最終話
この10日間で、ぼくはいろんなことに遭遇しすぎた。
どこがプロローグなのかもわからない。
エピローグはしばらく訪れそうもない。
先週の火曜日に「リーンカーネーション」の役決めをした。
その日に部活を早退した皆川絵美が、横山の毒牙にかかって、成人向け雑誌のモデルにされそうになった。
水曜日、日本史の授業で安政の大獄の話を聴いて、ぼくは「そんなことねーだろ!」と叫んだ。
その直後に横山は皆川を指名して、桜田門外の変の箇所を音読させた。
皆川の声が震えているのを聴きながら、横山の嗜虐心はさぞ満足したことだろう。
その日から、皆川は部活に来なくなった。
木曜日、皆川はぼくと川島匠と神島に暗号入りの退部届を渡して、学校を早退した。
翌日から、皆川は学校に来なくなり「リーンカーネーション」の大船みゆき役は皆川から和田美保に交代した。
日曜日、澪さんの家を訪れたぼくと桜井友恵は、澪さんがじつは井伊直弼であるという告白を聴いた。
だがそれはウソで、澪さんは長野主膳、友恵は村山たかという、少なくとも幕末から生き延びている人物だった。
そしてぼくは井伊直弼の生まれ変わりだと言われた。
どこまでがリアルで、どこからが虚構なのかが、よくわからなくなってきていた。
部活の帰り道、ぼくはいつものように片耳にイヤホンをつけながら、みんなと藤沢駅まで歩いていた。
とくに今日は疲れた。
朝9時半からフル回転しまくった。
「鳥居先輩、大丈夫ですか?」
魂が抜けているぼくを気づかってくれたのは、和田美保だった。
「うん。大丈夫じゃない」
「先輩は野球が好きなんですね」
「え?」
美保の変化球に、ぼくはハーフスイングのような中途半端な「え?」しか出せなかった。
「だって、先輩がいつも帰り道に片耳で聴いているのって、ラジオの野球中継でしょ? 最近はアプリでラジオも聴けますもんね」
「ワダちゃん、なんで俺が野球聴いてるって知ってるの?」
「私、たまに部活が終わって親に車で迎えに来てもらうじゃないですか。その時、いつもラジオの野球中継がかかってるんです。この前、誰かがホームランを打った時にアナウンサーが『ホームランプレゼントの1万円は神奈川県のトリイヒデキさんが当選しました』って言ってたんです。あれ、鳥居先輩ですよね」
そうか、応募していたホームランプレゼントで1万円が当たったのか。
おめでとう。トリイヒデキさん。
自分の名前にさえ現実感が失われていく感じだった。
「これからの部活の運営方法を私なりに考えてみたんですけど、今日は先輩、疲れてるみたいなんで、また明日話しますね」
「うん」
「先輩、セリフは覚えましたか?」
「だんだん、ね」
ぼくは視線も定まらないほど虚ろに歩いているのだが、美保は元気いっぱいだ。
「今から、別れの儀式のシーンの練習、しませんか?」
「はい?」
「今回の公演で、唯一2人だけのシーンが別れの儀式じゃないですか。なんだかんだでその場面の練習できてないから、歩きながら、セリフだけでも練習しませんか」
藤沢駅までたどり着けるかも怪しいぼくの足取りを無視して、美保は別れの儀式のシーンを練習しようと繰り返した。
「この砂浜、何度も来たね」
とうとう美保は大船みゆきのセリフをしゃべり始めた。
「そうだな」
藤沢一成のセリフが頭に入っているかどうかは、怪しかった。
「ロケット花火投げて遊んでたら、カズ、振りかぶった時にパーカーのフードに火が移って、人間ロケット花火になりそうだったよね」
「それ、言わない約束」
「夜の真っ暗な砂浜になんか転がってて、死体が打ち上がってるって叫んだら、カズは私を置いて逃げちゃったよね」
「そんなことあったっけ」
「あれさあ、最初、真っ黒く見えてなんだかわからなかったけど、人じゃなくてね。よく見てみたらビックリしたんだよ」
「なんだったの?」
「サメの死体」
「人間より怖いだろそれ!」
(石井先輩が映画「ジョーズ」のテーマを冒頭だけ流す「デーデッ」)
「楽しかったね」
「なんかひどい思い出しか思い出されてないけどな」
「で、今度は私がサメとおんなじ運命ですわ」
「笑えないから」
(「ジョーズ」)
「ジョーズいらないから!」
「でもさあ、こんな私を、ずっと大事にしてくれてありがとね」
「あ…うん」
「他の女の子とこの海岸に来て泳ぎ始めたら、サメに化けて食ってやるから」
「リアルすぎてこえーよ!」
「…」
「ってかジョーズの効果音こねーのかよ!」
「っていうのはウソ。もうさ、私との思い出に閉じこもるのは、ヤメにしなよ」
「みゆき…」
(「ジョーズ」のテーマ)
「ここじゃねーだろ!」
「どこ?」
「え? なんでもない。このへん、もうサメいないよね」
「カズ。私、マジメに話してるの」
「ごめん」
「で、このへんでまたジョーズのテーマきたらおもしろいね」
「聴こえてたんかい!」
「現実から目を背けるのはやめて」
「現実、か」
「うん。私はもういないから。だから、私のことは忘れて。でも、忘れないで」
「どういうこと?」
「カズの人生の途中に、私がいたことは事実だから、その記憶だけは忘れないでほしいな」
「忘れないよ」
(北鎌倉ヒロシ「あ、あそこにカップルいるぞ。ロケット花火投げてジャマしようぜ」本鵠沼タカシ「使用上の注意をよく読みましょう」北鎌倉「あれ?あそこになんか打ち上がってね?」本鵠沼「死体じゃね?」北鎌倉「えー!(ロケット花火を振りかぶってフードに着火)アッチ!」本鵠沼「ごめん、人じゃないみたい、ごめんごめん」北鎌倉「なんだよー。びっくりしたー」本鵠沼「なんだこれサメだわ。あ、このサメ生きてた!足食われた!てか全身飲み込まれた!」ここでジョーズのテーマ「デーデッデッデデッデデッデ」)
「約束だよ」
「ごめん今サメに食われる夢みてた」
「バカ。あ、流れ星!」
「なんて都合のいい流れ星なんだ」
「ねえ。お願いごとじゃなくて、別れの儀式しよっか」
「別れの儀式?」
「うん。カズが私を忘れるけど、記憶には残してくれて、新しい人生を踏み出せるように」
「なんか恥ずかしいな」
「マジメにサメに食われる役やるよりは恥ずかしくないでしょ」
「ん?」
「ぼく、藤沢一成と、からね」
「え?」
「はい、始め!」
「ぼく、藤沢一成と…なんか小学校の卒業式みたいだな」
「私、大船みゆきは」
「楽しかった」
「修学旅行」
「はい?」
「修学旅行の夜、2人で抜け出したの楽しかったね」
「そうか間違ってないのか…」
「マジメにやって」
「きょう、2人は別れるけれど」
「2人のキズナは、永遠です」
「何億分の1の確率かもしれないけれど」
「生まれ変わっても、またあなたに出会う」
「今はこんなに悲しくて」
「涙も枯れ果てて」
2人「でも、また、笑顔で出会う」
「みゆき、ありがとう」
「カズ、ありがと」
「ぼくはみゆきのことを忘れます」
「でも、いつでも記憶の引き出しから呼び出せる」
「人は、弱い…」
「おい」
赤田先輩の声が聴こえた。
「え?」
「もう藤沢駅。おまえら気持ち入りすぎ」
気がつけば、ぼくは涙をボロボロこぼしていた。
隣りで美保も泣いていた。
疲れて虚脱状態になったからこそ、藤沢一成の哀しみに触れ、全身全霊で彼を演じることができた。
「先輩。今の、かっこよかったです」
「ワダちゃんもすごくよかったと思う」
「できれば最後までやりたかったですね」
「それはまた明日、視聴覚室でやればいいよ」
「そうですよね」
美保の笑顔がまぶしかった。
もう、自分の前世が誰かとか、澪さんと友恵が江戸時代からずっと生きてるとか、ワイセツ教師の今後とか、すべてがどうでもよかった。
今、和田美保とふたりきりの世界を作れたことが、第一歩だった。
イッチーが「じゃあ解散しようか」とみんなを集める。
「きょうの部長からのヒトコト、お願いします!」
今までそんな慣例なかっただろ。とりあえず、なんか言って解散しよう。
「えっと、リーンカーネーションはあるかどうかわからないけれど、俺たちは生きている限り、毎日が一期一会の気持ちで人と接していこう。解散!」
「お疲れさまでした!」
さあ、帰ろう。ベッドに倒れこんで、ゆっくり眠ろう。
いつのまにか、桜井友恵が近寄ってきていた。
「『一期一会』は、千利休の心を継いだ井伊直弼が、茶道のいちばんの心得として1858年に『茶湯一会集』に書き著したことから広がった四字熟語なの」
「えっ? ええっ?」
(おわり)




