-終- 奇異なる日常へ
結局のところ、私はなんの責任も取らずに帰ってきた。
今回の件、神奈子ちゃんは確かに自由を得た。しかし大多数の村人にとっては、長年続いてきた慣習と秩序が崩壊しただけと映っただろう。瑠璃や下男に理不尽な制裁を加えられる恐れはなくなった。しかし彼女が村に豊穣をもたらしていたのも、きっと事実なのだ。
それに村井さんと神奈子さん――プレハブの女性――が命を落としたことも、私の心に暗い影を落としていた。彼らが実の両親であったことを、私の口から神奈子ちゃんに伝えなかったことも、小さくない後悔として残っていた。
神奈子ちゃんは、私に何度も感謝を述べた。樋口さんと高坂さんも、私の行動を称賛した。しかしやはり私のしたことは、大っぴらに肯定できるようなものではないのだ。所詮は独りよがりな正義感による所業であって、深い思慮のもと行動したわけではないのだから。
それでも私はああするしかなかった。目を背けたくなるようなものに向き合ったとき、どのみち瑠璃とは対決せざるを得なかったのだ。
自分自身のありようについて省みるなら、今回の苛烈な体験を経て、私はまたほんの少し変容したように思う。次に同じようなことが起こったとしても、どうしようもないほどに怯え、縮こまることはもはやないだろう。
しかしそれが本当に良いことなのかどうかは分からない。異常な状況で平静を保つ人間は、確かに強靭かもしれないが、正常さの度合いで言えば怪しいものだ。
軽トラックで村を脱出したあと、私たちは麓の町まで走り、ようやくそこで一息ついた。桐島さんはこれまで瑠璃に協力してきた罪滅ぼしにと、その後に待つであろう様々な面倒を引き受けることを約束してくれた。
私は神奈子ちゃん、あとり君といつかの再会を誓い合い。樋口さん、高坂さんと一緒に、適当な宿を取って身体を休めた。
翌日、彼らは治療のため病院へと向かったが、私は比較的元気だったので、そのまま電車に乗って帰ってきた。そして午後一杯を母への言い訳とご機嫌取りに費やし、その日は久しぶりに家のベッドでゆっくりと眠った。
次の朝、私はいつものように滴水古書堂へと向かい、店を開けた。不在にしていた数日の間溜まった郵便物やメール、留守録の処理、伝票や在庫の整理に没頭し、あまり余計なことを考えないようにした。
外穂村で起こった出来事がどのような顛末を辿ったのか、どのように報道されているのか、私はあえて調べようとはしなかった。あの夜のことを、進んで振り返りたいとは思えなかったからだ。
そして正午を過ぎたころ、気だるげな様子で戸口に立つ人影があった。
「はー、ただいま」
盛大に不精髭を伸ばした古戸さんがそこにいた。もじゃもじゃした髪は汚れと脂で固まり、浮浪者同然の姿になっている。服はどこかで新しいものを買ったようだが、安物のため一層うらぶれて見えた。
「おかえりなさい。酷い顔ですよ」
私は古戸さんが死んだとは思っていなかった。しかしあまりに平然とした態度で帰ってこられるのも、なんとなく腹立たしかった。
「その後、無事だった?」
「ええ、なんとか」
私は古戸さんが持っているビニール袋に目を遣った。そこには直径二十センチほどの銅鏡が無造作に入れられている。結局彼はどさくさにまぎれ、御門鏡を手に入れたのだ。
「これ、どこに飾ったらいいと思う?」
「トイレとかがいいんじゃないですか」
私は投げやりに答える。御門鏡の正体や用途については、正直なところ興味がなかった。
「シャワー浴びてきてくださいよ。臭いから」
「うん。そうしよう。色々なところがかゆい」
けだるそうな足取りで、古戸さんは店の奥に消えていく。私は彼が発散した不快な諸々に向けて、足元にあった消臭スプレーを念入りに吹きつけた。
書籍化作業のためゆっくり更新に戻ります。次Episodeは『時代の墓碑銘』を予定しています。




