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9話 鬼が来て


 鬼は隠ぬ。

 それは人の心における隠れた一面、主に負の面を指し示す。

 魂には、鬼という字がある。

 そして魂は、云う鬼と書く。

 鬼は云わない、伝えられない。


「そうなっちゃあ、お終いだねぇ」


 何処か皮肉めいた呟き。

 その夜半、気の波とでも例えるべき、大地の脈動に乗じ大挙する亡霊――当然俗に云う悪霊に近い存在が過半を占める――を大方討ち、司は一時休息を取ろうとしていた。

 司の経験則として、鬼に惹かれてやって来る霊魂の動きは、先に例えた波のようなある程度の周期がある。

 なのに、と驚くワケではないが。

 玄関先出てすぐ前方、蠢く気の塊は鬼だろう。

 この地に宿るものより、遥かに小さな規模であるということは分かるが。


「まあ、おっきな石が流れ着くってのも偶にはあるよね」


 そして波が引けば、顕わになる。

 その、他の霊魂とは一線を画した存在感。それでいてワケが分からない。

 これこそ、本物の鬼。

 先日の人為的存在とはまた別物。

 思念の濁り具合が違う。

 司は、思わず息を呑むのを自覚した。

 こうして知覚するのは初めてだ。

 封印を隔てて鬼の傍にある普段とは別種の緊張で、手に汗が滲む。

 縋るかのように、攻撃性を駆り立てそうな武器から半ば気まぐれで選んだ右手の太刀を強く握り直す。

 切っ先は下げたまま。無思慮に敵意を奮ってはならない――。

 そして知識を反芻する。

 対象を理解の範疇に落とし込む事で恐怖を拭う、自己暗示法。

 息を整え、柄を握る手を僅かに緩めながら。

 魂という物は、非常に曖昧かつ断片的な存在。

 娯楽にありがちな、生前の記憶や人格を保持した霊魂は非常に珍しい。

 魂という物は、確かに情報を記録するような性質がある事は経験則として伝えられている。

 では魂とは何か。

 それは気などと称されるエネルギーが、ある程度の密度で何らかの方向性に伴って集合したものだ。

 一説では電磁波の一種、また近年では量子力学の発達に伴い、暗黒物質として知られる詳細な観測が困難とされる存在に謎があるという説も囁かれている。

 それだけだ。

 魂が何か。何故それが万物に宿るか。

 一部の霊能力者と呼ばれる者が、何故その存在を認識する事が出来るかは不明瞭な点が多い。

 魂同士で何らかの干渉場が働き、それが脳に伝わっているのだろうとのことだ。

 霊とはそんな、正しく怪異な存在なのだ。

 そして魂がどれだけの情報を保存できるかは、その存在が持つ魂の量によって決まる。

 魂単体の量は年月である程度増減するものの、その量は微々たるものである。

 生物である場合、特に人間は許容量の基準が遺伝し易いということが、やはり経験則として分かっている。


「もう人の思念的な面影、無いなぁ」


 肩を竦め、嘆息。

 これはもう、霊じゃない。

 魂とは断片的にしか人の想いを残さない。

 肉体の死後、魂がそこから乖離する。大抵は、そこで大地を行く気の流れに取り込まれ、分解される。

 しかし人であれば、死に際に妄執を抱く愚かさがあれば、その思念が魂に強く刻まれる。

 一つの思いに固まった魂は、強く残る。

 そんな断片の情報で生前の人となりを判断するのは、もはやプロファイリングというレベルを超越した妄想だ。

 霊を見るというのは、魂で感じ、妄想という色眼鏡を通した末の幻覚に他ならない。

 そして妄想しても、眼前の存在がどのような意志を持っているのか分からない。

 近しい想いを抱いた魂は響き合う。

 その歪さ故か、欠落を埋めようと引かれ会う。

 他者を恐れるが故か、結局は欠落が補完されない矛盾。

 ――同類同士の傷のなめ合い。

 ――あるいは、人と人の出会う真実。

 ――噛み合わない歪さ、そんな欠片を並べたパスルは、やはり歪のままで。


「――って言ってみると詩的かも知れない」


 呟き、踏み出す。

 真実とかその手の単語は、日常会話とは縁のないものだ。

 好んで使うのは、ノートにファンタジックなアレコレを書き殴る思春期くらい。

 具体的に言うと、前世の設定資料とか。

 ……信司が書いたのは確か、漆黒の闇騎士とか、そんなん。


「卒業したよ、そんなもの」


 通った道ではある。

 口が裂けても声には出せないが。

 そして、司は更に一歩進む。

 感じる。

 魂が拉げそうな、引き寄せる力を。

 近づくほどに強く。

 通常の霊魂とは桁外れの引力。

 まるで質量の大きい天体ほど、その重力を高めるような。

 本来であれば、引かれ会った魂はその器によって近づける限界がある。

 規模によっては、器が悪影響を受ける事例も多い。

 剥き出しの霊魂であれば尚のこと。

 引き寄せ合ってくっついて、混ざって摩耗した成れの果て。

 表面は歪でも、惑星はおおよそ丸い形状に落ち着くように。

 結果、混沌が在るのみ。

 それでもテーマとも言える感情の共通点。

 言い様の無い、負の感情らしきものを魂で感じた。

 妖気と現すにふさわしい。

 そこへ、自分の魂が引き寄せられている事実。

 そこに伴う司のイメージを現すならば、極小規模のブラックホールと言ったところか。

 時折視界に現出し明滅する幻覚は、凝縮された黒い点。


「死に際の感情なんて、やっぱり後ろ向きなんだろうね。根暗な僕みたいな」


 と、苦笑混じりに。

 世知辛い世の中であれば、なおさら。

 くそったれな世界とおさらばハッピーイェーイの鬼とか……昔は結構いたらしい。

 迷信を真に受けて。

 洗脳した対象を生け贄に、そして選別した魂を融合してハッピーな精神的引力で治世とか。

 大抵そっちは神扱い。

 後は宗教的、または政治的対立云々で臨機応変。

 閑話休題。

 更に歩いて、太刀の間合い。

 足運びは司自身、不用心の極みと感じられるほどに。

 普段であれば、幼い頃より学んだ体術で警戒心を呼び起こし、魂の防御を行うが。


「今回は、斬るのに全力投球の方が良いね」


 小細工は逆効果――。

 そうした判断の下、両の足はしっかりと砂利混じりの地を捕らえ。

 両の手にしっかりと握り直した柄は、額ほどの高さ。切っ先は天を突くように。

 司の掲げる凶刃は正しく敵意の象徴。

 ただ攻撃の意志に研ぎ澄ました魂が、刃のそれと重なり――。

 敵意に応え、黒点の鬼が奥底で蠢く気配を感じた。

 司は慌てる事もない。悪意と悪意が響き合えば、より強く引き合うのは道理なのだから。

 同時にそれは、鬼の存在が揺らぎ崩壊しやすい状態であると言う事。

 危険はあれど、利点もある。

 この場を乗り切る程度の力は持っていると、自負している。

 司の魂にのし掛かる精神的圧力。

 それは実体を伴うと錯覚するほどに。

 以前の式神も何らかの干渉力場を内包していたが、やはり違う。

 目の前の存在は、濃密でありながら、それが上手く纏まっていない不安定さがあった。

 存在の不安定さが底知れぬ雰囲気をかもしだし、より司の精神を圧迫する。司の魂における負の鬼が共鳴し、司の脳裏で閃く負の感情。

 怒り、悲しみ、憂い、恐怖。

 呼吸が乱れ、心臓の鼓動が高鳴る様が耳障りだ。

 ここで集中を崩せば魂が砕かれ、咀嚼される恐れがある。

 そしてそれは、確実に脳へ悪影響を及ぼすだろう。

 最悪、廃人だ。

 けれど、平気だ。まだ、耐えられる。


「伊達に引きこもりやってないからね」


 不健全な生活を送る人間にとって、自虐めいた精神的なブレはありがちだ。

 少なくとも、司にとっては日課のようなものだ。

 だから、慣れてる。ここで魂が屈する選択肢は無い。

 戦える。

 そして、その自信は力になり、感情の反転。

 司の優越感に、鬼が気圧されるのを感じた。

 鬼に劣勢を立て直す知恵はない。一度優位に立てば、後は坂を転がるように崩壊の連鎖を引き起こす。

 勝利の確信と共に、司は太刀を振り下ろそうと、そう息む。

 けど、振り下ろせなかった。

 唐突に響き渡った思念へ、意識が吸い寄せられて。

 ――私たちは、仲間だ。

 それは実際のところ、漠然と浮かんだだけの言葉にならない揺らめき。

 けれど何故か、適切に訳せたという確信があった。

 鬼が鳴る、共鳴。

 思念の主との協奏、こんなにも激しく。

 魂を奮わす異次元的な帯域をまき散らす。

 司の魂も煽りを喰らい、その調べに飲み込まれる。

 心が沈む、共鳴。

 フラッシュバックする後悔に彩られた過去。

 湧く怒り。

 響く嘲笑。

 羞恥と恐慌。

 逃げ出して、もう戻れない、そのまま。

 嫌な事が脳内を埋め尽くし、濁った混沌、もう心が分からない、どうしようもなくなる――。


「カァッッッ!」


 無我夢中で一喝し、精神を白く塗りつぶす。

 嫌な事を思い出したら唸りたくなるように、一時そこから目を逸らす対症療法。

 それ自体は気休めだけど、ここから巻き返すことは出来る。

 仕切り直しと太刀を一度振り下ろし、再度上段に構え直す。

 混沌とした負の感情、手綱を握ろうと想いの方向性を自己暗示で誘導する。

 感情の正負は、容易に入れ替わらない。

 けれど、同じ負であればある程度、操作出来る。

 不安に彩られた日々の、胸をジワジワと苛む暗澹たる寂寥。

 すなわち、孤独感。

 微かに身体が震えるのは強張った筋肉の緊張か、はたまた冷え切る心の表れか。

 ――孤独は、静かだから、一人で、僕だから。

 額を伝う汗を拭う余裕もない。

 堕落した虚無感に縋り、自己を確立する。

 そうすれば、混沌にかき乱される事もない筈だ。

 そう、ジメジメとした陰鬱に魂を浸せば。

 孤独、孤独、孤立無援の一人相撲。

 滑稽、滑稽だ。

 霊視抜きで傍から見れば、刀を携え一人震える物狂い。

 自虐、自らの胸中へ沈み込むイメージは加速する。

 拒絶、拒絶、拒絶。

 分かたれた。

 もはや鬼は司と別個。

 響き合っても、重ならない。

 そう今こそ――。

 一閃。

 その刹那に、冷え切った敵意が鬼を切り裂いた。

 自らも、諸共に切り裂いてしまいそうな鋭利さだった。

 きっと、自虐の現れだ。

 司の敵意が鬼を激しくかき乱し、その魂は不安定になる。

 そして、怒濤の如き勢いで広がっていく。

 それはあたかも水蒸気爆発――瞬時の蒸発により衝撃を伴う膨張。

 もはや魂の体を成さず、字の如く気体のようだ。

 広がる波、それは魂を揺さぶる精神的衝撃。

 司の魂は激しく揺らぎ、感情の変動とはまた別種の軋みを上げる。

 まるで雑音のような、明滅するかのような、不自然な思考の断絶。

 しかしそれも一瞬の事。

 意識が正常に戻り、そこで司は大きく息を吐き出した。


「終わった……」


 安堵しつつ、太刀を地へ突き立てた。

 初めて実感した魂の危機への恐怖は、酷く司の体力を損なった。

 今までに自分が学んだ知識、そして継ぎ足した思いつきが有効であったことは喜ばしい。

 けれど、それが必要になるとは思わなかった。

 いや、思いたくなかったというのが正確か。

 危機感の欠如甚だしい。

 激しく肩を上下させながら、顔が引きつるのが分かる。

 そうだ、理不尽はいつも傍らにある。

 それは、自分の母とて例外ではなかった――。


「大丈夫か?」


 司への問いかけ。

 気付けば、傍らに黒いスーツを着た神崎勉。

 気遣う声が、司には白々しく感じられた。


「いつから、見ていたんですか?」


 問いを返した。

 努めて虚勢を張り、平然としている風に。


「そう言うな。お前の集中を妨げたく無かったんだ。それに、本当についさっき来たばかりだ」


 大規模な異変に気付きやって来たのか。

 そう言えば、妖気を感知する周囲の結界に、勉が機械的な発信器を連動させていた気が。

 よく見ると、勉の呼吸は微かに乱れているのが分かる。

 確かに勉が乱入すれば、司の集中力が散漫になる恐れがあった。

 それに、司が発狂寸前で踏みとどまれたのは、独りだったから。

 そうでなくば頼る心が生まれ、負の意志を逸らす事が叶わなかっただろう。

 初めから大人数だったならば、話は別だが。


「情報収集くらいは、してくれたんですよね?」


「端から見てはいたが、直接触れ合ったお前の方が情報量は多いはずだ」


「残念ながら、爆発で消し飛びました、色々と」


 気の爆発と意識の明滅が、司の魂に刻まれた記憶と、それを分析する余裕を吹き飛ばした。

 得られた情報は、司を飲み込もうとした強烈な共鳴に外部からの介入があった事くらい。


「残念ながら、こちらもそうだ。恐らく、自爆装置のような物が仕組まれていた」


 少々、爆発の効率が良すぎた――。

 勉の補足に、司は苦笑せざるを得なかった。


「あんなレベルの鬼にそこまで干渉出来るって、何者ですか」


「それが容易く出来る高名な技能者であれば、動向が簡単に調べられる筈なのだが」


 そうですか――。

 司は投げやりに嘆息し、太刀を引き抜いて家へ向かう。

 結局何も分かりそうにない。

 これだけの衝撃、周囲の霊も煽りを喰らったはずだ。

 少しは休めるだろう。

 封印もいい加減維持しなくてはならない。

 司は封印の支柱なのだから。


「今日は、もう眠って構わない」


「はい?」


 勉の言葉に司は思わず振り返り、怪訝な声を出していた。


「周囲の結界を、一時的に強化して霊の流れを妨げる。朝まで保つはずだ」


「ダムでせき止めたって、霊はこちらに向かってきますよ?」


 朝まで保とうと、溜まった妖気が夜に急激な活性化を引き起こす。

 そうすれば、魂が融合して鬼になりかねない。

 だから、司は毎晩わざわざ手ずから霊を斬っているのだ。


「夜明けギリギリに、こちらで一掃しておこう。丑三つ時も過ぎた。それほど労はないだろう」


「それだってかなりの手間でしょうに、別に平気ですよ?」


「無理をするな。魂が消耗しているはずだ」


 それに、と右手の人差し指を立てる勉。

 司はそこで一つ思い至った。


「そして、それを見越して追撃の恐れもある。警戒するから足手まといは引っ込めと」


「そう言う事だ」


「なら仕方ないですね」


 お気を付けてと言い残し、司はお言葉に甘えるとする。

 太刀を手に、家へ小走りする。

 でも、これなら普段から手伝ってくれれば良いのに――。

 司は一瞬そう思ったが、家へ毎晩踏み込まれると、きっと落ち着かないだろうなと自嘲した。




「……やられちゃった」


 断固たる拒絶が昴の魂にまで波及しかけた。

 即座に鬼を自壊させるように仕向けられたのは、昴にとっては僥倖とも言えた。

 更に、共鳴による反動が昴の魂を未だ揺さぶっている。

 落ち着かない。


「キツイか?」


 真が昴の頭に手を置いたまま、問いかける。

 真の不安そうな声に、申し訳なくなる。


「私は、大丈夫」


 出来るから、真が望んでくれれば。

 真が触れてくれれば、頑張るから。

 今この状況なら、昴は真の役に立てる。

 その素養が、昴にはある。実験を経て、出来るという確信も得た。

 だから――。


「でも、もうちょっとだけ触ってて」


 その言葉に真は頷き、昴の頭を撫でる。

 指先が、ゆっくりと頭頂部を。

 そこにある、昴の角を――。

 触れて良いのは真だけ。

 だから、二人の生活を勝ち取るんだ。

 昴は高ぶりと共に、唇を小さく噛んだ。



 続く


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