-2- 島の洋館
私は古田さんのことを前々から知っていた。雨が強い日にエリーを学校まで迎えに来たり、多忙な両親の代わりにイベントに顔を出したりしていたからだ。いかにも執事然とした佇まいの彼を、私は秘かにセバスチャンと呼んでいた。
しかし私は、彼がサングラスを掛けた姿を見たことがなかった。サングラスとワイシャツの組み合わせが少々珍しかったこともあり、私はついまじまじと古田さんの目を見てしまった。
「ああ、これですか」
私の視線に気づいた古田さんが、サングラスを指さした。
「一年ほど前から目を患いましてね」
病を得て以降、直射日光の刺激に弱くなってしまったのだという。私は不躾に眺めてしまった非礼を詫び、それ以上深く追究しないことにした。
私たちは案内されるまま、船着き場を出発して初島の内部に踏み入った。港から館まではかなり遠回りしたが、そもそも周囲数キロもないような島なので、十分程歩くだけで済んだ。
古田さんは私たちの荷物を持ってくれようとしたが、さすがに二泊分のボストンバッグを持ってもらうのは申し訳なく、私は鍛えているからという妙な言い訳を使ってそれを固辞した。
時刻は午後五時過ぎ。日差しはようやくその影響力を失いつつあった。その代わり肌に感じる湿気は増しており、夜間に降るであろう雨を予感させた。東の空を見れば、濃い灰色の積乱雲が浮かんでいた。
防砂林沿いの道を歩き、私たちは一般の住宅から少し離れたところにある場所までやってきた。そこにはまさに館という呼称が相応しい建物があり、私と真奈加は思わず感嘆の声を上げた。
「わー、すごい」
古田さんによれば、この館は初島が観光地として開発される前から建っているものらしい。詳しい来歴は不明だが、エリーの祖父にあたる人物が買い取り、そのまま所有しているのだという。
急勾配の黒い屋根は建物に重厚な印象を与え、磨かれた白い窓枠は全体のシルエットを引き締めている。外壁に使われているオレンジ色の煉瓦が、今は西日で一層朱く、鮮やかに映えていた。もし歴史的な解説が記された立て看板でもあれば、ちょっとした文化遺産みたいに見えるだろう。
友人たちの気楽な誕生パーティーというよりも、厳粛な晩餐会の方が似合いそうな場所だ。もっとまともな服装をしてくればよかったな、と私は反省した。
鉄の門扉を通ると前庭があり、バラやひまわりなどの花が植えられていた。
「古田さんがお掃除とかお世話とかをされてるんですか」
エリーがひまわり好きであることを思い出しながら、私は尋ねた。
「ええ。とはいえ一人では行き届かない場所もあり……」
短い階段を上がると、西に小さな漁港が、海の向こうには伊豆半島がうっすらと見えた。孤島というほどではないが、本土は中々に遠い。ちょっと駅前でショッピング、みたいな生活は難しそうだ。
黒く塗られた木の扉を開き、私たちは館に立ち入った。空調が効いた屋内はひんやりと涼しかった。
入ってすぐの場所はホールになっていて、正面には階段があった。ホールの手前半分は茶色いタイルが敷いてあり、奥には濃い赤色のカーペットが敷いてある。私たちはここで靴を脱ぎ、もこもこしたスリッパに履き替えた。このあたりはちょっとホテルのような感じがする。
古田さんの説明によると、館の一階には食堂や浴室や主人の部屋があり、二階には客室と談話室があるそうだ。
「ほかには三名のお客様がいらっしゃいます」
古田さんは言った。彼らは私たちの一つ前の便で到着したとのことだった。高校・大学とはまた別の知り合いらしい。初対面の人と友人の誕生パーティーをするのは妙な感じだが、社交性のある真奈加が一緒ならば、さほど気まずい思いはせずに済むだろう。
「六時半になりましたら、食堂にお呼びします。それまではお部屋の方でお休みください」
「中を見て回っても大丈夫ですか?」
私は尋ねた。こういう場所を訪れる機会はあまりないので、色々と見物したくなる。
「もちろんです。私は厨房の方におりますので、お困りのことがあればお声がけください。……ああ、それと」
「はい?」
「エリーさまは本土での仕事が長引いておりまして、到着は明日の午前中を予定しております。お伝えするのが遅れまして申し訳ありません」
「ああ、いえ」
パーティー本番は二日目の夜だろうから、今日のところはエリーがいなくても別段支障はないだろう。古田さんの丁寧な態度に、私の方が恐縮してしまった。
部屋のカギを受け取った私たちは、二階の客室に向かった。二階の廊下はロの字型になっていて、側面に三つずつ客室がくっついている。前面はバルコニー。廊下に囲まれた部屋が談話室。背面の壁には窓と絵画があるだけだ。
木の小片が組み合わされたフローリングの上を、ペタペタと音を立てながら歩く。真奈加は白い漆喰の壁に触れてみたり、天井に吊られた照明を見上げてみたりと落ち着きがない。
私と真奈加には、隣同士の個室が割り当てられた。じゃあまた後でと言い置いて別れ、それぞれ部屋に入る。
客室の内装はごくシンプルながらとても清潔だった。家具はクローゼットと書き物机ぐらいしかない。セミダブルのベッド脇に荷物を放り出した私は、カバーのかかった大きな枕に顔をうずめた。ぐっと伸びをして息を吐く。
このままひと眠りしてもいいが、まだ夕食が控えている。日中に少し汗をかいたので、風呂にも入らなくてはならない。私は怠惰を振り切って身を起こし、再びスリッパを履いた。
部屋から出ると、ちょうど真奈加も自室の扉を開いたところだった。
「探検、行こう」
彼女は言った。
ホテルや旅館ならば古びたゲームコーナーがあったり、漫画の棚があったりするのだろうが、この洋館にそういった半端なものはなさそうだった。
もしかすると、談話室にはなにかしらの娯楽があるかもしれない。しかし初めにそういうものを発見してしまうと、そこに居ついてしまって探検にならない。
私は真奈加に、まず一階を探索しようと提案した。
階段を下りた私たちは、ホールを出て浴室の入口を通り過ぎ、最も手近な部屋の扉を開けた。
そこは物置だった。勝手に入ることが許されるかどうかは置いておいて、探索者にとってはアタリの場所だと言える。
扉の近くにあるのは、日用品のストックやガーデニング用品。軍手とか、スコップとか、大きな剪定鋏とか、そういったものだ。立地が立地なので、特別不自然なラインナップではない。
しかし少し奥のスペースには、訪れる者の目を引く変わった品々があった。代々の主が収集してきたのであろう、美術品の数々だ。
美術品といっても、絵画や彫像、陶器などではなかった。
西洋の城にありそうな金属の全身鎧。槍と斧が一体となったような長物の武器。うねる波形の刃を持つ奇妙な刀剣。十九世紀以前のものと思しき旧式の長銃。それらの多くが、物騒だが理解しやすい機能美を備えた武具のたぐいだった。
価値のよく分からない絵や器に比べれば興味はそそられるが、触れるのは少し憚られる。私はそれらを眺めるだけにしていたが、真奈加はずかずかとスペースに立ち入り、なにか箱のようなものを拾ってきた。
「勝手に取っちゃダメじゃないの」
「見るだけ見るだけ」
それは縦横がA4サイズよりも少し小さいぐらいの木箱だった。箱自体は装飾のない、シンプルな造りのものだ。真奈加は箱を床に置き、両手で蓋を取った。
中に入っていたのは、分厚い布に包まれた短剣だった。布を除き、詳しく見てみる。
それは他の美術品に比べて、どことなく異質な感じがした。鞘はなく、柄も硬い木材を削り出して、白い布を巻きつけただけのものだった。刃も白かった。しかし石や石膏や陶器ではなかった。おそらく象牙でもない。
私は直感的にそれの材質が分かってしまい、思わず眉をひそめた。
これは骨だ。動物のものか人間のものかは分からない。実用的な価値はもちろん、美術的な価値があるとも思えなかった。なにか悪趣味な儀式にでも使いそうな代物だった。なぜこんなものがあるのだろう? これも収集品の一つなのだろうか?
「なんか気持ち悪いね」
真奈加が率直に感想を述べた。彼女の感性は実に真っ当だ。
私たちは骨の短剣を見なかったことにして、箱を物置の奥に戻した。そしてもう少し穏当な部屋を見つけて時間を潰すべく、その場所をあとにした。




