19 神水
「真冬。家まで送るよ」
喫茶店を背に立ち止まった俺は真冬にお誘いを持ちかける。先に喫茶店を出ていた真冬はくるりと俺の方へと振り返った。長い髪の毛先が反動でふわりと宙を舞う。
「え、悪いよ」
「俺、結構食べたからさ。ちょっと腹ごなしもしたくて」
提案を遠慮する真冬に、俺は適当な言い訳をつけてもう一押しする。正直なところ、もう少し真冬の能力や状況について探っておきたかった。雨夜がいないのは気が引けるけど、かいつまんで後日共有しておけばいい話だ。機会を逸する方が損失はデカい。
「そう? じゃあ……」
ここでまた拒否の姿勢を取られたら大人しく引き下がるつもりだったが、それも杞憂に終わる。控えめな返事に足を止めたままでは真冬の意思決定が覆ってしまいそうで、俺は一歩先を行く。小さな足音とともに背後で気配を察知して歩を緩め、見上げる真冬の表情に思わず胸を撫で下ろした。
俺たちは神水神社までの道すがら、喫茶店で食べたカレーやプリンの感想を言い合いながら歩いた。真冬は初めて食べたというプリンアラモードをいたく気に入ったようで、既に次回来店への意気込みを強くしていた。だがそれも束の間、真冬はみるみるうちに顔色を曇らせていく。マスターの何気ない話題により手を止めたあの時、会話が思うように続かなくなってしまったその後に思い至ったのは容易に想像がついた。俺も真冬に負けず劣らずマスターのカレーを熱量高く語ることで、奈落に足先がついてしまいそうな真冬を何とか引き上げてやる。早口で捲し立ててしまったことを後悔するも時既に遅し。俺にはこんなアプローチの方法しか心得がないんだからやむを得ないだろうとありもしない観衆に向かって心中嘆くもいたし方なし。真冬は急にテンパり出した俺にぽかんとした顔を見せるも、ふふっと笑みをこぼした。
「ありがとう」
小さく小さく、真冬の唇は動いていたように思えたが、声量は微かだった。
そこから神社の例の鳥居が見えてくるまで、互いに感情の急変もなく実に穏やかだった。いや、前言撤回だ。今後どうしたら雨夜のラテアートの腕が上がるのかという作戦会議めいた話をした時だけは、感情の波の起伏が現れたと白状しよう。そんな真冬の真っ直ぐな瞳の先が雨夜に向いているんだと思ったら、誰だって俺と同じ感情を抱くに違いないさ。
ヤキモキした感情を知る由もない真冬は、神水神社の大きな鳥居の前で一度足を止めて一礼する。その後に続き俺も鳥居をくぐる。数歩歩いたところで真冬が振り返ると、瞳を大きく見開いて俺を見つめてきた。
「シノ。この後時間ある? 少し話したいことがあるんだ」
「うん、大丈夫だよ。俺もそんな気分だし」
まさかの真冬からのお誘いに断る理由なんてまったくなかった俺は、間髪入れずに返答する。真冬はいい返事をそこまで期待していなかったのか軽く驚いた表情をしていたが、小さく礼を言うと再び歩き始めた。
真冬のお誘いに心臓が跳ね上がってしまったのは否定できない。普通の男子高校生であれば体が宙に浮いているのかと錯覚するくらい舞い上がるのだろう。あわよくば俺だってそちら側の人間でいたかった。けれどもこの状況で俺の立場になれば誰だって、嬉しさよりも背中に流れる一筋の冷や汗によって背筋が嫌でも正しくなってしまうってもんだ。自分から深堀りしていくのであればある程度流れをコントロールできるが、真冬から話す気になったのであれば何が飛び出してくるかわからない。雨夜や春香さんが課せられた責務を打ち明けた時と同じように今は身構えているしかない。まあ、疑り深く頭をオーバーヒートさせながら話についていくのに精いっぱいだったあの時とは違って、真冬の打ち明けてくれる事柄をそれなりに受け入れられる自信はある。もちろん限度ってものが存在するけどな。
硬い石畳から玉のような砂利道を抜け、気づけば舗装されていない土が広がる空間へと足を踏み入れていた。目の前には幼い頃、俺と雨夜が初めて出会ったらしい池が視界いっぱいに広がっている。凪ぐ水辺を休憩しながら眺められるようになのだろうか、ベンチが等間隔で配置されていた。真冬が選んだ場所は中でも木陰になっているベンチだった。人の気配はなく、さわさわと木々の葉の風で揺らめく音が時折耳を通り抜けていくばかりだった。
「ごめんなさい。その、色々気を遣わせてしまって」
二人肩を並べてベンチに腰掛ける。先に口を開いたのは、しばらくして小さく波打ち始めた水面を見つめていた真冬だった。
「いやいや、いいんだって。わだかまりなくまた仲良くやれそうでよかったよ」
真冬が謝ることなんて何一つないと、俺は大袈裟に首を横に振る。真冬はホッとした表情を見せたが、すぐに神妙な面持ちへと変わった。それもそのはず、真冬にとって話しづらく、俺にとってもとんでもなくややこしい内容がその小さな口から飛び出してくるに違いないのだから。
「何から話し始めたらいいのかな……。もしかしたら、春香姉さまのお話と重なってしまうところもあるかもしれないけれど」
「それは気にしなくていいよ。まだうまく飲み込めてないことだらけだから、復習にもなるし」
頬に手を当て発する言葉を選んでいるように見えた真冬に、俺は遠慮しないよう声をかける。実際、春香さんから聞かされた話は衝撃的なことばかりだったから、記憶から抜け落ちているものも少なからずありそうだし。
「ううんと。それじゃあ……。わたしが能力を持つ核だって話は、聞いているんだよね」
「ああ、聞いてるよ。それで、春香さんは器で、既に対応する核と融合済みであることも」
真冬は雨夜と同じ、核。代償と引き換えに固有の能力を使用でき、俺のような対となる器がいる存在。やっぱり、他者からその話を聞くといまだにおとぎ話なんかじゃないんだって現実を突きつけられた感じがする。
「そもそもの話をするとね。神水家は昔、神様の予言を承って人々に伝え広める役割を持っていたの」
神水家の祖先は未来を見通す力を持っていたと、春香さんが言っていたことを思い出す。そして、いずれ強大な力を持った人間が生まれるという予言を託し、その言が現実になっていることも。
「その力は、今目の前にある池の水を用いていたそうなの。普通の池と違って、青く底まで見えるくらい透き通っているでしょ?」
「確かに。不思議な水だなとは思っていたけれど……」
目の前に広がる水面。その青は天からの光を一身に受けてすべてを見透かすかのように澄み渡っている。パワースポットだなんてちゃちな言葉では片付けられない、不思議としか言いようのないオーラをその水は放っていた。
「神様からの御言葉を、この水を通じて見通す。それが今はなき神水家の力。神水神社の名前の由来」
ここまで詳細には春香さんから聞いていなかったから、ようやく妙な引っかかりというか言語化できず不思議に感じていた謎が解けた。ただの池ではなく、由緒がありいわれのある場所なのであれば納得だ。いつもならこんなオカルトめいた話を信じる俺ではないけれど、もうなんでも丸ごと信じないと話が進まないからな。自分の思ったこと感じたことにいちいち反抗していたって始まらない。
「その未来を見通す力で予言されたと語り継がれている、強大な力を持って生まれた人間が……わたし。そんなこと言われたって、信じられないけれどね」
真冬の視線が、揺れる水面に合わせて揺蕩う。水面が天から注ぐ光をすべて吸収し続けるように、真冬の瞳の表層もまた輝きを感じ取れない。
「真冬にはその自覚がないってこと?」
自身の能力に気づいていないと、春香さんも言っていた。そこまで強大な能力を持っていながらも気づけていない要因は、生まれた時に与えられた刻印にあるとも。
「……うん、そう。同じ核でも、雨夜くんは能力を使いこなせてるって聞いた。でも、わたしはそもそも自分がどんな能力を持っているかすらわからない。……ただ」
「……ただ?」
胸に両手を当てて眉間にシワを寄せる真冬の次の言葉を、俺は促す。他人と比べる必要はない、俺はありのままの真冬を受け止める覚悟があると暗に示すように。
「ただ、時折。胸の中でぐるぐると何かが渦巻いて、飲み込まれそうになるの。きっと、本当にわたしは得体の知れない能力をこの身に宿しているって、その時気づくの。わけがわからなくなって、頭が真っ白になることもあるけれど……。次に目を覚ませば自室の布団の中で。どうやらたまに気絶しているみたいなんだ」
真冬は俺と目を合わせようとはせず、ただ笑い方を忘れてよくわからないまま空中に向かってはにかんでいた。
真冬はよくわからないと言っているが、きっとその一連の事象は能力の暴走なのではないかと勝手に推測する。能力なんて微塵もわかるはずもない俺だけど。強大な力を自分自身感じてはいて、刻印で無理やりその能力を押さえつけられているのだとすれば。何かの弾みで能力が制御不能状態となり、刻印が能力の暴走を封じ込める反動で本体である真冬は意識を失うことだってあり得る話ではないだろうか。ゲーム脳すぎる考えだと一蹴されてしまえばそれまでなんだけどな。
「でも、結局わたしがどんな能力を秘めているかはわからずじまい。春香姉さまも教えてはくれない。ただただ得体の知れない何かに怯える毎日で、苦しかった。だから……」
そこでようやく真冬は目線を上げて、一瞬。視線がかち合う。その瞳の奥には一筋、微かに光が見えた気がした。
「シノや雨夜くんが、わたしと同じ立場だって知って。不謹慎かもしれないけれど、嬉しかったんだ。同じ境遇同士、わかり合えるかもって、思って」
その無邪気な瞳が、俺の心に深く突き刺さる。
雨夜もそうだった。真冬もそうだ。
核として生まれ、短い人生を歩む人間はみな。大きな暗闇を抱えながらも必死でもがき、前に進み続けているのだろうか。そんな人間に対して、俺は対等な立場でいられるのだろうか。何の苦しみも知らない、のうのうと生きてきた俺に。俺は手を差し伸べる権利があるのだろうかと。改めて身をもって現実を突きつけられたような気がした。核の苦悩に寄り添うには、あまりにも烏滸がましすぎるのではないだろうか、と。




