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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode6 時代の墓碑銘
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-6- 墓碑銘

 画像データを参照するだけだと効率が悪いので、私たちは金属板の拡大コピーを用意することにした。館内の端末とプリンターで出力した紙束を手に閉架書庫へ戻ると、古戸さんが書架を物色していた。


「勝手に触っちゃだめですよ」

「大丈夫。見てるだけだ」


 ひとまず、互いに得た情報を交換する。古戸さんからは遺物の情報。私たちからは阿見館長とのやりとり。


「あのオモチャみたいなヤツはさすがに時間がかかるみたいだね。ただ年代測定も難しいし、結局詳しくは分からないってことになりそうだ。で、あの白っぽいゴミみたいなヤツは、結構面白いことが分かった」


 古戸さんはビニールバッグを手に持ってシャカシャカと振った。


「これは皮だ。皮膚だよ」


「そのようには見えませんね」

 ヴェラが言った。


「皮膚と言われると分かりづらいかもね。けど、抜け殻と表現したらどうかな?」


「抜け殻……ロブスターみたいに?」


「ちょっとロブスターの抜け殻があんまりイメージできないけども」


「あるいは……」


「この場合は、蛇だ。よく見てごらん。ウロコがある」


 古戸さんはサンプルをヴェラに手渡した。彼女はバッグが鼻につくほど顔を近づけて、中身をまじまじと観察した。しかし今一つ確信が持てなかったのか、眉間にしわを寄せている。


 彼女にバッグを手渡され、私も剥片をじっと見る。擦り切れ、風化してはいるが、かすかにウロコが連なったような模様があるような気がした。


「副葬品として、蛇を入れてた可能性もあるんじゃないですか」

 サンプルを机に上に置いてから、私は尋ねた。


「もしそうなら、蛇の骨とかミイラとかが残ってないとおかしいだろう」


「じゃあ、古代人は進化した蛇だったって言うんですか?」


「考え方はおそらく合っている。正確には進化した蛇ではなく、蛇と祖先を同じくする存在、と言うべきだね」


 いっとき栄華を誇った恐竜は六五〇〇万年前に絶滅した。しかしそこからほ乳類が覇権を得るまで、地上を支配していたのは何者か? 生き残った爬虫類の一派が、人間に先んじて知能と文化を発達させた可能性は?


「まさしくサタン……。人類の仇敵ですね」

 ヴェラが心底納得したような表情で言った。


「彼らにしてみれば、人類こそが簒奪者さんだつしゃなのさ。まあ仇敵というのは間違いない」


 私は古代ローマ風のトーガを纏った、二足歩行のトカゲをイメージした。もしその通りならユーモラスに見えなくもないが、実体はもっと気色の悪い姿をしているに違いない。


「そしてこれは状況から見た仮説だが、彼らは半永久的な休眠状態に入ることができる。縄文人に追い詰められた彼らはあの施設を作り、眠りに入った。そう、アレは遺跡じゃない。ついこの間まで機能していた、あるいは現に機能している施設なんだよ」


 私の隣でヴェラがなにか言った。英語で不快感を表したのだろうと思う。


「やはり破壊すべきですよ」


「焦らない焦らない。解読作業をやってからでも遅くないよ」


 エキサイトしつつあったヴェラを宥めた私たちは、改めて金属板の文章と、アクロ語の資料に注意を向けた。


 革表紙の本。古戸さんが神妙な手つきで表紙をめくる。


 この本を書いた人間は、かなり病的な偏狂状態にあったようだ。少し見ただけで、私はそのような印象を持つに至った。


 役割としては辞書に似ている。一(ページ)に拡大された一文字があり、その周囲に書き込まれるような配置で、形に関する注釈と、文字の意味に関する考察らしきものがある。


 私は古戸さんの手伝いとして英文の翻訳をやることがあるので、一般的な英文であれば、読んで意味を把握するのにさほど苦労はしない。しかしこの筆者が書く文字は汚く、内容はあまりに断片的だったので、一人では少々荷が勝ち過ぎる気がした。


 しかし幸い、ヴェラは英語に堪能だ。本の解読は主として彼女と古戸さんに任せ、私は訳出されたものの繋がりを考えたり、文脈に応じた意味をあてはめたりする作業を担当することにした。別に日本語訳を出版するわけではないのだから、大意が掴めれば問題はない。


 それでも翻訳は非常に根気の要る作業だった。古戸さんは普段のような軽口一つなく、恐るべき集中力を発揮していたが、私とヴェラは疲れ目と肩こりに悩まされ、しまいには鈍い頭痛を発症して休息を繰り返した。


 気分転換におこなったのが、抜け殻の鑑定だった。爬虫類の図鑑を閉架書庫に運び込み、色鮮やかなそれを眺めながら、ウロコの形が似ている種類のものを探した。


 結果として、蛇人間――件の古代人を、私と古戸さんはそう呼ぶことにした――はコブラの近縁である可能性が高い、と結論づけられた。しかし翻訳の方は、閉館時間までにおよそ四割までしか進まなかった。


「お腹減ったなぁ」


 図書館を出る際、古戸さんが呟く。私とヴェラは学生食堂で夕飯を摂っていたが、彼は水分すらほとんど摂らず作業にかかりきりだった。作業を終えてはじめて空腹に気づいた、といった風だった。


「今日はもうさすがに休みたいです……」


 私はため息とともにその言葉を吐き出した。今日は午前中から山梨まで往復し、午後は大学院生もかくやというほど文献に向き合ったのだ。もはや車の運転すらおっくうなほど疲れていた。


 大学の駐車場でヴェラと別れ、買ったアイスモナカをもりもり食べる古戸さんを横目に、私は長い探索行の二日目を終えるべく、レンタカーでの家路を急いだ。



 翌日の十一時、私たちは再び大学の図書館前に集合した。


 ヴェラは昨日よりも大荷物だった。再び遺跡に向かうときのための準備らしい。


 私たちは阿見館長に簡単な進捗を報告し、順調にいけば今日中に作業が終わるかもしれない、とつけ加えた。彼はあまり根を詰め過ぎないようにと言って、外国製の珍しい飴玉を大量にくれた。


 そして再びの閉架書庫。作業の進捗は四割といったところだが、全体像は見えつつある。あとは試行錯誤を繰り返しながら、パーツを秩序ある形に組み上げていくだけだ。量は多いが私がやれることも多く、気合が入る。


「そんな詩的にする必要あります?」

「いやいや、これはまさに詩なんだよ」


 昼を挟み数時間。ああでもないこうでもないと議論を白熱させる。


「このユィグ? イグっていうのは?」

「サタンが崇めるなにかでしょうか。さらに上位の存在というか……」


 もらった飴玉をガリゴリと噛み砕きながら、翻訳作業を続ける。


「フルドさん。これはなんて読むんですか?」

怜悧れいり。頭がいいってことだ」


 そして午後七時近くになり、ようやく意味深な、しかしなんとか理解できる文章が完成した。コピー用紙に書き散らされた断片を繋ぎ、一つにまとめる。


〈幾星霜を経し戦の果てに、我等終に此の地へ至る〉

〈――勇敢なる子等は地下に眠り〉

〈恨み燃えし怜悧なる子等は地上に残る〉

〈今――の時、此の屈辱に耐えるべし〉

〈此処は時代の墓にして、我等が種族の墓にあらず〉

〈星揃い――、偉大なるイグの名の下に〉

〈誇り高き子等が目を覚まし、再び――〉


〈この扉の先、戦の勇士が眠る〉

〈偉大なるイグの子等よ、――の時を待て〉

〈後の時代に生き残り、再び扉の前に立つべし〉

〈――、聖杯を――の生き血で満たせ〉

〈新たな時代を解き放ち、鬨の声を上げよ〉


 前者が入口の金属板、後者が石扉の横にあったものだ。資料が不完全なためどうしても訳せない部分はあったが、大まかな意味は把握できた。


「さて、これを解釈していこう」


 訳文をしげしげと眺めながら、古戸さんが満足そうに言った。


「いっとき栄華を誇り文明を築いた蛇人間たちは人類に追われ、ユーラシア大陸を東へ東へと逃げたが、やがて太平洋を背にして追い詰められた。


 やむなく彼らは最後の技術力と資源を振り絞り、地下施設を築いた。地上に造ると壊されちゃうからね。そして自らを休眠状態に置き、施設を封印した」


「でも、地上に残った個体もいたんですよね、この文面だと」

 私は言った。


「星が揃ったとき、つまり反攻の準備が整ったタイミングで、外から開けるためだろう。そして石扉の奥に眠っている蛇人間たちを目覚めさせる。数はどれくらいかな? 少なくとも数十、多ければ数百か」


「これ以上サタンが這い出して来る前に、爆破解体すべきですね……」


「なんか私も爆破した方がいいような気がしてきました」


 対処できるかどうか以前に、蛇の特徴を持った人間型の生物がウゾウゾとあふれ出す光景は、想像するだけでぞっとする。しかし爆破解体なり崩落なりさせるとして、発掘現場に重機を持ち込むわけにはいかない。シャベルでなんとかできるとも思えない。


「それに関しては心配ご無用(ナットゥウォーリー)。用意があります」


 午前から気になっていたヴェラの荷物。彼女はそれをポンポンと叩いた。四角いバッグのようなそれは、どうやら登山用具ではなさそうだ。


C4(シーフォー)。いわゆるプラスチック――」


「あ、言わなくていい。全部聞くとまずい気がする」


 多分、在日米軍に修道会のメンバーなりシンパなりがいるのだ。日本の公安はなにをしているのだろう。


「まあ、それも明日かな? 一応乾にも直接報告してやろう。色々やっちゃう前にさ」


 古戸さんは大きく伸びをしてから、昨日と同じように空腹を訴えはじめる。


 こうして十数時間に及ぶ翻訳作業は終了した。


 私は阿見館長に礼を述べ、金属板の内容を共有しようとしたが、彼はそれを固辞した。熱心な若者に場所を貸しただけ。そういうことにして欲しい、とのことだった。


 こうして蛇人間の眠る施設は明らかにされ、その処遇は私たちに委ねられた。


 サタン滅すべし。バイクにまたがるヴェラの背からは、狂信に近い使命感がオーラとなって見えるようだった。

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