14 雨夜の願い
「遅かったな、シノ」
薄暗い広間を後にした俺は、夕暮れの鈍い光に歓迎されて思わず目を細める。石段を降り外界に目が慣れてきたところでようやく、雨夜の姿を視認した。そこに真冬の姿はなかった。
「あれ、真冬は……」
「あの長話の後だ。さすがに待ってはいないだろ。ちょっくら周辺を見回してはみたけど、やっぱりいなかったぜ」
キョロキョロとあたりを見回す俺に、雨夜は笑いかけてくる。
「真冬の家、この神社だって言ってたよな。ってことは、この敷地内のどこかにいるのかな」
自然と歩き出していた俺はこの神社の敷地に足を踏み入れた時よりも周囲を見回して、真冬の姿を探し続けていた。
「そうだろうけどさ。これ以上歩き回るの、俺はパス。色々あって疲れちまった。真冬ちゃんのことももちろん気になるけど、俺はもう帰るぜ。……あ」
「なんだよ、突然」
間の抜けた声が、背後で落ちた。あの狂ったように咲いていた桜の群衆からは抜け、道が二手に分岐していた。このまま道を逸れなければ、鳥居の外に置き去りにされている雨夜の自転車まで最短距離で進めるのだが。
「……ちょっと大回りしてから帰らないか」
肩を並べた雨夜に引っ張られるがまま、俺たちは帰宅の最短ルートから外れることになった。
「ここ。覚えてるか? ……って。この前の話じゃあ、記憶になかったっけかな」
雨夜に連れてこられた先は、池だった。この神社のどこにこんな敷地があるのだろうと不思議なくらい、澄み渡った水面が広がっていた。池というよりも湖と称した方がしっくりくるのではないかと思うくらいその水は青く、覗けば底まで見渡せるようだった。
「もしかして。雨夜が能力について話してくれたあの時に言っていた、俺たちが初めて出会った場所、なのか……?」
幼い頃、雨夜が迷い込んだ先にあった小さな池。そこにたまたまいた俺と一言二言会話したのが初めての邂逅だと、雨夜は言っていた。大きな公園にあるような、ボートを漕いで景色を楽しめる大きな池に比べたらここの池は小さいのかもしれない。でも、俺の想像と違って、神社に付随しているものにしてはやはりスケールが大きく感じる。その認識の差異を埋めたところで俺の記憶はまるっきり蘇ってはこないけどな。
「さっき帰ろうとした時、ふと思ったんだ。オレの能力が目覚めたのは、ここでシノと出会った後。だから、またここにお前と来れば、新しい何かがわかるんじゃないかって。春香さんの言っていた人類存続審判とか、それ以外のわけわかんねえ諸々のこととか、全部さ」
気づいたと言う割には、あまりにも間抜けな声を出していたけどな。俺と池と交互に視線を巡らす雨夜を、俺はただ見ていた。その目は、必死に何かを探し求めていた。形のない答えをその手に掴もうとするかのように。
「で? 新しい何かってのはわかりそうなのかよ」
「あはは。なーんにも」
緊張の糸が解けたのか、雨夜は途端ににへらと顔を崩す。あの広間で春香さんに見せていた真剣な面持ちの雨夜ではなく、日常の雨夜が戻ってきたみたいだった。
「なんだよ、それ」
「だってさあ。オレ、お前よりも能力とか色んなことを知ってたのにさ。今日、春香さんからオレの知らないことをたくさん聞かされて、もうパニック。大混乱よ。だから、もっと知らなきゃ、わからなきゃってさ、そう思ったんだけど。そう簡単にうまくいくわけないもんなあ」
俺は今日、春香さんの実体験を聞いてわかった。このまま雨夜と融合を終えれば何事もなく俺は俺のまま、残りの人生を送れる。だが、雨夜はどうか。残り少ない人生の中で、焦る気持ちは当然だ。明確な答えはなかったものの春香さんの態度を見れば、対である核の存在は見る影もなく消えてしまうことは一目瞭然だった。イレギュラーなんてものは存在しない。
能力だけ器に譲渡して、核としての役目を終え普通の人間に戻る。そんな可能性を、管理者である春香さんは提示してこなかった。雨夜は納得のいく形で人生を終えるためにも、自分の知らない情報はすべて潰しておきたい。そう感じているのだろう。
「なあ、シノ。オレはお前と出会って一安心したところだったけど、まだまだ世の中わかんねえことだらけだ。せっかくオレとお前、二人いるんだ。わかったことがあったらすぐ、教えてくれよな。オレも、真っ先にシノに共有するからさ」
約束だぜ、と雨夜は小指を突き出してくる。先日の入学式の翌日、カフェでの別れ際にも同じ光景を見た気がする。あの時は野郎としてやる指切りげんまんなんてないとスルーしたけれど、今の俺は虫の居所がいいらしい。
「ああ。約束するよ。……ただし、報告は現実世界だけにしてくれよな」
「緊急時は夢の中でするかもしれないな」
俺も小指を差し出して、雨夜と数回腕を上下して約束を交わす。雨夜は冗談めいて笑うが、夢の世界で出会った雨夜のことを思い出すと冗談に聞こえないからやめてほしい。
「付き合わせて悪かったな。帰るかあ。……って、あ!」
「お次はなんだよ」
しんみりムードから一転、雨夜の突拍子もない発声に俺はすかさず切り返す。
「せっかく神社に来たっていうのにお参りするの忘れてた! ちょっとオレら不信心すぎね?」
「……わかったよ」
手のひらを合わせてチラチラとこちらの様子を伺ってくる雨夜に、俺はわざとらしくふうとため息一つ吐いてみせる。特定の宗教を信仰してはいないが、現在進行形で俺に降りかかっているあれやそれについて神様でも仏様でもすがりたくはなる。八百万の神の一柱ぐらい何とかしてくれるだろうと思う一方で、その中の少なくとも一柱以上が人類存続審判を引き起こしているのであればほんの僅かに灯る信仰心も破れかぶれにならざるを得まい。まあ今回ばかりは雨夜に従って神頼みとでもいこうではないか。ポーズだけでも取っておくに越したことはない。俺らの信仰心を無下にしない神が一柱くらいは存在するだろうからさ。
大回りをすると言っておきながら、雨夜はもと来た道を辿ってから神前へと向かう。日が暮れかけている今となっては参拝客も疎らで、社殿の前に着いた時には俺と雨夜以外に人の気配はなかった。
「ええっと。五円玉、五円玉は、と……」
ガサゴソと、俺はポケットから取り出した財布を漁る。賽銭箱にはご縁があるようにと五円玉を何とか捻り出しがちだけど、よくよく考えてみると願い事に対してご縁があったことなんて一度もなかった気がする。それでも懲りずに五円玉にこの世のあらゆる期待を乗せてしまうのだから、人間の何と欲深いことよ。
俺があたふたと手間取っている間に、雨夜はさっさと賽銭を箱に投げ入れて天井からぶら下がる麻縄を大きく左右に振り動かしていた。カランカラン、と。闇が今宵も空を支配しようと目論む中、高く清らかに鳴り響く鐘の音によって自然と俺は背筋を伸ばしていた。俺も間を開けず奇跡的に発掘した五円玉を賽銭箱に静かに落とす。
「あれ。お辞儀と拍手の礼儀作法って何だったっけ」
賽銭問題が解決したと思った途端にこれだ。小銭探しに必死で雨夜の行動まで視界に捉えきれていなかった。
「二礼二拍手一礼。……って、そこに書いてあったぜ」
重ね合わせた手のひらをゆっくりと解放すると、雨夜は俺の嘆きに笑って答えてくれた。指差す先には小さな看板が立っており、雨夜の言うとおりお参りの手順が簡潔に文字化されていた。
「助かる」
俺は簡潔に謝辞を述べ、一足先にお参りを済ませた雨夜に見守られながら鐘を鳴らす。雨夜の時よりも鈍く響いた鐘の音がやまないうちに、そそくさと二礼二拍手一礼を済ませてしまう。もちろん、最後の一礼は深く長く願いを込めた。
――万事うまくいきますように、と。
そんなあまりにも漠然としている願いだったが、今の俺にできる最善の言語化はこれしかなかった。正直、まだ人類存続審判とやらに巻き込まれている現実を受け入れきれていない。だからこそ現状はこれしか言いようがない。この神社には一体何の神様が鎮座しているのかはわからないが、よろしく頼んだぜ。
「シノは何をお願いしたんだ?」
俺が瞼を開くタイミングを狙って、雨夜がニヤけ面で覗き込んできた。雨夜はニコニコ笑顔を作っているつもりなんだろうが、俺の目にはおちょくりの色が色濃く見えていた。
「雨夜から先に言えよ」
驚く程漠然とした願いしか唱えていなかったくせに、自己開示を求められると気恥ずかしさが颯爽と現れやがる。
「オレはねえ……秘密」
「はあ?」
人差し指を口元にあててバチリとウインクをかまされるとくれば、思わず心の底から何を言っているんだコイツが出てきて然るべきだと思わないか。
「なら俺も秘密だな」
「え、シノ、ひっどーい」
俺にだって秘匿する権利を所有しているわけだから、雨夜の反応がそれなら俺も同様に権利を行使するぜ。
それからしばらくの間、雨夜は俺が秘匿した願いをあの手この手で聞き出そうと躍起になっていた。疲れたとぼやいていた雨夜のどこにそんなエネルギーがまだ残っていたのかと不思議でならない。そこまで必死になる雨夜の願いが何であるのか次第に興味が湧いてきた俺だけれど、どうせならこのまま秘密にしているのも悪くはない。
無事お参りを済ませて始発点へと戻ってきた。雨夜はまだ何か言いたそうにしていたが、パタリと口を閉じたところからするにようやく諦めてくれたようだ。雨夜はじゃあなと言って手を振りながら自転車に跨る。家路につく雨夜の背を見送ってから、俺は駅への道のりを歩き出した。




