第三話 眠った男は時に女神の声を聞く。
評価感想くださいなー。
「――ねえ、聞こえる!? ねえってば!! 起きてよう!!」
……あ、れ? 俺、さっき眠らなかったか? 気絶に近い感じで意識を失ったはずなのに、何故妖精の声がこうもはっきりと聞こえているのだろう。
というか、ここどこだ?
気付いたら、黒の絵の具から搾り取ったような暗闇の上に俺は立っていた。一寸先も見えないはずなのに、不思議と自分の肢体だけははっきりと見える。
……で、何で俺は裸なんだ。男の、それも自分の体なんて必要以上に見たくない。
「――起きてってばあ!!」
妖精の声がエコーのように響く。ぐわんぐわんと反響して不快なことこの上ない。
起きて起きてと喚いているから、俺はまだ寝たままなのだろう。
ということはここは、俺の心の中みたいな所か。
「起きないとまずいんだって! ほら、さっき言ったことみたいになっちゃうよ!? 外見が不細工ゴリラでいいの!?」
(よくねえよ!?)
反論を試みるも、それが伝わっている様子はない。こっちの声は聞こえないみたいだ。
(ってことは……これがさっき妖精が言っていた力の暴走って奴か……?)
それにしてはやけに静かである。「暴走」って言うぐらいだから、もっとこう、爆発的なものを想像していたのだが。
(ったく……暴走する前に抑制してくれるんじゃなかったのか、妖精サンよ)
何が、守ってやるからシュークリームをよこせだ。全然守れてないじゃないか。シュークリームやらなくてよかった。やっぱりお前には賞味期限切れのプリンで十分だ。
「……やばい。やばいよやばいよ! どうしようどうしようどうしよう」
(焦りすぎだろ)
「これってやっぱり私の失態なのかな……ああ……ホントどうしよう。…………と、とりあえず結界を展開して、少しでも発動を遅らせ――ああ、でもその前に精霊界に連絡を――ってそんな暇ないし! あああもうダメだ混乱して何がなんだか!! 誰か助けて!! 糖分欲しい!!」
妖精にとっても、今の状況は想定外のことらしい。かなり混乱しているのが耳越しでも感じることが出来る。ってか最後のはなんだ。
『――もし』
(……ん?)
何か今――
『――もし、聞こえますか。』
やはりどこからか、妖精以外の誰かの声が聞こえる。聴覚からの間接的なものではなくて、脳に直接響くような。
『――もし』
声は巨大スピーカーから流れ出ているように大音量で聞こえている、しかし、不快さを全く感じさせない音の振動である。加えて、身体全体を優しく包み込むかのような柔らかい声。
(……誰だ?)
『――ああ、よかった。返事をなさらないので、聞こえていないものかと』
声の聞こえ方からすると、目の前にはいないのかもしれない。名指しで校内放送を受けているような感じだ。
声の主は女性のようである。丁寧な敬語に、控えめな話し方。ホテルの受付嬢がこんな感じだった。
うむ、好印象。
『私はそこに居る妖精の上司にあたる者にございます』
(……………………ああ、そうかい)
『……信じてもらえるのですか?』
俺は今、富士山が噴火したと言われても瞬間的に信じられる自信があるぜ。妖精とか今の状況とかを見せ付けられたら、誰だってそうなるだろチクショウ!
(疑ったって仕方ないだろ。あんたの存在よりも、この今の状況のほうが疑わしいね)
少しの空白の後、
『ふふ、面白い方。私という曖昧な存在よりも、絶対的な現実の方を否定なさるなんて。やはり貴方は聡明です。あの子が調べたことも、間違いではありませんでした』
あの子? と思ったが、あの妖精のことだろうと勝手に結論をつける。事前に調べたなんてことを言っていた気がする。
しかしこの人(?)は俺のことを買い被りすぎだろう。聡明とか何とか。確かに中学高校と成績は悪くはなかったが、それとこれとは話が別だと思う。この上司さんは何を基準に――って、上司?
(あのー、さっき俺の所に来た妖精が上司のことをアホ呼ばわりしてたが、あれはあんたのことか?)
九割は聞き流した話だが、残りの一割にそんなキーワードが残っていた。
もし上司本人なら、是非ともあいつに制裁を加えてもらいたいものである。
『いえ、おそらくその方と私は別人でしょう。私が自らを上司と名乗ったのは、すべての妖精の上司に当たるという理由からです』
すべての妖精の上司に当たる……ということはつまり――
『皆は私を、妖精の女神と呼んで慕ってくれます』
(――おーいおいおいおい、とうとうカミサマまで出てきちまったよ……)
妖精が来て、魔法の話が出てきたと思ったら次は神ときた。どんだけファンタジーなんだ。これ以上俺の脳内CPUに負担をかけるのはやめてくれ。
『驚かれるのも無理はないと思いますが、今はそんなことをしている暇はありません。今から言うことをよく聞いてください』
何もない空間から発せられる声が、柔らかいものから真剣みを帯びた声色に変わった。
『先程あの子から説明を受けたと思いますが、今、貴方は大変危険な状況にあります。本来ならばそれを防ぐために各部の妖精たちが出回っているのですが、貴方の場合、こちらのトラブルで発見時期が遅れ、さらに予定時刻を完全に見誤ってしまいました。それに関しては誠に申し訳――』
(いやいやいや、俺に謝まっても仕方ないだろ。俺は今何が起こっているのかも良く分かっていないんだし)
『い、いえ、そういうわけには』
(あー、もういいって。今はそんなことをしている暇はないんだろ? どうしてもしたいってんなら、謝罪はまた今度受けるから、な?)
子供をあやすような言い方で会話を遮る俺。女神に対してなんという偉そうな態度だろう。女神が機嫌を損ねられて、調子に乗ってるとまほーで殺しますよーなんておっしゃったらどうしよう。
女神は一瞬言葉に詰まったような気配を見せた後、
『――そうですね、貴方の――言う通り――です』
どこか、固さが抜けたような声色でそう言った。
だが、どこか変である。
『では手短に――話――たいと――思――』
さあこれから説明だというときに、突然女神の声が聞こえにくくなってきた。ところどころに雑音が入り、まるで電波の届いていない携帯電話みたいに途切れている。
ザザザ。
『貴方――これか――ひど――痛を感じ――』
(お、おいちょっと待ってくれ、よく聞こえない)
『申し訳――ですが――もう時――――力不足で――――』
話せば話すほど言葉がブツブツ切れていく。これなら安っぽいトランシーバーの方がまだましだ。
『もうだめ――では――ご冥福を――お祈り――』
(…………へ? あ、おい! ちょっと! 女神さん!?)
プツン、と糸を切ったような音を最後に、とうとう女神の声は聞こえなくなった。
またしても静寂。妖精の声は先ほどからトンと聞こえなくなっている。
(――今女神さん、最後に冥福をって言わなかったか……?)
どういう意味だ。物騒な言葉を残していかないで欲しい。お前はもう助からないからせめて死後の世界だけでも――とでも言いたいのか。
ここで、そういえば、と疑問が湧く。この「暴走」というのは過去にどれだけの人が経験したことがあるのだろう。
あの妖精は誰しも人生に一度は体験するものなのだと言った。それが世界の国境を越えたすべての人間に当てはまるのなら、全部で六十六億以上の人が体験するのである。それならば、一人や二人ゴリラ状態になっていたとしてもおかしくないようだが。
(……ま、こんなことを考えてもしかたないな)
今はそのときじゃない。元の常態に戻ったら、あの妖精に根掘り葉掘り聞かなければ。
(しかし、何も起こらないな……)
暗闇に堕ちてきてどのくらい経ったのか分からないが、短い時間ではない。
(このまま何も起こらないで百年くらい過ぎたりして)
はははは、と乾いた笑いが出るのを、ぺちんと頬を叩いて止める。なんとかして、今の状況を打破する方法を考えないと。
気合を入れ、ぐっと拳を握る。
そこでふと、何か違和感を覚え、今頬を叩いた右手を見る。
右手が、
なかった。
(……………………あ?)
右手がない、いや、正確には、薄い。限りなく透明。向こうの暗黒が透けて見える。
左手を見る。
左手も、ない。
(――う、うわああああぁぁああぁぁあああ!!!!)
驚愕、困惑、恐怖。様々な感情を込め、あらん限りの声で叫んだ。
ビニール袋のようになった両手で頭を抱えると、五指の感触がある。
俺の手は消えたわけではない。そう思うと、いくらか平常心を取り戻すことが出来た。
(な、なんだってんだ……俺の手が……!!)
慌てて自分の体の他の部位を見る。胸も腹も足も、異常はなかった。
消えているのは、両肘から上だけ。
(消えかけてんのは腕だけか。よかっ――――)
どくん。
(――――なんだ……?)
どくん。
(今、身体が――)
どくんどくんどくん。
(心臓が……跳ねる……っ!!)
どくんどくんどくんどくんどくん。
頭痛が、酷い。脳が焼き切れるようだ。血管が破裂しそうだ――
どくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどく。
「あ゛ぁあ゛ああ゛あ゛ぁあ゛ああああ!!!!」
喉の奥から吐き出すような咆哮。痛い、しかし、こう叫びでもしないと意識を持っていかれそうになる。
どくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどくどく。
身体全体が心臓になってしまったかのような感覚。
頭、肩、腕、脚、足先――
それぞれの箇所から血液を送り出し、逆流する。
流れに逆らった血潮が、出口を求めてさまよい暴れる。
「どうし――――今連絡し――――だいじょう――だから――――ちゃんとコロ――」
どこか遠くで妖精の声が聞こえる。しかし、理解は出来ない。
思考が回らない。痛みを抑えるためだけに全神経を集中している。
何かが胸の中で跳ね回っている。眼球が、心臓が、飛び出してしまいそうだ。
静まれ痛い痛い静まれ痛い静まれ痛い痛い――
(――どうして俺は、こんな目に)
なぜだ。なぜなんだ。俺が今まで何かしたのか? 普通に暮らしてきただろ。普通に生きてきただろ。普通の男子学生だろ。
頭が痛い。
何も悪いことは――したかもしれないが、それでも、ここまでされるほどのことはしていない。人の道に外れるようなことは、一切していない。
頭がいたい。
というか、何で俺なんだ。世界の人口を知ってんのか。六十六億だぞ六十六億。別の奴を当たってくれればいいだろ。六十六億分の一の確率って低すぎるだろ。どうせなら宝くじとか当たってくれればよかったのに。
あたまがいたい。
(――理不尽な出来事には慣れている、と思っていた)
ある程度は慣れている、はずだった。
幼い頃。気が付けば隣にいたアイツのおかげで――アイツのせいで――、そういう物事は楽観視できるようになってしまっていた。
でも、これは。あまりにも一方的過ぎる。
いきなり俺の目の前に現れて、あなたはもうすぐ死にますよとのたまって、守ってもらえるはずがやっぱり無理で。なんか気絶したと思ったら女神が出てきて謝って、でもご冥福をお祈りいたしますって。
なんだこれ。ふざけんなこの緑羽虫が。
――ぶちぶちびちびち、と血管が切れる音がする。
――血流がごうごうと流れ、視界が紅く染まっていく。
――焦点が定まらない。
――意識が定まらない。
「こんの、くそ羽虫がああああああああああああああああああ!!!!」
気付けも兼ねて妖精に向けて怒りをぶつけてみたものの、一向に気は治まらない。むしろ、誰のせいでもないのに他人に怒りをぶつけている自分にさえ、怒りが溜まってきた。
このフラストレーション、どうしてくれようか。
よし。
無事意識が戻ったら、妖精に思い切りデコピンをくれてやろう。
(そのためにも……)
早く、帰らねば。
そのためには――痛みを、手を、元に戻せ。
無理矢理、押さえつけろ……!
「――俺の身体だろうがぁっ!! 少しは言うこと聞きやがれええぇぇえええええぇぇぇえええ!!!!」
怒号、叫喚。
それに応えるように、俺の足元から柔らかい光が差し込んできた。
感想を残していってくれると嬉しいデス。