後輩侍女は観察する おまけ
シーリィさまの婚約式の後で、セルクさまとアイリアさまの様子に何か変化があったかと問われれば、ほとんどなかったと答えるしかない。
ただ――成果は芳しかったのだろう。以後、どことなくセルクさまの機嫌はよいように思えた。
周囲への牽制が十分出来たのだろうなと思う。そんなことを知ってか知らずか……おそらくは気にもせずに、アイリアさまはいつも通りだ。
あの日が嘘のように一夜明ければアイリアさまはなんの面白味も隙もない有能な侍女にしか見えず、あの日ほどの魅力を感じられない。後ろでにらみを効かせているセルクさまのことを考えればたやすく言い寄ってくるような方はいないようなのだ。
そりゃあセルクさまもご満足だろうなと思う。
だけれど、だ。
アイリアさまの周囲には全く変化がなかったというのに、セルクさまの方は違ったのは予想外だった。
元々、私たちがシーリィさまのお側にお仕えするようになった頃から少しずつ評判をあげてきた方だ。かつての軽薄な様子がなりを潜め、何事も真面目に取り組む様子を見せるアートレス家の若きご当主さまとなれば、今では優秀な婿がねだ。
私が仕事のために見ることのかなわなかった婚約式でセルクさまは大切にアイリアさまをエスコートなさったのだろう。
その結果、なのだろうか?
近頃、直接的にセルクさまにアピールされる方が増えたように感じている。
ご自分も同じようにエスコートして欲しいと感じたのか、勢いを増すアイリアさまのご実家がアートレス家と縁付くのを阻止したい思惑があるのか、常のアイリアさまのご様子を見てこれならば勝てると感じて動きはじめたのか――理由は色々考えるし、誰がどうとはわからないけれど。
一度、公式の場で連れ添ったのみでセルクさまとアイリアさまは特に婚約なさったわけではない。そこに付け入る隙があると考える方が多かったのだろう。
元々、女好きだと有名な方だったし。家格の釣り合いがとれそうなご令嬢ならば、巧くすればどうにかなるんじゃないかってつい思っちゃうのかもしれない。
アイリアさまに対してそれがないのは、日頃のアイリアさまに付け入る隙が全く見えない上に、セルクさまの牽制が効いているというところだろうか。
シーリィさま付のセルクさまの部下で、独身の騎士さま方はアイリアさまのファートレン家とそれこそ見合うお家柄の方だと思うのだけど、特に何か動かれている様子もない。
あの日間近で麗しいアイリアさまのお姿を見たはずなのにそうなのだ。私たち侍女と同じく近しくしているからこそ、セルクさまの本気を感じているに違いない。
私たち以上にお二人の様子にやきもきしているのは騎士さまだろうなと思う。だって、有力家の令嬢方がセルクさまの方を見ていることが多ければ多いほど、魅力的な縁談が少ないということになる。
女性ほど婚期を気にしなくていいのかもしれないけれど、面白くないのではないかなあ、などと何となく邪推してしまう。
周囲を牽制するような暇があるのなら、正式に婚約でもしろよとか思ってらっしゃったりして。
下位とはいえ貴族なのだもの。婚姻に必要なのは当主の意志だ。セルクさまはお若くしてアートレス家のご当主なのだし、アイリアさまのお父さま――騎士団長さまとの関係も良好のようだ。
だって、アイリアさまの社交デビューのエスコートを任されたくらいなのだもの、そうに決まっている。
きっと、どうにかしようとセルクさまがお考えならばすぐにどうにでもなる縁組だ。それが整わないのは――アイリアさまのお気持ちを待つつもりだから、なのだろうなあ。
シーリィさまのために動くアイリアさまのお気持ちがセルクさまに向く日が果たしてくるのかはわからない。
――いや、私の見たところ、時が経てば経つほど状況は悪化するのではないだろうか。
奥向きの仕事の多いアイリアさまは近頃のセルクさまの状況をご存じないだろうけれど、女性に言い寄られるセルクさまを目撃したならば見事に誤解しそうだ。
近寄ってくる方を迷惑に思っても無碍にあしらうことがどうにも出来ないご様子だから。
女好きだなんて以前の不名誉な噂もそういったところからやっかみ混じりで立てられたのかもしれない。
冷たくできないのは、武家の中では有力なアートレスのご当主さまとはいえ若くまだ足下がおぼつかないからだろうか。それにしたって、ほんとにもう、やきもきするなあ。
――と、今日もある女性に引き留められたセルクさまを見つけてしまって、そう思う。
場所は大抵、騎士団本部の近くだ。基本日勤のセルクさまは護衛任務を終えた後に訓練と副団長としての書類仕事を片づけに騎士団に向かうというのは、よく知られた話のようだ。
王女宮から騎士団までの道中がセルクさまに近寄る数少ない機会だということも。
気を揉むことがわかってるんだから見なければいいのに、ついつい仕事明けの時間が重なった時には様子を伺いに来てしまう。
だってさ、どうしても気になるんだもの。
何か間違いが起こっても困るもの。今のセルクさまがアイリアさま以外の方に何かするとも思えないけれど、セルクさまに近づく方々は自分に自信のある美しい方が多い。
自分でも趣味はいいとは思えないけど、ついつい監視するように覗きに来てしまうのだ。
静かな廊下だからなのか、大声を出しているわけでもないだろうに離れたところにいる私にもセルクさまと相対する女性の声がかなりはっきりと聞こえる。
どうやら彼女の中には悪意による偏見の混じったアイリアさま像があるようだ。現実を何も知らないまま言っていることが丸わかりの言葉に、聞き耳を立てているだけの私でも苛立ちを覚えてしまう。
どこのアイリアさまがお父さまの威光を笠に着てセルクさまに言い寄っているというのだろう。あの方がシーリィさまの信が厚いのをいいことにセルクさまのエスコートを要請しただなんてひどい言いがかりだ。
だって真実は全くの逆なのだから。
セルクさまの方こそが、アイリアさまをエスコートするべく積極的に動かれたのだ。
続くやっかみ混じりの言葉もことごとくアイリアさまをけなすようなものだ。想い人に対する根拠のない悪口を聞かされる羽目になっているセルクさまに同情する――彼女の言葉が本当のことならばとてもセルクさまはお困りだろうけれど、実際のところはアイリアさまの方こそがセルクさまにお困りのはずだ。
セルクさまは仕事中にあからさまに好意を主張されるようなことはないけれど、よく知れば知るほどあの方にとってアイリアさまが特別なのだということはわかってくるのだから。
たとえば。
セルクさまは、関わりが薄いわけではない私たち侍女の名をけして個人名では呼ばない。
本来、セルクさまはあまり関わりのない末端の兵士の名前だってよくご存じの方だという。ふとした時に関わるとさらりと名前を呼んでくださる方なのだそうだ。そういうところが、私たち侍女の身内を含めた兵士層の信頼を得ている理由なのだと思う。
父も、他の騎士さまではそうはいかないと常々言っている。
そういう方だからもちろん日頃関わることの多い私たち侍女の名前も、きちんと覚えていらっしゃるはずだ。セルクさまの主だけあって、シーリィさまも私たちの名前をきちんとお呼びくださるのだから、誰の名前が何なのか知らないはずはないだろう。
だけど、いっこうに、セルクさまは私たちの名前を呼び分けることがなく大抵は一括りで侍女ちゃんたちと呼ぶ。個人を特定する必要があるときは、、そこだけは口説き文句に慣れた貴公子のように「サファイアの瞳の侍女ちゃん」なんて、形容詞付きで侍女ちゃんと呼んでくるか、家名を口にされる。
家名で――というそのことこそが、きちんと私たちの名前を把握している証明だろう。真面目なアイリアさまでさえ、私たちを家名で呼ぶようなことはないのだから、セルクさまは私たちの家名を耳にする機会こそ少ないはずだ。
そんなセルクさまが女性の名前を呼ぶのは、シーリィさまとアイリアさまに限ってのこと。主であるシーリィさまは別格として、アイリアさまだけがセルクさまの特別だということだろう。
あまりにささやか過ぎてアイリアさまには気付かれているとはとても思えないけれど――もう他の女性と親しくするつもりはないのだと、そんなところでこっそりと主張なさっているのではないだろうか。
いやおうなくシーリィさまの婚約式に出席することになったアイリアさまの周囲を牽制するためにエスコート役をもぎとったセルクさまを、アイリアさまは不満に思ってらっしゃったようすだ。
だからなのか、セルクさまはあれ以来アイリアさまに特別何かなさるという気配がない。そんなことをしても神経を逆なでするだけだとお考えなのかもしれない。
だって、仕事中に私情を挟むような行為をあからさまに匂わせるなんてこと、アイリアさまが一番厭いそうだ。
だからといって、全く何もしないわけではない……と思う。
よくよく見ていればセルクさまがアイリアさまに配慮していることがわかるのだ。「よくよく」と注釈を入れなければならないくらい些細なのは、やはりあまりあからさまだと逆効果だとお考えなのだろう。
セルクさまの乗り越えなければならない壁は、きっと高い。まずはアイリアさまの信頼を取り戻さなければならないのではないだろうか。
ああ、それなのに。
無碍に出来ない相手だとしても、アイリアさまの陰口を叩くような女性と二人きりでお話ししているとか!
何かの間違いでアイリアさまに目撃されるようなことがあれば、誤解されること間違いない。すっきりと突っぱねればいいのにと思うけど――そうすればますます彼女がアイリアさまへの嫌悪を募らせるのかもと私でも思いつく。
対応に難しいのだろうな。ああ、もどかしい。
私はとうとう聞いていられなくなって、思わず声を上げてしまった。
突然名前を呼ばれたセルクさまは振り返って私を見た。その後ろの女性ははっきりと顔をしかめている。
「どうかした?」
セルクさまに問われても私にこうだと答えられるものは、何もない。
「お話中に申し訳ありません」
とりあえずセルクさまと女性に頭を下げ、勢いのままに私は言い訳を口にしてセルクさまを女性から引き離した。
ここでは出来ない大事な話があるといって、いかにも仕事で何かあったのだと匂わせて……ね。
だって、このままセルクさまにアイリアさまの陰口を聞かせ続けるなんて出来ないもの。事実無根の言葉たちは私だって気分が悪い。そんなものをアイリアさまを想う方が聞いていたいわけがないわ!
私は人気のないところまでセルクさまを誘導している間にお叱りを受ける覚悟を決める。
申し訳ありませんっと素直に頭を下げた。
「えええ?」
セルクさまは呆然としたような声を出した。
だけど頭を下げたまんまつい出来心で、なんて言い訳にもならない言葉で誤魔化そうと考えても、簡単に誤魔化されるような方ではない。
私がついに口を割るつもりになったのは、セルクさまがしゃがみ込んでこちらの顔を見上げてきたからだ。そして慌てて頭を上げる様子に声を上げて笑った。
どうやら、そこまでお怒りではないらしい。
「おにーさんは今のところ別に怒ってはいないので、素直に言ってごらん?」
私の口を割らせるために、珍しくもそんな風におっしゃる。
そんなに私のさっきの動きは面白かったのだろうか――未だに笑みがかみ殺せていないんですけど。
「それは、その」
セルクさまが首を傾げて、無言で先を促してくる。それを突っぱねるような度胸は私にはなかった。
つい無謀なことをしでかしてしまったけれど、私は末端貴族出身の下級侍女だ。中層に位置する筆頭武家のご当主さまに問われて強情を張れるような立場にはない。
セルクさまがお困りのようでしたのでと前置きして、私は思うことをお伝えする。
思うところってのはつまり。
結論としては、セルクさまとアイリアさまの関係をよくするために私たちは協力するつもりですってことだ。
自分のお気持ちがバレバレだと思っていなかったらしく、話を聞けば聞くほどセルクさまは目を見開いていく。
お似合いですし応援していますと結べば、満更でもなさそうなお顔だ。アイリアさまと同じく、仕事を離れれば案外表情豊かな方なのかもとそれを見て感じた。
うん――ますますお似合いのお二人だわ!
「協力してくれる気持ちはありがたいけど――余計なことしたらきっとアイリアちゃんは怒るだろうから、見守ってくれるとうれしいな」
やんわりと口にしたセルクさまは、
「ああ、でも……さっきみたいな手合いをどうにかうまく煙に巻く方法はないかなあ?」
すぐに前言を翻してそんなことを尋ねてきたけれど。
「お二人の関係が正式なものになることが良いではないでしょうか」
アイリアさまがすぐには受け入れ難いであろう提案しかできない自分が情けない。
お互いそれはないなと微妙な顔をあわせる羽目になった。
「き、きっとそのうち何とかなるはずです!」
お時間をとらせて申し訳ありませんでしたああああっと、最後に捨てぜりふを残して、私はセルクさまの前から逃げるように去ることになった。
以上のことを伝達した同僚には「余計なことをして、セルクさまの不興を買ったらどうするの」と怒られたのだけど。
それから私たち侍女に対して、セルクさまはずいぶん気安く話しかけてくださるようになったので、彼女たちは驚いていた。
セルクさまのアイリアさまへのアプローチに協力できることはないも同然だったのだけど、私たちは協力してセルクさまに言い寄る女性陣からの接触を軽減させるよう努力した。
末端貴族の娘でも、協力すれば多少は出来ることがあるのだ。
直接的に女性たちを押し返すわけにはいかないけど、仕事上がりにセルクさまに先行して騎士団までの道をたどることで待ち伏せがない道を確認したりね。
することはものすごく地味だけど、新たにあちこちの女性をひっかけているなんて噂が出てこないだけでもセルクさまの利になるだろう。
アイリアさまはきっと女性にだらしない方はお嫌いだろうから、セルクさまの評価を下げないことにつながるはず。
セルクさまはシーリィさまがご成婚されるまではと長期戦の構えだから、今はたぶんこれでいい。
セルクさまのささやかすぎるアピールを華麗にスルーするアイリアさまを見ていると、もどかしいことの方が多いけどね。
※侍女ちゃんはたぶんストーカーじゃない。




