6.響くは月の音と
と、5階まで降りてきたとき、偶然教室から廊下に人が出てきたのを見た。
そのひとりの女性を視界に捉えた瞬間、
「…………っ」
時間が止まったような錯覚を覚えた。
物理的な衝撃を受けたわけじゃない。でも精神的な意味では無防備なところを車に撥ねられたような衝撃を受けている。
呆然、という言葉ってこんなときに使うのか……ただ、そう思った。
長身の美女、といった表現がぴたりと当てはまるようなシルエット。おそらく身長は170はあるのではないだろうか。整った顔立ちはもとよりただ歩くだけの立ち振る舞いが流麗。
おそらく欧米の血が入っているのは間違いない日本人離れした見事なプロポーションと、それを肯定するかのようなポニーテールに結えられた金髪。生半可な女優などではとてもじゃないけど勝負にならないんじゃないか、というほどの美しさだった。
綾や出雲をいつも見ているんだから美形にはそれなりに耐性があるはずのオレも、彼女がこちらに気づいて瞳を向けるまで、阿呆のようにただただ見蕩れてしまっていた。
「…どうかなさいましたか?」
かけられた声も期待を裏切らない音色。
対してかろうじて喉から絞り出したのは上ずった声。
「い、いえ、別に!」
混乱しまくっている頭で、ようやく口を開いて出せた言葉はただそれだけ。
向けられた視線に耐えられず、こちらはすぐに視線を外す。
バカ正直に見蕩れていました、なんて言えるわけもない。
ザザ…ッ
「……ッ!?」
再び彼女の後ろの扉が開いた瞬間、鈍い頭痛が走る。
少しだけ顔を伏せて軽く頭を押さえると、一瞬のことだったのかすぐに頭痛は引いていた。
顔をあげると、彼女の後ろにもうひとり男子生徒の姿があった。
シャープなメガネをかけている、これまた細面の美形。
こちらも身長が高く180センチ近い…というか超えてるくらいの割と細身であり、二つに分けた長髪とも相まって線の細い書生風の印象を与える。
インテリ系、という言葉がこれほどぴったりくる相手もいないだろう。
先ほどの女性も、彼も制服を着ているので同じ学生の身分ではあるようだが、入っているラインの色を見るに2年生のようだ。
出てきた男子生徒は女子生徒に何か声をかける。若干距離があるのでさすがに聞き取れないが、美形同士だけあって悔しいが絵になる光景である。
それに対して女子生徒はそちらに一瞬だけ視線をやって一言だけ短く答えてから、再びこちらに視線を戻した。
それに対してオレは慌てて会釈した。
その仕草でこちらが特に用があるわけでもないのを感じたのだろう。女子生徒は応じるように軽く微笑んで会釈をしてから、そのまま先導する形で廊下の反対側のほうへと行ってしまった。
たったひとつの微笑みだけで胸がどきりとしてしまいそうな、そんな一瞬。
男子生徒のほうはというと、一瞬凄い睨みつけるような目をこちらに向けてきた後、すぐに女子生徒を追っていってしまった。
「……怖っ、なんで睨まれたんだろ」
思わず呟く。
多分初対面だったと思うんだが………?
なんであんな親の仇どころか、先祖代々の怨敵でも見るかのような目つきされないといけないんだろうか。めっちゃ怖すぎなんですが。
何か腑に落ちないものを感じつつ、また階段を降りることにしたところで思わず立ち止まった。
先ほど二人が出てきた扉に妙な違和感を覚える。
「…………???」
生徒会室、と書かれたその扉。
そう書いてあるんだから生徒会が使用している部屋なのだろう。本来それに対して違和感など覚えるはずもない。そもそもここに来たのは初めてなわけだし猶更だ。
しばらく立ち止まって考えるが答えは出ない。
まぁ答えが出ないならその程度のことだったんだろう。所詮違和感なんて後から考えてみても大して理由が無いことも多いわけだし。
そう結論づけて待ち合わせをしている入口へ向かうべく階段を降りていった。
入口ではすでにジョーと、おそらく先ほど言っていたボクシング部の部員と思しきひとりの男子生徒が待っていた。オレと同じくらいの身長で、体格も細いもののボクサーなので多分脱いだら凄いタイプなんだろうな、と思う。
体育会系にしては落ち着いた柔らかそうな物腰なので、あまりビビらずに済んだ。
「遅いで~」
「ごめんごめん」
「んで、こっちがボクシング部の 佐々木 俊彦。略してトピーな。こっちは同じ部の略してミッキー、本名は……なんやったっけ?」
「わざとやってるだろ!?」
「さすがミッキー! ツッコミありがとう!」
相変わらずのノリである。
そのうち知らない間にコイツと漫才コンビとしてデビューさせられないよう、気をつけようとは思っていたりいなかったり。
「冗談はさておき、三木充や」
「佐々木俊彦だ。よろしく」
「あ、こちらこそよろし…くお願いします」
紹介してもらって差し出された手と握手をする。
手を見たときに制服の裾に入っているラインから2年生、つまり上級生であることに気づいて一応敬語にしてみた。
体育会系は上下にうるさいかもしれないからねぇ。
さっきのジョーの発言を聞いていると上下もへったくれもないかもしれないが。
一通り自己紹介を終えると駅の方へ歩き出す。
「えぇと、佐々木さんはジ…丸塚とはいつからのお付き合いなんですか?」
「俊彦で構わないよ。そうだな…実はジョーとは隣りの中学でね。そのときからの知り合いだからまだ2年ほどかな」
「そそ、厳密にいうたら2年半くらいやな」
「むしろなんで先輩相手にそんな馴れ馴れしいんだ、ジョー…」
「えー? 友情に年の差なんてあらへんと固く思うとるだけやのにぃ」
「コイツは前はもっと適当というか無神経な感じだったからな、むしろ今の反応も大分マシになったくらいだよ。なにせ昔はあんなに……」
「トピーもいけずやねぇ~、若気のイタリアンのことは秘密にしたってぇなぁ」
どすどすとジョーが佐々木先輩の脇に肘でツッコミをする。
何やら知られざる過去があるらしい。
そして、さすがにこの時間帯に会話にイタリアンとか出されるとお腹がすくので勘弁してください。
「あー、めっちゃ腹減ってきたわ。はよ回転焼き食いたいわぁ~。ちなみに売り切れてたら何か別の奢ってや、ミッキー」
「えー?」
「だってミッキーが遅いんが悪いんやもん。何してたん?」
「悪かったって。前に屋上の景色が凄いって聞いたことがあってさ、せっかくだからそっちを見に行ってたんだよ」
「確かに。あの景色は見ものだ。ただ前に屋上で花火をした馬鹿な奴がいたせいで、今は鍵がかけられているはずだが」
「そうなんですよねぇ、まったく残念です」
なるほど、そのせいで施錠がしてあったわけか。
そんな会話をしていると、ふとさっき見た女子生徒が頭をよぎった。
「戻ってくる途中、5階で凄い綺麗な女の子と会ったんですよ」
「………もしかして、それは金髪の人かい?」
おっと。
佐々木先輩はご存知らしい。
まぁあれだけ綺麗な女性だったら、そりゃ有名でも驚かないけど。
「えー、うそーん!? マジなんか!? あの校内美人ランキング絶賛第1位、新聞部のこっそり写真に取りたいけどガードが固いランキング第1位、踏まれたいお姉さまランキング第2位の月音様と会ったやてぇぇぇっ!!?」
こっちも知っていたらしい、が。
…ジョーよ、お前の交友関係には脱帽するが方向性が広すぎるぞ。
とりあえず名前が月音さんなのがわかったのは感謝するが。
「ちなみに新入生の美人ランキングには綾ちゃんも入ってるぞ」
「そんな情報は要らん」
「ジョーの話はともかく、アーベントロート生徒会長に間違いないね」
「あー、なるほど」
道理で初対面かどうか微妙な感覚だったはずだ。
確か入学式で新入生代表と挨拶の交換をしていた生徒会長だ。むしろあんな特徴的な外見の人を忘れるとかオレの記憶力には軽く絶望である。
「月音・アーベントロートさんっていうんですか」
「いや、確かもっと長かったと思う。さすがに覚えていないが。多分生徒会からの掲示物に入っている会長のサインはフルネームだと思うから、興味があるなら見てみるがいい」
「ええなぁ~。生徒会長とはなかなか会えんのに~」
「? いつでも会いにいったらいいじゃないか」
「お前なぁ、用もないのに生徒会室とかひょぃひょぃいけるわけないやろ、敷居が高すぎるわ」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんやって。前も生徒会室にファンやいう連中が見に行って副会長のイケメンメガネにめっちゃ追い払われたりしとんのに」
どうやらあのときに一緒にいた男子生徒は副会長らしい。
ちょっと月音先輩に目が合って会釈されたくらいで、あんな睨みつけられたんだから、そりゃあファンだなんて言ったら凄い剣幕で追い払われるのは納得する。
「ちなみにファンの半分はイケメンネガネ副会長目当ての女子やったっちゅう話や」
「うわぁ…」
「そのおかげでファンの間では『用があるときにはすぐに行けるのに、用がないときは見つからない生徒会室』とかいう標語もできとるくらいやで」
そういう標語はともかくとして。
過去にそういうことがあったなら、確かに敷居は高そうだ。
「でもまぁ気持ちはわからないでもないけど。月音さんみたいな美人が彼女だったらいいなぁ、ってオレも思うもん」
「お、生徒会長狙いかぁ? ミッキー、なかなかチャレンジャーやねぇ~。
噂話だけでも両手両足じゃきかへんくらい玉砕しとる男がいるらしい難敵やで」
うわぁ……20人超えてんの?
勇者たちに敬礼!
噂話だから、もしかしたらそんなのは嘘かもしれないけど、それならそれで哀しい爆発男子がいないわけなので問題はない。
「そ、そんなんじゃないけどさ。憧れるくらいは別にいいだろっ」
現実的に考えて、今の状態だと身長が負けているせいもあって横に並んでも不相応でしかないことくらいはわかっている。顔面偏差値は別としても! ……別にさせて欲しいな、うん。
「嘘かホントかは知らないが、生徒会長は副会長と付き合っているらしい、というのは聞いたことがあるぞ。真偽は定かじゃないとはいえ、それくらい二人でいるところを目撃されているのかもしれない」
「………所詮男は顔ですか」
「……イケメンは皆死んだらええんや」
やっぱり顔面偏差値には勝てないのか……。
無情な佐々木先輩の爆弾に、心を折られる男が二人。
そりゃもうこれ以上ないくらい心をバキバキに粉砕されたオレたち(厳密にはオレとジョーだけだが)は、溺れた犬のように切ない気分になりながら先を急ぐ。
「ま、月音先輩ほどやのうても、ミッキーやったら頑張ったら彼女のひとりやふたりでけるて」
「そうだといいんだけどねぇ……ってか、ふたりはダメだろ」
「えー? そこはアレやろ、彼女ふたりつくってどっちにもええ顔しとったら、カップルにも人気の秋葉神社か鬼首神社のどっちかの夏祭りでばったりハチ合わせしてもうて、どっちにも嫌われるいうオチが美味し―――」
「お前、マジふざけんなよっ!?」
切なさが加速しそうなので、話題を変えて先を急ぐ。
不幸中の幸いというかなんというか、お目当ての大判焼きは残っていたが、チーズ味が1個しかなくジョーと壮絶な奪い合いになったのは余談である。




