16、クァルカス・カイト・レインフォート――ある《戦士》の誤算
「……ロス、どう思う?」
斥候役の三人を送り出してから、ずっと考えていることがあった。
「なんじゃ、クァルカス? ハギルの言ったことか?」
私を振り返るロスの視線が、昔のように柔らかい。
ロスと共にロープから解放されたレシルもちらちらと気づかわしげに私の姿を窺っていた。
……オルレイウスを送り出した以上、彼女がなんらかの暴挙に出ることはないだろうが。
「いや、今回の神託の一件。オルレイウスから聞いた情報。我々の遭遇した《スノウ・ハーピー》の通常の規模とは異なる群れ。……そして、《ノクトゥム》の現状について、だ」
ロスが鬚へと手を伸ばした。
考えているときの癖だ。
「一連の事件に……いや、《ノクトゥム》の黒煙の元と神託が関係あると? オルから聞いた情報とはなんじゃ?」
さすがにロス。頭の回転が速い。
私たちの言葉に首を捻っているレシルは置いておいても、聞き耳を立てているリシルよりも経験のぶんで数段優れているだろう。
「オルレイウスは、私にこう告げた。……『ひと月前に《ロクトノ平原》で《双生神アルキス》のふたつの《神火》とひとつの《鬼火》を見た』と」
「……ああ、それでかい」
ロスの溜息混じりの言葉に、少しだけ私は苦笑した。
それでというのは、私が不機嫌だった理由のことを指しているのだろう。
確かに、今朝私がオルレイウスに向かって言った言葉は大人げなかった。
しかし、私も単なる気分だけで沈黙していたわけじゃない。
「オルが《双生神アルキス》を見たというのは、事実じゃったのか?」
「おそらくは、な……」
「ウソに決まっています!」
レシルが吠える。
オルレイウスに敵愾心を燃やしている彼女のことを、私も非難できる立場にはないだろうな。
「レシル嬢、どうかお静かに。……つまり、神託のきっかけとなったみっつの《鬼火》とは、《ロクトノ平原》に顕れた《双生神アルキス》と《鬼火》だった、と。クァルはそう考えるわけじゃな? しかし……」
「ああ、《アプィレスス大神殿》の神託の対象が《双生神アルキス》だったとは考えにくい。《双生神》は《陽神アプィレスス》と人族との間の子供だからな」
「そうなのですか? ……さすが、レインフォート殿。博識であらせられる」
私はレシルの言葉に苦笑いを浮かべた。
確かにこの事実は膨大な神系譜を調べる程度の情熱がなければ、知らないことなのかもしれない。
「デモニアクス殿、お褒めに与り光栄です」
私の謝辞に逆に照れるレシルを置いてロスが話を進める。
「さて、そうなると神託の対象はなんじゃと考えるのじゃ? ……いや、そうか《神火》か」
「そうだ、ロス。《神火》とは、航海者を導き、同時に海に凍えた身体を温めるものだろう? そもそも《祈りの炎》とは同種のもののはず。なんと言ってもどちらも神々の力だ」
その言葉にリシルが気づいたという顔を向けてくる。
「つまり、わたくしたちと同じように《双生神アルキス》も、《スノウ・ハーピー》に襲われた……?」
「リシル、お待ちなさい。勝利をもたらす神々を襲うような《魔獣種》など」
「ミアドール殿の仰せの通りだと、私も思う」
「……わ、私も、そうではないか、と……」
赤面しているレシルのことは置いておいて。
《魔獣種》は確かに《魔物種》などよりは知性がある。
しかし、低級の魔獣の脳みそなどたかが知れているのも、また事実だ。
反射のように《神火》に襲いかかっても不思議はない。
「少なくとも、みっつの《鬼火》を見て神託を希望したパーティーが《ロクトノ平原》におったころには《双生神アルキス》は《ロクトノ平原》にはあらせられたはず。……そこから、オルが助けられたひと月前までは、少なくとも《双生神》は《ロクトノ平原》をさまよっておられたということになるのう。……神々はどれだけの《スノウ・ハーピー》を始末されたことか」
ロスの言う通りだ。
今回の探索の発端、冒険者パーティーが神託を希望したのが二か月前。そのどれほど前に《ロクトノ平原》で《双生神》の《神火》を見たかは推測によるしかないが、少なくとも《双生神アルキス》は一か月以上は確実に《ロクトノ平原》に存在したはずだ。
その間、《スノウ・ハーピー》は神々に無謀にも立ち向かい続けただろう。
炎に焼かれる蛾のようなものだ。
「おそらくハギルの言う通り《魔獣種》の生態地図は変化している。だが、それは数が増えたからじゃない。《双生神アルキス》に狩られまくったからだ」
「……そうか、こいつはまずいのう」
「どういうことですか? サルドーラム殿? 魔獣の数が減るのは良いことでは?」
「お姉さま、数が減ったのにも関わらず、より大きな群れでわたくしたちに襲いかかって来たのですよ? 道理に反しているというものですわ」
「……リシル? 私をそんな目で見るのはおよしなさい……」
リシルがレシルに睨まれて、慌てて私に向かって言葉を接いだ。
「そ、聡明な姉に代わって、わたくしが姉の考えを披露いたしますわ! ……つまり、大きく数を減らしたはずの《スノウ・ハーピー》を率いる存在者がある、とサルドーラム様とレインフォート様はお考えなのですわね?」
私はリシルに対して頷いて見せる。
「デモニアクス殿のお考えを代弁されたミアドール殿の仰せの通りだと私も思います。……そこで、ロス。こういう時に現れる存在として、どのようなものが考えられる?」
「ふむ、まずは内部的圧力や外部的圧力など環境の変化によって産まれると考えられる強力な個体、《突然変異個体》。しかしながら、《双生神》が《ロクトノ平原》にあらせられた期間にもよるが、成体となるにはいかにも短期間すぎるようにも思える。まあ、《双生神》が《ロクトノ平原》をさまよわれる前に産まれていた可能性は否定できんが。しかしながら、状況から判断しても、《スノウ・ハーピー》の異常行動は長期間醸成された結果のものではあるまい。冒険者ギルドからもそのような報告はうけておらんかった。そうすると、外部から統率者や統御者を迎えた可能性のほうが高いじゃろうて。たとえば《魔族》には《魔獣使い》などという特殊な《技能》を持った者もあったというが、今回は考えなくても良いじゃろう。魔族がまだ存在しておったとしても、わざわざ《ロクトノ平原》から、しかも数が減った魔鳥を用いて侵略行動を開始するというのは、不自然じゃ。そうなると、最悪なのは神々の御意思ということじゃが、神々は先の《神代戦争》以来相互の戦闘を禁じておられるし、《魔族戦争》においても」
「ロス、そろそろ結論を頼む」
「……まあ、しょうがないのう。知っての通り《スノウ・ハーピー》を初めとした《魔鳥》は《天魔》《オリジン・ハーピー》と太古の《妖獣種》の王たる《エンヘン・ディナ》との間の子孫、眷属じゃ。……まあ、子孫を殺しまくられれば、そのあたりが出張って来ることは不思議でもなかろう?」
おそらくは、今回の私の嫌な予感もそのあたりに起因している気がする。
『予感』とは言っても、それなりの経験に裏打ちされたものだ。
飛躍した推論のようではあるが、そもそも今回の《スノウ・ハーピー》の行動自体がひとつの飛躍と言ってもいい。
こちらも頭の中でぐらい、ひとつふたつの無理を跳び越えねばならないだろう。
「なるほど! 太古の《妖獣種》の王か、それともかの十三体の《天魔》の一体が神託の指し示していたものなのですね! ……腕が鳴ります!!」
レシルが戦棍で素振りを始めた。
私は彼女の考え違いを訂正する。
「デモニアクス殿、今回、我々は接敵は致しません」
「なぜですか、レインフォート殿? ここには《優良者》たるあなたと、あなたが率いる《テオ・フラーテル》、そして私とリシルがいるのですよ?!」
不思議そうに問いかけてくるレシルに、思わずロスを見た。
「レシル嬢、よろしいかな? 神託を思い出してごらんなさい」
「たしか……『ルエルヴァに破滅をもたらす恐れのある曲がつ力の持ち主が《ロクトノ平原》に在る。破滅を怖れるならば《デモニアクス》の名を受けた乙女に討たせるがいい』では?」
「いや、……最後は『《デモニアクス》の名を受けた乙女を遣わすがいい』ですぞ。つまり、今回は我々やあなた方が討伐するとは定められておりませぬ。このような場合は、敵を見定めて、引き返すほうがよろしかろう。……そも、《魔族》と《魔獣種》の祖でもある十三体の《天魔》も、太古の《妖獣種》《エンヘン・ディナ》も《神代戦争》を生き抜いた、人の手には余る存在。神託の内容にも、それらならば得心もいく。《ルエルヴァ年代記》には、かの《純潔神アルヴァナ》から《福音》授かっていた英雄にして、あなた方の祖たる《デモニアクス》でも、《天魔》を討つことは不可能じゃったと書かれておる。察するに《エンヘン・ディナ》も同じクラスじゃろう。とくに太古の《妖獣種》の王の中でも《エンヘン・ディナ》は、《予見の眼》を持つと伝えられておる。《エンヘン・ディナ》に関する記述は古くから存在し、あるいは《以遠海》の向こう側に巣を持つと言われ、宝石・鉱物を貪る半鳥半人の妖鳥と伝えられておるが、同時に《妖獣種》ならではの高い知性を有し、時には人に大きな幸福と幸運をもたらすものとして」
「ロス、話の途中で悪いが、《予見の眼》とは?」
さすがに私も《エンヘン・ディナ》の名を耳にしたことぐらいはある。
しかし、人族に敵意を持つと言われる《天魔》。同じく人族に敵意を持ち、接触機会も多い《魔獣種》や《魔物種》に比べて、《妖獣種》の情報は耳に入りにくかった。
「……ふむ? ……いや、そうじゃな。《妖獣種》は基本的に穏やかな気性をしたものじゃと言われておるし、戦った経験のある冒険者も稀じゃろう。《エンヘン・ディナ》が持つ《予見の眼》とは、いわば予知を行う目じゃな。未来をその眼差しに投影すると言われておる。ゆえに《エンヘン・ディナ》に敵意を持って挑む者は、みな死したと伝えられる。たとえば、《テュルナ譚詩曲》と言われる悲恋の歌には、《妖鳥王》という怪物が出てくるのじゃが、主人公はそれに挑んで命を落とす。この《妖鳥王》こそが《エンヘン・ディナ》ではないかと、多くの者が考えておるのじゃ。ちなみに《テュルナ譚詩曲》自体は、どこの国のいつのことを描いたものかも正確には知れておらん。あるものは《以遠海》の果てにそのような…………」
得意げに語り続けるロスの言葉にげんなりしていると、袖を軽く引かれた。
隣を見るといつのまにかリシルが横に並んで私の顔を見上げている。
「どうかされましたか、ミアドール殿?」
リシルは考えるように目を伏せ、おずおずと口を開いた。
「ひとつお尋ねしたいのですが。……どうしてハギル様とアーナ様に加えて、オルレイウスを?」
ああ、そう言えばこの娘とオルレイウスは同じくらいの年ごろだったな。
……若いということはいいことだ。青春とはこういうものなのだろう。
「念のためですよ、ミアドール殿。《ノクトゥム》の状況によっては、ハギルが欲をかいてもっと情報を拾おうとする可能性もあります。……しかしながら、冷静なルドニスとおそらく我々の中でもっとも手練れのオルレイウスがついていれば、大きな問題になることはないと考えたからです」
「つまり、レインフォート様は彼らがまっすぐに帰還する。……そう、お考えなのですか?」
「ええ……そうですが?」
私は少しだけ困惑する。
ああ、そうか。
「ミアドール殿は《ノクトゥム》を見捨てることを心配されているのですか? ……まあ、確かに神託の指し示していたものが現在、《ノクトゥム》を襲撃しているとすれば」
「それも、そうなのですが……」
「……? まさか、帰りの食事についてご懸念ですか? ミアドール殿とデモニアクス殿にはできるだけ不自由がないように」
リシルは首を横に振った。
そして、私が考えてもみなかった問いかけ。
「レインフォート様は、三夜前、どうしてオルレイウスがあのような場所にいたとお思いでしょうか?」
「……? 祖国を追われて、着の身着のままで投げ出されたからでは?」
「いえ、違います。そうではなくて……」
非常に物わかりの悪い生徒を相手にしている教師のような顔。
今のリシルの言葉はなぜか、そんな想像を私の頭に運んでくる。
私が、何かわかっていないとでもいうのか?
「オルレイウスは、あの夜、なぜ魔鳥に斬りかかっていたのでしょうか?」
「魔鳥を狩っていただけではないのですか?」
「え?」
「何か、おかしなことを言いましたか?」
リシルが愕然とした顔で、頭を抱えた。
数瞬後、今度は敢然として言い放つ。
「オルレイウスは、わたくしども救おうとしたのですよ?」
「……は? ……そんなばかな……」
いや、待て。クァルカス・カイト・レインフォート。
彼はあの夜、なんと言った?
――僕はただ単にやりたいことをやるために、必要な手段を取っただけだから――
「しかし、彼は『やりたいことをやるために』と言ったのですよ? 魔鳥を狩って、街に卸す、そして金を手にする。……それ以外に考えようなど」
「オルレイウスは、そのような方ではないと思いますわ!」
相変わらず敢然と主張するリシル。
そんなばかな!
「では、彼の『やりたいこと』とは、我々を助けることだった、と? 見知らぬ我々を? 自分が死ぬかもしれないのに? しかも、我々は《最上位冒険者》ですよ!? 彼の手を借りずとも、あの程度の危機は打開できた!」
「え? そうなのですか?」
「そうですとも! 冒険者に詳しくないミアドール殿はご存知ないかもしれないが、我々《テオ・フラーテル》は……」
そこまで口にして気がついた。
それらのことを、あの夜のオルレイウスも知らなかったはずだ、と。
……では、彼は、ほんとうに我々が魔鳥に襲われていたから跳び込んで来た?
我々を助けるために? 自分が追放されて、装備も貧弱だというのに?
魔鳥を狩っていたら、たまたま出くわしたのではなくて?
「そんな愚か者が、いったい、この《大地》の上の、どこで息をしているというのです?!」
思わずリシルに詰め寄った。
「……オ、オルレイウスを指していらっしゃるの?」
「そうです! 己が庇護を求めるべき立場なのに、誰が好き好んで厄介ごとに首を突っ込むというのです?!」
「……オルレイウスは、そのような方だと、わたくしは思いますわ……」
そんな常識は、冒険者には無い。
いや、冒険者に限らず、この世界のどこを見渡したって、そんな愚か者はいないはず。
しかし、静かに、そして、きっぱりと放たれたリシルの言葉にも、偽りはない。
ウソではない?
私は、とうとう理解した。
……これは、マズい!!
「…………ということで、《ルエルヴァ年代記》における記述と照らし合わせるに、《テュルナ譚詩曲》の成立時期は……? なぜ、ルドニスだけがこちらに向かって駆けてくるんじゃ?」
延々と語り続けていたロスの言葉に、私は前方を見た。
蒼褪めて全力疾走してくるルドニス。
お目付け役のルドニス。
ハギルの信頼も厚く、無茶をさせない冷静沈着なルドニス。
……ということは、現在の《ノクトゥム》には、お調子者のハギルと、これまで見たことも聞いたことも無い大馬鹿者であると判明したオルレイウスがふたりきり?
「総員、傾注!! 全力疾走用意!! 荷物は一端放棄する!!」
――私は喉が許す限りの大声を上げた。




