15 仲直り大作戦
夢は記憶の情報整理の役割も担っていると、以前雨夜は言っていた。だが、翌日になった俺の脳味噌は情報の整理どころかインプットした情報が昨日よりも複雑に絡まり合っていて、その糸を解く作業を放棄したくなっていた。ただ、一つだけ。ハッキリと頭の中にこだまし続けていたのは春香さんの残した最後の一言だった。
『……真冬を、よろしく頼む』
それは、教室で真冬を目の前にした時も同じだった。脳内に響くのではなくまた背後を春香さんに取られ、直接耳元で聞こえているのかと錯覚するくらいだった。
「あ。……おはよう」
真冬と会うのは、昨日春香さんのもとに案内されて以来だった。その時のことが気にかかるのか気まずいのか、真冬は目を合わせようとせずぎこちなく形式的に挨拶を交わしてきた。
「おはよう。昨日はありがとう。おかげで真冬のお姉さんと色々話すことができたよ」
真冬が気に負う必要はないという思いも込めて、俺は挨拶の返事に昨日の総括を述べる。総括と言ったって、真冬に聞きたいことは山程あるけど。こんな様子ではやはり聞くに聞けないな。
「……春香、姉さまは……」
俺の言葉を受け、真冬は話を続けようとするも口を閉ざしてしまった。春香さんが俺と雨夜に何を話したのかを聞きたいって、顔に書いてある。でも、昨日の真冬と春香さんとの関係性を鑑みるに、俺たちを直接詮索できないのかもしれない。俺は真冬になら、どんなに詮索されたって一向に構わないんだけどな。
「おっはよー! あ、真冬ちゃん! 昨日はありがとねえ」
いつもいつも間が悪く、雨夜が俺と真冬に割って入ってくる。雨夜は比較的始業のチャイムが鳴るギリギリに滑り込んでくるのだが、今日は少しお早めの登場らしい。昨日はあの後真っ直ぐ家に帰ったから、アルバイト漬けの毎日よりも睡眠時間を多く取れたのかもしれない。
雨夜は栗毛色の髪をふわっと揺らして真冬に明るく振る舞うも、おはようと一言返されるだけでそっぽを向かれる始末だった。真冬はすっくと席を立つと、窓際に集まっていた女子の群れの一部になってしまった。
「なあ、ちょっと」
真冬の様子に異変を感じたのか、雨夜が俺の肩を叩いて廊下へと促してくる。廊下には一日の始まりを前にして時間潰しをする生徒がチラホラと散在していた。俺たちは廊下の壁を背に、声のトーンを自然と低くして話し始めた。
「真冬ちゃん、さっきからあんな感じなのか? もしかして、オレを意識し始めちゃったとか……」
「んなわけないだろ」
冗談のわからない奴だな、と俺のツッコミを雨夜は躱す。わかりづらい冗談はやめてほしいものだと心の中で悪態をついてはみるものの、雨夜はその冗談の裏で真冬の反応の悪さの原因を何となくわかっているようだった。
「昨日のことで気まずいんだろ、たぶん。でも、真冬は真冬で俺たちが春香さんと何を話していたのか気になるようだったから、関わりを絶ちたいとかそういうわけではなさそうだけど」
「やっぱりなあ」
腕を組み思考の海に飛び込んだ雨夜だったが、大して深く考えることもなく、すぐに顔を上げて自信に満ち溢れた目を俺に向けてきた。
「オレにいい考えがある」
「は?」
雨夜の調子のいい言葉に、俺は思わず疑問を呈するしかなかった。まあまあ、と俺を宥める雨夜には計画を話す気はないらしい。それに一日の始まりを告げるチャイムまで鳴り始めたから、雨夜を問い詰めることも叶わない。
「近いうちに声かけるからさ。ちょっと待っててくれな」
「期待しないで待ってるよ」
階段を上がってくる担任の姿を尻目に、俺と雨夜は教室へと戻る。余計なことをしてくれるなよ、と。頭の後ろで手を組んで鼻歌を歌ってやがる雨夜の背に向かって心の中で切実に願いながら。
雨夜の言う『いい考え』は、思いの外実行に時間がかかっていた。
早くてその日のうちに何かアクションが起こされるかと思っていたけれど、何もなし。その次の日も、さらに次の日も。登校しても朝のホームルームが始まるまで真冬は教室におらず、放課後も即座に姿を消してしまう。休み時間なんてもっての外だ。真冬と今までのように会話を交わすことがままならないまま、ただただ日付だけが経過していくばかりだった。
待てと言われたってそろそろ堪忍袋の緒が切れるぞと思い始めた四月の末。大型連休まで残り僅かとなり全校生徒が浮かれ始めた頃、放課後に雨夜はようやく俺と真冬に声をかけてきた。
「なあ、明日時間取れねえか? 頼みがあるんだ」
手のひらを顔の前で合わせて、雨夜は頼み込む姿勢を取る。真冬は今日も帰りのホームルーム終了と同時に席を立とうとしていたが、雨夜の行動の速さには敵わなかったようだ。真冬は浮かした腰をもう一度椅子に下ろし、恐る恐る雨夜の顔を見上げる。
今日は金曜日。明日は土曜日だから予定がない限りは真冬も捕まるだろうと踏んで、雨夜は日程を提示してきたみたいだ。
「あ、雨夜くん……? どうしたの急に……」
会話が久し振りだから余計に、真冬は混乱している様子を見せた。ただの雑談ではなく、頼み事だから真冬の性格的に無視することもできないだろうしな。
「いやあ。もうすぐゴールデンウィークだろ? オレ、喫茶店でバイトしてるんだけどさ、連休は混み合うらしくて。それで……」
ここが大事なところだと、雨夜は大きく息を吸う。
「バイト始めてから全ッ然、ラテアートがうまくできなくてさあ! だから、このとおり! 大型連休が始まる前に、オレの特訓に付き合ってくれ! もちろん奢るからさ!」
一生のお願いだと言わんばかりに、雨夜はもう一度手のひらを合わせる。
そう来たかと、俺はやれやれとため息を吐く。真冬は雨夜の勢いに気圧されたのか、目をパチクリさせている。ラテアートなんて洒落たもの、俺とは無縁の代物だけど、真冬には取っつきやすい話題かもしれない。時間をかけすぎた感は否めないものの、これは雨夜に一本取られたと認めざるを得ない。
「俺はいつでもいいよ。……真冬は?」
せっかく雨夜が作ってくれた機会だ。俺は真冬が返事をしやすいように間を開けず真っ先に返答する。真冬は一度俺を見て、雨夜に目を上げた。久し振りに、真冬と顔を合わせられた気がする。揺れる瞳の奥は闇夜に広がる深い青、相も変わらず俺は吸い込まれそうになる。
「……午後、からなら……」
「おっしゃ! 決まりだな。二人とも感謝するぜ!」
小さく返された真冬の都合に、雨夜は拳を突き上げた。日程が合わなければ何パターンか候補を出して総当たりでもしたに違いない。予定が合わなそうな真冬と一発目で予定が決まったからなおさら、感情が溢れ出している。かく言う俺も、冷静を装ってはいるが真冬と雨夜と三人でゆっくり話せる機会ができたのはありがたいと思っている。アルバイト中の雨夜にゆっくりと話ができる時間があるのかは別問題だけど。
「じゃあ、明日午後二時に現地集合な。場所は後で連絡しておくからよろしく頼むな!」
それだけ言い残すと雨夜は風のように去っていった。それから数分後、ブルブルと震えた携帯には明日の集合場所である喫茶店の住所が届いていた。俺と真冬は携帯から顔を上げると、互いにぎこちなく笑い合った。




