番外編 第3話 美宇の知識
美宇の記憶力は凄まじい。
しかし、その弊害がないわけではない。
例えばパーティゲームの神経衰弱。本人の意識に関わらず、同じトランプを何度か使っているだけで裏面から表の数字を把握してしまう。パーティゲームでこれはないだろう。
この事例のポイントは、本人の意思に関わらず、見てしまえば記憶されてしまうということだ。そしてそれは聴覚にも同じことが言えるらしい。
将棋をしている最中にテレビを流しておけば、本人の意識としては聞こえてなかろうと、音が耳に届いてる限り、内容はすべて記憶される。
と、いうことでこうなった。
「ぅ~」
声にならない呻き声を上げている美宇は、今俺の目の前に、というより懐にいる。
座り込んだ美宇を、後ろから抱きつくような形で俺が座っているといえば分かるだろうか?
そして、将棋盤はその前にある。
こうなった理由は簡単だ。美宇が使おうとしている居飛車は様々な戦法に対して有利な対抗系を作って戦う戦法である。よってその対抗系たる最適解を美宇に教え込む必要があるのだが、教え込みたい手の数は最低でも10万手。もちろん、意味まで説明していたら時間が足りないので、あくまで棋譜だけだ。
ただ、棋譜だけでも1時間で美宇に呟ける棋譜は1000手程度。そして、それを何時間もやるのだとしたら流石に俺も喉がやられる。演算能力を使用し、完全な滑舌や、最小限の体力で済むとはいえ、消耗しないわけではない。ならばこそ、出す声は小さい方がよく、声を小さくするなら美宇の耳と俺の口の距離は最小限であるべきだ。
だから、俺の口は美宇の耳元をロックオンしている。
「んじゃ、いくぞ」
俺は演算能力で棋譜を声として出力する。
「ゴキゲン中飛車片美濃3ニ金型、7六歩3四歩2六歩5四歩――――」
「~~~~っ!」
耳元で囁く声や息使いがくすぐったいのか、美宇は悶ながら将棋盤に手を伸ばす。
美宇にとって、将棋の棋譜を覚えることに集中する必要はない。むしろ勝手に覚えてしまうのだから暇でさえある……はずだ。だから同時に俺と将棋をする事もできる。
「~~~~」
腰をクネらせて涙目なその姿からは、そんな余裕があるように見えないけど。
「っ!」
……美宇が固まった。
どうやらこちらの唇が美宇の耳に触れてしまったのを気にしたらしい。
これは美宇がくねくねしていたからであって、わざとではない。
美宇も分かっているから、こそばゆいのを我慢し始めたのだろう。
美宇が居飛車を使うことを決めた日から、だいたいこんな毎日が始まった。
幼稚園から帰ってから5時間程、一時間1000手なので、一日5000手。最低でも10万手は記憶してほしいので20日はこの状態を続ける予定だ。……まぁ、なんだかんだ理由をつけてやめる気はないけどね。
記憶する手は多いほどいいし、俺も楽しいし。
「…………ばかぁ」
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「としょかんー!」
美宇は図書館を見上げて指をさした。
今生初めての図書館だ。
目的はもちろん将棋の棋書。
「美宇、お母さんは図書館カード作ってるから、静かにねー」
「うんー!」
美宇と俺は将棋の本を探し、子供用広場に持っていく。
「読むのにどれくらいかかりそう?」
「んー……おぼえるだけならー1冊5分?」
「……うん?」
そう言って美宇は本を広げ、1ページ1秒ほどで捲っていく。
これで300ページなら300秒で5分か。
「美宇、読んでる?」
「んー、みてるー」
どうやら美宇にとって本とは読むものではなく見るものらしい。まぁ、家では普通に読んでいるので、頭の中で写真のように記憶し、その後頭の中にある本を、家でゆっくり読むのだろう。
これなら図書館に何度も来る必要はない。
そして、俺もそこに加わった。
一度でも見れば演算能力で脳に文字を出力できる。後で美宇と話が合わなくなるのは嫌だからな。知識は共有せねば。
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「ねー、お嬢ちゃん。読めないなら読んであげようか?」
私は、図書館の子供ルームでペラペラと将棋の本をめくり続けている子供に声を掛けた。
5、6歳ほどの男女が漢字だらけの将棋の本を読めるわけがない。多分駒の図だけ見て、暇をつぶしてるんでしょうね。
「よめるからいいー」
「……そー?
じゃあ、ここはなんて書いてある?」
私は漢字が並んでるところを指さした。
ちょっと意地悪だったかな?
「四間飛車に対する有名な急戦作として、棒銀、4六銀左急戦、4五歩早仕掛け、などが有名であるが――」
……あれれ?
この子、漢字読めるの?
もしかして体躯の割に小学生高学年とかだったり?
「で、でもそんなに早く捲っても読めないでしょ?
なにか探してる項目でもあるのかな?」
私は息子、娘が両方将棋にハマっている事もあって、この本は読み聞かせさせられた覚えがある。目次と合わせれば内容を紹介することも
「だいじょうぶー。
ぜんぶ見えてるー」
「………………じゃあ、この本に載ってる三間飛車に対する居飛車急戦で7三桂跳ねに対する定跡は?」
「…………」
言ってから気づいたけれど、これ私かなり嫌な人では?
全部見えてる、なんてわけの分からない返事されて、気づいたら5才児を問い詰めてしまっていた。
「32ページだよ」
「ぇ?」
「あー、8八飛だー」
……ぇ?
隣のこの男の子、この本のページ数まで覚えてるの? というかこの女の子、見えてるって、全部覚えてるってこと!?
「よ、よく覚えてるわね。あなたはこの本を何度も見てるの?」
「今覚えたんです」
「ぇ?」
「この本は、今美宇がペラペラ捲ってるのをここで見たのが初めてです」
なにそれ。
幼児は記憶力がいいと言うけれど、そんな次元じゃないでしょ。
「弦くんすごいー!」
「ハッハッハ。
…………久しぶりだなぁ」
こういう子が、プロになるのかしらねぇ。
美宇ちゃんと弦くん。
今のうちにサインもらっとこうかしら。
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「美宇、図書館はどうだった?」
「ご本がいっぱいあったー」
「よかったね~」
帰りの車の中、美宇が母親と5才児っぽい会話をしていた。
「つぎは違う図書館がいいー」
「えー?」
「全部見たー」
「えぇ?
……あー、覚えたのね」
「うんー」
「読んだ?」
「みただけー」
「……歩きながら読まないでね?」
「うんー!」
歩きながら頭の中の本を読むのは危ないわな。
こうして美宇は毎週違う図書館に連れられ、棋書の記憶を増やしていく。
それにしても、あのお姉さん。初めはちょっと意地悪な人かと思ったけど、次から次へと将棋の本を運んでくれて、すごくいい人だったなぁ。あの人がいなかったら一日で全部は見れなかったかも。
名札には鈴木玲子さんって書いてあったっけ。他の図書館でもあんな人がいるといいな。




