-9- 護られた地
陽は高く上りつつあったが、広場にある要石は相変わらず冷たい空気を放っていた。今はその根元に古戸さんの姿がある。
彼は地べたに座り込み、ラップでくるんだ白米を頬張っていた。祭の準備をする周囲の村人からは、あからさまに懐疑の目が向けられている。それでも直接注意するのは憚られるような雰囲気を放っているのか、咎められる様子はない。
「……なにしてるんです?」
私は広場を横切り、古戸さんに近づいていった。顔を上げた彼の顎には米粒がついているが、指摘する気にはなれなかった。
「塩にぎりを食べている」
「それは見れば分かります。なんでここで食べてるんですか」
「涼しいから……」
古戸さんは顎についた米粒を親指でぬぐい、口に運んだ。
「その靴。田んぼにでもはまったのかい」
「神社に行ってきたんですよ。あとり君に連れて行ってもらったんですが、わざわざ獣道を進む羽目に」
私は答え、先程見たものについても報告した。神社の上にさらに神社があったこと。そこ蔵があり、神奈子ちゃんがいたこと。敷地の全体的な構造。そして下男の存在。
「まあ社殿が二つあるのは珍しいことじゃないよ。里宮っていう一般人の参拝用の社殿と、奥宮っていう本物があるってだけだ。奥宮にいろんな建物がくっついてる理由は知らないけどね。もう一つの建物ってのにはなにがあったの?」
「いえ、遠くから見ただけなんで」
「ふーん……。まあ、怪しすぎるよね。どっかのタイミングで行ってみよう」
古戸さんが興味を持つことは分かっていた。きっとそれに付き合わないといけないであろうことも。しかし私にしたところで、あの場を見て無関心でいられるほど感受性の死んだ人間ではない。
「下男については?」
私は尋ねた。
「君はどう思うね?」
意地悪そうな顔をして、古戸さんがわきわきと右手を動かす。ぶるり、と腕全体が蠢いた気がした。
「……ご同朋ですか」
同種、同類といった言葉の方が適切だったかもしれない。
「実際見てみないことには分からんね」
それから古戸さんはおっくうそうに立ち上がり、尻についた埃を払った。
「けどその前に、確認しておきたいことがある。一緒に行こうじゃないか」
私たちは要石がある広場から南に下り、村の入口へと向かうことにした。まだ九時半だが、気温は徐々に高くなってきている。普段あまりそういう素振りを見せない古戸さんも、首筋に伝う汗をわずらわしそうに拭っていた。
「なにを見るんです?」
「木だよ」
前方には先程から杉の巨木が見えている。それはやはり堅固な村の境界めいていて、内側にいる私には、脱出を阻む柵の一部であるようにも感じられた。巻かれている鎖がその印象を強めているのかもしれない。
巨木の幹に辿り着いてから、私は県道に繋がる道の方を見遣る。
祭の三日間、村への出入りは禁止される。桐島さんはそう言っていたが、決まりは思った以上に厳格に守られるようだ。村の入口にはテント用のタープで日陰が作られ、そこには警杖のようなものを持った男性が二人、折り畳み式のイスに座っていた。道の真ん中には車止めが置いてある。
「おはようございます」
こそこそするよりは、と一応声をかけてみる。見張りの二人はああ、と応じただけで、こちらにはほとんど興味を示さなかった。多分、私たちのことは既に伝わっているのだろう。
「楠田さん楠田さん、これ見てごらん」
杉の陰に隠れるような場所から、古戸さんが呼ぶ。彼は鎖の一部を爪でこつこつと叩いたり、がりがりと擦ったりしている。
「これは鉄じゃないね。多分、錫だ」
「錫? ブリキってことですか」
確かに、鉄にしては表面が白っぽいように思える。塗料というわけでもないようだ。
「メッキされてるのかな。軽いから全部錫なのかも」
「はあ。でもこれが錫だとして、なんの意味が」
「これだけでは分からないが、予測は立つ。次はあっちだ」
彼は北西の方角を指さした。私が目を凝らすと、密集した木々の間、ここにあるのと同じような高い木が見えた。ただしかなり距離がある。
「遠いですよ。というか山の中ですよ」
「まあ頑張っていこう。僕が熱中症で倒れたらおぶってくれ」
◇
それから私たちはたっぷり一時間かけて、二つ目の巨木まで歩いて行った。幸いなことに近くまではちゃんと道があって、山中を進むのは最後の百メートルほどで済んだ。
それでも発汗は抑えがたく、元々持ってきていた水は、あっという間に消費されてしまった。途中で流れている小川の水を飲みたい欲求に駆られたが、生水の危険を考慮して、首筋を冷やすに留めた。
「やっと着いた……」
私は数十メートル後方にいる古戸さんの様子を気にしながら、巨木の幹を観察する。
そこには村の入口にある木と同じように、巨大な鎖が巻かれていた。輪の一つを手で持ち上げ、ざらざらと表面を触る。金属の表面は錆びて緑青を生じていた。
これならば私にも分かる。銅だ。
「どうだった?」
古戸さんが息も絶え絶えに追いついてきた。幹に手をつき、額を押さえている。なけなしの体力をほとんど消耗したようだ。
「銅でした」
「は?」
「銅ですよ。Copper」
「ああ、銅ね。分かってる分かってる。やっぱりそうだった」
疲労と脱水で思考力が低下しているようだ。
「あっちが錫、こっちが銅」
古戸さんは身を起こすと、木々の向こうから遠く山間に目を遣った。
「あの方向にも杉があるはずだ。楠田さんも見て」
言われた通りにすると、確かに周囲より高い木がある。
「あの方向には?」
また別の方向を指示され、眺める。やはり杉がある。村の入口、それから現在位置と併せて、村の周囲には五本の杉があった。もちろん見つけていないだけで、もっとあるのかもしれないが。
「これは、五行ですか」
私は言った。古代中国の思想だったか、陰陽術だったか。占いなんかでもよく聞く概念だ。特に勉強したわけでもないが、私にもうすぼんやりとした知識はあった。昔アニメかなにかで知ったような気がする。
万物を木、土、水、火、そして金の要素に振り分ける、というヤツだ。
「その通り。錫は木、銅は火に対応する。残りは金、銀、鉄だ。いちいち確認はしないけど、それぞれの木にはこの金属でできた鎖が巻いてあるはず。おそらくこの場合は相生に働くはずだね」
「ちょっとなに言ってるのか分からないです」
「つまり、この村は魔術的に護られた地なんだよ。日本的に言えば、陰陽術かな? あの要石とやらも、それに関係しているんだろう」
「だとすると、随分大がかりですね」
「しかしそれだけの効果はあるように見える」
私は要石を囲むように広がる集落を眺める。豊かな田畑、肥った家畜。普通の田舎に比べれば、若い人間も多いだろうか。
「これはまだ予測に過ぎないけど、多分瑠璃さまっていうのが、この村に豊穣をもたらしている。少なくとも、そういう存在として崇められているんだと思うよ。是非、会って話をしたいね」
「トラブル起こさないで下さいよ」
「常識的な範囲では気をつけるけどね。しかし滝村先生にしても、好んでトラブルを起こすような人物ではなかった。なにかうっかり、変なものをつついたんだろう。後ろ暗いことのない豊かさなんてないからね」
豊かではないが後ろ暗いことばかりある古戸さんは、自信満々に言い切った。
「そういうものですか」
「そういうものだよ」




