70 トレーニング(1)
70 トレーニング(1)
「妖鬼さん、起きて下さい、妖鬼さん!」
聞き覚えのある声である。
「えっと、あれ、ウヅキさん。ここはどこでしたっけ。ああ、そうそう、トイレ、いや、確か特別懺悔室だった。どうしてウヅキさんがここに?」
「もう、寝ぼけているのね、釈放です。あなたをここに入れたこと事態規則違反だったので、あの、融通の利かない明屋ヨシオは解雇されたわよ」
「解雇ですか、それは気の毒ですね」
「同情している場合じゃないわ、早く出ましょう。ミソカさんがかんかんになって怒っているらしいわよ、あの、明屋に対してね」
「ミソカさんがね。まあとにかく出ようか、ああ、眩しい!」
しばらく強い明かりから遠ざかっていたせいか、地下街の明かりがひどく眩しく感じられる。
「ほ、本当に申し訳ございませんでした!」
数人のガードマン達が見送りに出て来て、深々と頭を下げた。
「あ、いや、どうも恐縮です」
妖鬼も頭を下げて詰所を後にした。間もなく自宅に戻ったが既に夜が明けていた。午前五時ごろだろう。
「それにしてもよく寝たな。それじゃ朝風呂に入ってから、朝食にしようか?」
「そう言うと思っていました。今朝は納豆と目玉焼きと味噌汁にお新香、それと何故かチーズとソフトサラミよ。目玉焼きだけは私が焼きますからね。
まあ、あとは例によって、レンジでチンとかですけど。お風呂に入っている間に支度しておきますから、任せておいて下さい」
「ほほう、それは頼もしいですね。じゃあ、お願いして」
妖鬼は、風呂場に直行した。
『ウオッ! あれだけの傷がもう綺麗に消えている!』
風呂上りに背中を見ると傷跡はもう全く消え去っていた。
『ううむ、かなり深い傷だったから三日くらいは掛ると思っていたのに、何だかまた治癒のスピードが上がったみたいだな。しかも、まあ、、この筋肉の凄いこと。
これは恐らく、本物の妖鬼が見てもびっくりなんじゃないのか? こうやって拳を突き出してみると、ちょっと音がするよな、それっ!』
軽く突き出した積りだったが、
「ブンッ!」
結構大きな音がした。自分の肉体が逞しくなって行くことに快感を感じるが、同時に悲しくもあった。
『もうこれ以上逞しくならなくてもいいよ。まるで筋肉の化け物だ………』
ますます、元のユキオからかけ離れていくことが、無性に嫌だった。しかし風呂から上がる時には、いつもの淡々とした表情に戻っていた。
「へーっ、何だか朝から豪華版だな。お新香は一種類じゃなくて、たくあんときゅうりとキムチの三種類か。こりゃ御飯が進むな。
チーズもカラフルに三種類だし、ソフトサラミの他にハムとベーコンまである。おっと、目玉焼きはまあその、まずまずの出来だな」
目玉焼きは少々焼き過ぎに思えたが、ウヅキにしては上出来だと判断した。
『俺が焼いた方がかなり上手だろうな。まあ、仕方がない、料理はお任せしているんだから文句をつけたら罰が当たるからな』
実際、妖鬼、即ちユキオは本土の自宅にいた時は、何度も目玉焼きを自分で焼いたことがあった。目玉焼きと言っても色々あるのだが、水を少し入れて蓋をして半ば蒸し焼きにしたり、ハムを入れてハムエッグにしたりしたこともある。
そのユキオにしてみればいかにも不器用な焼き過ぎの目玉焼きだったが日頃世話になっているので、悪くは言えなかった。
「まずまず、ですよね?」
「ああ、ちょっとだけ焼き過ぎだけど初めてにしては上出来だよ」
「えへへへ、褒められちゃった」
ウヅキは上機嫌で、楽しい朝食になった。その後、食後のデザートのケーキとコーヒーを飲んでいた時に、
「さて、昨日の続きだけど」
妖鬼は話題を変えた。
「昨日の続き?」
「ああ、剛毅の秘密兵器の話だよ」
「そ、そうね、是非聞きたいわ」
本当はウヅキはその話をしたくて仕方が無かったのだが、
『妖鬼さん、本当は話すのが嫌なのかも知れない』
そう感じていて話し出せなかったのだ。彼の方から話し出してくれてほっとしていた。
「スタンガンというのがあるよね」
「ええ、知ってますけど」
「彼は体内にそれを仕込んでいるんだよ。いよいよになったらそれを使うのさ。しかも殺傷力のある強力な奴だ。彼はそれで十人以上殺しているらしい」
「えええっ! 十人以上も殺してる!」
「そう。つまりこっちが強い攻撃に出れば彼は迷わず電気ショックガンを使う。俺は気配で彼が最初から電気ショックガンを使うらしいと感じたから、恐怖心もあって絶対に使わせない手段を講じた。
つまりあのくらい強力にやらなかったら、逆にこっちがやられていた、恐らくは生死をさまようレベルでね。俺がどうしてあそこまでやったか理解して貰えただろうか」
ウヅキはしばし呆然としていた。
『そう言われてみれば聞いたことがある。世界最強とも言われる何人かと対戦しても無敗だったし、その上相手のうちの何人かは死亡しているって。そうか、そういうことだったんだ。
はあ、知らなかった。だけどこの私も知らないことをどうして、最近来たばかりの妖鬼さんが知っているのかしら? でもこれは確かタブーだったわよね………』
ウヅキはどうやって妖鬼が剛毅の秘密の武器を知ったのか知りたかったが、やはり聞けなかった。
「前にも言った事があったかも知れないけど、彼の秘密をどうやって知ったかは、まあ、ノーコメントですから。話せる時期が来たら話すということで勘弁して下さい」
妖鬼はウヅキの聞きたそうな顔を見てそう言った。
『本当は話してもいいのかも知れないけど、しかしやっぱり言えないな。何だか怖くてとても言えない!』
妖鬼、即ちユキオにとってそれは一番のタブーになっていたのだった。
「ところで、どこかに運動出来るスペースが無いですか。出来れば人目に触れずにトレーニングしたいのですが」
「人目に触れずにトレーニングですか?」
「はい。私は何かと問題児ですから。どうも人目があるとちょっとやりにくいので」
「それでしたら地下に貸トレーニングジムというのがありますわよ。個室になっていて、一時間3000イエン。中にあるのはランニングマシン一台きりです。
それ以外の器具類はジムの方で有料で貸し出すことになっていますけど。それなりのスペースがありますから、私も時々利用していますけどね」
「それは有難いですね。今日と明日はそこでみっちりトレーニングしたいのですが、宜しいですか?」
「構いませんけど、何時間くらい?」
「そこは24時間営業ですか?」
「ええ、そうですけど………」
「じゃあ、36時間ほど。寝泊まりしながらやってみたいんですよ。泊まっちゃダメかな?」
「たまにそういう人もいるらしいですけど、どうしてそこまでするんですか?」
ウヅキには妖鬼の感覚が理解出来なかった。




