四十九 厄災のジュラーヴリク
81式短距離地対空誘導弾、通称短SAM改が薄い白煙を曳いて天と地をつなぎ、爆撃航程に入ろうとするF-4の後方についたFC-1梟龍に命中。円筒形のエンジンをもぎとり、翼端に短距離ミサイルのついた主翼をむしりとる。
スティングレイ一番機が敵のMiG-29を追うその背中に、べつのMiG-29が占位しようとする。
スティングレイ二番機がさらに背後につき、また後ろを敵機がとって、敵と味方が交互に入り乱れたいびつな縦列飛行となる。
レーダー上の動きからいち早く察知していたAWACSが、93式近距離地対空誘導弾の部隊に指令。
目標を指示された近SAMの発射装置から、細身のミサイルが二基発射される。
ミサイルに勘づいたらしい最後尾のミグが、スティングレイ二番機への追尾を中止、まばゆいフレアを乱発しながら急旋回する。
ミサイルは花火のように散る熱源の群れになどまったく拘泥せず、MiG-29だけしかみえていないかのように追跡した。
画像赤外線誘導式である近SAMは、シーカーで捉えた物体の、赤外線の放射面積と放射温度、双方の数値が一定値を超えてはじめて目標であると認識する。
面積にたいし放射温度が高すぎるとフレアと見なす。そのため93式にはただのフレアは通用しないのだ。
それでも小型軽量ゆえに機敏なMiG-29は、F-15にすらまねのできないほど小さな旋回半径で瞬時旋回し、一発はふりきってみせた。
しかし、瞬時旋回は、速力をいちじるしく失う。
いまや敵機は失速寸前の速度しかない。
宙に浮くただの的と化したMiG-29に、もう一発のミサイルが近接信管の効果範囲内に肉薄。炸裂した弾頭は散弾銃のように機体を穴だらけにした。
大盤振る舞いされる地上からの対空ミサイルで、小松市の空は、排気煙の白い筋がおりなす複雑な唐草模様に彩られていた。
漣がMiG-29の一機を追う。浅間は援護位置につく。金本はさらに浅間を援護できるやや高空にいる。
敵機はアフターバーナー全開で巧妙に緩横転をくりかえして的をしぼらせない。漣もアフターバーナーに点火して追尾。機をうかがう。
と、敵機が空に斜めにのびる排気煙をまともにすいこんでしまい、とたんに足どりがおぼつかなくなった。コンプレッサー・ストール、すなわちエンジンが窒息したのだ。
二基あるエンジンのうち一基だけは正常に回っているらしく、変針してなんとか戦域から離れようとする。
酩酊したようにふらついているところを、追いついた漣が容赦なく機関砲でたたき墜とした。
「グッドキル。いいぞディスカス」
機体が遅い隕石のように炎上しながら白山に墜落するまでには、十秒ほどもあったが、パイロットは脱出しなかった。
わるい腕ではなかった。だが後ろを気にするあまり排気煙につっこんでしまい、かれは墜とされ、命まで落とした。
「敵のミスにつけこんだだけですよ」
「だがおまえはミスしなかった。おまえの実力だ」
そういってから浅間は再編隊を命じた。心なしか寄ってくる漣の翼が軽やかだった。浅間と金本とともに編隊を組み直して上昇する。
空戦中は高度を消費するばかりで、回復させるひまがない。つぎの空戦にそなえ、できるかぎり高度をかせいでおく。
それができるのも、陸自の高射隊の支援があってこそだ。
浅間は列機に残弾を確認させた。
金本はスパローとAAM-3が二発ずつ。
漣のミサイルはスパローが二発。
浅間のイーグルは、もうミサイルがない。武装は機関砲がのこっているが、それもあと二秒も連射すればつきる。
「Su-35編隊、距離二十七ノーティカルマイル」
カマクナラ隊が五〇キロメートルまで接近。AA-12“アッダー”の射程内だが、こちらは各機が電子妨害をかけている。さらに敵は三万六〇〇〇の高高度にいて、こちらを見下ろすかたちになっているため、いかにイールビスEレーダーとて、追跡距離がみじかくなる。
まだ猶予はある、と浅間がおもった直後、
「警告、警告! Su-35編隊から高速の飛翔体の発射を確認。ミサイルと思われる。十発。トラッキング1-3-5、1-3-6、1-3-7」
AWACS先任管制官の緊迫した声に、戦慄が走った。
(なぜだ!)
浅間は胃をなにものかに握りつぶされる思いだった。
「全フライト、ポリプテルス1。イールビスEレーダーにロックされている機はあるか」
無線で問うが、Su-35のレーダー照射をうけている機体は一機もなかった。
この距離で射ってくるということは、中射程ミサイル。
しかし、AA-10“アラモ”は、セミアクティヴ・レーダー誘導式であれば発射にさきだってロックオンし、誘導のためにレーダー照射しつづけていなければならない。
赤外線誘導式の“アラモ”であっても、視程外から発射するには事前に目標をレーダーでロックオンしておく必要がある。
赤外線シーカーはサーモグラフィーのようなものだ。
サーモグラフィーで人間を撮影したとき、人間であることはわかっても、それがだれかまではわからない。
敵と味方が入り乱れているなかで射つにはレーダーを照射し、敵味方識別装置でたしかめておかないと同士討ちのおそれがある。
しかも目標が自機より低空にいると、地表面からの反射熱にまぎれこんでしまうのでみえない。
よってAA-10“アラモ”ではない。
ならばのこる可能性は、もうひとつの中射程空対空ミサイルたるAA-12“アッダー”のみ。
たしかにAA-12はAMRAAMと同様、飛翔中に電子妨害をうけると、妨害電波の発信源にむかうよう自動的に誘導方式をきりかえる機能がある。電波をたどっていくのでレーダーロックも必要ない。
だが、F-15のレーダーがもつHOJモードとおなじで、原理上、発信源のいる方位はわかっても、かんじんの距離の情報がまったくえられない。
にもかかわらず、カマクナラ隊は、五〇キロメートルという射程内にちかづいてからミサイルを射った。AWACSや地上管制レーダーもなく、彼我の距離がわかるはずがないのに。
かんがえるのはあとだ。アマテラスによれば、十発のミサイルは音速の四・七倍まで加速、いまは燃料がつきたかやや減速しながらまっしぐらに飛んできている。
「攻撃行動を中止。防御機動。イーグルはデコイをだせ。北西の方角に注意しろ」
浅間の指示で、ポリプテルスにスティングレイ、ラングフィッシュ、アシペンサー、アナバス編隊のF-15Jが、チャフ・フレア射出口から三発ずつJ/ALQ-9を放出した。
親指ほどのそれは主翼をひろげて滑翔。母機にあらかじめ教えこまれた周波数の妨害電波を発信する。
十五機の鷲から放たれた囮は四十五発。
電波の発信源の数をふやすことで、ミサイルにねらわれる確率を局限する。
妨害電波追尾モード中のAA-12からすれば、さながら自衛隊機が電子的に分身したようにみえているはずだ。
ミサイルに背をむけるように南東へ退避。速力は五〇〇ノット。高度は二万五〇〇〇から三万フィート。ぞうきんみたいな雲が眼下にひろがる。
理屈では敵はすでにスパローの射程内だが、電子妨害でレーダーの有効距離が十キロメートル前後にまで落ちている。そもそも、アクティヴ・レーダー誘導ミサイルである“アッダー”に、セミアクティヴ・レーダー誘導ミサイルのスパローでは勝負にならない。
浅間たちは難破した船の破片にしがみつき、大きな波がくるたびにおびえる遭難者も同然であった。逃げの一手しかとれないわが身がうらめしい。
敵機の追尾も、地上目標への攻撃も、すべて切り上げてアムラームスキーの到来にそなえる。なにしろだれがねらわれているかわからないのだ。
味方の地対空ミサイルや陸上部隊が行動可能になっていなかったら完全に詰んでいた。まだ運はある。
発射通告から四〇秒がすぎたころ、
「ミサイル。シックス・オクロック、ハイ!」
漣が声をふりしぼった。
右目がつぶれているので、左向きに首をまわす。左目ではるか後方の空をにらむ。
すこやかに澄んだ空の、仄白くグラデーションがかった水平線のさかいめ、そこに、川面に鮠の背が光るようにして陽光に輝く物体があった。
それは超音速の槍衾。北限の地よりきたりし血に飢えた毒蛇の群れ。
「ブレイク!」
F-15JとF-2A、F-4EJ改が、編隊ごとにかたまって、左右どちらかに急旋回し、敵ミサイルにたいして三時、もしくは九時の側面をみせるようにして、さらに増速。
数秒後、十発のミサイルが飛燕の速度で流星群のようにふりそそいでくる。
大半はJ/ALQ-9を目標と誤認してくれたが、よりにもよって一発が浅間に穂先をむけていた。
左に機体をかたむけ、折れんばかりに操縦桿をひく。
増槽を二本も脇にかかえて六Gに制限されているなか、迎え角とG荷重が許容値の最大に達した旨の警報が響くのを無視し、機首をミサイルにむけるきもちで旋回しつづける。
風防ごしに、スパローより全長も直径も大きなAA-12“アッダー”の弾体の詳細……F-15の機首のようにするどく尖った先端部や、四枚ある台形の安定翼だけでなく、尾部に十字に展開された格子状の操舵翼、その網の目のひとつひとつまでもが網膜にはっきり映った。
近接信管の反応できる三メートルよりもぎりぎり離れた空間をはさみ、浅間のイーグルと、東側最強のアクティヴ・レーダー誘導ミサイルがすれちがう。
“アッダー”はわずかに身をよじらせて旋回しようとしたが、かなわずそのまま下降していった。
AA-12は大型なだけあって射程と飛行速度にすぐれるが、抵抗が大きいので高機動をおこなうと急激に運動エネルギーをうしなう。
五〇キロメートルという長距離から飛んできたのであれば、いちど回避さえできれば、ふたたび追跡してくるほどのエネルギーはない。
すべての自衛隊機が難をのがれた。しかしまだ安心はできない。
「第二波、くるぞ!」
「こなくていいよ!」
三〇キロメートルほどまで接近したSu-35五機がまたもやAA-12を発射。十発のアムラームスキーは十匹の蝮となって自衛隊機に牙をむく。
第一射より距離がちかいぶん、運動エネルギーも多い。
ふたたびJ/ALQ-9電子妨害無人機を射出。四十五のちいさな翼がミサイルをひきつける。J/ALQ-9はもうこれで最後だ。
「ミサイル、トラッキング1-3-5、1-3-6、1-0-0」
アマテラスがつたえるミサイルの針路に、胸騒ぎがした。やけに針路のずれている一群がある。
無線に声が混じる。豪雨のときに通りのむこうから呼びかけられたように雑音にまみれた声は、とぎれとぎれではあったが、
「アマテラスへ、こちらコリドラス1。IP到着まで八〇秒。コリドラス・フライトへ、コリドラス1。残飯処理の時間だぞ。ECMオン」
といっているのがわかった。
血管を氷が流れる。電波妨害のせいで、コリドラス編隊のF-2四機には、Su-35の襲来がつたわっていないのだ。
「コリドラス、爆装をすててにげろ。アムラームスキーがきている!」
瞬間、世界から、音が消えた。
五発のAA-12は囮に飛びかかろうとし、虚空をつらぬいて落ちていった。
のこりの五発は、爆撃航程に入って定針していたコリドラス編隊に襲いかかった。
大型のアクティヴ・レーダー誘導ミサイルは、妨害電波という匂いをたよりに殺到。コリドラス一番機に二発が近接信管の猛毒を浴びせ、ほかの三機にも一発ずつが致死の毒牙を刺した。
満載にしていた増槽の燃料と爆弾に誘爆。
小松市上空に、炎でできた特大の花冠が四輪、狂い咲きした。
てのひらよりおおきな部品はひとつもなく、燃える金属と炭素繊維が市街に桜吹雪のごとくふりそそぐ。
「タリホー、フォー・オクロック、ハイ」
悔やんでいると、金本の無線。右目が失明している浅間にとって右後方は最大の死角だ。頸骨の稼働範囲の限界まで首を右へまわす。
蒼空にうかぶ二本のちいさな横線。みるみるうちに線のまんなかがふくらんでいく。しだいに典麗な機体の輪郭があきらかになる。
機首から胴体にかけての優雅な曲線は、主翼へひろがり、格好のよい尾翼に収束する。
悩ましいまでの機体は、しなやかさのなかに、匂うような官能味をふくみ、まるで豊かな乳房とくびれた腰、量感のある婀娜っぽい双臀をもつ女盛りの凄艶な美女をおもわせた。
それは、極光舞うツンドラの凍空よりいでし、厄災の鶴。
Su-35“フランカーE”二機は、超音速のまま空のむこう、視程外にまでつきぬけていった。もうみえない。
口内に苦い味がひろがる。
現代の戦闘機は、なべて超音速飛行ができる。
できるが、大半の機種はアフターバーナーをつかわないと音速は突破できない。
F-15とて例外にあらず。経済飛行なら二時間は飛んでいられるが、アフターバーナー全開だと八分少々で燃料ぎれとなる。
結果的にF-15は数分しか超音速飛行できない。
だが、Su-35が搭載しているリュールカ・サトゥルンAL-41F1Sエンジンは、F-15のエンジンの一・四倍以上の大推力により、アフターバーナーなしでの音速突破を実現する。
燃費の劣悪なアフターバーナーを使用しなくてよいため、Su-35は長時間の超音速飛行を可能とする。
これは最悪の事実をしめしている。つまり、こちらが追いかけようとしても追いつけず、逃げようとしても逃げきれないということだからである。
敵は去ったわけではない。大出力エンジンにものをいわせて間合いを離し、こちらのミサイルの射程外から攻撃してくるつもりだ。
一縷の望みがあるとするなら格闘戦だが、ライフルの弾がのこっているのにわざわざナイフをぬくやつはいない。
まて。いま視認できた“フランカーE”は二機だった。あと三機はどこにいる。
「また発射されたぞ。全機ブレイク! トラッキング1-3-6、3-1-7、3-1-8」
敵は二手にわかれ、ミサイルによる挟撃をしかけてきた。射距離は双方とも三〇キロメートル前後。絶対必中圏だ。
敵ミサイルはこちらの妨害電波にむかってくる。囮となるJ/ALQ-9はもうない。
電子妨害をやめれば、地上の敵の地対空ミサイルや対空砲のえじきになるという選択地獄。
「全機、増槽を投棄。高度を一万三〇〇〇以下に落としたのち、チャフを散布し、ECMオフ」
浅間の指示に金本や漣だけでなく、ほかのF-15J編隊やF-2、F-4の部隊もしたがう。
燃料系統を増槽から胴体内タンクにきりかえてから、両翼の六一〇ガロン機外燃料タンクを落とす。
両足首に鎖でつないでいた鉄球をはずしたように、いっきに身がかるくなる。
SA-6“ゲインフル”の最小射高の下に入り、カートリッジ式のチャフを放つ。
航空機とおなじ素材でつくられた繊維片が、時ならぬ雪となって小松の空に踊る。十数機の戦闘機がばらまいたため、落英繽紛たる雪景色となった。
電子妨害をきる。これでAA-12は妨害電波追尾ができなくなった。
警報、ついでレーダー警戒装置に光がともる。
七時の方向、菱形に囲まれた<12>の記号。
妨害電波がなくなったので、ミサイル自身がレーダー照射を開始し、一発が浅間の機体をとらえたのだ。
推力を足しつつ、左に旋回。AA-12“アッダー”をあらわす記号が九時方向に移動する。
左を一瞥すると、灰いろの点。アムラームスキーを肉眼で確認。
左に瞬時旋回。機体がきしむ。息がつまる。機首をミサイルのほうにむける。
チャフを追加で放出し、ミサイルの下にとびこむ。
電柱のようなミサイルが真上を飛翔していく、心臓が強制停止させられるような光景。
獲物をのがした金属の毒蛇は、残念そうに水田地帯へと落下していった。
「スティングレイ2、アイヴ・テイクン・ダメージ。イジェクティン!」(スティングレイ二番機、被弾。脱出する)
「アマテラス、アナバス2。アナバス1がやられた。ベイルアウトを確認。フライト指揮をひきつぐ」
「クレニキクラ3、4がレーダーからロスト。スコーク7700」
二機のF-15Jと二機のF-4EJ改が撃墜された。かれらと浅間たちの差は運だけだ。ならば闘うしかない。
レーダー警報。八時。イールビスEだ。捜索どまりでロックオンはされていない。
「アマテラス、ポリプテルス1。八時の“フランカー”の距離をくれ」
「二十七ノーティカルマイルだ」
敵から遠ざかるかたちで、さらに距離が五〇キロメートルもあれば、アムラームスキーといえど運動エネルギーがつき、命中率が激減する。
意識の優先度をさげたとき、
「ポリプテルス1、ミサイルが貴機に接近。四時」
アマテラスの注意喚起に、呼吸が止まる。
とっさの判断で視認もせず操縦桿をつっこんでマイナスG降下。胃の中身がうきあがる。上半身に急激に血液があつまり、視界が真紅にそまる。すさまじい頭痛。
HUDに小松の街がせまる。街並みだけでなく道路標識や横断歩道まではっきり確認できた。
右に機体をかたむける。
チャフを散布。八〇発あるうち、もう三〇発もつかっている。
スロットル・レバーを前へ倒し、操縦桿をひきよせ、ミサイルがいる方向に高G旋回する。
レーダー警戒受信機画面の一時にAA-12をしめす記号が出現した。シーカーが覚醒し、レーダー照射してきたのだ。
しかし、ミサイルの飛翔速度は、先刻のものよりわずかににぶかった。
低空ほど大気の密度が高いため、空気抵抗がつよくなる。目標たる浅間が低高度にいたのでミサイルも突撃してきたが、濃い空気の粘性に速度を殺されていたのだ。
それでも速力と旋回能力は戦闘機の比ではない。“アッダー”は蛇の執念深さで追跡してくる。
浅間はスロットル・レバーを叩くように押しこんだ。
機体が『エクソシスト』のベッドのようにはげしく震動しはじめる。計器盤右下のエンジン排気ノズル位置指示計の針が百%の位置に到達。エンジンの排気口が最大まで開いたことをしめす。
アフターバーナーに点火した浅間のイーグルは、街の風景がバターみたいに溶けて後ろへ流れていくほどに加速した。
一瞬だけふりかえると、路上駐車されていたセダンがエンジンの噴射で枯れ葉のように吹き散らされるのがみえた。保険に入ってくれていることをいのる。
同時に操縦桿をひく。
迎え角警報とG警報が癇癪をおこす。内臓が下にひっぱられ、血のたまった両足が破裂しそうになる。しったことか。
降下から最大加速での急上昇に転じた浅間が、白い雲の傘をかぶって天へのぼっていく。
ミサイルも追随しようとして、力つきた。万有引力にしたがい落下する。
アフターバーナーをきる。
低空にひきずられ、さらに重力に打ち勝ちながら上昇するとなると、ロケット燃料のつかいきったミサイルでは運動エネルギーが枯渇する。
しかしそれは戦闘機もおなじだった。いまの回避劇で、胴体燃料タンクの十五%ほどの燃料が消えていた。浅間にしても、薄氷をふむような回避だったのだ。
なにより驚愕すべきは、レーダーが照射されたのとはあさっての方向からミサイルが飛んできたことだ。機体間相互情報共有能力により、仲間がえた目標の情報をたよりにミサイルを発射してきたのだ。
理屈では知っていた。しかし現実でされると恐怖しかない。
「ローウェイ、ディスカス、生きてるかっ?」
返答とともに金本と漣が定位置にもどる。傷はない。
そのとき、浅間たちの前方を黒い剣のような二等辺三角形の影が左から右へよこぎっていった。
地獄より這いでてきた、顔も命ももたぬ禍々しき暗殺者。
浅間の隻眼の元凶。
「最悪の底をつきぬけやがった。暗劍もまぎれこんでます」
スティングレイ一番機のモトロもほぼ同時に発見したらしい。ということは、“マレボルギア”はすくなくとも一機ではない。
電波吸収材と、電波を正反射しにくい形状により高いステルス性をえた無人戦闘機、暗劍が、からかうように、にがさぬように飛びまわる。
ステルス機はただでさえレーダーでとらえにくい。おまけに電子妨害もある。たとえ目の前にいてもレーダーロックできない。
重力を感じさせない飛びかたの暗劍の胴体下面から、半球状の水晶体がのぞく。人から光を奪う六三五ナノメートルから六九〇ナノメートルの赤い光線が空を裂く。
暗劍のレーザー砲塔は腹にある。自機の水平方向より上へ照射しようとしても、自身がじゃまになってレーザーがさえぎられる。
ただし、これは自機より高空にいる敵に無力となるということを意味しない。
背泳ぎするように背面飛行すれば、上方にもレーザーが指向できるからである。
レーダー警報がわめく。一時にイールビスE。ただし前方からミサイルが射たれるとはかぎらない。左右や後ろ、三六〇度すべてが危険地帯だ。
反撃どころではない。
Su-35編隊と暗劍の出現により、石川県の空は、いつのまにか朝鮮人民空軍の王国となっていた。
宇宙ロケットのように垂直に発射された03式中距離地対空誘導弾が、天空の畢方を追う。
81式短距離地対空誘導弾と93式近距離地対空誘導弾の援護とともに、F-15JがMiG-29を追いたて、F-2がFC-1から逃げながらべつの梟龍を捕捉。
MiG-29にF-4が追われているが、それはファントムライダーの罠。僚機のF-4がさらに後方に位置取りし、サイドワインダーを射つ。“フルクラム”はただの物質と化して墜ちていった。
直後、蛇のように忍び寄っていたアムラームスキーがクレニキクラ二番機の左側面で起爆。ファントムはきりもみに回転しながら降下していき、しだいに炎のかたまりとなり、途中で爆発した。
F-2がFC-1を追尾していたが、あいだに暗劍がわりこむ。秒速三〇万キロメートルの光の矢がパイロットの目を射抜く。
「アンヘル1、目が、目が!……」
「アルタム、パニックボタンで水平飛行に移行したのちベイルアウトせよ……」
F-2Aのキャノピーがはがれおち、アルタムが座席ごとロケット噴射で飛びだす。
ぶじに開傘する。小松基地に降りるようだ。
敵と味方のミサイルが飛び交い、コンサート会場のようにレーザーが乱舞する。
MiG-29とFC-1の物量と、死角からせまるSu-35の中射程ミサイルの隙間に、無人ステルス機が失明レーザーを刺しこんでくる。
「かんがえられるかぎり最悪の状況だな。なんとかなるか?」
「なんとかするさ」
金本への浅間の返答も強がりでしかない。“マレボルギア”の乱入は浅間の推論を補強するものだが、危険であることにかわりはない。
「Su-35編隊グループ・ブラボー、小松ベースに接近。なにかがおかしい」
アマテラスの無線で脳裡に落雷。
戦闘機よりも価値が高いのは、爆撃機や攻撃機。Su-35は、最新鋭戦闘機であると同時に、有力な攻撃機。
「アマテラス、大至急、地上のやつらに避難命令をだせ!」
直後だった。
さきの二機と別行動をとっていた三機の“フランカーE”が、さながら爆撃針路にはいって定針しているかのように、日本海から小松基地に直進。
うち二機が、翼から、銀にひかる円筒形の物体をふたつずつ、計四個、投下した。
物体は尻から傘をひらいた。落下傘で減速しながらたんぽぽの種のように降下。
Su-35三機はそのまま滑走路にたいし斜めに上空をすぎさった。
四つの物体は、風にながされ、それぞれ安宅パーキングエリアや工業団地、小松空港ターミナル、滑走路の西の上空で覚醒。信管を作動、一次爆薬が起爆する。
爆縮され圧力が頂点にたっした膨大な量の非対称ジメチルヒドラジンが解放され、沸騰液体膨張蒸気爆発をおこす。気化した液体燃料は、濃度を落としながら、つまり酸素と混合しながら、秒速二〇〇〇メートルという爆発的な速度で拡散。
閃光。
刹那、地上に四つの太陽が生まれた。
直径二〇〇から二五〇メートルの大火球が小松基地をとりかこむ。
三〇〇〇メートルの空にいて、遮光バイザーをおろしていてなお視界が橙いろの爆光にぬりつぶされる。
それは、ロケットや弾道弾の燃料である非対称ジメチルヒドラジンをもちいた気化燃料爆弾がうんだ自由空間蒸気雲爆発、地獄の顕現の瞬間だった。
灼熱の爆風がはしる。眼下では、業火のなかで、自衛隊員たちが無残に焼き殺されているのがみえた。
気化燃料爆弾の爆速や爆轟圧はたいしたものではない。しかし爆発の圧力は亡者のように命あるものをけっしてゆるさず、均等に全方位から襲ってくる。
通常の爆弾の爆風は一瞬だが、気化燃料爆弾の爆轟圧の正圧持続時間、つまり爆風によって大気の圧力が高められている状態はきわめて長い。
FH70榴弾砲を操作していた十二人の隊員たちは、圧力で眼球が破裂、耳からも血をふかせ、深海にひきずりこまれたように肺が圧搾。胸郭と腹部もつぶされる。行き場のなくなった内臓を口から吐きだし、尻からも腸が噴出。まるで巨人の手に握りつぶされたような死にざまだった。
低空レーダ装置のパラボラアンテナがへしおられ、狂気のままに踊る爆炎が空気を焼く。
高温の空気をすいこんだ隊員の気道と肺が焼けただれる。肉体の反射で気道がふさがれ、呼吸不全をおこし、コメツキバッタのように跳ねながら窒息する。
火球の温度が低下し、輝度もさがる。四つの小太陽は四つのきのこ雲となってぶきみに君臨した。
衝撃波に機体をゆさぶられつつも編隊はくずさず維持する。
長い長い、そして長い爆圧の正圧持続時間という極悪の責め苦が終息する。
しかし気化燃料爆弾の地獄はまだ終わっていない。
脱出したアルタムが、爆発のすぎた滑走路に降り立つ。目がみえないながらも手探りで自身と落下傘をむすんでいる縛帯をはずす。
逃げようとして、アルタムは背を丸めてかがんだ。
ヘルメットと酸素マスクが落ちる。現れた顔は極限の苦痛にさいなまれていた。
爆風によって大気が吹き散らされたあとには、正圧持続時間の長さに比例した死の空間がのこる。
〇・一気圧以下という宇宙空間にひとしい真空では、圧力が逆の方向にはたらく。アルタムの白濁した眼球が飛びだし、視神経の糸を曳く。顎がはずれんばかりに開かれた口からは、充血した食道や胃が、裏返った状態で体外へすいだされる。
大地に倒れ伏すアルタムが、苦痛のためにさけぼうと呼吸をする。
パイロットは喉をかきむしった。顔が土気いろに変色していく。息ができていない。
人間は酸素の濃度勾配を利用して肺胞でガス交換している。人体が消費し肺胞にもどす血液の酸素濃度は十六%で、大気中の酸素濃度は二十一%なので、すべてを中立におこうとする化学平衡により円滑に交換がおこなわれる。
いちどでも酸素濃度が十六%以下の空気をすうと、逆に肺胞の血液から酸素がうばわれてしまう。たとえば酸素濃度五%の空気をすっても、五%の酸素がえられるのではなく、体から十一%の酸素がひきだされることになる。
血中酸素が低下すると、より多くの空気をすって回復させようと呼吸中枢が強制的に呼吸させるため、さらに酸素が欠乏する。
気化燃料爆弾の爆発は、爆風と負の気圧地獄の二段構えで生物を殺戮する。飛行場一帯は、ひと呼吸しただけで死が確約される猛毒の世界となっていた。
とどめに、燃料たる非対称ジメチルヒドラジンは、それ自体が腐食性のつよい劇物だ。頭からかぶれば人体など骨ものこさず溶解する。燃えのこったそれが霧となってふりそそいでいるのだ。
滑走路上で四肢を投げだしていたアルタムの痙攣がとまる。飛行服の表面は腐食して泡立っていた。内臓破裂と極度の酸素欠乏で絶息したようだ。
周辺には軽装甲機動車や96式装輪装甲車もいた。密閉された車内なら気圧の地獄にも耐えられるかもしれないが、まず熱風で蒸し焼きにされているだろうし、生存していても外に出た瞬間に死ぬ。
屋内に閉じこもっていてようやく生きる芽がでてくるという程度だ。
それは、地上の長距離砲部隊だけでなく、地対空ミサイル部隊までもが無力化されたことを意味していた。




