20 真冬の器
「……あ、そうだ。雨夜にとって俺がいるように、真冬にとっての器となる人は、もう誰なのかわかっているのか?」
だから俺は、話題を逸らしてしまった。雨夜はこんな俺を見ても、まだいい奴だなんて言ってくれるのだろうか。
「あ……。う、うん」
俺の逃げの問いに、真冬の雲行きが怪しくなる。真冬の対となる器に皆目見当がつかないわけではなさそうだが、言い淀んでいるところを見るに、俺と雨夜のように関係が良好ってわけでもないのかもしれない。
「……鷹司、沈来……」
ぼそり、と。真冬の口から人名が零れ出る。
「たか、つかさ……?」
俺はかろうじて聞き取れた名字らしい単語を繰り返し唱えてみる。声に出して気づくこともあるようで、俺はどこかでこの名前を聞いたことがある気がする。大したページ数もない友人リストを脳内でパラパラと捲ってみても記載はまるっきりない。知り合いリストにレベルを落としても同じことだ。けれども、耳馴染みのあるというか、聞き慣れた言葉というか。
「わたしの適合者は、鷹司沈来っていう人なの。わたしたちと同い年で、鷹司財閥の後継者」
「たかつかさ、ざいばつ……? って……あ」
鷹司財閥と聞いて、ようやく合点する。
鷹司財閥と言えば、古くから金融関係で幅を利かせている財閥の一つだ。近年では不動産やベンチャーなど、あらゆる業界にまで手を広げてことごとく成功を収めていることで日頃話題が尽きない。新聞はもちろんのことテレビやネットニュースで目に触れる機会が多いから、この国でその名を知らない者などいないと言っても過言ではない。トレンド情報に疎いこの俺ですら知っているのだからなおさらだ。
それにしても、あの鷹司財閥の御曹司と、神水神社の末の娘が適合者だなんて。やっぱり、高貴な者同士引かれ合うものなのだろうか。一気にド庶民の俺なんかの存在は露となり消えてしまいそうだ。
「異性とはいえ、財閥の御曹司なら身分もちゃんとしていてよかったじゃないか。俺は核である雨夜に見つけてもらったようなもんだから。能力を頼って器を探すのが困難な真冬が適合者の当てがないってわけじゃないことがわかって、安心したよ」
これは、本心だ。よくわからないぽっと出のチャラチャラヘラヘラした最低最悪なアホンダラ男が真冬の適合者だなんて言われた日には、この限界まで握りしめた拳が光も驚き科学者がこぞって論文を書き出すであろう速さでその器のもとに飛んでいくかわからない。そんな奴よりは財閥の坊っちゃんの方が一万歩譲ってまだマシだ。言葉にすることで自分に言い聞かせていると問われたら、否定はできないけれど。
「ううん。鷹司くんは、何というか……怖くて」
「怖い?」
真冬の瞳がみるみるうちに曇っていく。やはり真冬とその器との間には何か特殊な事情があるようだ。
「……話した方が、スッキリするかな」
「抱え込むよりも、その方がいいんじゃないかな。それに、こんな話をするにも人を選ぶだろうし。俺でよければ話してほしいな」
自身の適合者について話そうかどうか迷いを見せていたが、意を決したのか真冬は大きく息を吸って閉じた瞳をゆっくりと開いた。長く伸びた艷やかな睫毛の隙間から、真冬の覚悟が垣間見える。
「シノ……ありがとう。……鷹司くんと初めて出会ったのは、中学生の時。彼は突然わたしの目の前に現れたの」
過去の光景を見つめるように眼差しが遠くなった真冬は続ける。
「彼は会って早々に『早く僕のものになってくれ』って、迫ってきたの。最初は鷹司くんのこと、名前はもちろんわたしの適合者であることも何も知らなかった。だから、言っている意味がわからなくて怖かった」
いや、怖すぎるだろ。
そんなの、男の俺だって怖くもなる。仮に雨夜に出会い頭一発目にそう言われてみろ。具合が悪くなるどころか卒倒してしまう自信がある。いや、むしろ暴力に訴えかけるか、一周回って近所の病院に否応なしに連行するか。
ともかく、前言撤回だ。どこが安心できる人間だ。鷹司財閥の御曹司はとんだブッ飛び野郎のようだ。ブッ飛びすぎて世界一周して成層圏を突破し、果ては外気圏に突入しているのかと疑うくらいだ。この先の話を聞きたい好奇心半分、真冬に怖い記憶を思い起こさせてしまう申し訳なさ半分で、俺の心が激しくせめぎ合いを始めやがった。
「その時は逃げるようにしてその場を立ち去ったけど、その後も頻繁に現れては同じことの繰り返しで。何者か教えてもらおうとしても、大したことは教えてくれなくて。もしかしてって思って春香姉さまに聞いてみたら、わたしの器だってことがわかったんだ」
真冬は胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。
「わたし、この人と近い将来融合しなければいけないって思ったら、余計怖くなってしまった。わたしですら知らないこの能力を鷹司くんが使いこなせるのか……とも。でも、わたし個人が鷹司くんとの融合を拒むことが人類の滅亡に繋がってしまったら、わたしの大好きな人たちまで巻き込んでしまう。それに、怖いからと言って鷹司くんの人生を終わらせる権利も、わたしにはないから」
「人類存続審判、か……」
真冬の考えは、直接俺の心にも深く突き刺さる。
俺自身、適合者である雨夜に融合を拒まれたら十八年で人生が終わる。一方で雨夜も俺が融合を拒めば、これまでの人生がふいになる。互いに、目の前には死が横たわっているのだ。
それに、これは当人同士の問題だけに留まらない。俺たち以外の器と核が運悪く出会えず、融合を果たせなかったら。その不運が一定数を超えてしまったら。たらればの話でしかないが、人類存続審判における人類の存続を認められる融合の基準値が定かではない以上、融合の選択肢を与えられた俺たちのような器と核には選択の余地はない。自身の我が儘で平穏に生きている他人を巻き込むことは許されない。
そんなことは言われなくたってわかっている。頭の中では理解している。本当に人類存続審判なんて代物が存在しているのであれば、器と核同士互いに適当に折り合いをつけて可及的速やかに融合を果たし、この度の人類存続審判の管理者に危機は免れたと誰もが安心できる宣言を出してもらうのが一番だ。
でも。それでも、だ。俺たちは個々に感情を持つ一個人なのだ。人類のために早く死ねだなんて、人類のために目の前の人間を見殺しにしろだなんて、あんまりだろう。
「だから。わたしは鷹司くんと融合するしかないんだと思う。でも、それまでは自分の人生を自分の好きに生きようって、思うんだ。高校に進学する前、鷹司くんから一緒の高校に進学しようって誘われたけど、断っちゃった」
「そいつ、どこの高校に通ってるんだ?」
なかなか自分のものにならない真冬を、高校進学を言い訳に近くに置こうって寸法なのか。普通に考えて、そんな提案断られるに決まっているのにな。その場に流されず背後に見え隠れする権力にも屈せず、頑として己の意志を貫いた真冬には称賛が相応しい。
「鷹司学園高校」
真冬の口から飛び出した高校名はまるで聞いたことがなかった。腕を組み考えを巡らせても答えは同じだった。学校名に『鷹司』の文字が含まれているから鷹司財閥の息がかかった私立学校と容易に推測は立てられるけれど、最近新しく設立した高校なのだろうか。
「日本でも片手に入るくらいの、トップ校。ここから数駅離れたところにある有名私立高校なんだけど……。最近、鷹司財閥に買収されて高校名が変わっちゃったみたいだから、聞き馴染みがないのかもしれないね」
「あっ、超有名な学校じゃないか。知らないうちに名称変更していたんだな」
続く真冬の解説に、俺は思わず声を上げてしまった。
旧高校名を聞けばこの周辺で知らない人間はいないくらい、超有名で超進学校の一つだ。国内で一、二を争う最難関大学に留まらず、世界でトップクラスに君臨する大学へ進学する卒業生を多数輩出している。各地から引っ越してきてまでわざわざ通う生徒もいるくらい全国的にも有名である。俺の頭脳では人生を何回やり直したって到底達することなんてできない聖域にあるから、端から高校選びの対象外どころか、眼中にすらなかったが。だからこそ、財閥に買収されて高校名まで変更しているだなんて知る由もなかった。鷹司財閥は教育業界にまで手を伸ばしているのか。
「鷹司って奴はそんなに頭がいいのか? まあ、どうせ家の力を使って裏口入学でもしてるのかもしれないけど」
近年そのトップ高校を買収したってことは、将来財閥の後継者となる御曹司の経歴に箔をつけるために違いない。そう、思ったのに。
「ううん。鷹司くんは自分の実力で入学したって聞いてるよ。しかも、学年で首席だって」
「えっ……」
開いた口が塞がらないとは、まさしくこのことを言うのだろう。超お金持ちに生まれ、頭脳明晰でエリートコースまっしぐらな人生ときた。非の打ちどころがなさすぎる。いや、性格は難しかないか。
「その高校はね、春香姉さまも通っていた高校なんだ。鷹司くんの誘いに乗れば、きっと裏口入学なりなんなりで入学させられたのかもしれないけれど。入学したところでわたしには春香姉さまみたいに秀才ではないから、周りについていけずに落ちこぼれるのが目に見えていた。それもあって、鷹司くんとは違う、この高校にしたの」
春香さんがバリバリに頭がいいのにも腰を抜かしてしまいそうだったが、真冬も真冬だ。謙遜をしてはいるが、口振りからして鷹司学園高校は射程範囲内だったのではないかと邪推してしまう。裏口入学の誘いにしたってオツムが残念であれば、紹介者が矢面に立たざるを得ないはずだ。そんなヘマを自称学年首席くんがするとは当然思えない。そう考えると、雨夜に真冬、二人ともレベルを落としてまでこの高校に通っているのかと、自分がちっぽけな存在に感じてしまう。もともと狙うつもりは毛頭ないけれど、学年トップなんて、夢のまた夢。赤点を取らないようクラスの平均層にしがみつくしかないんだと、入学早々四月にして達観してしまう。テスト前に泣いて縋りつく相手が二人もいる奇跡とも言い換えられるけどな。
俺は心の涙を必死に拭いながらも、ふと気になった問いを投げる。




