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真冬のポニーテール  作者: 山葵わかな


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2 高校入学

 高校の入学式の朝、俺は慣れない制服に身を包むと朝食もそこそこに済ませて家を出た。合格発表を最後に約一か月ぶりの通学ルートを辿るのは非常に危険な賭けのような気がしていたけれど、余裕を持って家を出られたおかげか遅刻ギリギリで駆け込むことはなさそうだ。

 家の最寄り駅から電車に乗り、ガタゴトと車体に揺られる。折り返し運転の始発列車だから、通勤ラッシュのこの時間帯でも座ることは容易だった。座席の背もたれに身体を預けて人の混み合うさまを人ごとのように眺めていると、見覚えのある車内から連想して自然と昨晩見た不思議な夢に思いを巡らせていた。

 普段であれば覚えていようとしてもきれいさっぱり忘れてしまうのが夢というものだ。忘れないように記録しておこうとしても、途中で靄が渦巻き思い出そうとしている間に跡形もなく消えてしまう。それなのに、今回だけは夢の始まりから終わりまでを鮮明に覚えている。その気になれば人に話すことも文字起こしすることだって簡単だ。だからこそ、回想する夢の内容が現実のものとは異なるとあれこれあげつらうことができる。だが、一つだけ釈然としない事象があった。

「俺に話しかけてきたアイツは、一体何者なんだ……?」

 回想のため閉じていた瞼を開いて、思わず呟く。数秒後、声に出していたことに気づいて慌てて口をつぐむも、隣に座るサラリーマンも向かいに立つ他校の高校生もイヤホンをしているからかまったく気づいていないらしい。これで安心してもとの考察へと意識を戻していける。

 服装や会話からして同じ高校の生徒のようだが、顔は全然認識できず、さらには名乗られる前に意識が途絶える始末だった。どうせだったらどこの誰だったのかを知りたかったなとたかが夢ごときで悶々としていると、今日から三年間過ごすことになる目的地の最寄り駅に辿り着いた。

 改札を抜ければ同じ制服の群れが同じ方向に向かって一斉に歩き出す。地図に頼らずとも手放しでその流れに混ざって歩いていけば、自然と目的地へと流れ着くだろう。俺の予想は考える間もなく的中し、十分程度で高校の校門が見えてきた。これからの高校生活への期待と不安が入り乱れてもなお、昨晩見た夢が俺の頭の片隅にこびりついて離れなかった。

 校門を抜けると大きな掲示板の前に黒山の人だかりが見え、例に漏れず俺もその一員となる。どうやら、クラス分けの発表はここでされているらしい。

朝倉(あさくら)世忍(よしの)は、っと……」

 他の生徒は自分の名前を探すのに一苦労のようだったが、俺は大体最初の方に名前が出てくるから先頭の字面を追っていけばそこまで苦労はしなかった。想像したとおり五十音順でクラスごとに名前が出現しており、しかもA組の最初に探し求めていた名前が張り出されていたからなおさらだ。

「A組……。A組、ね……」

 クラス替えの餌食にならなければ最低一年間はお世話になるクラスの名称を復唱しながら、人だかりから抜けようと方向転換をする。すると、他の生徒を押し退けこちらに向かってくる人の気配を察知した。

「シノー!」

 俺のあだ名を叫びながら、その男はわざとらしく俺にしがみついてきた。混み合っていた周囲が一瞬でさあっと引いていくのがわかって、俺は入学初日から冷や汗が止まらない。

「シノ、いたのか! 全然同じ中学の奴に会えなくて寂しかったぞ……」

 俺に対する周囲からの冷ややかな眼差しの原因となっているその男は、同じ中学校の同級生である石原(いしはら)だった。

「うわっ、気持ち悪いから速やかに離れろ」

 俺はしがみつかれた手を無理やり引きはがすと、石原はいたずらっぽく笑う。

「シノ。お前の名前がこのクラス分けのいっちばん始めに書かれててさ。慌ててシノのこと探しちゃったじゃないかー! ホント、会えてよかったぜ……」

 まるで石原は、俺が進学先を明かさずにここへ入学したとでも言うように大げさな振る舞いをしている。俺は受験の時も合格の時も卒業の時も、この高校に入学するから石原と同じだなって話をしたはずなんだけどな。

「そういや、お前はどのクラスになったんだ?」

 すぐに自分の名前を見つけてしまい早々にクラス分けの掲示から目を離した俺は、石原に問いかける。石原のように同じ中学校出身の奴もいるかもしれないから、自分の名前だけで満足せずに掲示板全体を見渡しておくべきだったと後悔の念が押し寄せる。石原第二号がまた俺にダル絡みをして周囲の目がさらに冷ややかなものとなっては、始まったばかりの高校生活も途端に終焉を迎えてしまうからな。まあ、石原の名前は俺の近くにはなかったから同じクラスではなさそうなのが救いか。

「シノの隣のクラスだよ。B組」

 なぜか悔しさを含んだ声で、石原はB組の生徒名が連なっている掲示を指差す。隣のクラスでも、なんだかんだ俺に突撃してきそうで、何とも言えない気分だ。

「……でも、シノはいいよなあ。あの神水(しんすい)真冬(まふゆ)と同じクラスなんだろ?」

 ようやくクラス発表の群れから脱出しそれぞれのクラスへと向かうべく校舎へ歩く最中に、石原がそう話しかけてきた。

「シンスイ、マフユ……? 誰だ、それは?」

「神水真冬、だよ。シノは知らないのか?」

 人名らしいその言葉をカタコトながら復唱する俺に、目をまん丸にして驚く石原は声まで裏返っていた。明らかなオーバーリアクションだったが、芸能人か何かなのだろうか。

 そんな聞いたことのない名前を聞かされてぽかんとしている俺に、石原は目をきらめかせ、前のめりになって話を続ける。

「近所に神水神社って場所があるだろ? そこの美人四姉妹の末っ子で、めちゃくちゃカワイイってウワサなんだぜ」

 神水神社といえば初詣や七五三などの各種イベントの時期には多くの人で賑わい、少し離れた地域からわざわざ電車で訪れる人もいるくらい、このあたりでは大きく有名な神社だ。俺も小さい頃に親に連れられてお参りに行った記憶がおぼろげながらにある。だが、その神社に美人四姉妹がいることはおろか、同級生にその末っ子がいることすら初耳だった。

「ウワサって。お前は見たことないのかよ」

「見たことないに決まっているからこそ、同じクラスになったシノが羨ましいんだよ!」

 見たこともないウワサだけの人間を想像して恍惚としたり、同じクラスというだけで俺に嫉妬したりしている石原に、俺はやれやれとため息を吐く。よくもここまでウワサ話に対して本気になれるよなと感心しつつも、石原は前からこんな奴だったような気がすると納得もした。

「しかもさ、きれいな長い髪を体育の授業時でも結ばないのに、一度だけポニーテールをしていたことがあるらしくて……。その破壊力ときたら、それはそれはものすごかったらしいぞ。……ああ! 一目でいいから早く拝みたいなあ」

 どこで聞いたかもわからないウワサ話を石原が力説する度に、俺は自然と神水真冬という人物に対して少しずつ興味を持ち始めていた。

 すらりとした気品のある和風美人。重力に逆らうことなくすとんと流れ落ちる艷やかな黒髪が、振り向きざまに柔らかくなびいている。誇張されすぎているところもあるのかもしれないが、おおよそそのようなイメージ像でぼんやりと俺の脳内に浮かび上がってきた。

「あッ」

 三階建ての最上階に、俺たち一年生の教室が並んでいた。階段を登り切ったすぐ目の前、A組の教室の前扉に貼られていた掲示を見つけるなり、石原は声を上げてそれに駆け寄る。

「この子だよ、この子。神水真冬は」

 その掲示はA組の座席表だった。石原の人差し指の先には『神水真冬』の文字が四角い枠の中に等間隔で収まっていた。ここでようやく、音で聞いていた『シンスイ マフユ』と実際の漢字を紐づかせることに成功する。

 それにしても、距離があったのにもかかわらず爆速で名前を見つけて俺に笑顔で報告してくる石原が、心の底から怖いよ。入学初日から転校という選択肢が頭によぎる程にはな。

「ふーん……」

 そんな石原を俺は軽く受け流すことにして、肝心の自分自身の席を探す。クラス発表の時と同様、こちらもあっさりと見つけることができた。A組の出席番号一番であろう『朝倉世忍』は、教室の最前列一番右の席を指定されていた。

「あッ!」

「なんだよ、さっきから騒々しいな」

 石原は座席表に突きつけていた指をスライドさせて、またしても声を荒げる。朝から騒がしい石原に慣れてきてしまった自分が憎い。

「シノ、お前……! 隣じゃねえか! この裏切り者っ!」

 石原は今更気づいたようだったが。そう、俺の右隣は廊下と教室を隔てる壁、左隣は渦中の人物、神水真冬その人なのだ。もちろん、俺は石原を裏切ったつもりは一向にないんだけどな。勝手に酷い言われようをされている俺の身にもなれ。

「クソ……ッ! そんな裏切り者に忠告としてウワサを一つだけ教えてやるっ!」

 地団駄を踏む石原から少しずつ距離を離していた俺だったが、無駄な抵抗も呆気なく気づかれてしまった。石原はようやく掲示されている座席表から身を引き俺との距離を縮めてくる。

「ここだけの話、神水真冬に付きまとっている男がいるらしいんだけどな、それはな……」

 まるで井戸端会議の貴婦人かのように声のトーンを落とし、石原は俺に耳打ちを試みる。そんな石原の話を遮るかのように、無情にも校内に予鈴が鳴り響く。それを合図に廊下で同じように立ち話をしていた生徒たちは各々のクラスに散り散りになって戻っていく。

「あ、ヤバい。チャイム鳴っちまった! それじゃあ、シノ。また今度な!」

「ああ、またな」

 もう向こう一か月くらい石原成分はいらないかなと思いながら、慌てて走る生徒たちに紛れていく石原の背中を眺める。石原が言いかけた根拠のないウワサ話が気にならないと言ったら嘘になるが、予鈴によってあのダル絡みから脱せたのは事実だ。一旦ここは言われかけたウワサ話を頭の片隅へと追いやって、俺も目の前の扉から配属されたクラスの教室へと足を踏み入れた。

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