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ロスとクァルカスの《マティルトスの鼾亭》での一幕



「ひゅー、ようやっと《オクトダラス》かあ」


 御者台のハギルが大げさな声を上げた。

 休みを入れながら一晩中、そして翌日中も馬車を走らせた私たちは、夕暮れを迎える前の今、《オバル街道》沿いの宿場町、属領都市・《オクトダラス》に到着していた。


大将チーフ? このまま、いつも通りだろ?」

「ああ」


 私の声にハギルは、馬車の速度を少しだけ緩めると、門衛へ銅貨を弾いて街の大きな門をくぐる。

 門衛もハギルのことは良く知っているから、無理に止めようとしたりはしない。冬のこの時期は門をくぐるための行列なんかもできにくかった。


 ハギルはそのまま《オクトダラス》の中心部、当地の冒険者ギルドのギルド館へと馬車を走らせる。《オバル街道》沿いのギルド館ではもっとも北方に位置するギルド館だ。我々も利用する機会は多い。

 レンガとコンクリート造りの街並みに、どこか古めかしい印象の石造りの無骨な要塞のような外観の本館の屋根が見えてきた。

 それはこの街の中央付近、役所などが建つ区画の隣の一画にある。

 本館を囲むように細い路地が通り、馬小屋や鍛冶屋や換金所、卸の仲介業者や鑑定屋、加工職人の掘っ立て小屋などが並び、大きな道路を隔てると種々の小間物屋がある。


 物珍しそうにオルレイウスが馬車から身を乗り出して、ひとつひとつ興味深げにハギルに向かって問い質す。

 私はその少年らしい振る舞いをそれとなく観察していた。……別におかしいところはないが、しかし……。


 街並みを車上から眺めて、私たちはひとまずギルド本館のすぐ隣にある馬小屋へと向かった。

 馬小屋に馬車ごと馬を預け、馬子にチップを握らせて大きな荷物を降ろし、背中に担ぎ上げた。

 私の体格と同じほどの大きさ。しかし、予想外に軽い。やはり空を翔ぶ怪物は不思議だ。しかし、解体して小さくなっているというのに、この大きさだ。


「レインフォート殿。よろしければ、私もなにかお手伝いいたしましょうか?」


 幌馬車から降りようとするレシルに私は微笑み返す。


「デモニアクス殿はとりあえず、ミアドール殿と馬車の中でお待ちください」

「わかりました! 馬車の警護ですな?」

「そう、ですね」


 鼻息の荒いレシルに背を向けて、私はオルに軽く頷きかけて歩き出した。

 そのオルの背中を押すように、ハギルとロスが私に従い、ルドニスはいつものようにその場に残る。


 冬の時期の属領都市はわりと閑散としがちだが、さすがに《オクトダラス》の冒険者ギルドにはそれなりの活気があった。

 冬は人族や獣などは静かになるが、《魔物種オルカ》や《魔獣種モンストゥルム》の中にはこの時期にしか出現しないものもある。

 必然、冒険者の仕事も季節を選ばないことが多い。


 私は本館の扉を開いた。喧騒が耳を打つ。

 扉のすぐ内側に立っていた男に音もなく進み出たハギルが身分証を見せた。


いい荷物・・・・を預けてえんだが? それと、今晩の宿に馬車で入れるとこが欲しい」


 男はひとつ頷いて、喧騒を割るように私たちの前を歩き出す。

 酒臭い男どもが私の大荷物を見てちょっと反応し、私やハギル、ロスの姿を見とめて目を見開き、ざわついた。見るからに興奮している者もいる。

 わざわざ、席を立って道を譲ろうとするやつまでいる。そんな有象無象のうちのひとりが声を上げる。


「ハギル! 《優良者》の背中のはなんだよ?」

「うるせえよ、黙って飲んでな」

「おい、ハギルよ。そっちの小僧はなんだ?」

「てめえもうるせえ、いちいち俺に訊いてくるんじゃねえよ」


「……いつもこうなのですか?」

「だいたいな。ここは宴会場パーティールームみてえなもんだ。……今日は大した顔ぶれじゃねえ」


 オルの問いかけに答えたハギルの言葉に、屈強な男どもの何人かが爆笑した。


「ハギル! 今日も手厳しいなあ!」

「いやいや、違えねえ! ハギルどんの言う通り!」

「ハギル! ずいぶん遅えお帰りじゃねえか? なんかあったのかよ?」


「だからあ、なんで俺なんだよっ!」


 ハギルがばかどもの相手をしている間に、私は男の背についてずんずん進んだ。

 《オクトダラス》の冒険者ギルド本館の一階部分はいつも酒場と化している。別に酒をギルド側が売っているわけではないのだが、持参する冒険者は多い。

 壁に所狭しと貼られた依頼を選んだり、依頼の受付や完了報告の順番を待っている間に酒盛りを始めてそのまま宴会に突入するというパターンは非常に多いのだ。

 そういう者は、たいてい古参の《下級ロウワー》や《中級ミディアム》。

 上を目指す者は、馬鹿騒ぎには一歩距離を置いて、耳を澄ませて情報を収集したり、情報の交換に精を出す。


「おい……俺の酒が飲めねえのかよ?」

「いや、私は……」

「おめえら《初級ビギナー》だろ? 古参の言うことは聴いとくもんだぜえ?」


 なんて会話も聞こえてきた。

 どこでも見る絡み酒。ここで折れていては、冒険者として大成できるわけがない。


「……まあ、レシル嬢をこんなところには連れてきたくはないのう」


 ロスの呟きに私も心の中で頷いた。いい予感はしない。

 女性冒険者もそれなりの数がいるが、あの姉妹は目立つ。ふたりとも旧家のルエルヴァ子女らしく銀髪だし、美形だ。

 古参冒険者に絡まれて戦棍メイスを振り回すレシルの姿が目に浮かぶ。……そうでなくとも、彼女からほかの冒険者に喧嘩を売ることも考えられた。


 至極平穏ないつも通りの光景を通りすぎ、私たちの前を歩く男は真っ直ぐに受付カウンターへと向かってひとつ頷きかけると、鍵束を受け取り、そのまま受付脇の地下への階段を降りる。


「いつも通り、みなはここで待っていてくれ」


 そう言い残して、私は男に続いて階段を下りた。後ろからカウンターを出てきたもうふたりの男がついてくる。

 男たちは、階段の壁に吊るされていたランプをひとつずつ手にとり、私を挟んで足早にほの暗い地下へと降りていく。


 地下は倉庫になっている。ふつう、荷物を預けるときにはパーティーの代表のひとりが立ち会うものだが、《初級ビギナー》あたりだと荷物を受け取って追い返される。

 古参の《下級ロウワー》や《中級ミディアム》あたりだとめんどくさがって立ち会わないことも多い。


 それなりの広さの床に、荷物票を結びつけただけで転がされている雑多な荷物を足で蹴とばしながら進んだ男は、倉庫の奥の扉の鍵を開けた。

 鉄の扉の奥の部屋には、収納棚が等間隔の列を作っている。鍵付きの収納棚。《上級ハイアー》がふつうに使用し、《中級ミディアム》が上等な獲物を仕留めたときに使う。

 私の背後で扉が閉まり、鍵がかけられる音がした。後ろの男がランプを手にして付き従ってくる。ちょうど私の足元を照らすように灯りをかざしてくれる。

 列の間を通り抜け、先を歩く男はさらに奥の両開きの扉の上下と真ん中みっつの鍵を開けた。ここから先は《上級ハイアー》以上専用。


 次の部屋は壁の全面に鉄板が打ちつけられて、その壁には備え付けのランプが灯されている。

 ぶ厚い鉄製の収納棚が列をなし、そのサイズも大小さまざまだ。ふたたび、私の背中で扉が閉まり、鍵がかかる音。しかし、後ろを歩いていた男たちはこちらの部屋には入って来なかった。

 ここから先に入ることは許されていないのだろう。


 前を歩く男は少し振り返り、それを確認すると、並んだ収納棚を通りすぎ、さらに奥まったところの床に敷かれたカーペットを剥がす。そして、床に現れた扉に鍵を差し込んだ。

 男が鋼鉄製の重そうな床の扉を開く。その先にはさらに地下へと続く階段。降りていく男に私も従った。

 ここから先は《上位シニア》以上にならないと使用できない。


 石造りの広い地下室。ランプの灯りだけでは全貌がわからないが、かなり広いことだけはわかる。


「……ここで待っていてくれ、サー」

「クァルでいい」

「冒険者と馴れ合うことはない」


 ここに来るたびに会うというのに、名前も知らないその男はそれだけ言うと相変わらずの速足で、私を闇の中において先に進んでいく。

 灯りが小さな点になり、角でも曲がったのか見えなくなった。少し間があって暗い地下室に何か重い物が動く音が響いた。

 どうも、この地下室の先は迷路になっているらしく、その先にはいろいろと仕掛けもあるらしい。

 昔、ここに侵入ことがあるハギルがそう言っていたのだから、間違いはないだろう。


 しばらくしてから、男が闇の中から戻って来た。


「さあ、その荷物を預かろう。安全は保証する」

「頼んだ」

「……何度も言うようだが、ハギルクラスの《盗賊シーフ》に対しても、今は・・万全だ……」

「承知している」


 いつも通りの会話を交わして私は男に《エンヘン・ディナ》の《魔材》を預けた。



「僕の冒険者登録はしないのですか?」


 階段を上がっていくとオルレイウスのそんな声が聞こえた。


「いや、オル。冒険者ギルドと一口に言っても多少の地域色というものがある。《オクトダラス》の冒険者ギルドには《北派》の影響が強いからのう。ルエルヴァで登録するほうが無難じゃろう」

「あの、ロス? 《北派》とは、なんでしょうか?」

「ん? 《北派》とは、冒険者ギルドのいわば派閥じゃのう。特に《北派》には現在の冒険者ギルドの前身でもあった秘密結社の伝統が根づいておる。そもそも、冒険者ギルドには、初代の《デモニアクス》がルエルヴァやその近郊に点在しとった自衛集団やならず者どもをまとめ上げてできた《南派》と、現在の北方属領地域に広く根を張っておった幾つかの秘密結社が手を組んでできた《北派》というものがあった。結局、《北派》も《デモニアクス》の人望に惹かれて合流することになり、現在の冒険者ギルドの形となったと言われておるが、まあ、少数で活躍できる手練れの需要の問題が大きいじゃろうて。……そう言えば、お前さんの故郷には冒険者や冒険者ギルドはなかったのか? 《北派》の冒険者ギルドは現在のグリア地域にもあるはずじゃが?」

「僕の故郷は小さな国でしたから、冒険者がやるような仕事も貴族や領民が一緒になってやっていたように思います。……それに、小さな規模の《魔獣種モンストゥルム》の群れの討伐なんかは、もの凄く腕の立つ元冒険者がいましたので」

「ほう、単独でか? 気になるのう。わしも三十年から冒険者をしておるし、もしかしたら名前のひとつも聞いたことがあるかもしれんぞ?」


「ふたりとも、こちらの用事は済んだぞ」


 男に手数料を払って、私は会話に熱中しているロスとオルに声をかけた。

 ハギルがさきほどの男に馬小屋付きの宿の場所を訊いている。


「なんか、特典サービスで馬車は預かってくれるってよ。いつもんとこでいいよな?」

「そうだな。……それじゃあ、ここからは自由行動だ。ハギル、オルを案内してやるんだろう? ……ついでにルドニスとデモニアクス殿、ミアドール殿にも声をかけておいてくれ」

「へいへい、大将チーフ……ついて来な、オル」


 ハギルが早くも兄貴風を吹かしてオルに向かって親指を立てて外へと向かって行く。

 ふたりとロスを送り出しながら、私はオルレイウスの表情を窺っていた。眠そうにあくびをしている少年。

 彼は、いったいどこまで悟っていたのだろうか? ……と。



 私はギルド本館の周囲の雑踏を抜け、大きな通りをふたつ挟んだ向こう側の小さな宿《マティルトスのいびき亭》を訪れた。

 私が《見習いアプレンティス》のころから、ロスが贔屓にしている宿だ。


 顔見知りの女将の嬉しそうな声に送られて、二階への階段を上がる。

 二階の一番奥。女将曰く、VIPルーム。その一部屋のドアを開ける。

 窓があり、小ぶりだが暖炉もある。部屋の壁際にはベッド。これはだいぶ前から私の体には少々小さい。

 そのベッドに歩み寄り、腰を下ろした。私の体重にベッドがきしみを上げる。



……道々、馬車の上でロスと話し合ったオルの今後。

 それについては当人からも承諾を得ていた。


 決めたことはおもにみっつ。

 まず、《エンヘン・ディナ》の《魔材》についてはロスが管理するということ。

 オルはルエルヴァで奴隷のまま冒険者になること。

 そして、私の徒弟となること。


 確かに、身元を保証する人間がいれば奴隷でも冒険者ギルドに登録することは可能だ。

 そうやって買った奴隷に稼がせる貴族なんかもいるし、有能な奴隷に恩を売って、奴隷身分から解放された時に子飼いにするものも少なくはない。 

 冒険者として一定以上の仕事をこなして《上級冒険者ハイアー・アルゴノーツ》になれば自動的に共和国籍も与えられる。


 だが、それは遠い道のりだ。

 奴隷の冒険者は雇用主の命令はもちろん、ギルドから割り振られる仕事も断ることは許されない。

 貴族にしてみれば金稼ぎの道具だし、冒険者ギルドからすれば捨て駒に近い。


 他人が嫌がるような依頼や、本来の階級よりもひとつふたつ上のランクの探索クエスト・討伐依頼が回ってくることはざら。

 ランクづけが曖昧な仕事を回されることも多い。

 そういう役割を担う者がいるからこそ、多くの低位冒険者の仕事は成り立っているわけだが。


……オルレイウスにとっては、そちらのほう・・・・・・がよほど生存確率が高いことも事実。


 私の提案した通りに運んでいたなら、《エンヘン・ディナ》という太古の《妖獣種レムレース》の王をオルが単独で撃破したということになっていただろう。

 もちろん、それこそが事実と言うべきだが、そうしたならオルレイウスは、七つの《大神殿》を頂点とする《ルエルヴァ神官団》と《元老院》に注目されることになる。

 その場合、オルに彼らが期待することは決まっている。


 東方、《アラシュヴァーナ》戦線への投入か、または北方、《ギレヌミア》戦線への投入。

 徴兵拒否権のある《最上位冒険者》の地位を得たとしても、オルに回ってくるのは我々でも手を焼くような討伐依頼に決まっている。

 加えて、彼にはおそらくそれらを断る権利は与えられない。


 オルの実力を知れば、新しい若い英雄を動かすために《ルエルヴァ共和国》最高意思決定機関である《元老院》はきっと《国法》が適用される例外としてオルを認定しようとするだろう。

 そうすれば、待っているのは結果がわかりきったルエルヴァ市民総投票。そして、彼は戦争へと駆り立てられる。

 他国人のオルレイウスが《共和国》で一息に地位を得るということは、そういうことだ。


 もし、オルがどこかの戦場でまた裸にでもなったら?

……彼が裸になる理由にはだいたい見当がついている。だが、そんなことがほんとうにあり得るのか。

 私自身もまだ半信半疑だ。


 とにかく、地位を得たオルが要求される任務は、私が予想する裸になる必要性――それが生じるようなものばかりになるはず。

 全裸になれば、彼は《神官団》の手によって殺されるだろう。

 そうでなくとも、ルエルヴァ周辺で裸になれば神罰が下る可能性は高い。


……もちろんオルの未来を考えた場合にそれらがもっとも実現性の高いものだというだけでそうなるとは限らない。

 ふつうにオルが試練を乗り越えるかもしれないし、裸になったとしても《神官団》や神罰を逃れてどこかに逃げ延びるかもしれない。


 それでも、少年の目の前には一筋縄ではいかない波乱の運命が待ち構えていただろう。



 だが、オルレイウスは選ばなかった。

 選択の結果、確かにオルは奴隷になり、《エンヘン・ディナ》の討伐は《テオ・フラーテル》とオルの手柄ということにはなるが、そうなれば少年に向けられる目はかなり違ったものになる。

 《テオ・フラーテル》のおまけ扱い。それがこれからルエルヴァでオルが受けるだろう評価だ。


 しかも、オルは私の徒弟となった。

 そうなれば、私もオルのことを無碍にはできない。

 弟子を簡単に死なせるような冒険者は評価を落とす。後継を導けないような冒険者は指導力が不足している上に、人物を見る目がないとみなされる。


 そのぐらいならまだいい。……私の徒弟になった少年が少年だ。

 もし、私の徒弟になったオルがどこかで全裸にでもなれば、私は《元老院》に出頭を命じられるだろう。

 そうなればオルだけではなく、私も終わりだ……。


……私にはまだまだやるべきことと守るべきものがある。

 こんなところでつまづいているわけにはいかないんだが……。



「おい、クァル。起きてるじゃろ? ちょっと付き合え」


 考え込む私を、ドアの向こうから呼ぶ声がする。


「入ればいいだろう? 師匠」


 私はわざとトゲのある声を出した。

 ドアが開くと上機嫌のロスが入って来た。その手には……見覚えのある小瓶。そして、もう片方の手にはグラス?

 ハギルが渡したのか?


「飲んでるのか? ……珍しい」

「わしの孫弟子に魔法使いが誕生した記念じゃからな!」

「……悪かったな、魔法の才能が少しもなくて……」

「すねるな! デカい身体で何をいじけておるか? めんどうくさいのう、お前は」


 ロスは少しふらつきながら窓際まで行くと、窓の桟に腰を預けた。

 しかし、ほんとうに珍しい。ロスが自分から酒を飲むなんて。


「不服かな? クァルよ」


 にやにやしながらこちらを見ているロスを呆れつつ眺めた。


「ああ、不服だよ。……なんで、師匠命令なんて反則技を? 最後に聞いたのは、何年も前じゃないか……」

「しかも、あのときお前は逆らったのう?」

「……だから、今回は受けたんじゃないか? 前のときに誓った言葉通りに」


 ロスは満足げな笑みを浮かべ、「偉大なこのわしに二度も逆らうことは許さんからな」と、前と同じセリフを前とは違って上機嫌に口にした。

 そして、据わりつつある目を私に向ける。


「クァル。お前、オルを見捨てるつもりじゃったろう?」

「…………そんなことは、ないさ」

「ふんっ、やはりな。……冒険者が保身に走るようになったら終わりじゃぞ」

「いつもハギルには真逆のことを言ってないか?」

「ヤツの頭の中にはそもそも、保身などという基礎的な概念すらない! ……まあヤツのことは良いわい」


 長い付き合いだ。私のたわいないウソなど、ロスの前ではなんの意味もない。

 グラスに口をつけたロスは、それを離すと手許を見たまま口を開いた。


「縁もゆかりもない小僧など、どうでもいいか?」

「……そんなことは思っていない。……私も、オルレイウスは真っ直ぐな気性の、良い少年だとは思うさ。……だがな、ロス」


 ロスが私を柔らかな視線で見る。

 私はそれを睨み返した。


「私はみなほど情に流されたりはしない。……彼は、危険だ」


 私は、オルレイウスに積極的に関わりたくない。

 彼は確かに強い。だが、間違いなく彼にはいわく・・・がある。

 彼ならば独りでもやっていけるさ。どうにかして切り抜けられる。それをどうして、わざわざ私が面倒を見なければならないというのか?


「それは、承知の上じゃ」

「だったら、なぜ?」


 ロスはゆっくりと腰を上げると私の正面に立つ。

 私はロスの顔を見上げた。……こんなふうにロスを見上げていると、小さかった頃を思い出す。

 私の背がロスのそれを抜く前。昔はこんなふうに言い聞かされることもあった。


「クァルカス。お前は、冒険者としてどこか物足りぬ」

「……は?」

「聞け。お前は確かに《優良者》と呼ばれる冒険者じゃ。見事、わしへの義務も完了してみせた……だが、それでいいのか?」

「悪いとでも?」

「悪くはない。だが、物足りん」

「……言ってる意味がわからないぞ、ロス。……酔ってるのか?」

「酔っとるわい。だが、それだけではない。……クァル、お前さんはどうして、《テオ・フラーテル》のためだけに舌を振るわなかった?」

「……それは、」


 ロスの言う通りだ。

 《ノクトゥム》宰相に弁明を求められたとき、《テオ・フラーテル》のためだけを考えたなら、オルレイウスとの無関係を証明するだけでよかった。

 オルレイウスを奴隷にしてまで引き取る必要はなかった。


「ただ、単に彼が《グリア諸王国連合》の手に渡れば、《共和国》にとって危険だと思ったからさ」

「まあよい。……しかし、気づいておるか、クァル? お前さんが他人のために雄弁を振るったのは、たぶんおおよそ二十年ぶりじゃろ?」

「…………そう、か」


 二十年前、十三歳の愚かな私。自分がなんでもできるつもりでいた、愚かしい子供。

 心底、殺してやりたいと思う、過去の私。


「それにオルは、お前さんの意図を嗅ぎ取りおった」

「…………」

「『備えない者――力を蓄えなかった者と考えない者は、与えられた結果を見届けることしかできない。それは、舞台を眺めて喝采と涙を贈る観客に等しい』……懐かしい言葉じゃな」


 二十年近くも前、まだ壮年だったロスが私の隣でこぼした言葉。

 私たちは広場に集まった群衆とともに、処刑台を見つめていた。あのときの光景と、それを口にしたロスの噛みしめた唇に滲んだ血は忘れることはない。

 あの言葉は、私というよりは、まだサルドーラム家の次期当主にすぎなかったロス自身に向けて吐かれた言葉だったのだろう。

 ロスの唇に滲んでいたのも、愚かしく幼い私のために流された血だ。


「冒険者は徒弟をとって一人前。弟子が師を育てることもある。……《優良者》と呼ばれ縮こまっとるわしの唯一の弟子に、あの子はちょうどいい」

「オルレイウスを一人前にしろと? 無茶を言うなよ、ロス! 彼は死にたがりだ!!」

「おや? お前さんの自慢は仲間を死なせないことじゃろうがい? それに一度、徒弟をとったら一生もんじゃ。諦めよ、クァル」

「……はぁ」


 胃が痛くなりそうだ。私を差し置いてロスは高らかに笑いだす。


「うひゅひゅひゅひゅ……これで、わしの魔術理論は孫弟子の力を借りて発展するぞ……なにせ、あの子は古い《詩人バード》の血統じゃからな」


 それを憶えていたのか。いや、待てよ?


「……まさか、ロス? ただ、魔術研究のためにオルを傍に置きたかったから、私の徒弟にしたんじゃないだろうな?」

「…………そろそろ寝る……」

「だいたい、唯一の弟子って、あんたはたくさんの魔法使いに魔法を教えてるじゃないか?」

「わしの徒弟はお前さんひとりじゃろ、クァル?」


 そう言って、実に適当な私の師匠は、部屋をあとにした。


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