10、おや? ロス・レギウス・サルドーラムは酒に弱いようだぞ。
「それでお前さんは、どこの誰からどのようにして《魔法》を覚えた? 語彙についてはどのような文献、あるいは詩から蒐集した? グリアではおもにどのような言辞が好まれる? やはり『離切の言葉』は神名を告げるのが一般的か? いや、そもそもおぬしは産まれながらに《魔導の素養》があったタイプか? それとも何かしらの《魔導具》の補助を受けたものか? グリアと言えば《異教司祭》もいるはずじゃろ? 《異教》についてなにか知っておることはないか? いやいやむしろ、おぬし個人は《祈り》と《魔法》の相違点についてどのような見解を持っている?」
《ノクトゥム》を目指す道すがら矢継ぎ早にオルレイウスのすぐ後ろから繰り出される質問。
「ぅるっせえよ! ロっさん!! そのヒゲで口縛るぞ!!」
ハギルの不機嫌そうな怒声にロスはひとつあからさまにため息をついてみせる。
「愚か者め。だから、お前はやすやすと背後をとられるんじゃ。よいか、ハギル、《冒険者》とは機に臨んでは敏に察し、たとえ見誤ろうとも次善の策を選ぶものじゃ。そのためにはまず考えること。そして、行き詰まったら知ることじゃ。己の力で考えることは独力での機知を育む。機知は倦怠を打開するために何よりも望ましいものじゃ。だが、独善に陥ってはならん。ゆえに、理知の力を借りる。理知を育むにはものごとの『骨』を知ることが一番。もろもろの事柄に挑み、教えを乞うことにより、それらを既知とする。機知と理知、そして既知と手を携えて、ようやく新たな未知へと踏み出すに足る。それこそが」
「長えよっ!!」
確かにハギルの言うように長い。
だが、オルにはその言葉に聞き覚えがあった。
「『四知の教え』ですか?」
「ほう、やはりオルレイウスは見所がある」
「はってなんだよっ!!」
「ハギル、後ろがつかえとるからさっさと進め」
ちっ、と舌をひとつ打って、ハギルが歩幅を広げた。
「それでオルレイウスよ。グリアのうちには先の《魔族戦争》で魔族陣営に与したことのある国もあったはずじゃな? 魔族が残した文献なんかは残っとらんのか? 《魔術》理論、《魔導》理論においては何をもって基礎としておる? そもそも修練はどのようにして積む? やはり《魔導覚》と《魔感覚》という概念は存在するのじゃろう? 名称は異なるのか? それらを鍛えるために有効とされておる手段はあるのか? 《魔導具》や《魔導書》についてはどうじゃ? 《魔力》の無いものにも何らかの形で《魔法》を発動させることは」
「ロス。質問を絞ったらどうだ? これは取引なんだろう?」
「おっと、すまんな」
クァルカスの豊かな声を受けて、ロスがちょっと残念そうな声を上げる。
「それでは、ロス・レギウス・サルドーラム殿。僕とあなたが交互に質問し、答える形でよろしいですか?」
「ま、いいじゃろう。ただ、堅苦しいのは嫌いじゃ。ロスと呼ぶがいい」
「では、僕のこともオルと呼んでください。……それでは、ロスの最初の質問に答えます。故郷の父から《魔法》について教示を受けました」
「なるほど」
オルは幼い頃に最初に見た《魔法》を思い出す。
ニコラウスが使用していた《幻惑魔法》。
「なあ、オルよ。てめえはいわゆる《魔法剣士》ってヤツなのか? あんま見たことねえけど」
口を開きかけたオルより早くロスが答える。
「愚か者にわしが教授してやろう。《魔法使い》になるには幾つかの条件が必要とされる。まずは、《魔導》における《魔感覚》と《魔導覚》の有無じゃ。さらにそれらの才能があっても《魔力量》が少なければ当然《魔法使い》には向かぬ。さらには、多くの修辞学的な技巧を磨くために膨大な時間を要する。ハギルの頭がほとんど持っておらん知性と教養が何より必要とされるのじゃ。加えて、《魔感覚》と《魔導覚》、特に言辞へと《魔力》を導く《魔導覚》は肉体に鍛錬を課すたびに衰える傾向にある。また、才能の無い者はたとえ多少なりとも《魔導覚》に秀でていたとしても年齢を重ねるうちにその能力が減衰していく。これらの法則は約五百年前に実在したと言われる《魔術師》《ロジャー・クロミシア・ベイコン》が発見したと言われ、《ベイコンの魔導法則》とも言われておる。また、《魔導覚》や《魔感覚》と《技能》の相関関係についてはかの偉大な」
「ロっさん! 簡潔に言えよ!」
「……肉体派は《魔法使い》に向かん。じゃから、《魔法剣士》は絶対数が少ない。いたとしても、そのそれぞれの技量は《剣士》と《魔法使い》の双方の専門家には遠く及ばん」
「わかり易く言えんじゃねえか。なあ、オル?」
「…………」
ロスが眉間に深いしわを刻んだまま押し黙る。
その目はハギルを睨みつけている。
居たたまれなくなったオルは話を先に進めることにした。
「僕の質問をよろしいですか」
「……ああ、いいとも」
「まず、前提として僕は故郷以外の地域についてあまり知識がありません。また、僕の基本的な歴史についての知識は《ルエルヴァ叙事詩》を初めとした詩がもとになっています。ですので、まずは詩が史実にどの程度寄り添ったものか教えていただけませんか?」
「ふむ、なんとも漠然とした質問じゃのう。具体的には何を聴きたい?」
「そうですね。たとえば《神代戦争》から始まる《ラマルティトス創代詩》には、神々による《天上》と《大地》と《深潭》の創世の様子が語られていますし、《ルエルヴァ叙事詩》にも神々の関与が詠われています。では、現在、神々はこの世界にどのような形で存在しているのでしょうか?」
「ふむ、それは神の実在を問うているのかね?」
「不遜な!」
「レシル嬢、時に神々を試すことは、むしろ神々が喜ばれることじゃ」
レシルの非難の声を、ロスの笑い声が塗り潰した。
「いいじゃろう。神々は実在する。その何よりの証拠は《祈り》に対する恩寵であり、《神殿》にて賜る神託でもある。じゃが、どのようにして、と問われると難しいのう。少なくとも神々が《魔力》に深く関わっていることは疑いようがない。じゃが、神々の実在という現象が果たして我ら人族の一生に近いものか、むしろなにか不定形の状態かはわからんな」
オルレイウス自身は神々と呼ばれるものの実在自体には多くの疑問を抱いてない。
おそらくは、そのうちの一柱と転生前に出会っているし。
似たような存在ともひと月前に《ロクトノ平原》で遭遇しているし。
問題はこの世界の神々と、あのオルに《福音》を与えた存在者の関係性だ。
彼がオルレイウスとしてこの世界に送り出された以上、この世界とあの神――《裸神》とは、なんらかの関係があるだろう。
「では、わしの番じゃな。さきほどの質問の内容を変えよう。お前さんの父君は《異教》ゆかりの者か?」
「ええ。古めかしい詩人のひとりだと自分で言っていましたので、間違いないと思います」
「そうか! これは素晴らしいぞ!」
ふだんのいかめしい顔はどこへやら。
ロスの頬が思いっきり緩んでいる。
「おい、ロっさん。なんで《詩人》だと《異教》が関係あんだよ?」
「よいか、無知な若造よ。そもそも《異教》にも幾つか種類があるが、基本的にわしらと同じように崇める神々はおもに《七神》じゃ。じゃが、《七神》にも誕生に順がある。加えて《異教》のうちでも特に《ドリアハトゥ》は特別じゃ。まず、《司祭》に相当する者がおる。《異教司祭》じゃな。また、それらの《異教司祭》には階級があり、彼らに与えられている権威は国境と民族を越える。つまり、《ルエルヴァ神殿団》と比肩しうる組織機構を《ドリアハトゥ》は共和国の外、おもに大陸中央から北方の広い領域にもっていると考えられる。《ドリアハトゥ》の信仰について言えば、《義侠神ヴォルカリウス》と、双子神《夜の女神トリニティス》《陽神アプィレスス》を崇めておるのじゃが、かの神々が誕生されたのはなんと《神代戦争》以前にまでさかのぼる。特に《義侠神ヴォルカリウス》は、《冥府の女王ディース》と《戦神マティルトス》と《七神》に含まれない《混沌神》を除けば、最も」
「だから! 前置き長え!」
「……《詩人》は《異教司祭》から出たと言われておる。特に《異教司祭》のうち《陽神アプィレスス》を崇める者が《詩人》と呼ばれたそうじゃ」
「へぇ」
「……若造」
ハギルの気の無い返事にロスはご立腹のようだ。
「ロス。次の質問をさせてください。《ルエルヴァ共和国》には《元老院議員》という職業があると聞きました。どのような職業なのですか?」
「《元老院議員》は《ルエルヴァ共和国》の《元老院》を構成しておる。おもに《兵員民会》のうちの《上級民会》から選出されることが多いの。……さて、わしの質問じゃが《ドリアハトゥ》において《祈り》と《魔法》の相違はどのように定義されておるか知識はあるか?」
「僕は《ドルイド》ではありませんので正確ではありませんが。……確か《祈り》は神々に自らやそのほかの者の《魔力》を捧げることにより、神々の恩寵を授かるものだ、と。他方、《魔法》は己の《魔力》そのものを現象へと翻訳するもの、だったと思います」
「翻訳! 興味深いぞ! ……さぁ、どんどん行こうではないか?」
こうして、オルは乗りに乗ったロスに促されながら、情報交換という取引に尽力した。
そう、尽力した。
ロスは歩いている間中、ずっとオルをつき合わせた。
さらには日没後、野営中も食事中もそれは続いた。
「つまり、こういうことか? 個人の《魔力》は涸れるのではなく、むしろ溢れることによって廃人化する、と?」
ハギルから手渡された水嚢、携行式の飲料水を入れる容器をひったくりながら、食事を終えたロスはオルに問う。
水嚢の口を自分の口へと運ぶ間も、ロスの瞳はオルからブレることがない。
今夜のキャンプ地は《オバル街道》の傍、茂みを挟んで細い小川が流れる、見晴らしのいい小さな丘の上だった。
「…………ええ、たぶん。父の言いたかったことは、そういうことだと思います……」
「では、オルは魔法構築過程において『離切の言葉』が成立する前、魔法現象と《魔力》の《離接状態》における……いや、オルのターンじゃったな。さあ、問え!」
「……いや、もう」
「さあ!」
オルにもまだ質問すべきことはいくらでもあった。
しかし、脳みそはすでにゆで上がっていて、まともに働いていない。
「…………ロスのひいひいお祖父さんはどんなことをしていたのですか?」
「《魔法使い》じゃった。ちなみに高祖父の代にレギウス氏族からクァルの父系のレインフォート家が出た」
「……へぇ、ふたりは親戚なんですね?」
「それが、オルの次の質問でよいな。では、それに答える前にわしの質問から行かせてもらうが、魔法構築過程における『離切の言葉』が成立する前、現象と《魔力》の《離接状態》が長時間継続した場合に惹起する、『術者の身体の魔法現象化』あるいは『魔導能力障害』と、さきほどの《ドリアハトゥ》の魔導概念にどのような関連性があると思う?」
「…………《離接状態》というのは、自分の《魔力》の、《呪文》を詠唱しきる前の状態、であってますか?」
「そうじゃ。つまり、魔法に使用される《魔力》の性質が『術者の《魔力》、または魔法現象である』という状態じゃな。さきほどもちらっと説明したが、ルエルヴァにおける魔術理論においては《魔法》は少なくとも四つの過程を経るとされておる。まず、《単真状態》、魔法現象がまったく発動される前の状態じゃ。次に《連接状態》、つまり己が内部にて《魔力》が変質し魔法現象の発動が待機している状態じゃ。さらにさきほど言うた《離接状態》、つまり《魔力》が声に載って外部へと放出され、その性質と形態が二重化した状態が来て、そこから《離解状態》、つまり魔法発動状態へといたる。この時、過程という意味においてもっとも問題視されるのが《連接状態》と《離接状態》じゃな。《連接状態》においては《魔感覚》による《魔力》知覚が起こる。つまり、己の内部に異質化した《魔力》があるということじゃ。これが《魔導覚》の原理であるともされており、異質化した《魔力》も肉体の内側にある場合にはいずれ《魔感覚》で知覚できなくなる。つまり、術者の《魔力》へと還るわけじゃな。しかし、その異質化した《魔力》が声などを媒介として体外へと排出された《離接状態》になると話はまた異なる。半ば現象化した《魔力》は術者の《魔力》に還ることはない。ゆえに、《離接状態》にあっては魔法現象を完遂するか、その《魔力》を捨てるかしか選べないはずじゃと長い間考えられておった。しかし、《魔族戦争》の折り、長時間の《離接状態》から帰結したと思われるひとつの現象とひとつの症状がさらに確認された。それが、『術者の身体の魔法現象化』と『魔導能力障害』じゃ。特に『魔導能力障害』のほうはおおよそ千年前の《魔族戦争》初期から確認されておったが当初その原因は不明とされておった。《ルエルヴァ年代記》や《ラインバッグ戦記》によれば最初の患者は旧ルエルヴァ歴二十三年の第一次アルゲヌス戦役にて発症が報告されておる。話が前後するようじゃが、そもそも《魔族戦争》が開戦したとされる時期は、《ルエルヴァ三英雄》時代よりも十年ほどもさかのぼり、当時の魔術理論はまだまだ粗雑なもので、《連接状態》と《離接状態》をひとくくりに《未化》と呼んでいたような…………」
ロスは延々と語り続けた。
ときどき思い出したようにオルに質問を強要し、ロスも質問をしてくるので、逃げることも聞き流すこともできなかった。
より混沌としだしたのは、食事を終えたリシルがそこに加わり始めてからだった。
「興味深いお話しをされてますわね?」
そうリシルが声をかけてきた時、オルは天使が降臨したと思った。
だが、実際は地獄の始まりだった。
「わたくしには少し難しいようですので、もう一度初めからご説明をお願いしてもよろしいですか?」
天使……もとい悪魔は座につくなり、そう言ったのだ。
その言葉を聞いたロスの狂喜がよぎった表情をオルは生涯忘れることはないだろう。
「……っ! なんとっ! さすがに、神学を修めたリシル嬢じゃ。わかっておられる。この場がどれほど貴重かということがっ!!」
喜悦の表情を浮かべるロスの肩越しに、ハギルとルドニス、そしてクァルカスまでもがひどく顔をしかめているのが見えた。
ハギルの口が「ごしゅうしょうさま」と、動いたように見えたことはきっと気のせいではないだろう。
「確かに冒険者ギルドにも、《異教司祭》は多少おる。しかしながら、彼らの口は総じて堅い。おそらくは、信仰上の制約が彼らの口を巌へと変えておるのじゃろう。……しかし、今! この場には《ドルイド》直系の《詩人》から薫陶を受けた、信仰という制約に縛られない絶好の情報提供者がいる!! 情報を絞れるだけ絞るべきじゃ!!」
「え? 今、モルモッ」
「加えて!! 才女と名高き、かのリシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドール殿がこの場に立ち会われる!!」
待て、ロス。今、自分を指してモルモットと呼ばなかったか?
というオルの疑問は最後まで舌の上に登ることはなかった。
「それでは、オルから聞き知った《ドリアハトゥ》についての知識。そして、次にわしが長年研究してきた魔術理論についてを語り、最後に両者を綜合したわしの現在の見解を語るとしよう!!」
「なんと素晴らしいことでしょうか? かつて《魔術師民会》において勇名を馳せた弁論者、《奇才・サルドーラム》様の新たな閃きを耳にすることができるとは!」
「《奇才》? 《学術技能》の《きしょうな技能》の?」
その問いかけは豪快に無視された。
そして、《奇才》保持者らしいロス・レギウス・サルドーラムの長広舌が始まった。
「…………ということで、ここまでがわしが今宵、情報提供者から聴いた話に、わしの注釈を付加したものであるわけじゃ。次に、これまでのルエルヴァの魔術理論について語りたいと考えるが?!」
妖しい輝きを放つ眼差しでリシルとオルを交互に見ながら、ロスはそう宣言した。
そして、一端、喉を潤すためか水嚢を口へと運ぶ。
リシルも同様にいつの間にか手に持っていた水嚢へと口を付けて一言。
「素晴らしいお話しでございますわ! サルドーラム様!! ……ところで、サルドーラム様? ここまででひとつの天啓がわたくしにくだりましてよ……わたくしども《神官》が授かる神託とは、神々の言葉である以上に神々の御神体の一部と考えるべきなのでは?!」
「……っ!! リシル嬢!! なんと格別な発想かっ!! ……面白い。面白いですぞ。つまり、神々が《魔力》そのものだとするならば、《祈り》と《魔法》は同じ原理で説明することが可能となるはずじゃ! すなわち、《祈り》こそが《原初魔法》と相似的な性質を持っていると仮定することができるのではないか? オルレイウスよ、どう考える?」
「ああ、わたくしどものような地上に生きる小さきものにも、その一端をお遣わしになる神々とは、なんと情け深き方々なのでしょう? オルレイウス、そうお思いにならなくて?」
「…………噛みあってない」
「若き知性と語らうことにより、わしの魔術理論は今宵おおきな発展を遂げようとしておるっ!! ……そうじゃ! これを『サルドーラム魔術複合理論』と名づけようっ!! もちろんこの栄誉は、リシル嬢、オルレイウス、君たちのものじゃ!! さあ、ここからまとめに入ろうではないか? お前さんたちのような知性に溢れ未知へと挑む気概を持った若人こそ、わしの名を冠したこの理論の継承者にふさわしい!!!」
「御使い! そう、神託というよりは御使いという言葉こそがより正しいとは思われませんこと、おふたりとも?! わたくしどもはついに神々の御身の分身たる天使をこの地上に見つけたのですわっ!! つまり、わたくしたちが偶像などを頼りにする必要もないほどに、神々のご意思と神知に導かれている何よりの証拠なのです!! さあ、おふたりも今こそ頌歌を謳いましょう!! すべてを《天上》にてご覧になる《アルヴァナ》へと!!!」
どういう状況なのだろうか?
明らかに噛みあっていないのに、なぜふたりともこれほど上機嫌なんだろうか?
ロジカル・ハイとでも呼べばいいのだろうか?
オルはふたりの様子に、唖然としてしまう。
「思ったよか、長くかかったな」
後ろを振り返るとハギルが立っていた。
まったく気配を感じなかったことにオルは驚き、続いてハギルがぶら下げてる小瓶を見て眉をひそめる。
「お酒ですか?」
「いつも、小瓶に入れて持ち歩いてる気付用の酒精だ。……ちゃんと薄めてあるし、まあ、嬢ちゃんには数滴ってとこだ」
「飲ませたのですかっ?!」
「ロっさんはこうなると長え。ただでさえ長えのに、嬢ちゃんみてえのが加わるとどこまでもいっちまう。翌日に差し障るからな」
「いえ、しかしハギル! ロスはともかくリシルはどう見ても成年前ですよ?」
「嬢ちゃんも実にいい性格してるからな。旅の初日から数日はずっとこんな調子だったんだよ、コイツらは」
わかるだろ? そう言ってハギルは肩をすぼめてみせる。
わかる。非常によくわかった。
「幸いなことに、ロっさんも嬢ちゃんも下戸だ。特に酔ったロっさんは最高だぜ? 見てな、そろそろ始まる」
始まる? 最高?
その疑問に回答はすでに用意されていた。
「…………うひゅひゅひゅひゅ」
ロスが奇声を漏らし始めた。
「うひゅひゅ、これこそまさに天啓! うひゅひゅひゅひゅ」
「…………笑ってんだぜ?」
腹を抱えながらハギルがそう言った。
笑っていたのか。
「何より最高なのは、翌朝にはほぼぜーんぶ忘れてるってことだ。しかも、当人には発見の余韻だけが残ってるらしくってな。すげえ落ち込むんだ、これが。明日はきっと静かなもんだぜ?」
得意げなハギルを眺めながら、オルはロスに同情を禁じえない。
しかし、その当人が「うひゅひゅひゅ」と笑っているので同情しながら切実さはちっとも湧いてこなかった。
「昔の人間はコイツを神酒って呼んだらしいが、さもありなんってもんだな。……さ、少年は寝る時間だ。明日の昼にゃ《ノクトゥム》が見えるはずだからな。さっさと寝ちまいな」
そう言うとハギルは「ロっさん、やけに楽しそうじゃねえか?」とロスに絡みにいった。
リシルはとても前衛的な歌声の持ち主で、可憐な彼女に似つかわしくない調子の外れた耳障りな高音域の歌声を披露している。
……オルは徒労感を覚えて、浅く掘られた寝床へと横たわり、ローブで身体をぴったりと覆った。
眠る前にロスから得た情報を反芻する。
もちろん、あれだけ長時間応答を繰り返したのだそれ相応の収獲はあった。
まず、《ルエルヴァ共和国》が《元老院》という組織を頂点とした共和制であること。
基礎となっているのが《兵員民会》と呼ばれるいわば七つの身分制議会であるということ。
《兵員民会》はそれら七つの《民会》の総称であり、それぞれを指す時には《個別民会》と呼称されること。
また身分制議会のほかにも、首都ルエルヴァには区画ごとの議会、《区民会》があるということ。
それぞれの議会ごとに立法権や条例制定権が定められていて、身分内の犯罪を裁くなどの司法権も与えられているらしい。
ただ、《国法》に限っては《兵員民会》の総採決が必要とされるとロスは語った。
ただし、行政権は《元老院》と官僚機構に委任されており、官僚機構を指揮する上級政務官は七つある《個別民会》中の最上級身分議会である《上級民会》帰属者から選出されることが多い。
また、《元老院》を構成する《元老院議員》は、上級政務官歴任者がなるものらしい。
そして、《兵員民会》での総採決――ルエルヴァ市民総投票が行われる場合、《個別民会》ごとにまず投票を行い、《個別民会》ごとの総意を一票と数えるという。
加えて《上級民会》だけには総採決の際の三票ぶんの権利が与えられている。
つまり、《ルエルヴァ共和国》は前世でいうところの共和制というよりは貴族制に近い、とオルは結論を出す。
なぜならば、《上級民会》に与えられる権力が大きすぎる。
結局、《上級民会》帰属者の罪は《上級民会》内でしか裁けないように聞こえるし、国法などの大きな影響力を誇る規則の変更・決定に対する投票にはほかの《個別民会》の三倍の投票権が認められている。
確かに、市民総投票が行われる際の《兵員民会》の総票数は《上級民会》のもつ三票と、ほかの六つの《個別民会》ごとの一票ずつを足して、九票だ。
《上級民会》に与えられた票数は全体の三分の一にすぎない。
だが、逆に言えば、少なくともあと二つの《個別民会》の票を操作できれば、《上級民会》の意向は通る。
行政権を振るう《元老院》と官僚機構も《上級民会》から出ている。
……《ルエルヴァ共和国》は思ったよりも先進的な国ではないようだ。
そう結論づけてから、オルはロスから聴いたほかの情報を思い出そうとする。
「……………………ロスの家族のことじゃなくて……」
……………………………………………そうだ! クァルカスとロスは遠い親戚のようだ!
……なんだか、泣けた。




