107.橙日帝、その名は
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「蒼月皇陛下。暴走していた神器は全て沈めました」
足早に近付いて来たローアンとソフィーヌが白珠の前で一礼し、恭しく告げる。若干字が違う気がしたが、二人の手に完膚なきまでにぼろぼろにされた神器の束があるのを見て、言葉を飲み込んだ。
(……収まればいいのです、ええ、収まれば)
今回に関しては、自衛のために必要であれば神器や神威に対抗してもいいと祖神からの許しが出ている。
「ご苦労であった」
「こちらも確認と暴走抑止の封が終わりましたわ」
白珠とテアと共に神器を見回っていたミアが微笑んだ。
「後は光に変じた初代の神獣と……それからあちらにある物に封を施せば終わりですね」
ローアンが、まだ確認を終えていない最後の神器が収められている殿舎に目をやった。
「ああ。あそこには私が行こう」
白珠は一飛びで殿舎の入り口に移動した。ミアとテアが慌てたように声をかけてきた。
「そちらからは攻撃的な気配がいたしますわ。戦闘用の神器なのではございませんか」
「陛下に万一があらば一大事。帝家がいたしますゆえ、お下がり下さい!」
姉妹の懸念は最もであった。元来穏やかで平和的な皇族は、苛烈で好戦的な帝族と比べて荒事に向かない。秀峰と高嶺が、ラウとティルと同等の神格を持ちながらも戦闘になれば遥かに及ばないのは、根本的な気性が要因だ。
それでも、白珠は余裕のある態度を崩さずに微笑んだ。
「案ずる必要はない。――私の守護者が誰かは知っているだろう」
肩に乗っている褐色の鳥がばさりと翼を羽ばたかせ、身を乗り出しかけていたテアとミア、ローアンとソフィーヌが一斉に止まる。
皇家の者は自身の対に護られている。白珠の対は歴代最強の荒神帝だ。
「そなたたちは鎮静化した神器の状態を再度確認して欲しい。暴走により重大な不具合が発生していれば、より強固な封が必要になる上、それを下賜して下さった祖神様にお詫びせねばならぬ」
「仰せの通りに」
まだ少し心配気な顔をしたテアたちが、渋々ながらも首肯した。
「頼んだ」
短く言い置いた白珠は、迷いなく殿舎の扉を開けて中に入る。さっと内部を見渡すと、奥に設置された祭壇に長剣が奉納されていた。
(これは東ではなく西の祖神様からいただいた神器)
武に優れる西の祖神から賜った神器ゆえに、激しく鋭い神威を発しているのだ。皇家と帝家は共通の祖先を持つため、東の皇家が西の至高神から神器を賜ることもある。その逆も然りだ。
(皇家の護身用として下賜されたと聞いていますが)
その鞘には、美しいながらも実用性を損なわぬような装飾が施されている。一瞥したところ、気の巡りに乱れはなかった。
(まだ異常は出ていないようですね。今のうちに封を……)
だが次の瞬間、剣の気が異様に膨れ上がる。瞬く間もなく、歪に膨張した神威が勢い良く弾けた。激しい波濤と共に大気に波紋が走り、咄嗟に自身の体に結界を纏わせた白珠を直撃する。
「!」
荒れ狂う神威が縦横無尽に駆け巡る稲妻のごとく暴発し、一斉に牙を剥いた。耳元で風が唸り、紙一重で避けた斬撃により千切れた黒髪が、数本はらりと宙を舞う。
(暴走した!)
内心で舌打ちしつつ、白珠は素早く身構えた。無数の光線と化して殿舎内を乱舞する神威が四方八方から迫り来るのを、床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴って躱し、あるいは天威を帯びた四肢を振るっていなす。
(大元の剣を抑えなくては)
宙で回転しながら体勢を整え、飛び交う神威を足場にして再度跳躍する。追撃して来た神威を回避して壁を走り、閃光の奥にある剣に向かって手を伸ばした。
(このまま封を――)
その瞬間、鞘から剣が飛び出した。白銀の煌めきと共に、大嵐の爆風を叩き付けられたような衝撃に襲われる。木の葉のように虚空を舞う中、視界の隅で、ぎらりと煌めく長剣の切っ先がこちらを向いたのが見えた。一人でに振るわれた刃先から凶悪な神威が炸裂し、必殺の弾幕と化して白珠に向かって放たれる。
だが、それらが白珠の全身を穴だらけにするよりも早く、橙色の閃光が翔けた。襲い来る光が根こそぎ弾き飛ばされ、落下しかけていた体が優しく受け止められる。
「皇家を護るべき宝器でありながら、何という有様か」
聞く者の心を鷲掴みにする冴えやかな声が、狂った神器を一声で縮み上がらせた。
「帝国皇帝レイティ=ヴェルが命ずる。即刻その不躾な刃を収めよ」
帝家が持つ命令の力に荒神の威を上乗せしたそれは、絶対にも等しい言霊だった。剣がひっくり返るように宙を舞い、がちゃりと鞘に収まった。
そしてひれ伏すように床に落下したところを、だんと落とされた靴底が容赦なく踏み付ける。きめ細やかな淡い金髪がふわりと揺れ、穏やかな声が白珠の耳に沁み込んだ。
「無事か、我が妻よ」
「――ヴェル様」
力強い腕に横抱きにされたまま、白珠は視線を上げた。神々しいまでに端正な麗姿が視界に入る。
帝国現皇帝にして白珠の唯一最愛の夫。
凛とした眼差しと、性別を超えた美しさをも併せ持つ容貌。春の暖かさを帯びた湖水の双眸が、底無しの愛しさを宿して見下ろしている。父である先帝の色をそのまま受け継いだ瞳が。
目線が絡み合った瞬間、忘れられない記憶が蘇った。
◆◆◆
がぁん、という激しい音と共に、室内が揺れた。
『な……がぁっ』
頭上で赤い悪魔の声が聞こえたと同時に、重い打撃音が響き、体にのし掛かっていた重みが消失する。
今にも白珠を貫こうとしていた欲望が、寸前で遠ざかったのだ。柔らかい何かに体が包まれ、優しく抱え上げられる。
言葉では言い表せぬ本能的な安堵が心を満たした。
『う……うぅ……』
一糸纏わぬ姿で諦観の涙を流していた白珠は、弱々しく嗚咽を漏らしながら恐る恐る視線を巡らせた。
まず見えたのは、くの字に折れ曲がった扉。決して開かないはずの牢獄の扉が、外から吹き飛ばされていた。
その横で、悲鳴すら上げられぬまま吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたらしき悪魔が、こめかみから血を流し白目を剥いて気絶していた。
『……』
余りの急転直下に、状況の理解が追いつかない。自分が捕らわれてから一月が経過しているとはいえ、ここは外界とは時間の流れが変えられている。ここでの一月は、外ではゆっくりと十を数える時間でしかないはずだ。
ゆえにこそ、そのような短時間で救助が来るはずがないと絶望していたのだが――。
(お母様、伯父様……?)
それでも危機を察知した母、黒曜か伯父、ルーディが助けに来てくれたのかと思った。だが、この腕の感触は覚えがない。そっと自分を抱える者を見上げると、案ずるようにこちらを見下ろす若い男性がいた。
『――きゃあああぁぁぁ!』
瞬間、白珠は悲鳴を上げていた。
本能は、この優しい腕に身を任せていれば大丈夫だと言っている。だが同時に、見知らぬ男の腕に抱かれているという状況を理解したことで、反射的に恐怖も込み上げて来る。
また何か酷いことをされるかもしれないと、白珠は泣きながら暴れた。
『離して、離して下さい!』
腕の力が緩んだ隙に、身をよじって逃れる。転がり落ちるようにして寝台に這うと、こちらに手を伸ばしかけた男性に叫ぶ。
『いや、やめて……来ないで!』
男が動きを止め、その場にそっと片膝を付いた。白珠は先程までねじ伏せられていた場所を探り、枕を手に取って力一杯投げつける。
だが、まだ覚醒もしていない12歳の少女の腕力などたかが知れている。ぽすんと間抜けな音を立て、柔らかい枕が男性の頭部に直撃した。
続けて枕辺にあった悪趣味な黄金の置物を手に取り――すぐに置き直し、その横に幾つか立てかけてあった小さな座布団を投げる。ぽよんぽよんと続け様に座布団が頭に命中しても、男性は怒る様子もなく、目を伏せてじっと控えていた。
『……』
他に武器になりそうなものはないかと瞳を動かした白珠は、ふと視線を落とし、自分の体に覆いかけられたものが上質な布地の外套であることに気付いた。赤い悪魔のものではない。この部屋にあったものでもない。
(この方の外套――?)
そろりと男性を伺うと、こちらに向かって頭を垂れるようにして跪く姿が映る。
全く害意のない、むしろ敬意を感じる態度。
白珠を抱き上げた時の、繊細な硝子細工を扱うかのような手つきが思い出された。悪魔の後塵を拝して自分を襲うつもりならば、あのように優しく扱ったり、衣をかけてくれたりするだろうか。
『……あ、あなたは……』
思考がゆっくりと落ち着きを取り戻して行く。
(私を助けて下さったのですか?)
男性がすっと顔を上げた。改めて冷静にその顔を見つめた白珠は、ひゅっと息を呑む。
少年と青年の狭間にある神秘的なまでの美貌。暖かな春の日差しを浴びたような湖色の瞳は、白珠が大好きな伯父の色と全く同じだった。
(伯父様と同じ目……)
男性が口元を緩めた。安心させるような笑顔を浮かべ、静かな口調で言葉を発する。
「ご無事ですか、我が姫。馳せ参じるのが遅くなりましたことを心よりお詫び申し上げます」
柔らかい声が響いた。ドクンと胸が高鳴る。早鐘を打つ鼓動が直感を告げる。この男性は信用していいのだと。
自分は助かったのだ。
『……ぁ……』
脱力感と安堵が胸中を入り混じる中で頰を流れたのは、今までとは違う温かな涙だった。
ありがとうございました。




