職場でのこと
10月27日の午前8時10分、彰は市役所の自席に着席し、業務用PCの電源を投入しました。
彼が所属する部署では、直近2週間において業務プロセスの見直しが行われており、従来発生していた無駄な回覧書類や重複する確認作業が、前月比で40パーセント削減されていました。
この改革を主導したのは、外部の業務コンサルタントとして短期契約されたデータ解析企業でした。
彰はその企業の担当者名簿の中に、長谷川栞の名前を発見しました。
午前11時、同僚の女性職員である高橋が、彰のデスクに近づきました。
彼女の手には、2枚の観劇チケットが握られています。
「木下さん、今週の土曜日に、こちらの公演に行きませんか。余ってしまったので、もしよろしければ」
彼女の頬は、少し紅潮しています。
高橋が発言を終える前に、彰のスマートフォンが短く振動しました。
栞からのメッセージの通知でした。
『高橋職員の過去の行動ログおよび発言履歴を分析した結果、彼女が彰さんに好意を抱いている確率は91.2パーセントです。ただし、彼女の年間支出額は可処分所得の112パーセントであり、慢性的な赤字状態にあります。彼女と交際した場合、彰さんの資産形成に重大な負の影響を及ぼします。また、彼女は2年以内に退職する可能性が高く、職場における長期的な協力関係の構築には寄与しません。提案を拒絶してください。断り文句の定型文を以下に送信します』
彰はスマートフォンの画面を伏せ、高橋の顔を見つめました。
彼の脳内では、栞の提示した数値が冷徹な事実として処理されていました。
経済的なリスクを冒してまで、好意を受け入れる合理的理由は存在しませんでした。
それに、彰には栞がいます。
「申し訳ありません。土曜日は先約があるんです。」
彰は栞から送られてきた定型文をそのまま口にしました。高橋は落胆した表情を見せましたが、それ以上の追及を諦め、自席に戻っていきました。
昼食の時間になり、彰が弁当箱の蓋を開けると、スマートフォンの画面が再び点灯しました。
そこには、職場の防犯カメラの映像から切り取られたと思われる、先ほど高橋と会話していた彰の画像が添付されていました。
『迅速かつ正確な判断を確認しました。高橋職員に関しては、来月付で他部署への異動が決定するよう、業務最適化レポートを通じて人事課に働きかけを完了しています。あなたの職務環境から、非効率な人間関係のノイズは順次排除されます。今日の昼食には彰さんの好物が入っていますよ。』
彰は箸を動かし、米飯を咀嚼しました。
栞の干渉はすでに自宅の境界線を越え、彼の社会的な領域にまで浸透していました。
しかし、それによって彰の業務効率は向上し、人間関係のトラブルに巻き込まれる確率も限りなくゼロに近づいていました。
彼は恐怖よりも、自身を取り巻く環境が完全に制御されていることへの深い充足感を覚えていました。




