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真冬のポニーテール  作者: 山葵わかな


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6 夢の正体

「で? 用があるようだけど、どんな話?」

 サンドイッチに手を付けながら、雨夜(あまや)がこちらを向いて直球を投げてくる。溢れんばかりのサンドイッチの具材をこぼさないよう器用に口に運ぶ雨夜の口調は、何とも気軽なものだった。

 俺はパスタを巻き始めたフォークを置くと、雨夜と目を合わせた。

「雨夜。何でお前は、俺のことを知っているんだ?」

 だから俺も、単刀直入に一番知りたい問いを返す。雨夜は自己紹介をした後、俺とすれ違った際に俺の名前をフルネームで発してきた。雨夜の初登校は今日。入学初日ではないから、クラス分けの掲示はもちろん、教室の扉に貼り出されていた座席表も撤去されていたのにもかかわらず、だ。教室に来るまでに担任に教えてもらったと言われたらそれまでだが、それにしたって言い淀みのない雨夜の発した名は、矢の如く俺に真っ直ぐ突き刺さったのだ。

 そしてその問いは、暗に俺に自問しているとも言える。

 何で俺は、お前のことを知っているかもしれないと思っているんだ、と。

「あれ、覚えてない?」

 サンドイッチを咀嚼しながら雨夜は首を傾げるも、ふと思い出したかのようにその空になった口をわざとらしく開ける。

「……あ、そっか。オレ、その時名乗りそびれてたかもしれないな」

「は?」

 俺は意味もわからず疑問符を声に出す。頭では受け入れようとしていないだけで、心のどこかでは雨夜の発言の意味に思い当たる節があるのかもしれない。

 脳裏にフラッシュバックするのは、入学式の前夜、モノクロの電車の中。

『俺の名前は……』

 同じ高校の男子生徒が放った、自己紹介にはあまりにも情報が足りないあの声。

「ごめん。俺、変なこと聞くわ」

 グラスが結露したアイスコーヒーをストローで啜り、俺は雨夜に前置きを放つ。コーヒーの苦みが舌から口の中に広がって、脳を震えさせる。砂糖もガムシロップもミルクも、何の混ざりけのない純粋な苦み。

「お前もしかして……俺の夢に出てきたこと、あるのか?」

 端から聞いたらあまりにも狂気じみている問いかけだろう。しかも、問いかけている本人はあまりにも真剣そのものだからなおさらだ。そんなこと、発した自分自身がよくわかっている。コーヒーの苦みで紛らわせようとしたって、この発言を取り消すことは最早できまい。出会って初日の人間に、俺は何を言っているのだろうか。

「……ああ! やっぱり今のなしなし! どうかしちまってるな、俺。聞かなかったことにしてくれ」

 少しの間も耐えきれなくなった俺はアイスコーヒーのグラスをもとに戻し、早口で捲し立てる。俺はわざとらしく表情を崩して再び雨夜と目を合わせようとした。その表情は意外にも、俺を馬鹿にするでもなく、嘲笑するでもなく、はたまた諦めの感情や理解不能といった感情を表にするでもなく。まるで俺が『今日はいい天気ですね』と声をかけたのかと紛うが如く、まるで表情に変化は現れていなかった。

「ああ。入学式前夜にシノの夢の中に姿を見せたこと、やっと思い出したわけ?」

 驚く程飄々と、至って普通に返されたその答えは、俺を椅子から転げ落ちさせるにはいとも容易いものだった。まだ自我があったから何とか踏みとどまって落ちずに済んではいるけれど。

「とても信じられないという顔をしてるな。まあ、オレも最初はそうだったけど」

 雨夜はアイスコーヒーで喉を潤すと、二つ目のサンドイッチを一気に口に放り込み嚥下する。

「オレはお前を探していた。それでようやく見つけたから挨拶にと入学式前夜の夢見に立ったってわけ。でも、計算を見誤って名乗りそびれたみたいだし、肝心の入学初日には間に合わなかったし……」

 雨夜がブツブツと何かを言っている。それは平易な日本語のはずなのに、一言一句何を言っているのか俺の頭は理解がまったく追いつけていない。回転を諦めた脳味噌の代わりに口をただパクパクさせることしかできなかった。

「でも、オレとシノが出会ったのは何もあの夜の夢が初めてじゃない。もっと昔に会ったことがあるはずなんだ。……たぶん」

「もっと、昔に……?」

 ここまで言っておいて最後にお茶を濁した雨夜の顔を、今一度見てみることにする。このやけに爽やかで認めたくはないがイケメンの部類に入るであろうこの顔は、人物ファイルが格納されている俺の記憶領域に合致するものがないと教えてくれている。

 夢に現れたと言い、俺を探していたと言い、挙げ句過去に出会ったことがある気がすると言う。俺が何か言える立場にないのは重々承知している。それにしたってツッコミどころが多すぎやしないか。けれども今の俺にはただ雨夜の続く言葉を待つしか他なかった。

「引っ越して今は住んでいないんだけど。オレ、幼少時代はこのあたりに住んでいたんだ」

 雨夜はそう言って、カウンター越しの窓に目を遣る。俺が住んでいるのはここから数駅離れた住宅街だが、生まれてこの方引っ越しをしたことはない。雨夜の言っている過去に会ったことがある可能性が、図らずもグッと縮まった。

「あんなにガキの頃の記憶のはずなのに、妙に記憶にこびりついて離れなかった。……七五三の時、神社でオレはお前と出会った」

 七五三なら数え年で五歳。つまり四歳の時に出会ったということになる。正直、無理やり着させられた袴が煩わしくて面倒だった以外記憶にない。何せ十年以上も昔の話だ。よっぽど印象深い出来事でもない限り事細かに記憶などしてはいられない。でも、その神社には覚えがある。

神水(かみみず)、神社……」

 石原いわく、真冬の実家の神社である。一大イベントである七五三詣くらいは大きな神社で行おうと、当時両親に連れて行かれたんだと思う。脳裏をよぎった真冬の顔は一旦脇に置いておき、古の記憶を辿るべく集中する。

「そう。その神社で、だ。オレは親とはぐれて心細く彷徨い歩いていると、辿り着いた先は小さな池か何かだった。そこに、お前がいた」

「七五三で神水神社に行ったことまでは思い出せた。でも、水を差すようで悪いけど、それ以外はまったく心当たりないわ」

 雨夜の思い出話を遮って、俺は自身の記憶を伝える。急に思い出そうとしたって、俺にとってのきっかけがなければ思い出せるものも思い出せない。そもそも、その少年は俺ではなく別の誰かかもしれないしな。

「シノの記憶にないのは残念だけど、オレは確かにあの時会ったんだ。一言二言他愛もない会話をして、その後捜索していたオレの両親がオレを見つけ出してくれたからすぐに別れたんだけどな。いやあ、あの時はこっぴどく怒られたなあ」

 あはは、と雨夜は笑っている。だがその目はずっと、窓越しの風景を遠く遠く、ぼんやり眺めていた。

 雨夜の口振りからして俺と会ったことがある確証が最初は薄いように思えたが、会話が進んでいくうちに段々と確証へと変わっていっているようだ。

「じゃあ、そこで俺は不用心にも小さな頃のお前に自己紹介をして、その名前を今の今まで覚えていたってわけか?」

「そんなまさか。その時は名乗り合うタイミングもなかったと思うし」

 雨夜が俺の質問を打ち消してくれたことに、安堵する俺がいた。十数年前のたった短い間に出会った少年の名前を今まで覚えてここまで来たとなれば、さすがの俺もドン引きでは済まないからな。

「まあ、そういうことで。オレとシノが出会ったのはその時が最初のはずなんだよね。で、その次に会ったのはシノも記憶しているとおり夢の中で。でも、オレが名前を知ったのはその少し前で……。ええっと、どこから話せばいいのか……」

 小さなグラスに揺らめく水を一気飲みすると、雨夜は立ち上がる。グラス片手に向かう先は、同じフロアの片隅にある給水所だった。ピッチャーから並々注がれた水を再びカウンターに置くと、戻す視線の先は窓越しの風景ではなく俺の方だった。どうやら俺の問いに対する答えは、まだまだ続くようだ。

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