8 器と核
この世の中には一般的な人間の他に、雨夜のように能力を持ち核と呼ばれる者と、その対となり器となる者が出現することがあること。
核と器は本来一つである。分離している今のままでは不完全な状態であり、その状態で能力を使えば代償が必要となる。対して器には能力も何もなく至って普通の人間と相違ないが、核と器が融合して本来の姿を取り戻せれば、代償なく能力を使用できること。
核の肉体は仮初の姿がゆえに、器と融合すれば核の存在は消え去ること。
そして、核と器が十八歳までに融合しなければ、どちらの存在も無に帰す、こと。
「なんだよ、それ」
俺は思わず吐き捨てる。
雨夜の言っていることは、あくまでも不審者から吹き込まれたデタラメに違いない。違いないのに。代償のくだりなんかは、雨夜の能力の実体験と重なるところがある。それに、雨夜の表情は至極真剣で、曇り一つない眼差しを俺に向け続けている。
「……話の内容は難しくてよくわかんねえ。でもよ、雨夜は能力を所有する核と呼ばれる属性だから存在が消えることが確定している、ってことなのか?」
声が、震える。
入学早々こんな話をされる俺の身になってくれ。記憶があるかないかの幼い時に数分の邂逅を果たしただけで、ほぼはじめましての人間が成人する前にこの世から消え去ってしまうなんて。そんな嘘みたいな話、誰が信じるんだ。そもそも、俺には何も関係がないはずなのに。
なのに。俺はその先を聞こうとしている。聞きたいと思っている。どこか他人事ではない自分が、いる。
雨夜は冗談みたいな話を謎の男に聞かされてから俺を探し始めたと言った。誰も能力について信じてくれる人がいなかったとはいえ、何も仲のいい親友でもない俺にわざわざ重たい昔話やにわかに信じがたい話をするだろうか。代償覚悟で夢に潜り込んで半ば無理やり能力の存在を否定させないようにしてまで、なぜ俺を選んだのか。それが、結果的に自分事としてすべての矢印がこちらに向いていることの証左となり得ているからだ。
雨夜は俺の問いに重く頷いた。そして何か思いついたかのように俺と反対側の席に置いてあったリュックサックから筆箱を取り出す。黒くシンプルな筆箱のチャックを開けた雨夜は、ガサゴソと中身を漁る。
「……俺なりの、超自己流解釈なんだけど」
雨夜はそう言うと、空き皿の乗ったトレーを脇に退け、ホームルーム中に配られたプリントの裏をカウンター上に広げる。その手に握られているのは、これまた黒いシャープペンシルだった。俺も色違いの同じシャープペンシルが筆箱の中に眠っている。使いやすくて中学の時から愛用しているだなんて思考の現実逃避も、程々にしなければならない。
盛大に脳内絶賛大混乱中の俺に、取り出したプリントにこれまでの話をわかりやすく図解してくれるのかと期待したが、雨夜はその期待を見事裏切りやがった。シャープペンシルをノックし続けるとペン先から一本芯を抜き取る。カチカチカチとリズミカルにノックされるシャープペンシルからは、もう黒芯の欠片すら出てこない。
「この空になったシャーペンが『器』。で、こっちのシャー芯が『核』である俺とする」
右手にシャープペンシル、左手にシャープペンシルの芯を持ち、顔の前に掲げて雨夜は目配せをする。窓から差し込む陽の光が黒鉛に吸収され、鈍く光を放っていた。
「このとおり、器であるこのシャーペンは、芯が入っていない状態だと何にも書けやしない。一方で、核であるシャー芯はやりづらさはあるにせよ、書けはする」
最初はプリントの上で芯のないシャープペンシルが無意味に空回っていた。その実演の後雨夜は右手をシャープペンシルの芯に持ち替えると、ガサつく紙に引っかかりつつも辿々しくひらがなの『あ』の字を書こうと試みていた。が、三画目のはらいのところでポキッと空虚な音が鳴り響き、折れた先端は少し離れたプリントの隅に飛んでいってしまう。
「書けはするけれど、ご覧のとおり折れるリスクが非常に高いし、手も汚れる」
黒鉛で煤けた右手を開いて、雨夜はやれやれと肩をすくめる。その手の汚れはそのままに、再びシャープペンシルを手に取ると、残った芯を開けたノック口から滑り込ませていく。
「で。融合すると、オレたちがいつも使っているシャーペンと同じくその能力を存分に発揮できるってわけだ。……これが、オレが理解している核と器の関係だ」
すっかり図解してくれると思っていた紙面には、意味のない黒い線だけが雨夜の手によって延々と増えていくばかりだ。図解よりもシャープペンシルとその芯で核と器の関係性を示してくれたのは、確かに頭にスッと入ってわかりやすかった。雨夜の功績と言っても過言ではない。
けれども、シャープペンシルの先がわら半紙の上で軽々しく弧を描き続けているように、俺の脳内でもまた、新たなる疑問がぐるぐるとワルツを踊るが如く回り続けている。
「それで。雨夜に対応する『器』ってのは、一体誰なんだよ?」
とうとう、一番聞きたくないところに触れてしまった。聞いたら、もう後戻りはできないような気がしてならない。俺の冴えない勘がそう小さくさざめいている。
雨夜は弧を描く手を止め、筆箱から取り出した消しゴムを汚れた右手に擦りつける。純白が汚れを転写し黒く染まっていく。
「『器』は……朝倉世忍。オレの適合者は、シノ。お前だ」




