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「めんどくさいわねぇ」
わざと清高に聞こえるよう、花南は声を張って呟いた。
場所は東京のど真ん中、霞ヶ関。とある建物の玄関ホールを出た直後である。
外に出た瞬間、むわりとした熱気が肌にまとわりついた。
「そういうなよ。梅雨明けしたんだからしょうがねぇだろ」
清高が軽くたしなめる。
だが花南は不機嫌そうな顔を崩さない。恨めしげに空を睨みつけた。
(天に喧嘩でも売る気か?)
大の大人が空中に向かって真剣に睨む光景に、思わず笑いそうになる。
だが立ち止まっている余裕もない。
清高は花南の肩を軽く叩き、門の方へと歩き出した。
「ほら? さっさと行くぞ?」
促され、花南も渋々足を動かす。
だが建物を出て一分も経たないうちに、再び不機嫌そうな声が飛んだ。
「清高さん? やっぱ暑い……タクシーにしない?」
季節は初夏。
午前中だというのに気温はすでに高く、照りつける日差しが容赦なく体力を奪っていく。
清高自身も同じ暑さを感じていた。
だがそれでも、ため息交じりに言い返す。
「花南、お前もちゃんと訓練受けたんだろ? この程度でへばんなよ。
というかな、お前入隊してまだ三か月ちょっとだろ?
ペーペーの新人ちゃんの分際で、タメ口は辞めろって。こう、なんつーかな……年上をな……敬うってゆーかな? そーゆー気持ちぐらい……」
「別にいーじゃん。厳密にいうと立場は私の方が上でしょ。そう考えると清高さんの方こそ私に敬語使わなきゃいけなくなるんだよ。
世の中、縦社会は続いてるし……私だってそれ許してんだから。清高さんも気にしない気にしない!」
言い返す花南の顔には、悪意のかけらもない。
むしろ楽しそうですらあった。
「そりゃ、そーだがよ……」
言葉を濁し、清高は視線を街並みに逃がす。
夏の日差しに照らされたビル群が、白くまぶしく揺れていた。
(一瞬だけ……そう、一瞬だけ花南の目つきが鋭くなったような……)
脳裏に、さきほどの一瞬がよみがえる。
獲物を狙う獣のような視線。
(ライオンに狙われたあの感じ……何故だ?)
背筋にうっすらとした違和感が残る。
(こいつは何かを隠し持ってる……?)
だが、確証はない。
考え込む清高に、花南が軽い調子で言葉を重ねた。
「それに、ほらっ。清高さんはなんかおとーさんみたいじゃない? 歳もそんぐらいだし」
(それもまんざら悪くないな)
ふっと力が抜ける。
さきほどの警戒心は、ひとまず胸の奥へ押し込めた。
顔を上げると、ちょうど目の前の通りにタクシーが滑り込んできた。
清高は手を挙げる。
ブレーキ音とともに車が止まり、二人はそのまま乗り込んだ。
「まぁ、タクシー代は俺が払ってやるよ」
どこか嬉しそうな声。
花南は小さく口元を緩めた。
ささやかな勝利である。
杉沢花南はこの春防衛大学を卒業し、防衛省のとある組織に配属されたばかりである。
花南が自衛隊員になった理由は、自分の心の奥底に眠る隠れた闘争本能を全力で生かすため。
千葉で自営業の酒屋を営んでいる花南の両親は当初、花南のこの進路に反対していたが、世界で復興支援に参加する自衛隊の活動を切々と訴える花南に丸め込まれる形で入学を許してしまう。
そして花南は防衛大学に入学した。
その組織の中で、花南は生活のほとんどを男性に囲まれる状況の中で送った。
自称『上の中』と主張するその外見はさておき、束縛された集団生活を余儀なくされる他の男子生徒の注目の的になったのはいうまでもない。
しかし、花南が入学してわずか4ヶ月もたたないうちに、数人の男子生徒が花南に言い寄っただけで理不尽な暴力を返されたという噂がはびこり始める。
結果、他の生徒や教官はもちろんのこと、果ては学長までが一目置く存在に上り詰めることとなった。
なお、この件に関し被害者はなぜか一様に口を閉ざしており、真相は闇の中である。
なにはともあれ花南は上級士官育成の戦略・戦術プログラムを専攻し、卒業前の秋に3級戦略士の試験に合格して大学を卒業。試験に合格したことで、一応キャリア組の看板を引っ提げてこの組織に配属された。
そして清高春善。
清高は花南がこの春所属した組織に20年近く配属しているベテランであり、20代半ばで一般企業から転職した後、長い年月を軍事通信エンジニアとして過ごしてきた。
基本的な仕事内容は、戦場における通信の確保。戦闘員というよりは技術職に分類される職業であり、戦闘中において戦略士が確実でリアルタイムな指示を出せるよう、無線やその他の通信機器を制御するのが主な役目である。
具体的には、周波数や音量の調整のほか、音声出力ポートの選択やグループ化といったパソコン操作がほとんどであるが、戦略士から伝えられた作戦を元に、戦闘区域の地形や市街地状況に最適な機器を事前選別することなども含まれる。
戦闘中は指揮下の隊員に指示を出す戦略士の隣に待機するため、清高程のベテランともなると戦略や戦術にも精通し、逆に戦略士から助言を求められることもあった。
190cmを超える体格と厳格そうな風貌により、40代前半である清高からは落ち着いた雰囲気に加え、年齢に不釣り合いな威厳すら放出されていた。
そんな2人が梅雨明けの東京をタクシーの中から見つめ、花南たちはしばらくして東京駅に着いた。
すぐさま電車に乗り込み、清高は冷房の効いた車内でわずかな笑顔を浮かべる。
しかし、花南は電車に揺られながら、真剣な表情で朝のミーティングを思い出していた。
今、清高と出かけている理由。
1人の青年に会い、彼を組織に勧誘すること。
同意を得られくても、強制的に配属させる。
それが法律で許される。
初めてこの話を聞いた時の半信半疑な気持ちは未だに消えず、この任務が4回目となる今となっても慣れることはない。
少し緊張している自分に気づき、気分を紛らわせるため清高に話しかけた。
「清高さん、せんべい食べる?」
「おう、食う食う。でもよ? 今から会う人物ってのはそんなに必要な人間なのか? どう思う?」
清高も同じことを考えていたらしい。
そんな思惑を察知して少し安心しつつ、花南はかばんの中に潜めておいたせんべいを取り出しながら、低い声で答えた。
「わかんない。けど……霊能士ってわけじゃないんだよね。だって……」
「おいっ! 花南、極秘情報だぞ。そういうことは気安く口に出すな」
「あっ、ごめんなさい……でも……大丈夫っしょ? この電車ガラガラだし」
そして舌を出し、おどけた表情を見せながら手に持ったせんべいを口に運ぶ。最近、そのようなことする若者はほとんど見ないが、花南はレトロなアクションも好んで行う。
なにより、清高にとっては威力抜群であった。
「まぁ……サイばあさんの言ったことだし、間違いはねぇと思うんだが……」
清高が天井を見上げながら小さくつぶやき、2人同時に各々の考えをめぐらせることにした。




