05 陳情書(ラカンside)
「レティシアはまだ戻らないのか?」
王宮から伯爵家へレティシアが離れてから、もう1週間が過ぎた。
彼女が戻らないせいで夜会の件は、まだ誘えていない。
彼女用のドレスだけでも先に用意しておこうかと思ったが、今の彼女の正確なサイズなど把握していないので、やはり本人が居ないと。
第三王子と言えど、回ってくる政務がある。
正式な婚約者の居ない僕は、この政務を手伝って貰う相手が居ない。
取り扱うのに、ある程度の権限・立場が必要になるからだ。
王太子ではない、第二王子である兄上は婚約者と共に王子の政務を処理している。
……僕も早々に婚約者を決めれば良かったのだけど。
レティシアが王宮に来てから、そろそろ3年。
彼女はそもそも王宮魔術師団に入団する形で保護された。
彼女自身の魔法が研究対象だったし。
【黄金魔法】についての諸々の調査が進み、彼女自身には空き時間が生まれた。
その空き時間で、レティシアは魔法についてや領地経営について王宮の図書室で勉強に励んでいた。
そんな彼女を僕の活動の為に引っ張り出した。
あくまで慈善活動の協力者としてだ。
僕とレティシアの間には、上司と部下の関係はなかった。
もちろん婚約者でもなく、恋人でもない。
王子と伯爵令嬢、王宮で働く者同士程度の距離感。
……いつから彼女に惹かれるようになったか。
最初からではない、と思う。
美しい金の髪の令嬢と言っても、その髪は僕も持っているものだ。
だから強く惹かれる要素にはならなかった。
レティシアが気になったのは、やはり慈善活動先で市民達へ微笑みを向けている姿を見てからか。
献身的なその姿、その心に惹かれていったと思う。
「はぁ……」
夜会に誘うついでに、そろそろ婚約を申し込もうか?
いや、それとも先にカーン伯爵に、か?
レティシアは伯爵家の一人娘だ。
必然的にだが、嫁入りというよりは婿となる者を探したいのが本音だろう。
他の血縁から後継を引っ張ってくるのも出来ない家門だと思う。
探せば居るかもしれないが……。
元より王家の血が入っているカーン伯爵家に王子が婿入りする事は、問題にはならない。
僕を推薦する派閥もないからね。
しかしカーン伯爵領は、閉山に伴う領地経営の失敗で降爵も考えられている家だ。
そんな家に婿入りするというのも……。
僕は、陛下や兄上のご意向次第ではあるが、臣籍降下して公爵を賜る予定の身だ。
レティシアだって、貧乏伯爵家を継ぐよりは、公爵夫人になれた方が嬉しいんじゃないか?
そうなるとカーン伯爵家は……。
「とと、ふぅ……」
脱線、いや思考が行き過ぎたな。
まずダンスパーティーのある夜会への誘いだ。
参加の為には彼女にドレスを贈らないといけない。
慈善活動に対する資金難で頼っているというのに、王子の品格維持費は別に予算を組まれているのが現状。
……兄上から、組まれた予算は、たとえどのような善行の為であれ、別の用途に使ってはならないと厳しく言われている。
必要だから予算は細かく分けられているのだと。
自らに与えられた資金だからと、平気で別の用途に使う事を覚えれば、いずれ横領に手を染めてしまうから、らしい。
理解は出来るが何とも……といった話だ。
気持ちの面でね。
まぁ、僕自身の品格を保たなければ王族全体が軽んじられるかもしれない。
必要なことだと理解している。
レティシアのドレスを作るなら、その僕用の品格維持費の予算からになるだろう。
婚約が正式に決まれば僕にも、婚約者用の品格維持費が宛てがわれることになる。
「ああ、そもそも……」
婚約を申し込むにも陛下、父上の意向を聞いてみないといけないんだ。
いくら気軽な第三王子でも国内・国外の情勢の影響があるから。
あまりに勢力の強い家門の婚約者を迎えたら、妙な争いを起こしかねない。
まぁ、そういう家の令嬢は、既に王太子である兄上の婚約者となって、仲睦まじい関係を築いているのだけど。
「…………」
カーン伯爵家の領地経営が上手くいっていないなら、いっそのこと伯爵家の土地を王家の所有にしてから、領民には僕の得る王領、公爵領に移り住んで貰う、というのはどうだろう?
僕は公爵になり、レティシアは公爵夫人になる。
伯爵夫妻やカーン領民は丸ごと公爵領で抱え込んで……。
「ラカン殿下。陳情書が届いておりますよ」
「ああ、ヴァリス。陳情書?」
「はい。殿下が手を付けている貧民地区の者達からですね。
先頃、ラカン殿下が新たな地区への出資を検討して動いていましたが……それを耳聡く聞きつけた者が居るようで」
「ふむ?」
僕が初め担当していた地区の慈善活動は滞りなく進んでいた。
もちろんレティシアの協力あってこその成果だけど。
彼女が療養期間に入る前に頼んだ黄金は、実は新たな地区への出資計画の為だった。
レティシアの協力があれば、より多くの貧しい民を救えると思い、手を出した事だ。
僕は陳情書に目を通す。
「ふむ……。どうも最初の担当地区の者達が不安に思い始めているみたいだな」
「そうですね。まだ自らの手で立ち上がるまでには至らない者も多い場所です。
王族から手を付け始めた以上、半端なところで投げ出すつもりなのかと思われては困りますよ」
「それもそうだな……」
貧民地区の支援活動は、こうして他の地域も絡んでくると難しい。
『どうしてあいつらばかりが良い思いをするんだ』と、僕の手が届かなかった者達に言われては、助けた彼らに害意まで向いてしまう。
だからこそ、文句を言わせない為の王族の名による活動でもあるワケだけど……。
今回は内側からの陳情。
つまり僕が手を差し伸べた側からの話だ。
今の状態で支援を投げ出されてしまうのか、という話が来ている。
不安にさせてしまった様子だな。
……兄上達とも連携して、彼らへの職業斡旋は進めているのだけどな。
「ん?」
陳情書の中に、気になるものを見つけた。
『カーン令嬢はいらっしゃらないのか』と。
「名指しとは……」
協力者であり、率先して手伝ってくれたレティシアだが、もちろん僕と彼女だけが貧民地区で活動したワケではない。
他にも人員は居たのだが、なぜ名指し。
もしや若い男だろうかと思ったが……貧民地区の孤児を集めた家の者?
孤児院と言うには厳しい。
ただ、空き家に孤児が集まって、面倒を見れる者が見ている現状だった場所。
貧民地区の支援では、まず全体の支援を行って、各自の事情に沿った支援は次の段階だった。
家の建て直しとまではいかないが、家屋の修繕や備品の搬入などをさせて、子供が生活していきやすい環境を整えた筈……。
「どう思う? ヴァリス」
「はい」
側近のヴァリスに陳情書を見せる。
「……ああ。仮孤児院の者からですね。
子供達にカーン嬢は好かれていたようですから。
たぶん、幼い子供達が彼女に会いたいと訴えているのでしょう」
「そうか。……ふむ。陳情書ではなく、子供達からの手紙などは預かっていないか?」
「いえ、王宮には届いていませんが……」
「では、件の仮孤児院の視察と共にレティシアへの手紙を書いて貰うとしよう」
「はぁ……?」
子供達から求められていると知れば、レティシアも多少は無理をしてでも戻ってくるだろう。
僕はそう考えたのだった。




