素直な驚嘆と感動を示したのかもしれない。
『偉大なるウラシマ博士が、私たちの相互理解を助けてくれたことに感謝しよう』
「彼はおとぎ話の主人公なんだけどもね」
『とにかく、重力場に捕らわれた私たちは、極めて緊迫した状況の中で、脱出の方法を模索した。いくつもの勇敢な犠牲と決断があった、私はたとえ何億年眠ったとしても、それを忘れることはないだろう。
永遠とも思われる苦闘のあとで、クルーで最年少だった私だけが、この船に乗り、重力場を脱出することができた』
私は緩く湾曲した天井を見上げた。直径およそ十メートル。飛行物体として決して小さくはないが、第三さきぶれ丸とやらに比べれば、救命ボートのようなものということか。星間飛行や空間跳躍の技術といい、異界の昆虫族が持っている文明のレベルは、人類を遥かに上回っているようだった。
『私は辛うじて生き残った。しばらく茫然としたあと現在位置を割り出そうとしたが、既知の領域でないことが明らかになっただけだった。
そしてショックはそれだけじゃなかった。恒星のスペクトルを観測したとき、先程言及したウラシマ効果の影響で、私は自分が生きていた時代より、かなりの未来に漂流してしまったという事実を突きつけられた。
さきぶれ丸が重力場に捕まっていたのは一日足らずだが、その間、外の世界では千二百年もの時間が経過していたんだ。母星との通信はもはや繋がらなかった。
おそらく文明は崩壊してしまったんだろう。もしかするとほかの船が植民可能な惑星を見つけ、元気にやっているのかもしれないけれど、それを確かめるすべはなかった。
この船に恒星間を航行する能力はない。虚空に放り出された私は、そのまま朽ちゆくことになるはずだった。しかしそのとき、まったく偶然にも、私は太陽の光を見たんだ。そして私の名前と同じ三番目の惑星に、生命の輝きがあることも分かった。
旅はもはや目的を失ってしまったが、それが生命ある美しい大地を避ける理由にはならなかった。ただ、私は宇宙飛行士であって、外交官ではない。着陸したあと、この星の文明とどうやって接触したものか、そもそも接触すべきなのか、考えあぐねていたところに、君たちが落ちてきた』
長い話を終えると、横開きの口がゆっくりと息を吐いた。
「入口は、危ないので閉めてもらってもいいですか、とりあえず」
『ああ、そうしよう。すまなかった。この星の空気に慣れておこうと思ったものだから』
昆虫族が壁のコンソールを操作すると、私の頭上にあるハッチが閉じた。落ち葉と土がパラパラと落ちてくる。
「結局のところ、目撃された謎の円盤の正体は、ウラシマの脱出艇だったわけだ」
「ウラシマ……?」
「彼の呼び名だよ。三番目のなんとかじゃ不便だろう」
『偉大な科学者と同じ名前とは光栄だ』
皮肉な命名ではあるが、本人が気に入ったならば、私が口を出す筋合いはない。
「しかしまあ、大変な旅だっただろう」
腕組みをして頷く古戸さんの様子を、ウラシマは不思議そうに眺めている。一方の私は話のスケールについていけず、ただ戸惑うばかりだった。
それでもウラシマが悪意ある侵略者ではなく、同情すべき漂流者なのだということは腑に落ちた。語り口からは、極めて強靭かつ柔軟な知性を持っていることも推測できた。
『ありがとう。私も君たちのような、高度で理性のある知的生命体と接触できたことを嬉しく思う。ただ、私の話は私の話だ。君たちにとって重要な話もしておきたい』
「宇宙虫、ですね」
先程から気になっていた話題だ。私が確認すると、ウラシマは四本の腕をシャカシャカと上下に動かした。どうやら肯定のジェスチャーらしい。
宇宙虫がどれくらい前から加狩山にいたのかは分からない。しかし晴れ間の雷や行方不明がウラシマの仕業でないのは間違いなさそうだ。私たちに見せた攻撃性から考えても、宇宙虫が敵意ある存在である可能性は高い。
思わせぶりな写真の一枚でも撮れればいいと思って来たのに、また大変なことに巻き込まれてしまった。私は蒸し暑い船内でじっとりと汗をかきながら、思いがけず遭遇した宇宙的脅威に想いを巡らせた。




