12話 地雷踏んでるって気付けよ
――離さないで。
司に纏わり付く思念。
それを言葉にするならば、このような所だろう。
昼間であっても、封印の鬼が持つ思念は生者の気をはね除けるほど強固で、途切れない。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行……」
司はその呟きを淡々と繰り返す。
同事に中指と人差し指を揃えて立て、宙へ格子を描くように踊らせる。
台所の床下収納に偽装したむき出しの地面、そこに在る封印の要石。
身を洗い清め、白装束を着る。
微かに腐臭漂う地べたへ降り立ち石に触れ、九字を唱える。
一連の流れは実利というより、司の精神を整え『調律』に適した状態に移行させる為のものだ。
そう、訓練させられた。
『調律』とは詰まるところ、封印を緩めて鬼の魂に自らを浸して、鬼を沈静化する儀式である。
封印の要である司自身と、鬼の結びつきが強くする。
そうすることで、鬼を封印に縛り付けるのだ。
しかし、司は思う。
縛り付けられているのは自分自身、要の者こそが封印という名の牢獄にいる、と。
自身の姓である『要』とは、示すとおりに封印を維持する要訣たる証。
それが皮肉にしか聞こえない。
何度、役目を投げ出し逃げたいと思ったか。
見聞役という名目の監視も、神崎勉に継がれてからはずいぶんと甘くなったように感じられた。
そう、簡単だ。
自由になることなんて、簡単だ。
けれど、無理だ。
家を離れることを許されないのは、封印が維持できないからというだけでない。
そこに酷い罪悪感を伴うから。しかし、それは使命感などという高潔な意志の表れではない。
実のところ、一度だけ逃げだそうとしたことがある。
母の死に立ち会って間もなく調律を引き継ぎ、けれど孤独の重圧が司の精神を苛んで、自棄になって。
今でも覚えている。逃げ出す瞬間は興奮し、愉悦があった。
けれど、家を離れる距離が開くごとに込み上げるのは、不快感だった。
後ろめたいような、落ち着かない気持ち。
そう、例えるならば、泣きじゃくる幼子を置き去りにするような――。
あるいは、体の一部をごっそり失うような、強烈な違和感。
そこに居るべき、ではなく居るしかないと思わされる。
そんな真綿で首を絞めるような強制へ反抗心を覚えながらも。
そして落ち着けば、逃げ出してどうやって生きていくのだという冷めた思いも湧き上がる。
そうまでして押し通すべき自分も無く、結局は流されるままが一番楽だという結論にたどり着く。
そう、ここに居るしかないのだ。
そう諦めると鬼への同情が強まるのを感じ、調律を終えた。
諦観が心を支配すると、その先にあるのは安堵。
そして、封印へ愛着すら湧き上がってくる。
「くだらない……」
自嘲に顔を歪めて吐き捨てる。
封印が解けたところで、さして迷信深い人間も居ない現代においてどれだけの脅威なのか。
そして、鬼は徐々に衰えている。
封印は鬼を鎮め、その魂を大地へ還す為のものだ。
その日は、もしかすれば司の生きている内に来るかもしれない。
このまま順調にいけば、そう遠くないようにも思える。
床に上り、あらかじめ用意してあったタオルに足を着き、汚れを拭う。
白装束の帯も緩め、脱ぎ捨てようとする。
くだらない。このままで、いたくない――。
そうしている間にも、後ろ髪を引かれるような感傷がついて回った。
――鬼の名を呼んではならない。
近づきながらも、一線を引いて構える。
鬼との境界線を引く。
それこそが封印の本質とも言える。
そう、教えられている。
名を呼べば、鬼を強く想ってしまう。
鬼に呑まれてしまう、と。
いっそ、その方が楽かもしれない。
司はそう思って、けれど……。
「信治」
自然と口を突いて出たのは、友人の名前だった。
……そうだ。
それこそが、唯一司が縋ることのできる縁なのだ。
「うわ、僕って気持ち悪いわぁ……」
乾いた笑い声を漏らし、けれど心の何処かが軽くなったような気分で。
自分には、まだ友達がいる――。
「信治、もうちょっとしたら来るかな……」
早く着替えてしまおう。
そう思って、跳ねるように自室へ向かう。
そして、ふと頭を過ぎるのは、強烈な不安感。
もし、信治がここへ来なくなったら、自分が忘れられたら、と。
「そんなコト無いさ」
あいつ、他に友達いないから――。
喉を鳴らし、苦笑しながら呟く。
「そんなコト、無いさ」
それが根拠の薄い強がりだと理解しながら、呟いた。
「純水?」
「そう、純水だ」
水の使い手が雷属性の攻撃を防ぐときに使われる――。
俺はそう次いで、袋から取り出したペットボトルを突きだした。
「塩辛は?」
司の反応はお寒いものだった。
これを百均で見つけたとき、俺がどれだけ興奮したか。
お前ならば分かってくれると信じてたのに。
とりあえず塩辛を取り出して、司に渡す。
「ほれ、塩辛だ」
「ありがと。じゃ上がってー」
そういや、玄関だよ。
靴も脱がずにいきなり『純水だー』は引くよなぶっちゃけ。
改めて、おじゃましまーす。司の部屋に向かう。途中の台所で、司は冷蔵庫に塩辛をしまった。
「……まあ、純水で君が興奮するのは、分からなくもない」
部屋に入って腰を下ろしたところで、司が切り出した。
あれ、じゃあ何故?
「僕の純水は十八本まである」
買い置きしてあるのさ――。
な、なんだってー!
「あ、十八本は言い過ぎた。六本くらい?」
それにしたって多いだろ。
「まさかお前、水使いか!?」
「くっくっく、不純物を含まない水の前に、雷など通用しない!」
まあ、空気も絶縁体なんだし、それくらい気合いで何とかしろって思うけど――。
司は、そう付け加えた。
あ、そう言えば、雷使い系は普段から空気という絶縁体相手にがんばってるんだよね。
盲点だった。
「それと知ってるか、信治。雷は実を言うと下から上に昇ってるんだぜぇ」
「あ、マジ?」
「マジっすよー」
それ知らんかった、スゲェ。けど、司のだるそうな言い方が微妙にウザイ。
「つまりー、避雷針さんってー、天に向かって雷放出中ってやつですよー」
そこで脳裏に閃くのは、気合いの雄叫びと共に天へエネルギー光線を打ち出す少年とか、漫画チックな光景。
「しかも、だ」
そこで司は語調を重苦しくした。何だ?
「空気は絶縁体だから、雷はじわじわと昇っていくんだ」
分かるな――。
つまり、敵の防御フィールドに防がれそうになっても気合いで押し切るみたいなアレか。
「あれだな、うぉぉぉってヤツか」
言いつつ、なんか手から放つような真似をしてみる。
そうだ――。
司もにやけた面で頷いた。
「「うぉぉぉぉ!」」
再度言うと、司と声が重なって。
司と目があって、それで妙におかしくなって苦笑する。
「うぉぉぉ!」
いつの間にか、神崎さんも背後で叫んでいて。
「「えう、あ、え」」
司と同事にテンパって。
「仲がよろしいようで何より。ついでに補足するなら、雷はあくまで放電現象であり、条件次第で昇ることも落ちることもある」
夏雷は落ちて、冬雷は昇ることが多いらしい――。
そうすか。
あ、今日は割烹着なんですね。
あんた、いつコスプレに目覚めたんだよ。
「死んだ母の形見で……」
嘘だ、絶対嘘だ!
「まあ、冗談はさておき、麦茶でも飲むが良い」
偉そうに言って、お盆を置いてから神崎さんは部屋を出た。
ほんと、どうやってばれないようにドア開けてんだよ。
なんだろう、このいたたまれなさは。
司と前世設定資料集作ってるのを操さんに見つかった時みたいな。
……なんか全身痒くなってきた。
「あー、それで何故、そんなにも純水持ってるんだ」
話題転換しようと、改めて訊ねてみた。
「うん、ま、あれだよ。通販で健康食品とか、ミネラルウォーターまとめ買いするから」
長期保存用って謳い文句に惹かれて――。
ああ、そういや、ガーディアンさん(笑)は通販で大抵の買い物済ませてるんだよね。
「着物とかも、通販で買ってるのか?」
司が着ているのは、紺の地に白で竹をあしらったものだ。
他にも結構、色々持っているようだ。
服を買いに行く服が無いなんて、現代じゃ簡単に解決できる問題だ。
普段を全裸で過ごしてます、とかだったらお手上げだが。
「いや、これはお母さんが生前に用意してくれたヤツとか、後お下がり」
司はサラッと言ってのけるが、地雷踏んだ気がする。
「それにさぁ、洋服は実物見たり着たりしないと駄目じゃない?」
それは同意できなくもない。
着る服の半分は親がバーゲンで買いあさった物なので、あまり触れたくないが。
「まあ、けれど服を買いに行く服も無いし」
こりゃ大変だー家から出れないな――。
おいおい、言い訳にしてやがる。
つか、今着ているので外に出ればいいだろ。
あ、いや、目立つか。けどな。
「通販通販」
服を買いに行く服くらい、それで我慢しろ。
「僕のパーフェクトロジックに比べて、ひでぇ根性論だ!?」
「理論だなんて、気合いで破れるんだよ!」
我慢的な意味で。
少年漫画っぽく言ってみる。
元より理論も何も無いが。
「気合いとか、君と縁遠くね?」
ウケるー。
こっちを指さして、司は喉を鳴らした。
そして司の笑い声が止んだところで、希によくある嫌な沈黙。
黙り込んで、話題を、取っ掛かりを探して。
そこで思う。
普段通りのテンションで、馬鹿やってそこそこ楽しい。
けど、それだけで、良いのか?
『だからダチできねんだよ』
中村の嘲笑。
『また、今度ね!』
鬼瓦さんの、別れ際の声。
妹さんに流されるままだったけど、友達が出来た。
ただの切っ掛けだけど、上手くいけば本当に友達になれるかもしれない。これからの俺次第。
司にも、切っ掛けが要るんじゃないか?
『広美と要が話せるように、取り持って欲しいんだ』
……中村なんて、どうでもいいけれど。
けれど、これは良い機会じゃないのか?
『その時が来たら、踏みとどまるな』
そうだ、怖じ気づくな。
神崎さんも言ってた。
これは多分、踏みとどまっちゃいけないところじゃないか。
だから――。
口の中に溜まる唾を飲み込んで、口火を切った。
「なあ、真面目な話なんだが、良いか?」
「なんだい?」
首を傾げて応じる司。
「お前、そろそろ外に出ないか?」
そう言うと、司は微かに表情を歪めてから俯いた。
やっぱりまずいんじゃないか。
そう思いながらも、勢いのままに俺の口は続く言葉をまくし立てていた――。
続く




