-5- 若き先客
風呂でさっぱりしたあと部屋に戻ってみると、今度こそ村長が帰宅していた。私は部屋着のまま挨拶が遅れたことを詫び、宿泊することになった事情を簡単に説明した。
村長はまだ四十代くらいに見え、人畜無害な、いかにも朴訥といった容貌をしていた。親切そうではあるがどこか素っ気なく、部外者である私たちを必要以上に近づけない態度を保っていた。
もっともこちらは押しかけている立場なのだから、露骨に嫌な顔をされないだけ、ありがたいと思わなければならない。
それから、村長夫人が食事の準備をしてくれた。私たちの部屋の隣はちょっとした広間になっていて、大きな漆塗りの長机が中央にでんと置かれていた。膳は四つ。私たちと、先客たちのものだろう。
メニューは豚の生姜焼きに、山盛りキャベツとくし形に切られたトマト、さつまいもの味噌汁。どことなく、中学校の修学旅行を思い出す。豚は村で育てられたものだろうか? 簡素ながら美味しそうな夕飯だった。
古戸さんの対面に座り、食べはじめてしまおうかどうか迷っていると、襖が開いて一組の男女が入ってきた。どちらも若い。すでに部屋着に着替えていて、リラックスした様子だった。
「こんばんは」
男性の方が頭を下げた。身長は175センチくらい。身体は細いが筋肉はそれなりについている。太い黒縁の眼鏡と、耳までの長さがある猫毛は、今どきの大学生という感じがする。
女性の方も似た雰囲気を纏っていた。身体つきからして、同じ種類の運動をしているのかもしれない。うなじまで伸びた黒い髪を持つ、中性的な感じの美人だった。
「どうも」
私は箸を持ったまま、軽く頭を下げた。
「まさか僕ら以外にお客さんが来るなんて思いませんでした」
男性は言った。
「そうだね。観光地でもないのにね」
古戸さんがいつもの調子で言った。彼は初対面の人に対する丁寧さを欠くことがあるので、私は若い二人が悪印象を抱かないかと若干ハラハラした。しかし少なくとも男性の方は気さくな人間であるらしく。人懐こそうな笑みを浮かべて席に着いた。女性の方もそれに倣う。
「多分、裏の山を登ってたんだと思うんですけどね、うっかり道を外れちゃって。彼女と途方に暮れかけてたら、麓の方にこの村が見えたんですよ」
どうやらあとり君の言う通り、二人は遭難しかけていたようだ。だいぶダイナミックに迷ったものだと思う。今なら笑えますが、もう少しでニュースになるところでした、と男性は苦笑した。
「僕らもキャンプ地を探していて道に迷った……というのは表向きの話」
古戸さんはにやにやとした笑みを浮かべながら、食卓に身を乗り出した。私は彼の口振りにどきっとした。古戸さんが二人に本当のことを話そうとしていたからだ。なにか考えがあってのことなのだろうか。もしかすると、嘘をつくのが面倒になっただけかもしれない。
「実はね、この村の祭りについて調べに来たんだよ」
低い囁き声で言う。男女はきょとんとした顔になったあと、揃って曖昧な笑みを作った。
「大学の先生とかですか?」
女性の方が尋ねた。
「まあ、仕事半分、趣味半分といったところかな。彼女はバイト」
私も曖昧な笑みを浮かべる。曖昧な笑みというのは便利だ。人や言葉に対して態度を保留するようなときは特に。
「一応、これは秘密でお願いしますね」
二人には告げ口する理由もなさそうだが、一応、念を押しておいた。うっかり村長夫妻や、瑠璃さまの耳に入れば、家を追い出されるかもしれない。
そして私たちは、遅ればせながら互いに自己紹介することにした。男性は樋口、女性は高坂という名前だった。二人は共に、大学のワンダーフォーゲル部に所属しているらしい。明言はされなかったが、きっと付き合っているのだろう。
「そういえば、期間中に出入りできないってことは聞きましたか?」
高坂さんが言った。
「ああ、そうみたいですね」
私は答える。
「私たちは大学生だから困らないですけど。一応今日からはじまるって言ってましたけど、そこまで賑やかって感じじゃないですね」
「まだ準備段階なんだろう。大がかりな儀式には入念な準備が必要なのさ」
古戸さんが口を挟む。
「儀式?」
「高坂さん、だっけ? 江戸時代からはじまったようなのは別にして、古くからある祭は全部儀式だよ。だから、屋台なんか期待しちゃいけない。本当は多分、見るのもダメなんだ」
「はあ」
「まあそれが実際的な理由によるものなのか、単なる昔からの形骸化したしきたりなのかは知らないけども」
二人の表情を見るに、こういった種類の話題にはあまり興味がないようだ。当たり前といえば当たり前だが、古戸さん側の立場にいる人間としては、なんとなくいたたまれない。彼が面倒な人間として嫌われるのはいいが、同種の存在だと思われるのは困る。
「そういえば、いつまで出入り禁止なのか聞きそびれましたね。聞いてましたっけ?」
長くなりそうな語りに割って入って、やや強引に古戸さんの講義を中止させる。
「いや。聞けば分かるだろうし、聞かなくてもそのうち分かるだろう」
「それまでは、怒られない範囲で村を見て回るのがいいかもしれないですね」
古戸さんに、というよりも樋口さんと高坂さんに言う。彼らはあまり巻き込みたくないし、巻き込むことでなにか得があるとも思えない。二人も特に予定はないようで、そうするしかなさそうですね、と私の言葉に同意した。
「そういえば」
思い出したように樋口さんが言った。
「離れに誰かいるらしいですよ」
「離れ?」
私は聞き返した。ここに着いたとき辺りは既に暗かったので、敷地のすべては見渡せなかった。しかしこれだけ立派な屋敷なのだから、離れがあっても不自然ではない。
「ええ、なんか偉い人が。瑠璃さま、って言ってたかな」
「あとり君のおばあさんですか」
「いや、そういう感じじゃなかったな。ちょっと触れづらい雰囲気だったから、詳しくは聞きませんでしたけど」
瑠璃。祖母世代の人間にしては洒落た名前だ。村長の血縁ではないのだろうか? 離れで生活し、私たちにも存在が紹介されなかったことを考えると、確かにこちらからは触れづらい。ただきっと古戸さんはちょっかいをかけたがるだろうな、と私は予感する。
「祭に関係してるのかもしれないね。物忌みとかさ」
「モノイミ?」
高坂さんが首をかしげた。
「大事な儀式の前とか、ケガレに触れないよう、食事を断ったり、人に会わないよう謹慎したりするんだよ。身を清める期間だね」
「なるほど」
それであれば筋が通っている。樋口さんと高坂さんは腑に落ちたようだった。
そのとき、いきなり襖が開いた。
「ごはん終わったか?」
あとり君だった。私は胸を撫で下ろす。彼は客人たちの手が空くのを待っていて、遊び相手になってもらおうとしているのだろう。
「ごめんね、もう少し待っててね」
私は手に持った茶碗とお箸を見せるようにして言った。
「おう、トランプやろうな」
二百人ぐらいの村だと、同年代の遊び相手には苦労するだろう。今は夏休みだから、学校の友人ともあまり会っていないはずだ。一宿の恩を返すというわけではないが、私はあとり君の期待に応えるべく、少々急いで夕飯をかきこんだ。




