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7.毀れる夜に溺れよ


 家につくと時刻はもう6時を過ぎていた。

 家族での食事を終えてから、例によって兄弟チャンネル権争いに敗北してしまったオレは、部屋でのんびりとベッドに転がっている。

 見慣れた天井を見つつ、今日という一日を反芻するように思い出す。


 部活。

 オンラインゲーム。

 生徒会長。

 そして、大判焼き………あれ?


 まぁ最後のはともかくとして。

 よもや自分がオンラインゲーム部に入るなんて一日前にはまったく予想もしていなかったし、そもそも部活を決めることすら出雲と綾に言われるまで忘れていた。

 おまけに今日会うまでまったく顔も忘れていた生徒会長との出会い(というかすれ違い、くらいが的確な表現かもしれない)などなど、十分密度の濃い一日だったなぁ、と一人ごちる。

 ぺらり、と雑誌を捲りながらもどこかモヤモヤしている。

 昼間に刺激的な体験をしたから、その余韻が残っているんだろうか。


「よ、っと」


 ベッドから起きてクローゼットを開く。

 ごそごそと奥に入っているプラスチックのボックスを引っ張り出してきて、そこにしまいこまれているスポーツメーカーのロゴが入ったジャージを上下一式取り出した。

 ジャージに着替えると部屋を出て玄関に降りていく。親に声をかけられたので散歩にいく、と誤魔化して外に出た。

 大きく伸びをして、ゆっくりと屈伸をする。

 ランニングなんて小学校のときに、学校のマラソン大会(学校の外周3周2キロを走る程度だけども小学生には結構長い)の練習で出雲とやった以来なので、どこまで出来るか若干不安もある。


 だがそれを言っては始まらない。


 トントンとフィット具合を確かめるようにスニーカーのつま先を地面に打った。


 ちなみになぜ急にランニングをはじめようという気になったか。

 それは一日を思い返した際に佐々木先輩との会話を思い出したせいだ。

 さすがにボクシング部だけあって、佐々木先輩の体を鍛えるということに対してのこだわりは深かった。大判焼きを頬張りつつ話していくうちに、今日オンラインゲームでオレの肉体条件そのままでやってみたらひ弱で大変だったときの話になった。そこでもう少し体を鍛えるよう勧められたのだ。

 筋金入りの帰宅部のオレは当初こそ無理ですよとかなんとか言って話題をスルーしようとしていたが、彼は運動経験のない一般的な人でも始めやすいトレーニングを丁寧に教えてくれた。

 確かについていけない気がして運動部を敬遠していたのはあるけれど、運動ができるようになることがイヤなわけではないオレは、まんまとその気になったというワケ。

 ……ほら、やっぱり運動できる男とできない男じゃあ、後者のほうがモテるのが現実ですし。


 まず最初に勧められたのが3つ。


 腕立て伏せ、腹筋、ランニングである。


 うん、基本ですね。

 あまり種類が多いとひとつひとつに対して雑になってしまうし負担に感じやすい、とのことで最初はわかりやすいものをやるほうがいい、との教えだ。


 タッ、タッ、タッ、タッ…


 ゆっくりとしたペースで走り始めた。

 腕時計は9時を指している。

 とりあえず初日の目標は近くの神社まで行って戻ってくること。地図で単純に調べると片道2キロほど、往復で4キロ程度の道のりだ。

 現地までの道中では急な上り坂や下り坂もないところもポイントが高い。

 あまり無理はしない速度で走って、余裕があればペースをあげるなり神社の階段登ってみるなり調節することが出来るコース。

 軽く息を弾ませながらペースを乱さないようにして走っていく。

 佐々木先輩には感謝だな。

 走り出すまでは踏ん切りを付けるのに気合が要ったが、実際走ってしまえば中々気分がいい。世間でいうランナーズハイ、というレベルのものではないが単純に汗を流す楽しさを感じる。


 さぁ頑張ろう。


 走る。

 ひたむきに。


 走る。

 リズムを整えて。


 走る。

 呼吸を感じながら。


 どれくらいそうしていたのか。


 何も考えずに走っていると、神社へと続く階段の前までやってきていた。少し小高い山になっているこの先には稲荷の神社がある。


 ふぅ、と呼吸を整えて立ち止まって体調を確認する。


 大丈夫、まだ余裕がある。

 ゆったりとしたペースで流してきたせいか、十分体力は残っている。ついでだから神社まで階段を登ってみることにしよう。

 と、そう考えた瞬間。





 ザザ…ッ。





 一瞬頭痛がする。

 まだ余裕があったつもりだけれども、立ち止まったら思ったよりも消耗していて酸欠気味にでもなっているのかもしれない。

 階段を見上げる。


 無理はしない、がモットーだ。

 ここは引き返すべきだろう。



 タッ、タッ、タッ、タッ、タッ。



 にも関わらず階段を登り始める。

 どうかしている、とは自覚していた。

 普段ならこんな選択はしない。

 でも高校に入ってようやく一念発起した初めての夜だから。そんな理由でキツくても後悔の無い道を選びたいだなんて考えてしまう。


 10段、20段、30段…。


 息はあがる。

 足は重い。

 それでも視線の先に見えてきた鳥居へと急ぐ。

 歯を食いしばりながらもペースは緩めず、そしてついに鳥居まで後一歩のところまでやってきた。


「やっ…た…ッ」


 息も絶え絶えにガッツポーズをしようとする。




 ビギンッ!!!




 そんなオレの前で、鳥居が まっぷたつに割れた。



「………は?」



 ズウウウン…ッ。



 割れた鳥居は左右に轟音をあげながら倒れていく。

 倒れた鳥居がもうもうと砂埃を舞いあげる。


「………!!???!?」


 いや、もうワケがわからない。

 軽くパニックを起こしたまま静観していると、いつの間にか砂埃が晴れた場所に妙な生き物がいた。

 人型ではあるが2メートルは超えている大きさで、両方の腕はオレの胴回りと同じくらいの太さを持つ。それだけならデカいマッチョな人だなぁ、で済むんだ。

 でも残念ながら額にある角と口から生えた30センチはあろうかという牙、そして何より腕が4本とか、どう見ても人間じゃない。

 少ないオレの語彙の中で伝えるのなら、最も的確な表現は……



 ……()、だった。



「~~~ッ!!?」



 喉が引き攣る。

 腰を抜かして思わず階段から落ちそうになる。

 咄嗟に階段脇の手すりを掴んで堪えるが、それで恐怖が収まるわけもない。

 なんとか逃げようと懸命に命令を下すも下半身は言うことを聞いてくれない。疲労困憊なせいなのか、それとも腰を抜かしそうになっているのかすらもわからない。


 ギィンッ!


 ギュインッ!!


 鬼の周囲で金属同士がこすれ合うような耳障りな音がする。

 夜の闇と砂埃でわからないが、鬼は何かと争っているように思える。 

 これが悪い夢であってほしいと願いつつも、パニックを起こしているオレはただ見ているしかない。

 本能の深いところで何かが必死に叫んでいるのは自覚していても。



 逃げろ。


 逃げろ逃げろ。


 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ―――ッ



「…~~ッ」



 おそらく時間としては数秒。

 にも関わらず体感にはその10倍以上に相当するかのような間の後、ようやく足が反応する。

 なんとか階段を下って逃げるべく一歩。

 本当に亀になってしまったのかと錯覚するほど鈍い一歩。


 それでも確かに動いてくれた。


 そしてその幸運を相殺するかのように、不運が訪れる。

 鬼がこちらに気づき目を光らせたのだ。


「………ッ!!?」


 どうしよう。


 どうしようどうしようどうしよう――――――――――ッ!!!?



 感情が感情を呼びパニックを起こしたその一瞬。


 鬼はオレを飛び越えてその背後へ。

 そしてその敵対者が砂煙の中から鬼を追うべくこちらに殺到する。


 黒ずくめの一陣の影。


 手に煌めくのは刃物だろうか。

 でも、それより何よりオレの視線は一点で止まった。



「………出雲?」



 自分でも呆気に取られるくらいすっとんきょうな声。

 黒いコートを羽織ったその人影のかすかに見えた眼差しが友人のものに思えたことで、パニックを超えて頭が思考停止してしまったかのような。

 突進してきた人影が一瞬だけ逡巡したような素振りを見せ、



 トンッ



 背中を押された。

 相手が誰かはわからない。

 でも背後にいるのは一人しかいない。


 鬼だ。


伊達(だて)ッ! 待―――――ッ」


 聞きなれた親友の声がする。





 同時に。

 砂埃の中から一筋の光がオレの体に命中した。




 めぢ…っ




 不快な音が耳の内側に響く。


 瞬間視界が暗転する。


 痛みがないのが怖かった。








 ―――――どしゃっっ。








 背中を強打する。

 おそらく階段に落ちたからだろう、そのまますこし滑って止まる感触。


「ぁ……ぐ……ッ」


 呻くような声をあげつつ、かすかに少しだけ視界が戻る。

 なぜか眠い。

 寒気がする。

 息がしたいのに酸素はどこにもない。

 どうしてこんなに苦しいのか。


 わからない。


 さっき登ってきたときにはなんともなかったのに、階段が濡れているのはなぜなんだろう。雨が降っているわけでもないのに。


 わからない。


 なぜ、オレの下半身は千切れてあんなところにあるのか。


 わからない。


 どうして、オレの左手が肘から先だけ見当たらないのか。


 苦しい。


 焼け付くような。





「―――のは待てと――――」





「―――――が死ぬなんてよくあることだろう。それよりも今は逃げた―――――を追跡するほうが――――」





「だが――――――――――――」





「――――く見ろ、そいつはもう――――――――」





 日本語なのにどこか異国の言葉を聞いているように、響く声を理解することもできず、ただオレは緩々と死んでいく。





「……充」 



 最後に親友がオレを呼ぶ声が聞こえた気がした。

 それだけは、わかった。


 去っていく足音。

 視界が失われていく過程もただ眺めているだけだ。



 まず色が変わっていく。

 消えるのではなく瞳の中に染み出した赤に塗り初められて。

 その赤も次第に鮮やかな朱から赤黒く、そして沈み込むように影を帯びていく。影は徐々にその強さを増し、気づけば影はいつからか闇と化していた。


 …。

 ………。

 ……………。


 茫洋としている。

 目の前にはただひたすら暗闇。

 不思議なことに塗りつぶされたその黒にも濃淡があり、時折揺らぐ。まるで虚空を見る幼子のように、ただその視界を呆然と見守る以外をしないオレには、その理由はわからない。


 まるでもう定められていることのように、ただ粛々と落ちていく自分がいる。


 諦観なのか、それとも絶望なのか、あるいはそのどれでもないのか。消え失せようとしている何かを留めておこうという感覚すら、消えているのだろうか。

 次から次へと消えていく。

 それが何であるかという自分の認識すらも消えたその末に。



 じわり……ッ。



 本能の奥底で漏れるものがあった。

 理屈ではない。

 ただそこに在ったのだ、としか言いようがない。


 ずくずく、と自分でもわからない深い深い底で滲み溢れるものだ。


 それは熱だった。

 怒りにも似た、それでいて生きたいというより死んでたまるかというような風にも思え、同時にがむしゃらに何かを求める渇望のようにも思える。

 白い紙に垂らした一滴のインクのように広がるその熱情。



 ―――それが卿の存在の根(ひながた)



 響いた男の声に熱が爆発した。

 まるで今まで目隠しをしていて、取ったのかと思うほど視界が一気にクリアになる。

 その視界も一面の暗黒の海だが、それを見ればそれまでの闇が霞がかったようなあやふやなものであったことに気づく。

 それほど眼前の黒は鮮やかで深い。


 そこにはまるでヨーロッパの仮面舞踏会(マスカレイド)で使われるような、顔の目元を隠すタイプの白い仮面がある。まるで虚空に浮かんでいるかのように。

 仮面の目には緑に強く輝く瞳があり、何もかもを睥睨しているかのような雰囲気を感じさせた。



 ―――ご機嫌よう。凡愚蒙昧なる民の一人よ。我輩は『   』、もし卿が道を違えず進むことが出来るのならばお見知りおき頂こう。



 冗談のように、仮面の近くに白い手袋をした「手」が浮かび上がり、優雅に礼をしている人物が闇の中にでもいるかの如く振舞った。

 悪夢だとしたら随分と手の込んだ悪夢だとでも思えてしまうほどに。



 ―――上位者(ランカー)の狩りならば無聊も慰められようと出向いた今宵の月下、よもやこのような奇跡の出会いが起こるとは。いつ以来かはわからぬ賛辞を素直に贈ろう。



 こちらの疑問を他所に仮面は陶酔するかのような声色で語る。囁くような大きさなのに、なぜかはっきり聞こえるその声に恐れを抱くと同時少し気分がざわつく。



 ―――生き急ぐのは若さの特権のひとつではあるが、この場では戴けない。そも、君が生き急ぐ理由などもうないのではないのかね、死者が戻るは墓であるが道理だろう。



 吟じるようなその言葉。

 ただのその一言で自分が本当に死んでしまったのかという言いようのない不安が湧き出してきた。

 にも関わらず、発した当の本人は素知らぬ顔で続ける。



 ―――どれだけ検証しても何も見出せぬ。まだ瑞々しい臓の腑も、千切た四肢も、飛び散った朱の体液も全て検証し尽くしたというのに。それでも尚、卿がここに在るべきではなく、ここに在るはずがないことしかわからぬとは……なるほど。



 淡々と事実を確認しているような調子で仮面は思考を続ける。



 ―――よかろう。ならば……



 気づけば仮面は目の前まで来ていた。

 相手が人であれば息がかかるくらいの距離。

 そして一拍遅れてそれを追うように純白の手が近づいてくる。



 ―――卿が機会の女神の恩情を選びとれるか観するも一興か



 手から伸ばされた指先。

 5本のそれにまるで鈎爪が迫るかのような恐怖を感じるが、何もできない。ただ指が額に近寄ってくるのを見ているだけしかできない。



 ぬぢ…っ。



 何かに指がめり込む音が耳の内側に響く。

 痛みはない、だがそれが逆に怖かった。



 ―――無論、我輩が直接手を出すことなどありはしない。安易な加筆修正は舞台の脚本の質を落とす。

 作品が思うように展開を広げぬのであれば、作品に問題があるのではなく設計段階での緩んだ思想が原因だ。後で手を加えて直そうという考えは心に甘美な油断を招くだろう。


 同じ生み出す者として、我輩はその所業に蔑するを隠さない。


 世にある美と同様、作品に揺らぎがあるはその本質が不完全であると同時、完全へ向かう生命の息吹であるからだ。傑作かどうかを気に留めるのであれば、それは完全なものを作るのではなく、すべからく外に判断を委ねるが良い。



 ツぅ…。



 なぞるように繊細に、何かを確かめるように、何かを識るかのように、頭の中で指先が踊るのがわかる。そんなものわかりたくもないのに。



 ―――つまり卿が恩情に浴することが出来るかどうか、その裁可を待てるようにすることは我輩が所作故ではない。



 物語に無粋な横槍を書き加えるは醜悪なれど、脚本のページを捲る速度を早めるだけに過ぎぬ。

 その程度であれば、読者の一人として先を待ちきれない期待の表れと一笑に付せるであろう。時間は有限でもあるのだから。


 づぷ…んッ。


 指先が何か弾力のあるものに触れた。


 眼窩をなぞり目玉を磨き、脳を舐められている、とわかる。

 身じろぎひとつすら許されないオレは恐怖に震えることしかできない。



 ―――恐れる必要はない。我輩は敵ではないのだから。



 卿たちが相手をするのは我輩ではなく、我輩の機構(システム)であるべきだ。無論、そのように道を選ぶことが出来れば、の話ではあるが。

 蠢いていた指先が止まる。

 まるで探していたものを見つけたかのように。



 ―――今までの卿として死ぬのか、それともまったく別の己として死ぬのか



 どうして、と。

 問いの言葉が思わず口をついて出そうになるものの、どうしても声を出すことができずに終わる。だがどういう理屈かはわからないが、それだけで仮面はこちらの意図を理解したようだ。



 ―――理由などありはしない。



 鳥が空を飛ぶように、林檎が大地に落ちるように、そして卿が本能の奥に感じた在り方がああだったように、この世界は在るべくして在る。

 それを理解して尚理由を求めるは、分別のつかない幼子の所作ではないかね。

 だがそれでも敢えて理由をあげるのであれば……


 一瞬だけ仮面の下に口が見える。

 優雅に底冷えをするような満面の笑みを浮かべた。




 ―――卿は『運』()が良かったのだよ




 めぢっ!!




「――――――!!?」



 指先が何かを握りつぶすように荒々しく動く。


 時に潰し、時に繋げ、時に削り、時に切り、時に混ぜ、時に作り、時に爆ぜる。


 頭の中で小さな無数の毒蛇が蠢くかのようなその圧倒的な不快感。もし声が出せたのならきっと言葉にならないような叫びをあげていたに違いない。


 だがオレにはそれすら許されず、可能なのは耐えることしかない。





 ぐちっ、ごしゃっ、めきゃっ、ぐずっ、どちゃ、ぱきっ…





 どんなに短かろうと、永劫とも思えるほどの長い時間。


 ただただ、ひたすらに耐える。


 先が見えないどころか一瞬先を考えられない。








 ―――反転(レフレークシオー)せよ








 歌い上げるかのような一言と共に。


 ずるり…っ。


 指が引き抜かれる。





 頭の中が熱かった。


 まるで熱の川が内側をどろり、と流れているのではないかと思うほど。


 それが何を意味するのかはわからない。








 ―――ご機嫌よう、逸脱した者(ハエレティクス)


 もし選んだ道が我輩を期待に胸躍らせるものであったなら、そのときは改めてその名を聞き記憶に留めるとしよう。








 周囲を取り巻く鮮やかな黒の景色が薄くなっていく。

 目の前の相手のの出現と共に生まれた視界が元の闇に沈もうとしていることは理解できた。

 得体の知れない相手が消えてくれるというのだ。

 安堵して見送るべきだろう。



 だからなぜそうしようと思ったのかはわからない。

 気づくとオレは衝動的に何かを訴えようと口を開いていた。それが音として伝わらないということはわかっていたにも関わらず。



 ―――我輩の名を再度問おうというのかね。



 それはいくらなんでも欲が深すぎると思うべきだ。それ以前に、今の卿では我輩の名を識ることすら出来はしない。問いそのものこそがその証左だ。



 もしかしたら罵詈雑言を発したかったのかもしれないし、助けて欲しいと哀願したかったのかもしれず、そしてそれと同じくらいの可能性で名前を問いたかったのかもしれない。


 オレ自身すらもわからないそれを、仮面はそう理解したようだった。



 ―――とはいえ、その在り方が卿の存在の根(ひながた)か。



 我輩と遭遇する以前に絶命するはずだったその身。刹那に過ぎぬ一瞬なれど見事掴み取ったその在り方に敬意を表するとしよう。








 消えかけていた瞳の緑がすこしの間だけ戻る。








 ―――例え今はわからずとも、理解しえる刻が来たらばこの名を知ることが出来るであろうと信じよう。








 びしり、と仮面に亀裂が走る。


 みしみしと軋む音を立てつつそのヒビはやがてマスクを覆い尽くす。











 ―――『   』











 浮かんでいた白い両の手はどろりと溶けて地に落ちた。


 そのまま闇に染み込み消えはてる。








 ―――それまではただ忘却するが良い。


 そしてその忘却が永久のものでないことを祈れ。












 最後に仮面が砕け散ったとき。

 今度こそ本当に意識は闇に沈んだ。


   



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