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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode4 エリー
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-4- 続・怪しげな客人たち

 ディナーの鶏肉はそこそこボリュームがあった。デザートに出た洋ナシのコンポートも美味しかった。客人たちの間に漂う妙な緊張感さえなければ、もっと味わって食べられたのだが。


 夕食のあと、私は館の一階にある浴室を使用することにした。日中汗をかき、潮風にも当たったので、身体がべたべたしている。


 浴室に入ってみると、一般家庭のそれよりかなり広々としていた。内装は木材を基調として、所々臙脂えんじ色のタイルで覆われている。


 湯船も温泉旅館並み、とまではいかないが、手足が十分に伸ばせるくらいには大きかった。全体的な雰囲気は少々和風に傾き過ぎているような気もするが、これは館を立てた人間のこだわりだろうか。


 私は新しく買い足されたらしいシャンプーで髪を洗い、高級そうなボディソープをスポンジでもこもこと泡立てた。


 それを身体に塗りたくりながら、もう少し下半身の筋肉をつけてもいいな、などと考える。


 ソープを流したあと、湯船に浸かる。温度は少々熱めだった。


「はあ……」


 どうもリラックスしづらい。元々慣れない場所は苦手だが、それ意外にも胸騒ぎをさせるなにかが、今回のイベントにはあるように思える。あるいは滴水古書堂で経験したあれやこれやのせいで、神経症気味になっているだけかもしれない。


 元々長風呂をしないタイプの私は、数分で湯船から上がり、浴室から出た。脱衣所で身体と髪を乾かし、鏡で自分の顔面をじっくり観察した。何年か前に比べて、若干表情が暗くなったか。いや、旅の疲れが出ているだけだろう。


 私は家から持参した化粧水と乳液を適当に塗り込み、Tシャツと七分丈のナイロンパンツ姿になった。妙な格好ではないかと少し心配になるが、いつもこのスタイルなのだから、見栄を張っても仕方がない。


 時刻は午後八時ごろで、寝るにはまだ少し早い。書庫から本でも借りて読もうか。そういえば談話室にまだ行っていなかった。服とタオルを小脇に抱え、ひとまず部屋に戻ろうとした私は、二階から降りてくる不破さんに出くわした。彼女はTシャツとジーンズの、ややラフな格好に変わっていた。


「どうも」


 私は軽く頭を下げる。彼女も風呂だろうかと思ったが、着替えは持っていなかった。


「楠田さん、でしたか」


 そのまますれ違おうとしたところで声をかけられる。私は足を止め、不破さんに目を向けた。


「ええ」


「ちょっと変なことを聞きますけど、古田さん、どう思います?」


 彼女は唐突に尋ねた。


「どう、って言うと……」


 質問の意図が分からず、私は言い淀んだ。見た目の印象を言えばいいのか、言動について述べればいいのか。まさか恋愛対象としての印象を知りたいわけではあるまい。


「なにか変な感じがしません?」


「サングラスのことですか?」


「それもそうだけど……。まあ、気にしないでください」


 期待する答えを得られそうにないと思ったのか、彼女はさらりと会話を切り上げてしまった。あまり感じがよくないのはともかく、なんとも含みのある態度で、色々と勘繰りたくなる。しかし私はそれ以上踏み込むことをせず、一旦、部屋へと戻った。


 ストレッチで身体をほぐしながら、湯上りの熱が冷めるのを待ち、私は再び部屋を出た。廊下を挟んで目の前にある扉は、談話室のものだ。適当なボードゲームでもあれば、真奈加と暇が潰せるだろうか。ノブに手をかけ、中に入る。


 部屋には電気がついていた。シャンデリアの柔らかい灯りに照らされた室内は、豪華なリビングといった感じだった。黒い木製のコーヒーテーブルと、その四方に置かれた柔らかそうなソファ。床にはペルシャ絨毯。一角にはビリヤード台や、小さなバーカウンターもある。


 軽く遊べそうなボードゲームは、残念ながらなさそうだった。探せばチェスはあるかもしれないが、私は詳しいルールを知らない。


 そしてそこには先客がいた。やや茶色がかった髪を持つ、甘いマスクの青年。瓜生さんだ。


 ほかに人はいない。彼一人だけのようだ。個人的には気まずいシチュエーションだが、このまま回り右するのは流石に憚られる。


「こんばんは」


「こんばんは、楠田さん」


 彼はソファに腰かけ、ロックグラスを傾けていた。中に入っている液体は、ウィスキーか、ブランデーか。年の割に渋いものを飲むな、と酒を飲めない私は変に感心する。


 年の割といっても、私は彼が正確に何歳なのか知らない。顔貌は若々しいが、振る舞いはむしろ落ち着いている。意外と年上なのかもしれない。


「飲む?」


 瓜生さんはグラスを掲げた。


「いえ、いいです」


 私は瓜生さんの斜め前に腰かけ、脚を組んだ。ふんわりした布張りのソファに、立ち上がる力を奪われる。


「瓜生さんは大学生ですか?」


「ああ、カレッジはだいぶ前に卒業したね。今は好き放題やってるよ」


「うらやましい」


「刺激的かというとそうでもないけど」


 いわゆる富裕層というヤツだろうか。あるいは高等遊民?


「楠田さんは古本屋で働いてるんだって?」


「ええ、横浜で。個人商店みたいなところですよ」


「本が好きなの?」


「そういうわけでも……。まあ、嫌いではないです。アルバイトしてるのは、単に就職し損ねたからというか」


「ふうん」


 そう言うと、瓜生さんは首をぐるりと巡らせて、部屋の奥にあるビリヤード台に目を留めた。


「ビリヤードでもやる?」


「あー、ビリヤードはやったことなくて」


「大丈夫、教えるよ」


 面倒くさい、と反射的に思ってしまった。瓜生さんは清潔感のある好青年だが、彼の言動からはそこはかとなく女好きのにおいがする。


 たとえ私の自意識過剰だったとしても、ビリヤードのようなお洒落なゲームは好きでない。百メートル走とか、登山とか、スポーツチャンバラとかなら付き合ってもいい。


「今日は疲れたので、また明日にでも」


 私はソファに腰を下ろしたまま、動きたくないということをアピールした。気まずくならないように、それとなく話題を変える。


「瓜生さんは、不破さんとは初対面ですよね」


「そうだけど」


「なんか変なこと聞かれませんでした?」


「変なこと?」


「古田さんがどうとかって」


「いや……知らないな。そもそもあんまり話してないし。古田さんねえ……怪しげな感じではあるけど」


「怪しげですか」


「実はエリーの誕生日会というのは嘘で、彼は麗しい乙女を狙う吸血鬼なのだ……とかね」


 吸血鬼。私は書庫にあった資料のことを思い出す。彼もあれらを読んだのだろうか? 洋館でのホラーはフィクション作品でありがちだが、吸血鬼という着想が偶然一致するという可能性はどれほどのものか。


「だとすれば、瓜生さんと赤門さんはなんで呼ばれたんでしょうね」


 私は動揺を気取られないよう、なにげない風に言った。


「さあ……?」


 孤島(というほどでもないが)の洋館。サングラスを掛けた執事。物置にあった骨の短剣。集められた客人たち。不在のホスト。意識しはじめれば様々なことが気になってしまう。


 吸血鬼などバカらしいと一蹴できればいいのだが、これまで私が経験してきた奇妙な出来事の記憶が、そうさせてはくれなかった。


 あるいは吸血鬼よりも恐ろしい怪物か。そうでなくとも歪んだ悪意か。


 ダメだ。顔が陰気になるだけならまだしも、思考が魔術的になってしまってきている。友人がこんなひねくれ方をしてしまっていたら、エリーも悲しむだろう。少しばかり、頭を冷やす必要がある。


「ところで楠田さんって彼氏とか――」


「あの」


 瓜生さんがなにか言いかけたが、私はソファの心地よさと決別して立ち上がる。


「ちょっと夜風に当たってきます」


 確か裏庭があったはずだ。私は瓜生さんとの会話を中断し、談話室を出た。


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