第6話 美宇の15分将棋
「美宇、今日はネットで15分将棋やろうか」
「大会のれんしゅうー?」
「そうだ」
指定局面戦を初めて3ヶ月。美宇は俺に初めて勝利した。ミスがなければ勝てる局面で、何度も似たような局面を戦っていて、持ち時間無限で結果として3時間消費していて、3ヶ月かかっているとはいえ、一度ミスをすれば終わりの将棋を指しきったのは一つの区切りとしてちょうどいい。
大会まで後9ヶ月。
15分30秒の将棋に慣らし始めるのにいいタイミングだ。それに、目標であるアマ二段との差を知るのもいいだろう。
美宇は大会優勝へのモチベーションが高いみたいだし。
「わかったー」
パソコンの前に座る美宇に、後ろからハグするような形で俺も座る。ここ3ヶ月での定位置だな。
「きょうも棋譜ながすのー?」
流すって、俺の口はラジオか何かか。
「いや、時間制限付きだからな。今日はなしだ」
俺との対局なら、集中力が落ちても考える時間が伸びるくらいで済むだろうが、持ち時間15分でそれは致命的だろう。
「…………」
美宇は一度口を開いて、何も言わずに俯いた。
若干頬が赤みを帯びている。
つまり、俺が定位置、もとい後ろから引っ付くような形で座る必要がなくなるんだよなぁ。指摘されるかと思ったが、美宇は指摘しないことにしたようだ。
可愛い。
「20しょうぎー!」
美宇は誤魔化すように声を上げる。
拙い動きでマウスを動かし、お気に入り欄から20将棋を開いた。
「しんきとうろく-?」
「だな」
俺のIDはもう誰ともレート戦できないし。美宇用のIDを作って、目標であるアマ二段相当の階級で登録してもらう。これで実力差が分かるだろうし、自身より一定以上弱い所に登録したらBANのルールが適応されるということもないだろう。
「IDめぇー、みうー!」
「あー」
止める間もなく美宇が決定を押す。まぁ、アマ有段くらいなら登録者結構いるし、特定はされんだろう。……女流棋士になったらわからんが。
「むぅ?」
「そっか。被るか」
当然といえば当然だな。美宇、もといmiuなんて三文字じゃ、被らないほうが不思議だ。
「じゃーみうみうー!」
「……それで通るのか」
ID:miumiuで通ったらしい。被りそうなものだけどな。
「かいきゅうー」
「20将棋の2級~1級が、アマ二段相当らしいぞ」
20将棋公式ページにレート1400~1599が道場二段相当だと書いてあった。……道場ってなんだ?
ちなみに、俺が最初に戦ったレート2570はプロクラスだとか。ちらっと覗いた某掲示板ではレート3100超えのme-sinは誰だと話題にもなっている。本名で登録しなくてよかったな。思考時間の有無でいつかバレそうだけど。
「できたー」
「んじゃ、申し込もうか」
レート1500前後の相手に美宇は申し込んでいく。美宇は1級で登録したので現レートは1500だ。
「きたー!」
「がんばれ」
対戦相手はレート1510。初の15分30秒戦だし、負けるだろうな。一通り定跡を咎める方法を教えたとはいえ、中盤以降はまだまだ最善手を選ぶまで時間がかかる。最善手が見えない局面もあるし。
美宇の実力がどれくらいかは分からないが、既に二段を超えているってことはないだろう。まだ将棋をはじめて3ヶ月ちょいだしな。
「ごてー」
相手が先手、美宇が後手か。
先手のほうが好きな局面に誘導しやすいが、美宇は相手に合わせた対抗系を使うだけ、しかも想定内である限り相手の序盤を咎める棋譜を知っているので、美宇が後手を特別不得手とすることはないだろう。
たぶん。
7六歩、3四歩、6六歩、8五歩、7八飛。
「さんけんびしゃー」
「だな」
現時点、西暦2000年に於ける三間飛車の評価は高い。特に、俺が調べた限りでは三間飛車穴熊は対抗系であるはずの居飛車穴熊を僅かに上回ると見られているらしい。ただ、振り飛車穴熊に対する居飛車穴熊は最近プロの間で研究が進んできた戦法なので、これからひっくり返る可能性は十分にある。
8五歩、7七角、4ニ玉、4八玉、3ニ玉、3八玉、6ニ銀、2八玉、3三角、1八香。
「あなぐまー!」
「来たな」
2ニ玉、1九玉、1ニ香、2八銀、1一玉、6八銀、2ニ銀、5六歩、5四歩、5七銀、5三銀、5九金、4四銀、4八金。
ここまで定跡通りだ。この後も従来の手順通り進むなら、
3一金、3九金、5一金、3八金、4一金、4六銀、3ニ金、3六歩で、
お互いの囲いを完成させる。
ここで居飛車側は4ニ角と仕掛けるのが定跡手順だ。
この仕掛の意味は単純で、8六歩からの8筋の突破を目指すものだ。
もし1六歩などして放って置くと、8六歩、同歩、同角、
これを同角で取れない。
取ってしまうと、同角、同飛で
これはもう8筋が受からない。
よって、
この場面は8八飛が手筋。
ここで7七角成では8ニ飛と飛車が素抜かれてしまう。
よって8五歩と角を支える一手だ。
この支えられた角は取る事ができない。例えば8六角と取ってしまうと、
8六角、同歩で
これはやはり8筋が受からない。
だからと言って、
ここで8七歩と打つのも成立しない。後手が4ニ角と引けば後手が一手損するだけだが、ここでは7七角成が成立する。
7七角成、同桂、5九角だ。
これは次の7七角成、もしくは8筋がどうやっても受からない。だからこれは後手勝ち。だからといって放って置いても、結局後手から7七角成、同桂、5九角の筋は消えないので攻めあっても後手の攻めのほうが早い。
だから、4ニ角には8八飛と受けるのが正着、というのが今の結論らしい。
今の、というのはプロの結論は時間と共に次々と変わっていくからだ。特に三間飛車対居飛車の持久戦でよく出てくるこの局面は数年以内に公式戦からなくなってもおかしくない。
そして、この時代に置いてこの局面は三間飛車僅かに有利とされている。
しかし、演算能力はこの局面を後手勝ちと言っていた。
そも有利と言われている理由が僅かに三間飛車側のほうが勝率が良いからというものであり、結論が出ているわけではない。結論が出ると指されなくなるから当然といえば当然だが。
「とまったー」
そして、美宇の将棋も定跡を辿り、この局面までやって来た。
そこで美宇の指した手が、8四飛だ。
これが定跡を外れた一手。
だから先手も手を止めたのだろう。
定石通りなら8四飛に変えて7四歩、5九角、7五歩、同歩、7ニ飛、7八飛、7五飛、同飛、同角、4八角で
こんな局面が出来上がる。この後はお互いに竜を作って、一気に終盤戦に突入。どちらの玉が先に詰むかという戦いになるので、そのうちこの局面に結論が出るのは間違いないだろう。ちなみに演算能力の結論は先手勝ち。よって、後手の7四歩から始まる攻めは演算能力に全否定されている。
故に美宇は
この局面で7四歩を変えて、8四飛と上がったのだ。
もちろんこの先の局面も幾度となく指定局面戦を重ねているし、開戦までの棋譜も美宇は記憶している。先手がこの展開を経験したことがないなら、15分将棋ではこの作戦そのものもアドバンテージになることだろう。
「うん」
相手は一分ほど考えて5九角。
先程の8四飛は次に7四飛と回って7六の歩を狙ったものなので、そこを受けつつ、4八、3七、2六に角を配置できるようにした味のいい一着だ。7四歩と突かれたときと同じ対応であり、それが正着である。
対して美宇はノータイムで7四飛と回る。
角が引いたので7筋は7八飛で受かる。だが、美宇の狙いは一度7八飛と回らせることにあった。先手は飛車のいなくなった8筋から突破できれば話は早いが、自身の8七歩が邪魔で7六飛から7筋を突破される方が早い。
よって7八飛に2四角。
まだ開戦前で美宇の覚えた棋譜を外れていないためノータイムだ。対して先手は長考に入る。ここは先手非常に手が広い盤面。今の所形勢はほぼ互角。演算能力は後手勝ちというが、一手違えば逆転するくらいの小さな差だ。
だから、先手がここで時間を使うのは間違っていない。
しかし、ここで使いすぎれば穴熊を崩す時間がなくなる。
どこで思考を切り上げて指し手を選ぶか、時間の使い方から何を選ぶかまで好みの出そうな局面だ。
さて、まずこの局面で思いつくのは2六角だろう。
この手の意味は単純で、3五の銀交換を防いだ手だ。しかし、これをされると先手も後手も手が殆ど無くなる。具体的には6四飛、6八飛、7四飛、7八飛、6四飛で千日手になるパターンだ。これを先手から打開するのは難しい。6四飛の瞬間に4八角とするしかないが、これでは一手損だ。先手から6八飛の瞬間に後手から4五銀と打開して僅かな差で後手勝ちと演算能力は言うが、
これでは先に5三角成と馬を作られて後手相当怖い形だ。後手から千日手を打開してまで進みたい局面ではないだろう。……それでも、千日手に入れば美宇は打開するつもりでいる。自身に僅かでも有利な局面だと知っていれば、後手だろうが指しにくかろうが千日手に入ることはない。俺の演算能力を信じているというのもあるだろうが、そうでなければ俺に追いつくことは出来ないと思っているらしい。
ただ、先手からしたら自身が有利になると思っている先手三間飛車穴熊で千日手の手順が見えていればこの手順には入らないだろう。
よって何か捻った一手を指してくるはずだ。
「おー」
五分の長考の後、放たれた一手は4八角。
美宇が感心するほど、この一手の意味は深い。
まず、3五歩、同歩、同銀、同銀、同角と3筋の銀交換をした際、
次の5七角成とする手を防いだ意味がある。もし、4八角がなければこの銀交換の際に5七の地点を受けなくてはならなくなり、次の6七銀打ちが受からない格好となってしまう。だが、この展開ならば、6七銀は間に合わない。
なぜなら、7五歩、6四飛、7四歩で
これを同歩と取れば6五銀打ちで飛車が死ぬ。だからといって同飛、同飛車ではやはり6七銀打ちが消えるし、これはもう先手のほうが攻めが早くなっている。ただし、4八角と動かした結果、7四歩を無視して5七銀という手が現れたが、
これには1五角という返し技がある。
角成を受けては結局飛車が取られる。よって6六銀不成で歩を払うのが最高の好手。
もしこれを変えて6六飛では返し技があるからだ。
それが
この7五飛。
角を狙いつつ、飛車の活用をはかる一手。この角は引くしかないが、この後攻めに使うのは難しく、これは分かりやすく先手勝ち。
だが、
この6六銀不成は先手の飛車の活用を防ぎつつ、飛車角銀で相手の穴熊に攻め掛かる手でありながら、なんと演算能力は先手勝ちを示している。長く長く読んでいけば、どう転んでも先手は後手の攻撃をいなしつつ、後手玉を寄せることができるのだ。
ちなみに美宇との指定局面戦では、
この局面から始まって
この局面に到達。その後、攻め合い負けした美宇はどこで悪くなったかも分からず、呆然としながら眼を潤ませていたこと覚えている。アレはアレで可愛かったなぁ。
一応言っておくと、美宇が悪くなった場面は同銀と取ったところだ。
ここを同銀ではなく、8六歩と突くべきだった。
ある意味6六銀不成まで読んでいるからこそ、美宇は同歩に同銀と取ったとも言える。先を具体的に読めず、銀交換すると飛車が危なそうだから8筋の歩を捨てて置こう、と思えば、このタイミングで歩を捨てる者もいるだろう。
この後は、同歩、3五銀、同銀、同角と進み、
同じように7五歩なら8四飛が成立する。
どこかで見たような飛車回りだが、今回は飛車を8筋に回して受けることは出来ない。7九角成が入ってしまうからだ。
よって、7四歩と前と同じように歩を捨てに行くが、ここで無視して8六飛が早い。
これを受けずに7三歩成では8九飛成が飛車と香車に当たって駒損が酷い上に速度負けでこれは後手勝ち。
8八歩で受けても、7四歩、同飛ではやはり8八飛成から後手のほうが早い。
後手は最低でも桂を拾えるので攻めが切れることはないが、先手は7ニ飛車成では桂が拾えないのがキツイ。8三歩と遮断すればただでさえ速度が遅いのに、更に差が広がる。しかも先手は歩が一枚になるので小技も聞かない。当然これも後手勝ち。
よって、3五歩、同歩に8六歩と突き捨てておけば後手勝ち。同銀と取ってしまったことで、俺と美宇の指定局面戦は俺勝ちになったということだ。
ちなみに、8六歩の突き捨てを入れずに7五歩に8四飛は成立しない。
なぜなら、8四飛に7四歩で、
同飛も5七銀も先程と同じく先手が早いので、同歩と取るが、ここで6五歩がぴったりなのだ。
飛車を活用しようと思うなら、8三か8ニに逃げるしか無いが、8ニ飛には3七角で受けが難しい。
下手な所に飛車が躱せば9一角成で酷いし、9ニ飛車では飛車が使えなくるのでこれはもう逆転してる。だから7三銀打ちくらいだが、これには7四飛がある。
同銀、8ニ角成では、先に後手が6九飛と飛車を打ち下ろせるものの、
後手は7四銀が遊び駒になるので結局先手のほうが攻めが早い。7四飛に同銀と取らない手もあるが、結局7三に打った銀が遊ぶのに変わりないのでこれもやはり先手勝ち。
つまり、後手が勝つにはあのタイミングで8六歩の突き捨てを入れるしか無い。
そんな経験を持つ美宇は迷うことなく3五歩だ。
再びノータイムで放たれた手を見て、読み筋だと思ったか、研究範囲と思われたか、先手はここで7五歩と突いた。
やはり先手は銀交換を不利だと見てるのだろう。続いて8四飛、7四歩。
先程考えていた通りか、お互いノータイムで進んでいく。
この7四歩は同歩と取ると、6五歩と角道を通されて、先に説明した手順にて後手負けだ。一見同飛ととっても、先に説明した理由で後手負けになりそうな盤面だが、それは違う。この場合は3五歩が入っているだけで話が変わってくるのだ。
美宇は迷わず同飛、同飛、同歩、7一飛に、3六歩。
飛車を打ち下ろさず、強く3六歩が先手の飛車による攻めより早い好手だ。このあたりは指定局面戦の後の感想戦で説明している範囲なので美宇も迷わない。ただ、問題はこの先だ。この後は後手も飛車を打ち下ろして桂馬を補充しつつ、3六歩と、3六歩で開いた角道、飛車の横効き、手に入れた桂と先手が切れた歩の連携で攻めていくわけだが、いくら先手より早いと分かっていてもお互いに穴熊。此処から先はまだまだ長く続くし、複雑な局面にもなっていく。
時間無制限であればこういった典型的な形は美宇の得意とする所だ。記憶にある無数の手筋がそのまま適用できるし、その全てを虱潰しに組み合わせて行くだけで、最善手を導けることだろう。穴熊の場合は手数が長くなるゆえに正確な読みを入れようとすれば、頭の中でどれだけ正確に将棋盤が動かせるかが問われるが、美宇に限ってそこを間違うことはないし、いくらでも読みは深められる。
しかし、この将棋は持ち時間15分。読める深さも広さも限られる。そこをどうやって省略し、どの場面を自身の勝利だと判断するか、そのあたりが勝負を決めそうだ。
よくある方法としては、強引にでも受けなしの形を作る無理攻めをするという手段がある。一手間違えれば相手の玉が死ぬ無理攻めは相手の持ち時間を削り、反撃のための思考時間を奪う。しかも受けなしにする攻めならカウンターを決められなければ、正確に受け続けても攻め潰せる二段構えだ。……もちろん、完璧に受け、完璧なタイミングでカウンターを決められれば負けるのが無理攻めの常だけれど。
ただ、有利な側の美宇が、その手を使うことは恐らく無い。
時間を計算に入れた形を取るのがどうこうという話ではなく、俺ならそんなことはしないし、そんな手は俺には通じない。だから美宇はしないだろう。俺を目指すと決めた美宇は。
……読み落としでそうなることはあるかもしれんがな。




