-2- ヴェロニカ
私と古戸さんは土曜の朝に横浜を出発し、中央自動車道を使って山梨へと向かった。夏休みシーズンであるため所々で渋滞に巻き込まれ、あまり快適な行程にはならなかった。
以前使っていたライトバンは外穂村から戻ってこなかったので、白のセダンをレンタルした。今回は無事に返却できることを祈るばかりだ。
乾さんとは遺跡の近くで合流することになっている。私たちは午前十時ごろに甲府市街を通り過ぎ、そこからさらに三十分ほど車を走らせた。
「カーナビ的にはこのあたりだねぇ」
緑の山野を貫く県道を走りながら、登山口らしきものを探す。特にランドマークがあるわけでもないので、地図を見てもどこが目的の場所なのか今一つ分かりづらい。
「麓で合流してから来るべきだったんですよ」
文句を言ってはみたが、今更嘆いてどうなるものでもなかった。
しばらくして私たちは道端に停められた軽自動車を見つけた。乾さんのものだろうと見当をつけたが、その近くには見知らぬバイクもある。傍には持ち主らしき人物もいた。ブロンドの髪を持つ長身の女性だ。
「お仲間ですかね?」
「特に聞いてないけどそうかもね」
私は速度を緩め、バイクから四、五メートルの場所に車を停めた。こちらをちらちらと窺う女性を意識しながら、車から降りて荷物を取り出す。
現地の標高は四百メートルほど。甲府市街よりほんの少し温度は低いが、快適という程ではない。私は日差しを避けるための帽子を被ってから、辺りを見回した。
「乾さん、いないですね」
「我慢できずに行っちゃったんじゃないの」
「私たち、遺跡の場所分からないのに」
「彼にはそういうところがある。あの女の人が案内かもよ」
そう言って古戸さんは女性に歩み寄り、気安い態度で声を掛けた。
「どうもー」
「こんにちは」
女性の顔立ちは明らかに白人のそれだったが、挨拶はごく自然な日本語だった。しかし彼女自身にも、こちらに対する反応にも、どこか違和感があった。
「君、乾の友達?」
「イヌイ? いえ、ワタシはこの上に用事があって来ました」
「遺跡でしょ? じゃあ一緒だよね」
「え?」
「ん?」
古戸さんと女性は互いに首をかしげた。私は話がこじれる前にと割って入る。
「すみません。私たち、乾さんという人と待ち合わせをして、この上にある……発掘現場に行く予定なんです。えーと」
「ああ、ワタシ、ヴェロニカといいます。ヴェロニカ・フランチェスカ」
私は彼女に差し出された手をおずおずと握る。
「どうも。楠田由宇子といいます。ヴェロニカさんは、乾さんに呼ばれたわけではないんですよね?」
「違います。ワタシはこの先にあるサタンの遺跡を調査しにきたのです」
「……なんの遺跡?」
「サタンです」
ヴェロニカは声に力を込めて言い放った。
私は思わず顔をひきつらせた。話を整理するつもりが、まったく予想外のところから頭を殴られた気分だった。彼女の瞳は真っ直ぐで、ジョークを言っている風でもない。
「ねえ君、遺跡の詳しい場所は分かる?」
古戸さんはサタンという単語にも眉一つ動かさない。
「はい。GPSがありますから」
「僕らもそこに行く予定なんだけど、ついて行ってもいい?」
ヴェロニカは少し悩むような素振りを見せたあと、爽やかな笑顔で頷いた。
「分かりました。ここで会ったのも主の御導きでしょう」
「助かるよ」
早々に合意が形成され、二人は元々パーティーであったかのように揃って踵を返し、並んで歩きはじめた。その先には山奥へと続く簡素な登山道がある。
「ちょ、ちょっと……」
ちぐはぐさが一切正されないまま物事が進んでいくことに、私は軽い混乱を覚えた。抗議したり思考をまとめたりする時間が欲しかったが、残念ながらそれは与えられそうになかった。とはいえ、このまま佇んでいれば置き去りにされてしまう。
仕方ない。私はため息をついて荷物を背負い直し、小走りで二人の背を追った。
◇
発掘現場までの山道は、当然ながら観光地のそれとは大きく異なっていた。舗装は一切されておらず、木道があるわけでもない。
せいぜい下草が除去され、道標が設置されているくらいのものだ。急な斜面にのみ、黒っぽい金属の棒が埋められ、簡易な階段となっている。乾さんが否定した通り、数百キロの金属板を担いでここを登るのは、かなり現実離れした作業だと言えた。
そんな道中で試みた懸命な異文化コミュニケーションの結果、私たちはヴェロニカの素性をほんの少しだけ知ることができた。
彼女の両親はアメリカ人だが、自身は日本生まれ日本育ち。現在は東京にある私立大学の三年生で、とある秘密の――「それだけは言えません」とのこと――修道会に所属している。今回の遺跡については、より上位の修道会メンバーから情報を得たらしい。
はじめの印象と異なり、ヴェロニカはサタンに関すること以外であれば、ごくごく普通の、それどころか好ましいと思えるほどの人物だった。忍耐強く、話題が豊富で、相手を尊重する。少し行動を共にしただけでも、体力に乏しい古戸さん、社交性が今一つな私への気遣いが随所に見られた。
以降、私は彼女をヴェラと呼ぶことにした。そうして欲しいと言われたのもあるし、年下相手にかしこまり続けるのも妙だと思ったからだ。
しばらくは穏当な会話が続いた。しかし最終的にサタンの話を避けて通ることはできなかった。私たちの目的と彼女の目的はどのように交錯するのか。それを確かめておかなければ、今後不要な齟齬を生みかねない。
「ヴェラ、サタンっていうのは具体的になにを指すの?」
私は先頭をゆっくりと進む彼女に尋ねた。ペースは最後尾に続く古戸さんに合わせている。本来ならば、もう五割は速く進めるだろう。ヴェラは私と同じかそれ以上にタフだった。
「ワタシたちは、遥か太古より世界に潜み、人類に敵対する存在をサタンと呼びます。それは山羊の頭とか、蝙蝠の羽とか、三叉の鉾とか、そういう姿で描かれるような、抽象的な存在ではありません。
邪悪ではありますが、牛や魚と同じ生命体です。それは狡猾に潜伏しているのです。例えば水の底、地下空間、山岳や森林、ときには人間社会にも」
「人に化けることもある?」
「そのように聞いています」
私は以前、島の洋館で遭遇した吸血鬼のことを思い出した。ヴェラに言わせれば、ああいった手合いもサタンなのだろう。その言葉が持つ宗教色を割り引いて考えれば、サタンとは要するに異形や怪物全般のことなのだ。
「そのような存在を監視したり、状況に応じて必要な手段を取ったりするのが修道会、ひいてはワタシの役割なのです」
もしそれが真実であれば、古戸さんよりよっぽど善良な集団であると言える。少なくとも、彼は人類全体の利益など眼中にない。
「ところで、ユウコたちは遺跡にどんな用があるのですか?」
古戸さんと作戦会議をしようにも、彼はまた十メートルほど遅れている。追いついてきたところで、ヴェラに聴かれず話すのは不可能だ。とはいえ一般的に考えて、向こうが目的を明かした以上、こちらもそうしなければ信義にもとる。
「さっき話した乾さんなんだけど――」
私は彼が当初縄文遺跡の発掘作業に携わっていたこと、時代にそぐわない技術で作成された謎の金属板を見つけたこと、不自然な作業の中止命令を受け、独自の調査を計画していることなどを、なるべく偽りのないように伝えた。
「なるほど。だから先程ワタシのことをイヌイの友達か、と」
「そうそう」
ヴェラの言うサタンが、金属板の制作者なのだろうか? そうだとして、縄文遺跡から見つかったというのはなにを意味しているのか。私たちが得ている情報はまだないに等しく、推測しようにも限界があった。
「ついたみたいですよ」
ヴェラの声で目線を上げると、道の先で木々が途切れているのが分かった。発掘現場に辿り着いたのだ。私は一度振り返り、眼下の古戸さんを叱咤してから、最後の数メートルを登りきった。
そこは広葉樹の森に囲まれた直径六十メートルほどの広場だった。発掘作業はかなり進んでいたらしく、地面を切り取ったような穴があちらこちらに空き、乾いた土砂を晒している。回収されずに残った土嚢やロープなどもあり、この現場が急に撤収されたことを示していた。
「ユウコ!」
ヴェラが叫び、なにかを指さす。
それを見て、私は息を呑んだ。彼女が示した先には、荷物を投げ出し、うつ伏せで倒れる乾さんの姿があったのだ。




