11:生きていてくれて
今日に始まった話ではない。
彼に啖呵を切り、その過去を知り────再会するに至るまで。
グレイザーはソフィの瞳越しに、別人の影を視ている。
「話を聞いた時は、自分に似てるって思わなかったんですけど……もしかして、見た目とか?」
何故問うのか。それはひとえに、彼がどこか無理をしているように思えるからだ。
自他ともに厳しいグレイザー。しかし要所から溢れる気遣いに、彼の後悔のようなものが感じられる。
「もしわたしの存在が、グレイザーの柔らかい部分に刺さってるんだとしたら……ごめんなさい」
「自惚れるな。リアンのことなど、お前に関係無い」
「じゃあどうして、そんな辛そうな顔するんですか」
グレイザーは目を伏せる。ここで退いてはいけないと思った。
「グレイザー、話してくれませんか? それで心が軽くなるなら、わたしは何だって聞きます」
「…………オレは……」
外套の裾を握りながら、ソフィが懸命に待っていたその時。
「! 誰だッ!!」
グレイザーが目を剥く。通路の奥で、何かが割れる音がしたからだ。
彼はソフィを庇うように立ち塞がるが────
「ソフィ……?」
眼前に現れた人物に、ソフィネア・モリアデスは息が止まった。
「父……さん……?」
見紛うはずがない。例えどれほど見すぼらしく、かつての威厳が欠片も無くなっていても。
「ソフィ、生きていたのか」
「っ……!!」
それはこっちのセリフだ────言葉を飲み込み、魔法の構えを取る。
「知らない! あの日わたしを殺そうとした、父さんと母さんなんて……!!」
グレイザーもまた臨戦態勢だった。多くは没収されたようだが、まだ無数に武器を隠し持っているらしい。
「邪魔をするなら切り刻む。そこをどけ、モリアデス」
「……聞けない相談だ。こうして再び、娘に会えたのだから」
落とした料理皿を踏み越え、一歩ずつ近づいてくる父。
瘦せこけた頬と顔についた傷が、鮮明になっていく。
「やはりライの話を信じているんだな。ソフィ、あの日は」
「う、うるさいっ! 今更二人の言葉なんて、き、聞きたくない!!」
「……そうだろうね。我らはもう、取り返しのつかないことをしてしまった」
父は悲しげに告げると、ふと踵を返した。
「だが、もしお前が良ければ……来てほしい。妻もそこにいるんだ」
そのまま去っていく父。ソフィはグレイザーと顔を見合わせる。
「どうする。この距離なら殺害は容易だ」
「…………っ」
この先は通り道だ。もし両親が立ちはだかるのであれば、下さねばならないだろう。
(でも……)
彼の顔、声、足取り。それら全てが一切の敵意を感じさせない。もはや戦うことも忘れてしまったような、変わり果てた姿だった。
「ついていっても、良いですか」
ソフィは消え入るような声で。
「父さんと母さんが、待ってるって……わ、わたしは……」
「はっ。どうせ避けては通れん」
グレイザーは初めからわかっていたかのように、ぶっきらぼうに言った。
「手短に済ませろ」
歩くと一際大きなフロアに出た。縦や横幅だけでなく、天井も高い。地表との隙間からは日が差し込んでいる。
驚くべきことに、中心には建物があった。大きくは無いが、日々暮らすには申し分ない住居だ。小さな畑と水汲み場もある。
両親が並んで立っていたのは、玄関の前だった。
「ソフィ」
懐かしく忌まわしい母の声。ソフィはすぐに返事をすることができない。
以前より縮んだ二人。やはり、つぎはぎの衣服では隠せないほどに古傷だらけだ。
「おかえりなさい。また会えて、何よりだわ」
「母さん……」
「大きくなって、随分背も伸びた」
どの口が言っているのだろう。
ソフィは歯を食いしばり、精一杯の敵意を向ける。
「生きててどう思った? あの晩わたしを殺そうとしてたくせに……!」
「違う、ソフィ。改めて言うが、そのことは────」
「何が違うっていうんですか! しきたりなんか無ければ、いつだってわたしを捨てたいと思ってた! その決心がついただけだったんですよね……!」
「そうではない! 我らはお前を、跡継ぎから外そうとしていたんだ。断じて、殺そうとなどするものか!」
父の剣幕に少し圧される。眼力だけは昔と変わらない。
「しかし、もう手遅れだった。ライの言う通り、最初から『すべきこと』はわかっていたのだ。なのに世間体を気にして、お前達の……ソフィの気持ちと、ライが信じていたものを蔑ろにした」
「何を……何を、今更……!」
ペトレの事が思い起こされた。全てを見限っていた彼女が、母に抱かれて涙を流すのを見て、心から安堵したものだ。
しかし自分が似た状況に置かれると、彼女の気持ちが痛いほどわかる。
切に語る両親を見ても────喉に何かがつっかえて、言葉が出てこない。
「ライは言った。我らは二人を欺いたのだと。首領は最強でなければと無理な教育を施し。弱者に価値は無いと、歪んだ価値観を押し付けた。そして責任の取り方を間違えた我らは、あの子に糾弾され……全てを失ったのだ」
父はとても苦しそうだった。対する母は、涙すら浮かべている。
「八年経った今でも、私は反論が思い浮かばないわ。道を踏み外した……その結果、あのような怪物を生み出してしまった」
「ソフィ」
二人は居住まいを正す。同時に首を垂れ、弱々しい声で。
「すまなかった。お前の大切な時間を奪ってしまった事。心から悔やんでいる」
「う……う、っ……」
絶対に泣くものか。その一心で、ソフィは再び歯を食いしばる。
自分も抱き着くことができたなら、どれほど良かっただろう。こうも心の傷が深かったことを、改めて思い知る。
「黙って聞いていれば」
突然、無言だったグレイザーが一歩踏み出した。そのまま父の胸倉を掴む。
「毒にも薬もならん事ををぐちぐちと! お前ら家族は、本当に無駄話が好きだな!」
「ちょっ……! ぐ、グレイザー!!」
「昔話は不要だ! 戦士なら、謝罪なんぞ手早く済ませて状況を分析しろ!!」
低く吠えるような怒声にも、両親はあまり反応は見せなかったが、やはり打ちひしがれているように見えた。
「何故捕虜となったオレ達がここにいるか、考えたらわからねェか? 突っ立ってる暇があったら、こいつに食料でも渡してやれ!」
「……ああ、そうか」
母が得心したような顔で、初めて少し口角を上げた。
「今こそ。少しだけでも、報いる時なのね」
建物に招き入れられる。二人で小さなテーブルに座ると、大きなパンが運ばれてきた。
「すまない、野菜はもう切れていて」
これはきっと二人の食事だ。階下の捕虜と違い、何年もここで暮らしていながら、限界まで質素な暮らしを強いられているらしい。
「……良いの?」
「もちろんだ、ソフィ。腹が減っただろう」
「昔みたいにご飯は作ってあげられないけど……せめてこれだけでも」
ソフィはしげしげとパンを眺める。八年ぶりに親から受け取った食事。
手が震えて、思わず取り落としそうになった。
「こんなに、食べれない」
「入る分だけで良い」
何かを誤魔化すように言う。実際、全部は入り切らなそうだ。
対する父の言葉はやはり違和感があった。以前なら、強くなるためと言って、残すなんて許さなかっただろうに。
「……いただきます」
グレイザーと両親が見守る中。ソフィは恐る恐るパンを頬張る。
(変なの……)
自分の感情が、見つからない。
(味なんてほとんど無いはずなのに……すごく、しょっぱい)
黙々と食事をする娘に、両親はこれまでの経緯を語ってくれた。
あの後、ソフィの治癒の甲斐あって一命を取り留めたこと。
しかし、もはやライの世界に二人の居場所は無かったこと。
見せしめとして地表を追われ、地下に住まわされるようになったこと。
そしてこの一か月強……次々と捕らわれる人間達を見ながら、見張りの目を盗んで食料を届ける以外、何もできずにいたこと。
「嬉しい」
母はしんみりと言う。
「例えそう思う資格が無くとも。こうしてソフィが生きていてくれたことが、たまらなく、嬉しい」
半分まで食べ終えたところで、ソフィはパンを置いた。
「……もう無理かも」
固く身の詰まったパンは、胃に溜まる。
「とりあえず、ご、ご馳走様でした」
ソフィはグレイザーを見上げた。できることなら彼にも────
「それで終わりか」
「え、は、はい……だから」
「なら、オレに寄こせ」
グレイザーは一切遠慮せず、食べかけのパンを指し示す。
「や、やっぱちょっとは空腹だったんじゃないですか……」
「黙れ」
グレイザーの睨みは本当に捕食者のようだ。元からそのつもりではあったが、ソフィは縮こまったままパンを差し出した。
今からグレイザーが残りを食べる────その事実を咀嚼した時。
(あ、あれ……?)
脳裏に、いつかの少女の言葉が蘇った。
────『え、だって……間接……』
「いただく」
律儀に言ったグレイザーは、パンに口を────
「あっ、ま、待って……!」
「何だ?」
「…………い、いや」
「なら黙っていろ」
彼の一口は自分の倍以上あり、パンはみるみる減っていく。
「ソフィ、どうした」
「え? あ、その。何でも……ないんですけど」
(な、何で? わたし、急に……フレイが変なこと言うからっ!)
嫌な汗出てくる。無性にその場から逃げ出したくなった。
そうして悶々と過ごし、しばらく経った頃。
「! 伏せろッ!!」
突如、グレイザーがソフィの肩を鷲掴みにし、テーブルの下に押しつけた。両親は状況を察したのか、皿を自分達の方へ寄せる。
一方のソフィは、衝撃のあまり絶賛消化中のパンを吐き出しかけた。
「良いか、合図があるまで動くな」
(ああああああ……っ!!)
ごつごつした手が、華奢な肩をすっぽりと覆う。痛いのに、心臓が早鐘を打ってそれどころではなかった。
(お、落ち着いてエーネ。じゃなくて、今はもうソフィ。これは、びっくりしてるだけで、ザンにだって触られたこと……あ、あったっけ? あれ? 思い出せないっ)
「おい、呼吸が荒いぞ。気配を消せ」
「は、はいっ!?」
「声を上げるな!!」
「ご、ごめんなさいいぃっ……!」
緊張し続けること十数秒。両親が頷いたのを見て、グレイザーは体を起こす。
「見張りだ。奴らが戻ってきた」
その言葉は、惑う少女を一瞬で現実に引き戻した。
「時間は残されていない。モリアデス、地上に上がる方法は?」
「一応出入口がある。ただ鍵が無いと開かない上、持っているのは────」
「なるほどな」
グレイザーはしばらく思案顔になり、
「鍵を手に出来れば良いが……出来なかった時はお前の出番だ、モイスティ」
「え?」
「考えがある。ここを発つぞ」
足早に出口へ向かうグレイザー。ソフィも慌てて後を追った。
「ソフィ」
優しい声色に振り返ると、両親は微笑をたたえている。
二人を足して二で割ると自分の顔になるのだと、何となく実感した。
「健闘を祈る」
「……行ってきます」
まさにその瞬間だった。
ソールフィネッジの地表から、地鳴りの如き爆音が轟いたのは。
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