仲間はずれ 4
あれから、もう少しあの河原で休んで渋々家に戻ったら、もう奴の車はなかった。
代わりにおばあちゃんが帰って来ていて、苦い顔をされた。
『日立さんは、悪い人じゃないよ。本当は今日は泊まって、翼ちゃんとお祭りにいく予定だったんだから』
そんな事を言っていたけど、僕は鼻を鳴らしただけだった。
別に頼んでもいない好意を、勝手に向こうが取り下げたことに、どうして僕が悪者扱いされるんだよ。本当に、奴のやる事なす事は迷惑だった。
っていうか。母さんをほったらかしてこんな田舎にくるなんて、どうかしている。僕にかまっている間に赤ちゃんが生まれたらどうするつもりだったんだ。
おばあちゃんは『これ、日立さんが今日のお祭り、お友達と楽しんできてって』と千円札を二枚僕に差し出した。僕はそれをはねつけた。おばあちゃんは少しさみしそうな顔をしていた。
僕は自分の財布をポケットにねじ込むと外に飛び出した。神社の場所も、待ち合わせの時間も希から聞いてなかったし、おばあちゃんともあんまり話をしたくなくて、場所を訊きそびれたから自力で探すしかなくなったのだ。
「どうせ、騒がしい所を辿れば見つかるさ」
僕は独りごちて足もとの石ころを蹴った。こんな田舎だ、見晴らしもやたらにいいし、きっとそんなに難しくない。なんなら、畑仕事している人を捕まえて訊けばいいんだ。
日が傾いてきた割に、一向に弱まる気配の見せない日差しに、僕はうんざりして顔を上げた。
憎たらしいほど雲ひとつない空に、高い場所で何かの鳥が円を描いて飛んでいるのが見えた。
後頭部にジンジン響くのは、昼間に聞こえなかった蝉の声だ。
『蝉の種類で鳴き声が違うんだよ。良く聞いてごらん』
また父さんの声が聞こえた気がした。
その時、目の端に何かが掠めた。
白い何か……。
僕は慌てて首を巡らせる。
真っ青な空を切り取ってふわふわ浮かぶ、それは帽子だった。緩やかで風に踊るようにそれは僕の目の前の木の枝に引っかかった。結構高い位置だ。誰かのものだろうか?
僕がそう思って周囲を見回した時だった。
「帽子……」
すぐ傍で声が聞こえた。心臓が跳ね上がり、僕は目を見開いて振り向いた。
そこにはさっきまで影一つなかったはずの、少女がいた。
白い……そう、白いとしか表現しようのない女の子だった。
まるで彼女にだけ夏が来るのを忘れたような、暑さに浮かび上がるように白い肌。黒目がちの瞳は切れ長で、少し大人っぽく見えたけど、背丈から考えると希と同じくらいに思えた。
空色のワンピースから伸びた腕や足は細くて、長かった。
そう、僕は見とれてしまっていたんだ。
その子は無表情に帽子を見上げていた。
「帽子……」
もう一度、声がした。唇をほとんど動かしていなかったし、その声も小さかったから他に人がいたらきっと、彼女の声とは気付けないほどのものだ。
僕はハッとして帽子を見上げる。
「あれ、君のなんだ」
その子はこくりと頷いた。
肩にかかっていた髪がさらりと絹糸の様に流れおち、僕の心臓はまた音を立て始める。どうにも落ち着かなくて、僕は目をそらせるように帽子に視線を移すと「とってあげるよ」と心にもない事を口走ってしまっていた。
木登りなんかした事無い。
下から枝を揺するにも道具は何にも見当たらない。
でも、引っ込みはつきそうになかった。
僕はその子にわからないように小さな溜息をつくと、裸足になってその木をよじ登り始めた。
登りながら、自分は何しているんだろう? そんな疑問がもくもくと胸の中に湧いて来て、なぜか学校のクラスメイトの事を思い出していた。
みんな、どうしてるだろう。私立受験組は塾だろう。僕もこの間まではその仲間だった。
勉強、勉強。友達と言ってもみんなライバルだ。話と言えばテストの話か流行りのゲームの話。どちらもそこそこ出来てないと、馬鹿にされて仲間外れに合う。
正直、そんなの友達って呼べるのかわからなかったけど、そう言うもんだと思っていた。何より、僕は人よりいい人生を生きたかった。人よりいい大学に行って、人よりいい会社に勤めて、人よりいい給料をもらって、そして……母さんを守りたかった。僕の生き方を馬鹿にする公立組を軽蔑すらしていた。あいつらは頭の悪くて怠け者な自分達を正当化するために『人生は学歴じゃない』なんて抜かしてるんだと馬鹿にしていた。結局負け組みなんだと。
でも、その価値観を壊す奴が来た。
日立だ。
やつは中卒。しかも仕事は作家だ。そんなので食べていけるわけないはずなのに、奴は金持だった。外車に乗って、でかい家に住んでいた。
大卒の父さんより金持だったわけだ。
そんな男を母さんは選んだ。
「くそ!」
僕は汗で滑りそうになる足先を思いっきり踏ん張らせた。木の皮が擦れて痛い。でも、僕は腹の底にたまった何かを踏みつぶすように、さらに力を加え、その反動でぐいっと手を伸ばした。
帽子の引っかかっている枝に、指先が掛かる。
僕は、唇を噛みしめると思いっ切ってジャンプした。手が枝にかかり、足が宙に浮く。ひやっとしたが、僕は息をのむとまた足を幹に押し当てて力を込めた。
帽子の枝に跨がれるようになった頃には、手も足も疲れきって力がうまく入らなかった。それでも、見下ろすとさっきの子がこちらをじっと見ていて、帽子だけは何とかしないといけない気になった。




