空蝉
それから、僕らはその場で二人とも気を失ったらしい。
何が起こったかわからない日立が看護婦さんを呼んで、僕らはもう一度ベッドに寝かされた。
起きた時は、僕の中には僕の記憶しか残っていなかった。
その代わりと言ったら変だけど、周りには光をはじめ、希も青葉も皆いてくれていた。
光は神社の林の中で眠っているのをハヤテに見つけられたらしい。ハヤテは僕に会った後、何かを感じて光の居場所を突き止めたんだそうだ。
起きてから、僕は皆から4年前の事を聞いた。
彼らはアヤメの事を知っていた。事件の事も、20時間の制約の事も。事件後、僕が都会に帰ってしまってからも、アヤメが八雲に引き取られるまで警察病院に通って、アヤメと何回も面接したんだそうだ。その時に20時間の制約の事を知った。
だから、あの花火の夜、希はアヤメを思い出して泣いたんだ。皆辛い思いをしていたのに当の僕は忘れていた。だから、光は怒って……肝試しと称して、昔アヤメが父親と住んでいた屋敷に行こうって誘ったんだった。
蓋を開ければ、祭りの次の日の朝の様に、なんて事はない。
全ての謎の答えは、僕の中の彼女の記憶にあった。
なのに、僕は忘れてしまっていた。
「たぶん、父さんの事とか色々あったからじゃねえの」
光はそう言って、僕のお見舞いにって自分で持ってきたお菓子を、自分で頬張った。
「秘密探偵局は、アヤメの事を調べる為に作ったんだ。あの時、俺らは彼女が警察に逮捕されるとばかり思ってたから、何とか儀式の事や空蝉の事を調べて彼女の無実を証明しようって。ま、結局、心神耗弱だったって大した裁判にもならないでアヤメは空知さんに引き取られて、他の病院にいくことになるんだけど」
青葉はそう言うと、振り返って廊下の方を見ていた。
アヤメに会いに行っているハヤテを心配しているようだった。
僕にも、きっとその場にいた誰にもわからない。
ハヤテにとっては従姉だ。きっとこの村の誰よりも、彼女の事を心配していたのだろう。
アヤメが記憶を取り戻し、20時間の制約もなくなったらしいというのは、八雲さんから聞いていた。
でも、辛いのはきっと思い出してしまったこれからだ。
正直、記憶をなくしていくのと、忌まわしい過去を背負っていくの、どちらが辛いのか僕にはわからない。
でも……。
僕は窓の外の空を見上げた。
雲が空の高い場所に舞っているのが見え、夏が過ぎていくのを知った。
――
車のエンジン音がする。
大きめのバンにはたくさんの荷物が積まれていて、それはこの村との別れを告げていた。
車の隣に立つ僕が見つけたのは、あの日より少し血色の良くなった八雲さんだ。
「色々ありがとうございました」
八雲さんは駆け寄ってくると、僕に手を差し出した。
僕はその手を握り返す。
退院の時に、八雲さんから事情を聞いた。
彼は僕が思っていた通り、アヤメの義父だった。アヤメの母親とは皮肉にも月詠神社の調査中に知り合った。離婚はもめ、アヤメを手放すのを条件に離婚は成立。でも、母親はアヤメを諦められず、あの儀式の日にアヤメの父親に交渉しに来ていたらしい。でも、儀式の会場で逆に復縁を迫られ、もめているうちに母親が父親に暴力を振るわれる形で亡くなった。それを目の当たりにしてしまったアヤメが錯乱して……。
「もしかしたら、あの時、あの場所に居合わせた私は、彼女や彼女の母親を助けられたかもしれない。でも、できなかった。それは、私の中に僅かにでも彼女の母親を失うんじゃないかと言う疑惑や嫉妬があったからじゃないか。そう思えてならないのです」
八雲さんは僕に懺悔するようにそう話してくれた。真実はわからない。でも、僕はそれでも、その後、八雲さんがアヤメにどんなに献身的に接していたのかわかる気がした。どんなに忘れられても、どんなに傷つけられても、一族ですら見離した彼女を見捨てはしなかった。血の繋がっていない彼女を、娘以上に大切にしたんだ。それははじめ罪悪感からかもしれない。でも……。
僕は握った手を離すと、八雲さんを見上げた。
僕ら子どもだって、そんなに馬鹿でも無神経でもない。
血の繋がりはなくても……。
「アヤメをよろしくお願いします」
そういうと、八雲さんは一瞬表情を引き締め、それから頷いた。
「もちろん。彼女は私の娘です。ところで……」
八雲さんは僕の後ろにいる日立を一瞥した。
「君はいつ町に戻るんだい?」
僕は微笑む。
「僕たち、これからしばらくここに住む事になるらしいです。今日、母さんが妹を連れてこの村に」
そう、これからの子育ての事や、なにより僕の強い希望で僕らはこの村に残る事になったんだ。日立はどうせ、どこでも仕事はできるんだし、何の問題もなかった。
受験勉強も大切じゃないわけじゃないけそ、僕はこの村に忘れたものを、置いて来てしまっているものを、今度は……。
「そうですか。じゃ、またアヤメと遊びに来ます」
「待ってます」
僕はそう言うと、父さんによく似たその背に手を振った。
「翼君」
振り返る。
そこには、あの白い大きなつばの帽子をかぶったアヤメが立っていた。
僕は歩み寄ると、彼女の手をもう躊躇なく握った。
結局、最後まで大切な二文字は口に出来ないけど……。
「大丈夫?」
アヤメは長い髪を揺らして僕の言葉に頷いた。
「大丈夫。私には八雲……パパがいる。それに」
すっとあの切れ長の瞳が笑みに細くなる。
「翼君との思い出があるから」
「うん」
僕は頷くと、別れの切なさに胸を詰まらせた。
でも、今は次の瞬間過去になり、過去はその先を連れてくるのを僕たちは知っているから……。
「またね」
「うん、またね」
未来のために、僕らはお互いの目の中にお互いを焼きつけると、そっと手を離した。
彼女を乗せた車が遠くなっていく。
見送りながら日立が僕の隣に並んだ。
「行っちゃったな」
「うん」
小さくなっていく彼女の影。
追いかけていく事も出来るかも知れなかったけど……。
「あのさ、空知さんから色々聞いて思ったんだけどさ、彼女が翼の事を忘れなかったの」
「あぁ、あれは儀式前だったから……」
「いや、そうかもしれないけど、思うんだ」
「?」
日立は大きな体を恥ずかしそうに揺らして
「忘れられない人……だったからじゃないか?つまり、お前は彼女の……」
初恋か。
こっぱずかしい事考えるんだな、作家って言うのは。僕は苦笑して最後まで言えない日立をつつくと、「もういいよ」と言った。そうでもしないと、こっちまでこそばくなりそうだったからだ。
僕は車が見えなくなる前に背を向けると、大きく一つ深呼吸した。
ここで泣くのは違う。そう思ったから。
そんな僕に日立の妙な遠慮がちの声がした。
「な、翼。空蝉の意味、知ってるか?」
背中で声がして僕は今更……とうんざりして溜息と一緒に答えた。
「蝉の抜け殻っていう意味だろ?」
「うん……そう言う意味もあるんだけどな」
日立はすぐに肩を並べると
「空蝉は現代の現に人って書いて、この世に生きている人間の事もさすんだ」
「え?」
僕は思わず足を止めて振り返った。
日立はそれこそ照れくさそうな顔をすると
「つまりさ。人は過去を再生していく生き物……そういう意味なんじゃないかなって、父さ……いや、俺は思うんだけど」
そう言って、恥ずかしいのか語尾を緩めた。
成程ね。
僕は小さく笑う。
そして、自分の血の繋がった娘の誕生を置いてまで僕の元に駆けつけてきた彼の分厚い胸を叩くと
「いちいち言い直さなくてもいいよ。『父さん』。母さんと赤ちゃん、迎える準備、さっさとしょうぜ」
そう呼んでみた。
そして駆けだす。背後で暑苦しい奴の視線を感じて僕は肩をすくめた。
「翼~。お前、い、今俺の事。なぁ! もう一度呼んでくれよ!」
「やだね」
そんなのこれからいくらでも呼べるよ父さん。
僕は走りながら空を仰いだ。
天は高く、もう蝉の鳴き声は聞こえない。
青い宙はどこまでも広がり、柔らかな風が僕らの傍を吹き抜けて行った。
=終=
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
この作品は物語を書き始めた頃(2年前)の作品で、私自身も更新しながら読み返し、文章やストーリーの未熟さに多々反省点を見つけることができました。
この物語は美星村(町)シリーズとして、今後も新たな作品を書くと思います(この数年後のお話はすでに完結している『桜の咲く頃』です)
また、ご縁がございましたら、その時はよろしくお願いします。
本当に、ありがとうございました。
ゆいまる




