-3- 怪しげな客人たち
物置を出た私たちは、ホールを挟んで反対側にある部屋を覗いてみることにした。私室である可能性を申し訳程度のノックをしてから、扉を開ける。
幸い、そこは部外者の立ち入りが禁じられるような場所ではなかった。部屋の壁際には、背の高い本棚がずらりと並んでいる。
ここは書斎、というよりも書庫だ。どっしりとした木製の本棚には、これも代々の主が収集したと思われる、古今東西様々なジャンルの本が詰まっていた。
古戸さんが来たら喜びそうな場所である。私もしばらく古本屋で働いている身。ついついいくつか手に取って眺めてしまう。
「やっぱこういうの興味あるの?」
真奈加が尋ねた。彼女には、道中で私の仕事について話してあった。
「興味あるっていうか、職業柄っていうか……」
蔵書の内容には統一性がない。文学全集、図鑑、雑誌、論文集、小説。新しいもの、黄ばんだ古いもの。ソフトカバー、ハードカバー、革装丁、等々。
しかしその中でも、妙に浮いた一角があった。そこには西洋の魔物、特に吸血鬼が扱われた書物たちが置かれていた。
どれも一般的なフィクション小説ではなさそうだった。本の体裁を成していない手記や書簡のようなもの、走り書きがまとめられただけのものさえあった。
そのうち半分が英語、他はフランス語、ドイツ語、あまり馴染みのない東欧の言語、キリル文字の言語、あとは非常に古い羊皮紙に書かれたラテン語の資料もある。
インターネット通販でも、古書組合の交換会でも、これほどのものを手に入れるのは容易でない。小説を執筆するための資料としてもやりすぎだ。偏執的、とさえいえるかもしれない。
この館の主は、吸血鬼のなにを知りたかったのだろうか?
私が眉をひそめながら、ほとんど解読できない資料に目を落としていると、コンコン、と扉がノックされた。
「ここにおられましたか」
顔を出したのは古田さんだった。彼はまだサングラスをかけていた。
「夕食の準備が整いましたので、お呼びしました」
書庫に入ったことを咎められるかと思ったが、そういう雰囲気はない。私は手にしていた資料をもとの場所に戻し、勧められるまま食堂に向かった。
◇
食堂の天井には派手なシャンデリアが吊られていて、部屋の中央にある大きな赤茶色の木製テーブルと、同じ材質の椅子十二脚をつやつやと照らしていた。確かにこれだけ大きな食堂があれば、家でも楽々誕生パーティーができる。
部屋の奥には本物の暖炉も見えた。もちろん今は夏なので、火は入れられていなかった。
私たちが食堂に入ったとき、ほかの客はまだ来ていなかった。私たちは適当な席に着き、若干落ち着かない気分で晩餐の開始を待った。
やがてほぼ同じようなタイミングで、私たち以外の招待客が食堂に姿を現した。男性二人、女性一人。私はそれぞれに会釈して、彼らとエリーの関係はどのようなものだろう、と勘繰った。
「本日ははるばるこのような辺境までお越しいただき、誠にありがとうございます」
全員が席に着くと、古田さんがやや大仰な口調で挨拶を始めた。
「エリーさまの到着が遅れておりますこと、改めてお詫び申し上げます。その代わりと言ってはなんですが、心づくしのおもてなしをさせて頂きますので、どうぞゆっくりとお寛ぎください」
彼はそう言って、厨房から続々と料理を運び始めた。
「あ、私たち、エリーと同じ高校大学の友達なんですよ」
真奈加が正面にいる男性に声をかけた。こういうとき、私は彼女の社交性がうらやましくなる。私がそれに便乗して自己紹介すると、残る招待客たちも簡単に自分たちの素性を明かした。
一人目は私たちと同じか、それよりも少し年下の若者。彼は瓜生ヴィンセントと名乗った。エリーと同じ日英ハーフ。親の出身がイギリスの同都市ということで会話が弾み、友人同士になったのだという。
その話しぶりから、私は彼とエリーが恋愛関係か、それにかなり近い状態にある、あるいはあったのではないかと推測した。髪と瞳の色素が薄い、女性受けのしそうな容貌だった。
二人目は二十代後半と思しき、目元の涼やかな女性だった。エリーとの関係は、勤務する貿易会社での先輩後輩。
入社後からの付き合いだとしたらせいぜい二、三か月の関係だが、その貿易会社はエリーの実家が経営するものだというから、案外知り合ってからの期間は長いのかもしれない。名前は不破理々子。
三人目はもう少し年上の男性。赤門幸人。彼は自らの職業にもエリーとの関係にも言及しなかった。
物静かな性格なのか、緊張しているのか、容易に打ち解けなさそうな印象を与える人物だった。白いポロシャツを身に着けているが、そこから覗く二の腕は、よく鍛えられて引き締まっていた。
なんというか、まあ、怪しい面々だ。普通こういったパーティーは、せいぜい上下二歳ぐらいの友人たちが集まってやるものだと思うのだが。
もっとも、会場が離島の洋館という時点で典型的な誕生パーティーではないし、エリーの交友関係も普通の人とはちょっと違うだろうから、私の感覚で判断するのは間違いなのかもしれない。
招待客たちが自己紹介をするうちに、料理が運ばれてきた。メニューは鶏肉の香草焼きと、赤カブのスープ、玉子の入ったサラダ、それにころっとした丸いパンが付いた。洋館の裏庭では鶏を飼っているらしく、鶏肉と卵はそれを使っている、とのことだった。
夕食にはアルコールも供された。真奈加と瓜生さんは白ワインを飲んでいた。私は普段ほとんど酒を飲まないので、炭酸水をもらった。不破さんと赤門さんも同じものを飲んでいた。
「身体を使うお仕事されてるんですか」
真奈加が瓜生さんと話す横で、私は赤門さんに話しかけた。問いかけの内容は思いつきに過ぎない。なんとなく、警察官か自衛官っぽいなという感じがしたのだ。そういう人たちは、自分たちの職業をあまりおおっぴらにしないイメージがある。
「ああ、いや」
赤門さんが私の視線に気づき、自分の前腕から二の腕にかけてをさすった。
「これはただ鍛えているだけですよ。本業は聖職者です」
私にとってはやや意外な答えだった。しかしエリーは熱心なプロテスタントの信徒だったので、宗教関係者の知り合いがいても不思議ではない。よく通っていた協会の司祭と信徒、みたいな関係なのかもしれない。
「楠田さんはなにかお仕事を?」
「恥ずかしながら、今はアルバイトです。地元の古本屋で働いてます」
古書店勤務が恥ずかしいとは思わないが、古戸さんのような人物と働いているのが、なんだか後ろめたい。
「立派な仕事だと思いますよ。古書も種類が多くて大変でしょう」
「まあ、それなりに」
私は宗教に明るくないので、彼の仕事について中々話の広げようがない。古書の話もできないではないが、少々マニアック過ぎるような気もするし、聖職者のような立派な人に対して、古戸さんとかつて繰り広げた冒涜的なエピソードは語りにくい。
自らの話題の狭さと雑談能力の乏しさに辟易しつつ、私は丸パンや鶏肉、デザートとして運ばれてきた洋ナシのコンポートをもりもりと口に運びながら、会食の残りをやり過ごした。




