二 世界の王
「番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお送りします。さきほど入ってきた情報によりますと、東海岸を航行中のアメリカ海軍空母USS<ハリー・S・トルーマン>が沈没したとのことです。空母の乗員、航空隊員あわせて五六〇〇人あまりの安否は現在確認中。生存は絶望的と見られています。同艦隊のほかの護衛艦などにも被害が出ているとの情報もありますが、まだ詳しいことはわかっていません。この沈没がただの事故なのか、それとも敵からの攻撃で撃沈されたのかも、現時点では不明です。また放射能漏れによる海洋汚染も懸念され、政府からの正式な発表が待たれます。繰り返しお伝えします。アメリカ海軍空母USS<ハリー・S・トルーマン>が東海岸を航行中、沈没しました」
そのニュースは全世界を電撃のように駆け巡り、衝撃をもって伝えられた。
電波の届く地域にすむ者であれば、どの国のどの民族も、ほぼ例外なく米空母沈没の一報に耳目を奪われた。
日本においては、まず字幕で概要が伝えられた。
国営放送は予定の番組を急遽キャンセルし、緊急の特別ニュース番組を放送した。
が、民放では、トップニュース扱いにこそなったものの、いつもの時間のニュース番組内のみで報道されるにとどまり、特番が組まれることはなかった。
ある地方の家庭では、
「空母沈没やって」
「へー」
「もったいないなぁ。あれ何千億円てするんやろ?」
「戦闘機もようけ載せとるしな」
「ほうよねぇ。損失すごいことになるなぁ」
「なんで沈んだんやろ。やっぱ撃沈されたんやろか」
「そりゃあれほどのもんやもん、アメリカの空母ゆうたら。勝手に沈むわけないやん。撃沈されたんやって、ぜったい」
「むかし松山港にもキティホークかなんかが来たことあるけどなあ、でっかかったなあ。おれ最初船や思わんかったもん。港に出たときな、松山港のターミナルかなんかの施設か思たもん。で、アメリカさんの空母はどこやろかて探して、それがほうじゃあいうんがわかって、これはでかいなあてたまげたもん。これはかなわんなて思た。原子力空母てあれよりでかいんやろ。そんなんが海に浮いとれるほうがおかしいと思うけどなあ」
「どこが攻撃したんやろ。北朝鮮やろか。ほれともロシア?」
「いやいや、北なんかがアメリカの空母にちょっかいなんか出したら、おまえ、それこそ半島ごと海に沈められるで。それに北朝鮮の軍事力やったら、空母に近づくこともできんやろ。撃沈できるいうたら、やっぱロシアか、中国か」
「あ、もしかしたらバミューダトライアングルに飲み込まれたとか」
「バミューダてどこらへんやったっけ? いやもしかしたらサルガッソーやったりして」
「次のニュースです。とべ動物園の人気者、ホッキョクグマのピースくんや、アシカたちなど、本来は寒い地域に棲息する動物たちに、連日の暑さをなんとかしのいでもらおうと、中にリンゴを閉じ込めた大きな氷がプレゼントされました。氷を見たピースくんは大喜びで、プールの中でかじったりして遊んでいました」
「おお、ピースくんえらいでっかなったな」
「やっぱ氷好きなんやな」
「……あれ? さっきなんの話しよったっけ?」
「なんやったっけ。あ、アイスまだある?」
というような塩梅であった。
日本国民の大半は、およそ、今回の空母沈没の一件を対岸の火事としてしか見ておらず、よもやこれが自分たちの人生を反転させる端緒となろうとは、この時点ではだれひとり、予想していなかったのである。
◇
アメリカ合衆国、アンドルーズ空軍基地の長大な滑走路のかたわらで、寸分の乱れもなく軍服を着用した数百人の軍人たちが、ヘリコプターを背に整列していた。
歓迎のセレモニーは用意されていない。
事態が急を要するということもあるが、かれらの最高指揮官が冗長かつ非合理的な儀礼をきらう傾向があるからだ。
権威を示すことは求心力の維持と向上のためでもあり、それを見る国民に、自身の国の繁栄常世ならんことを実感させるという心理的な目的もあるので、けっして無駄なものではないのだけれども、かれいわく、
「そんな示威行為よりも、正道の政策と結果で国民に支持を受けたい」
とのことである。
こうして有能な軍人たちをただ整列させ待機させていることにさえ、不満をいだくかもしれない。それが自分の身を護るための策であったとしてもだ。
その制服の群れの真正面に立っている、ひときわ威風堂々とした風格をもっているのが、ホレイシオ・B・チトー将軍だ。
将軍はすでに六〇を越える齢だが、生来から恵まれた体格はいまなおたゆむことなく鍛えられており、老醜の翳りなど微塵もない。ただそこにいるだけで、部隊の背筋が伸ばされる、独特のオーラがある。
将軍と、かれを先頭にした軍人の列は、みな一様に青空を見上げていた。
正確には、滑走路の端の空だ。
その視線の集中する蒼穹のむこうに、光がひとつ浮いている。
予定になかったとはいえ、かれらのあるじが帰ってきたのだ。
管制に誘導され、大質量の機体が、アンドルーズ空軍基地の滑走路に辷るように着陸する。
ランディングギアから、路面との摩擦で煙がわずかにあがる。
おくれて、青と白に塗り分けられ合衆国大統領の紋章をいただくボーイングVC-25Aのジェットエンジン音と、逆噴射をかける音とがあわさった轟音が、飛行場全体の大地を震動させた。
大統領専用機の帰還だ。
二機の専用機はエンジンの出力を落としながら滑走路を進み、停止した。
チトー将軍が大股で滑走路を横切り、機へ近づいていく。 背後で沈黙していたヘリコプターがエンジンを起動させ、回転翼がゆっくりと動きだした。
それを合図に、軍人たちが隊列を変え、両側一列に並列して、人でできた通路を形成する。
専用機にタラップが架設され、密閉式の扉が開く。
空軍所属の護衛が先に出てきて、乗降口の脇で立ち、敬礼する。
つづいて機内から現れた人物こそ、アメリカ合衆国大統領、ジョージ・ヒットリアだ。
四十八歳という若さのヒットリアは、長引く不況に財政不安、右肩上がりの失業率と、暗いニュースに支配されたアメリカに、燦然たる輝きをもって現れた人物だった。
それは決して、聞き心地のよい美辞麗句を並べ立てて国民にまやかしの希望を与え、砂糖の衣で苦い真実を隠し、甘さの内に国を堕落させるような暗愚な政治屋ではなかった。
むしろヒットリアは、
「仕事がないことを国のせいにするな。いまわれわれひとりひとりが祖国になにができるかを、国民全員が考えなければならない歴史的ターニングポイントに来ている。この国と子供たちの未来のためにわれわれは進んで犠牲になる覚悟が必要だ」
高らかに主張した。
口先ばかりの公約を掲げて追従笑いを浮かべる候補たちのなかにあって、国民に媚びを売らないこの硬派な姿勢がかえって支持を集め、多くの政治評論家の、
「政治的センスのまったくない、自殺行為にひとしい愚鈍な姿勢」
なる評判を押し退け、“ヒットリア旋風”は徐々に勢力を増し、大統領選挙のころにはほうぼうの州で並みいるライバルたちを大差で引き離し、ついにアメリカの最高責任者としての栄誉に浴するまでになったのだった。
ヒットリアを当初批判していたある政治評論家は、
「世界が暗黒に閉ざされるとき、甘言と見せかけの奇跡を以て民衆をたぶらかす偽救世主が現れる」
という聖書の一節を引用し、国民は無意識下にそういう政治家が出現するのを警戒しており、そこへまったく正反対のヒットリアという候補が現れたことで、ある意味で予想を裏切られ、そのぶん期待値が増大したのだろうとコメントした。
国民はみな無知蒙昧の輩だと公言しているも同然だ。
ヒットリアは大統領就任後もかわらず結果を求め、パフォーマンスをきらった。
いまのところ支持率も下がってはおらず、夏の議会も大統領に有利な状況で進められることが予想された。
ヒットリア大統領は足早にタラップを降り、敬礼した軍人たちの並列でつくられた通路の中央を、チトー将軍をともなって歩き、ヘリに直行した。
ヒットリアとチトーが乗り込むころには、<マリーン・ワン>の回転翼はいつでも飛び立てる回転数に達していた。
ふたりのVIPと、影のように付き添うシークレットサービスたちを乗せ、スライドのドアが閉められると、回転翼はさらに回転速度をあげた。
鋼鉄の機体がゆっくりと持ち上がり、猛烈な下降気流をうち下ろしながら宙に浮かんでいく。
むかうは一路、ワシントンにある合衆国政府中枢、ホワイトハウスである。
ヘリコプターの機内は、真上で高速回転している回転翼とエンジンの轟音に支配されている。
チトーはインターカムのついたヘッドセットを大統領に渡し、みずからも着用した。
密閉型のヘッドセットなら、ヘリの轟音に邪魔されることなく会話ができる。傍受に注意し、通信相手を限定すれば、余人に聞かれる心配もない。
理想的な環境をえたヒットリアはようやく口を開いた。
「将軍、状況を教えてくれ」
むろん、ヒットリアとてまったくなにも聴かされないままここへ来たわけではない。
でなければ、訪問先のボストンの母校で、次代を担う後輩たちとの、真の正義とはなにかを問う濃密なディスカッションの最中に、それをいきなり切り上げて首都ワシントンに蜻蛉返りなどするわけがない。
大統領が急遽予定を変更することは、ひとり大統領の問題ではない。
シークレットサービスをはじめとした警護の人間や、大統領の通過する道程に配置する警察官、軍関係者、エアフォースワンのフライトクルーに機体整備スタッフ、発着する両空港のフライトスケジュールの調整など、民族大移動に匹敵する労力と費用が割かれる。
しかし、いくつもの人間と機関を経由して秘書官とヒットリアに伝えられた情報は、錯綜し混乱しきっており、スカートの上から尻を撫でまわすがごとく判然とせず、どう判断を下せばいいのかまったく見当さえつけられないでいた。
「いま何が起こっているのか」
ヒットリアのその単純明快な問いにも、正確に答えられる者が皆無という状況だった。
そんななかで、憶測で大統領の権力をふるって、それが間違いだったら、トム・クランシーの『恐怖の総和』よろしく取り返しのつかぬ事態になりかねない。
ならば大統領がむりやり帰還する危険を冒してでも、全幅の信頼をおくチトー将軍の口から直接聞くのが最優先だと決断したのだ。
「四時間半前のことです。ペルシャ湾での任務を終了し帰航していたわが軍の原子力空母<ハリー・S・トルーマン>が沈没しました。より正確には、空母打撃群の護衛を務めていたロサンゼルス級原子力潜水艦<コロンビア>と空母が沈没、駆逐艦と巡洋艦も損害を受け、うち二隻の駆逐艦は沈没こそまぬかれたものの、自力での航行が不能です」
チトーもその大統領の意を汲んで、現段階で判明している事実のみを伝えた。
「原因は」
「不明です。また、沈没と前後して、所属不明の未確認飛行物体を多数、レーダーに感知し、ホークアイが一機、消息を絶っています。現在、周辺の海域を封鎖し、沈没の詳細な原因の調査、航行不能となった駆逐艦の曳航、生存者の有無の確認および救出活動のため、海上部隊を派遣しております」
「<ハリー・S・トルーマン>空母打撃群の指揮は、たしかストロエスネル提督だったな」
「は……」
「実直で勤勉、冷静さと並々ならぬ愛国心を併せ持つすばらしい人物だった。まさにアメリカ海軍軍人の鑑ともいうべき男だった……」
大統領はどこかを見やるようにいった。
「そんな彼が、なにもしないまま、ただ座して艦が沈むにまかせていたとは、思えん」
「同感です。打撃群と大西洋司令部との通信記録、およびレーダー記録も併せて解析中です。沈没当時のよりくわしい状況を総力で洗っています。ホワイトハウスに到着するころには、なんらかの結果をご報告できるものと考えております」
チトーの言葉に、ヒットリアはわずかに頷いた。首を傾げ、顎を撫でる。
「巨大な物体、か……」
ヘリの眼下には白亜の合衆国大統領の城、ホワイトハウスがかれらを待っていた。
ヒットリアの指示を仰ぐ補佐官や報道官らスタッフたち、アメリカ国内だけでなく世界中の報道機関から派遣された報道陣も首を長くして待っているにちがいなかった。
ヘリがホワイトハウス前の広場にゆっくりと降り立つ。
ペンシルヴェニア・アヴェニューに面した正面ゲートには、はたして報道陣が群がり、黒山の人だかりができていた。
陸路ならかれらをかきわけて進まなければならないが、ヘリならそんな手間を取らされずホワイトハウスに直行できる。
ヘリから降りたヒットリア大統領とチトー将軍、シークレットサービスたちは、怒鳴り声にちかい記者たちからの質問とストロボの嵐を背中に浴びながら、ホワイトハウスへと入っていった。
◇
会議場には、すでに副大統領などの閣僚や、アメリカ大統領をサポートするおもだったスタッフが集っていた。
統合作戦本部議長であるチトー将軍が自身の席に座り、みなに目配せする。
サラザール大統領主席補佐官が続いて椅子に腰をおろし、マヘンドラ国防長官がそれにならった。
この三人は大統領のブレーン、側近中の側近であり、ヒットリアはかれらに絶大な信用を与えていた。
「被害状況をおしえてくれ」
大統領が口火をきった。
サラザール首席補佐官が立ち上がる。
「現地時間午後一時三十一分、大西洋艦隊第10空母打撃群所属ロサンゼルス級原子力潜水艦USS<コロンビア>が深度三万フィートから急速浮上する物体を探知。回避行動をとるも通信途絶、同艦隊乗組員の目視によりUSS<コロンビア>の爆発と沈没を確認しました。午後一時三十七分、ソナーにて海中探査をおこなっていた同艦隊所属の対潜哨戒ヘリ、オーシャンホーク三機が墜落。一機は海中へ、二機は空中でお互いが接触して没しています。内、二機は、海中へ投入したソナー装置がなにものかに掴まれて、海中へ引きずりこまれるとの旨の通信を残しています。これが、USS<ハリー・S・トルーマン>との無線通信の一部です」
サラザールが部下に頷いて合図を送ると、その士官がスイッチを押した。
スピーカーからオーシャンホークの乗組員の悲痛な声が流される。
「なにかが、なにかがソナーを引っ張っている」
サラザールがさらに続ける。
「このときのソナー探査で、USS<コロンビア>沈没と同座標に巨大な物体が存在しているのを確認しています。そのデータによれば、アンノウンの全長は、およそ八〇〇フィート以上」
スタッフら室にいたほとんど全員が、隣の者と顔を見合わせ、驚愕にざわめいた。
おどろくのもむりはなかった。
八〇〇フィート以上ということは、つまり二五〇メートルをゆうに超えるということだ。
現代で最大の原潜といわれるオハイオ級原潜でも、その全長は一七〇メートルあまりである。
こんど現れたアンノウンは、それよりさらに百メートルほども大きいのだ。常軌を逸した巨大さといわざるをえなかった。
「直後、艦隊所属のE-2Cホークアイが当該海域、高度三万フィート付近を飛行する所属不明機を約五〇〇、発見。ホークアイは通信途絶。海上にて同機体の主翼部分が発見されました。おそらく墜落したものと思われます」
しんかんとした空気が室に降り積もった。
「類別不能の巨大な物体は、百ノットという驚異的な速度でUSS<ハリー・S・トルーマン>に接近。百ノットとは、およそ時速百八十キロメートルです。最速といわれた旧ソ連のパパ型原潜でさえ、最高速度は四十五ノットといわれていますから、その速力の異常さがおわかりいただけると思います。同刻、艦隊の巡洋艦と駆逐艦による雷撃開始。魚雷命中なるもアンノウンに対し効果は認められず、同四十五分、アンノウンとUSS<ハリー・S・トルーマン>接触。この接触で同艦は中破レベルの損害をうけ、ストロエスネル少将により退艦命令ならびに原子炉緊急停止命令、発令。約三〇秒後、同艦、爆発。午後二時七分、USS<ハリー・S・トルーマン>沈没を確認。第3空母航空団全滅。また爆発の余波で、同艦隊のアーレイ・バーク級駆逐艦USS<マクファール>と、同型艦のUSS<ウィンストン・S・チャーチル>が自力航行不能の損傷、乗員に多数の負傷者。タイコンデロガ級巡洋艦USS<サン・ジャシント>も損傷をうけ負傷者を出しましたが、自力での航行は可能。無傷なのは高速戦闘支援艦ただ一隻。第10空母打撃群はほぼ全滅です。そして目標をロスト」
大統領は、その深刻な事実を受け止めなければならなかった。あまりに重い現実である。
だが、原子力空母が沈没したとなれば、その問題は物理的損害だけにとどまらない。
原子力潜水艦も原子力空母も、核燃料を動力としているのだ。
「放射性物質による汚染はどうだ。沈没時、原子炉は停止できていたのか?」
サラザールの顔にさらなる暗い翳りが宿った。
「結論からいえば、大統領、あまりに緊急の事態であったため、原子炉停止命令こそ出されましたが、USS<コロンビア>、USS<ハリー・S・トルーマン>ともに沈没までに原子炉を停止させるにはいたりませんでした。周辺海域で放射性物質検査を実施したところ、最大で国際環境基準値の十万倍以上の放射性ヨウ素、および放射性セシウムが検出されました。船体とともに原子炉も損傷し、一次冷却水が漏洩したか、あるいは核燃料そのものが露出したものと思われます。事実、救出、調査活動をおこなっているこの数時間で、すでに高温の核燃料に触れた海水が急沸したことによるものと考えられる海中水蒸気爆発を観測しています」
重なる悪いしらせに、ヒットリアの眉間に深い皺が刻まれる。
「汚染の範囲は、どの程度まで広がると予想されている?」
サラザールの広い額から、珠のような汗が流れ落ちた。
「全世界です」
つとめて冷静に発語されたことばに、会議場の気温が急低下。皆が絶句し戦慄する。
「いまこの瞬間は大西洋の汚染のみですが、海には海流があり、海はつながっています」
サラザールに命じられた部下が、壁に埋め込むように備えつけられている大型液晶モニターをつける。
モニターには、右側に西ユーラシアとアフリカ大陸、左には北米と南米大陸を配した地図が表示された。
画面の中央には、両大陸に挟まれた大西洋。
サラザールが指でその中央を押さえる。
「ここが、原潜と原子力空母の沈没場所です」
アフリカ大陸の西、南米大陸から北東で、距離的には両大陸のちょうど真ん中に近い位置だ。
「沈没した海域には、北側をながれる北赤道海流と、南側を流れるベンゲラ海流があります。ちょうど、このふたつの海流が接するポイントで沈没したのが問題です。漏出した核物質はふたつの海流に乗り、三十年も経つころには世界中の海に核物質が蔓延します」
「三十年も待たずとも、周辺国は大打撃を受けるな」
原潜と原子力空母の核燃料がもし、北赤道海流とベンゲラ海流によって流されれば、両海流に関係するすべての国が汚染されることになる。
海流を矢印であらわした地図を一瞥しただけでも、その被害がありありと目に浮かぶようだった。
北赤道海流と合流してグリーンランドへ北上するメキシコ湾流の途上には、世界でも有数のサーモンの養殖高をもつデンマークのフェロー諸島がある。
地中海はいわずもがなの海産物の宝庫。
地中海にのぞむ国は、ポルトガルやスペインにフランス、モナコ、イタリアなど南欧のほとんどと、ギリシャ、トルコやイスラエルなどの東欧と中東、エジプトやリビア、アルジェリア、チュニジア、モロッコなどのアフリカ大陸北部とかなり多い。
カリブの赤い真珠として人気の観光地であるキューバ。
カリブ海がいくら美しくとも、放射性物質まみれの海にだれがバカンスにくるだろう。
同じくカリブ海を観光資源とする中米の観光国は、甚大な損害をうける。
なによりメキシコ湾流は、アメリカの東海岸全域をなめるようにながれている。
フロリダ半島も、ニューヨークもだ。
対抗策は乏しかった。
流出したのが原油だったなら、まだ打つ手はあっただろう。
原油は海面に浮くから、海上にオイルフェンスを敷設すれば封じ込めができる。
放射性物質が相手ではそうもいかない。
海中のどの深度に分布しているかがわからないし調べようもないからだ。
効果のほどは不明だが、とりあえず原油流出用のオイルフェンスを張り、海中の放射性物質の濃度を細かく調査する以外に方策はなかった。
「ホークアイが捕捉した大量の未確認飛行物体というのは?」
大統領がサラザールに水をむける。
サラザールが眼鏡を上げる。
「<ハリー・S・トルーマン>艦載のホークアイ……通称ウォッチャーズ一番機、コールサイン<グリゴリ1>が目視確認した瞬間、連絡途絶してしまったため、詳細は不明です。ただ、レーダー記録によると、探索可能範囲の内側に突如として出現しています。じゅうぶんにまえもって発見できる距離をいきなり越えて、唐突に眼前に姿を現したようなものです。しかもそれが五〇〇。巨大物体の出現とほぼ同時という点から見ても、アンノウンとの関係はゼロではないでしょう」
大統領は頷き、マヘンドラ国防長官を見やる。
「国防長官。われらが艦を沈めたアンノウンはともかく、ホークアイの防空網をかいくぐることのできる多数の未確認飛行物体に対し、われわれはイエローアラートを発令し、デフコンを3に上げるべきだろうか?」
マヘンドラの表情筋は微動だにしなかった。
「大統領がご命令なさるなら、それはなによりも尊重され優先されるべきです。が、いまの時点では時期尚早ではないかとわたしは愚考します」
マヘンドラは、長身で痩せており、鋼の意思を持った男である。
CIA長官を長年務めあげただけに他国の情勢と機密情報に精通し、いまなお院政力をもつ貴重な人材だ。
愛想も素っ気もない人格も相まって一部の閣僚からは奸物といわれているが、人好きするものだけでホワイトハウスを運営していくことができると考るほど、ヒットリアは夢想家ではない。
人好きしない性格なのはヒットリアも同様だからだ。
今後の対策と方針を話し合おうとしている、まさにそのときだった。
会議場のドアが激しくノックされた。
「大統領!」
ドアを叩き破らんばかりの勢いで入ってきたのは、スタッフのひとりだった。
ただならぬ空気にすばやく反応したふたりのシークレットサービスが、懐に手を入れながら大統領をかばうように進み出る。
「生存者です!」
スタッフは気も留めず、からからに渇いて引っ付いてしまいそうな口と舌をフル回転させて叫んだ。
「捜索隊から連絡です。<ハリー・S・トルーマン>の生存者が発見されました!」
◇
政務官たちと軍関係者、搬送先の医療関係者などとの連携があわただしくおこなわれた。
生存者の映像を会議場のモニターに回す段取りが進められているのである。
生存者発見の報を持ってきたスタッフがそのあいだ、事の経緯を大統領に説明した。
沈没した海域の周辺をしらみ潰しに捜索していた何十という救助ヘリコプターの一機が、海面に浮かぶ船体部品の一部にしがみついて震えているひとりの人間を見つけたこと。
合衆国海軍の飛行装具を身に着けていたことから、空母航空団の飛行士であることに相違ないこと。
彼が沈没の物理的、精神的ショックからかうわごとをしきりに言い、発見して引き揚げ、医療機関へ搬送する途中の機内で、容態を確認しながら官姓名や沈没時の状況を問いかけてもほとんど答えられなかったこと。
愛機に搭乗して、いざ出撃というまさにそのときに沈没した、ということを聞き出すのだけでようようであったこと。
ヴァージニアにある基幹病院に、極秘に緊急搬送されたということ。
「いまのところ発見された生存者はその飛行士だけか」
「は、現時点では、ただひとりの生存者であり、ただひとりの目撃者です」
「外傷は?」
「頭部の裂傷や右大腿骨骨折のほかには打撲がある程度です。しかしそれよりも……」
「映像、繋がりました!」
隊員が搬送された救急医療施設との回線を調整していた政務官の声に、スタッフの説明が遮られた。
ヒットリアの関心もそちらへと向かされた。
大型液晶モニターは、集中治療室とおぼしき部屋を、ガラス一枚隔てた室外から映していた。
ガラスのむこうには、ベッドに横たえられ、全身に白い包帯を巻かれ、心電図や酸素マスク、生理食塩水、ブドウ糖、鎮痛剤、各種薬液などの点滴といった生命維持装置のチューブを何本も取りつけられ、骨折したという右足をギプスで固定され、がんじからめにされている男の姿だった。
治療を受けているというより、白い縛鎖で封印しているというような光景だった。
妙だったのは、彼の周りで機械のように動き回っている医療スタッフの格好だった。
通常の白衣や手術着などではなく、エボラ菌や炭疽菌の研究室で着用する防護服のようなもので、頭の先から爪先まで全身をすっぽり包み込んでいた。
まるでなにか険難な毒物から身をまもっているかのように。
「あの格好はなんだ。あれがICUスタッフの標準装備か?」
副大統領がだれにともなく怪訝そうな質問を投げかけた。
大統領も同様の感想を抱き、直後、稲妻のようにその答えを覚った。
いまさっき説明を中途で阻まれたスタッフが、大統領の顔色の変化に気づき、ほかのひとびとにも聞こえるように声量を調節して言った。
「外傷こそ深刻ではなかったものの、救出された飛行士は、放射性物質による被爆をしていました。医療施設搬送後、飛行士が下痢や嘔吐の症状を呈し、病理検査の結果から被爆の可能性が疑われ、飛行士の体表の放射線量を計測したところ、一時間あたり一〇〇〇ミリシーベルト以上という異常に高い線量が放出されていました。これほどの線量を浴びるとめまいや水晶体混濁、嘔吐などの急性放射線障害を引き起こし、白血球の減少も起こり、一生涯で甲状腺がんや白血病または白内障などの疾病の発生するリスクがハネ上がります。それを考慮すると、これはとんでもない数値です。急遽、放射線防護服を用意し、医師をはじめとした医療スタッフに着用させました」
「要救助者の除染はしたのか」
大統領の問いに、スタッフが頷く。
「早急にスクリーニング作業がおこなわれました。しかし、それでもなお、当該飛行士からは、三百ミリシーベルト毎時という依然として高い数値の放射線が計測されています」
「どういうことだ」
「つまり」
スタッフはいちど解答を切り、言葉を慎重にえらんでから口を開いた。
「飛行士のからだそのものが、放射性物質と化してしまっているものと、思われます」
チトーが瞠若とし、多くのものはとっさに意味がわからず当惑し、ヒットリアがとかげを呑んだような苦い顔をしていた。
噛み締めた歯の間から、恐ろしい言葉が吐き出される。
「放射化か……!」
スタッフはヒットリアの目を見ながら深く頷いた。
「おっしゃるとおりです、大統領」
放射線を浴びると、本来は放射能のない物質が放射線を放出するようになることがある。
これを放射化という。
かつてヒロシマやナガサキに原爆が投下されたときにも、炸裂した瞬間に放出された強力な放射線は、建物の瓦礫やアスファルトなどのあらゆる物質を放射化させた。
都市そのものが、まるごと放射性物質となったのである。
誘導放射能による放射線は、雪のごとく降り注ぐ放射性降下物とともに、熱線と爆発の怒濤から辛くも生きのこったひとびと、また救助のために市内入りした人たちをことごとく被爆させ、死神の鎌にかけていった。
原子力発電所の原子炉も、核燃料のはなつ放射線によって、ながい時間をかけて建屋ごと放射化する。
念入りに除染しても、それじたいが放射性物質となっているのだからどうしようもない。
しかし、人体がこれほど顕著に放射化するなど、考えられないことだった。
「やはり、漏出した核燃料が原因か?……」
「は、それについてですが……」
スタッフが手元のレジュメをつぎつぎめくりながら、
「ここまで人体を放射化させるには、彼本人はそれこそケタ外れの放射線を浴びているはずです。おそらくは百グレイ・イクイバレント、つまり十万ミリシーベルト毎時以上の線量を一瞬で浴びていてもおかしくないとの見解が、放射線医療科学研究所から出されています」
被爆総量による人体への影響は、二〇〇〇ミリシーベルトで鼻などの粘膜、毛細血管から勝手に出血し、毛髪が抜け落ちたりする。死亡率は五%。
五〇〇〇ミリシーベルトだと五十%の人が死ぬ。生き残ったとしても、免疫不全、がんの頻発、子孫への影響に生涯苦しめられることだろう。
一万ミリシーベルトもくらえば、ほぼ百%死ぬ。
これを放射線の致死量というなら、救出された隊員はその十倍の線量を被爆したのだ。
その場で即死していても、なんらふしぎではない量である。
会議場の面々は、通夜のような重苦しい沈黙に支配された。
助からない。
だれもが思ったが、そう口にするわけにはいかない。
「これほどの膨大な被爆となると、空母ないし原潜の核燃料由来だけでは疑問です」
「ほかに原因が?」
「さあ、そこまでは……」
ヒットリアは片手で頭をかかえた。政務官の声も重い。
「原因はなんであれ、きわめて重度の被爆をしていることはたしかです。いわば、人型の放射性物質といっても過言ではないほどです。救出にあたったレスキュー隊員たちも被爆が確認され、現在は隔離してあります。搬送に用いたヘリも検査の結果、汚染されていました。高濃度放射性廃棄物として処理しなければ……」
大統領はひとしきり悩み、暗い目で政務官を見た。
「音声は通じているか?」
政務官が意図を察し、ぬかりなく繋いでおいた音声回路でドクターを呼んだ。
画面の中の防護服のひとつがこちらを振り返った。
「お呼びでしょうか、大統領閣下」
シールドの施されたマスクに隠されて、ドクターの表情は窺い知れなかったが、その声には焦燥のひびきが滲み出ていた。
医者の焦燥ほど不吉な予感を運ぶものはない。
「すまないドクター、二、三訊きたいことがあるだけだ。手短に終わらせる。要救助者は重度に被爆していると聞いたが、現在の容態はどうだ?」
「芳しくありません」
ほとんど即答に近かった。
「外傷だけなら通常の医療施設と通常の治療でじゅうぶんクリアできるのですが、この被爆がやっかいです。彼の細胞そのものが放射性物質となり、彼の体を蝕んでいるのです。これは現代の医学ではどうしようもありません」
できることといえば、モルヒネを打って苦痛を緩和して、せめてやすらかに死を迎えさせてやることくらいだと、ドクターは無力感にうちひしがれた声で言った。
「モルヒネは、もう打ったのか?」
「いいえ、僭越ながら、大統領のご指示があるまでモルヒネの投与は見合わせておりました。お話を訊かれるかと思いましたので」
冷酷で、合理的な判断だった。
もはや助からないとわかっている命なら、泣こうが喚こうが利用できるところはあますところなく利用する、おそるべき合理主義の一端が垣間見えた。
そしてドクターの判断は、いまのヒットリアにとり必要不可欠なものだった。
――ふつうの人間なら、すみやかな安楽死、そうでなくともモルヒネを投与して少しでも苦痛を軽くしてやることを考えるところである。
だが政治家とは、無用な感情論をいっさい排除し、良心を抹殺して冷徹なまでに利益を追求できるいきものである。常人に政治家が務まらず、また政治家にのきなみ常人がいない理由でもある。
「彼と話ができるだろうか?」
「うわごとがひどく、会話が成立しないかもしれませんが、意識はあります。少々お待ちを」
隊員は意識を明瞭に保ったまま、モルヒネも打たれずに待たされていたのだった。
ドクターがマイクを用意し、同時に大統領の声が仰臥している飛行士にとどくようにセッティングする。
途中で、医療スタッフのひとりが、飛行士を乗せたベッドの下、ちょうど尻の直下にあたる床に設置されたバケツを持ち上げ、
「もういっぱいになった。これですでに五リットルの下痢便を垂れ流している。脱水症状のおそれもあるから、生食の点滴量を増やそう」
ほかの医療スタッフと相談しているのが漏れ伝わってきた。
ホワイトハウスはあらためて、飛行士の症状の重さに絶句した。
「さあ、どうぞ」
映像の撮影者が被爆するおそれがあるし、衛生面の問題もあるので、集中治療室内にはカメラは入れないが、ドクターが医療用のカメラを飛行士に向け、室内に備え付けのモニターに映し、それをガラスのこちらがわのカメラが映すことで、間接的に飛行士の顔が会議場のひとびとにも見えるようになった。
重篤な被爆をしているとあって、みながこれからおそろしいものを見る体勢に入ったというような空気に変わった。
想像を絶する病状にちがいない、だれもがそう思い、身構えた。
だが、モニターに映された飛行士の顔は、予想されたような衰容ではなかった。
過剰なベータ線で火傷のような症状を起こし、全体的に赤くむくんでいるものの、健康な人間とそう大差があるというふうでもなかった。
たいていの者たちは、どこか肩透かしをくらった気分になった。
これが放射線障害のおそろしいところだ。
放射線は、今ある細胞そのものはあまり破壊しないので、初期のころは外見的には病態がそう重いように見えないのである。
外から見えぬところで、すでに破壊が始まっているのだ。
着実に、確実に。
ゆっくりと、あるいは突然に。
ヒットリアはそんな飛行士の容貌をみて、なんと声をかけていいか迷った。
しかし、貴重な時間をむだにはできない。
「わたしは合衆国大統領、ジョージ・ヒットリアだ。あれほどの被害から生存してきてくれたことに敬意を表する。きみに質問したいことがある。答えてくれるか?」
画面のなかの飛行士は、天井を見つめながら、しきりに唇を動かしている。
緑の目は、この世をすら見ていないようだった。
「なにか言っているようだが、聞こえないな。ボリュームをあげてくれ」
ヒットリアが要請すると、すぐさま秘書官が動き、音量を調節した。
とぎれとぎれに、飛行士のことばが聞こえてきた。
「すまない……うう……すまん……みんな……痛い痛い痛い……すまん……痛い……痛い……痛い……すまない……痛い……」
最初に聞こえたのはこんなことばだった。
「すまない、とはどういうことだ? いったいなにがあったんだ? たのむ、教えてくれ」
ヒットリアが懇願しても、飛行士の表情は力なく、虚ろだった。
「すまない……みんな……おれが……おれがあんな役を……おれがロイヤルストレートフラッシュなんて役を出しちまったばっかりに……それでこんなことに……すまない……すまない……」
「なに? ロイヤルストレートフラッシュ? なんのことだ?」
思わずチトーのほうに目をむけたが、将軍にだってわかるわけはない。
大統領はふたたびモニターに向き直った。
「こんなことに、とは、今回の沈没のことだな? 教えてくれ、いったいなにが、きみたちをこんな目に遭わせたんだ。どうして<ハリー・S・トルーマン>は沈んだのか。きみはなにを見た? 聞こえるか? 聞こえたら返事をしてくれ。わたしは合衆国大統領のヒットリアだ」
「大統領……大統領?」
うわごとばかりだった飛行士が変化を見せた。
目に焦点が戻り、わずかで弱々しくはあったが意志の光も宿ったように見えた。
「そうだ。大統領だ」
「大統領……ヒットリア大統領!」
声は喘鳴に近かったが、明確な反応を示してくれたのは喜ぶべきだった。
合衆国軍最高司令官の名と声が、軍人である飛行士の正気を取り戻させたのかもしれなかった。
「わたしは……わたしは、生きているのですか」
「そうだ。きみは奇跡的に助かった。そしてわれわれはきみたちの身になにが起こったのかを知らねばならん。だから教えてくれ。第10空母打撃群になにが起こったのかを」
飛行士の口唇は開閉を繰り返したが、ことばが出なかった。
なんといってよいのかわからない、という様子であった。
飛行士は顔をゆがめ、眉根をよせ、滂沱と涙を流した。
涙は、透明な水ではなく、血液そのものだった。
目尻から赤いしずくがこめかみへと流れていった。
「あいつは……奴は……」
「奴?」
飛行士は幼児に退行したかのように泣きじゃくった。
鼻からも出血が始まった。血の涙は目頭からも溢れだし、眼球の白眼の部分は真紅に染まっていた。
鼻血と血涙を流しながらも、飛行士はことばを振りしぼる。
「乗っていたF-18ごと空母が沈んで……まっ逆さまに海へと落ちて……そして……海の中で……見たんです、奴を……」
「なんなんだ、それは。そこになにがいた?」
飛行士は、顔のパーツがほとんど中央に集まるほどにくしゃくしゃにして、首をふった。
「わかりません。でも……奴は……奴は、おれを見てた……」
「見ていた?」
「ばかでかい口と……牙と……そして……あの、あの目……ああ! あのおそろしい、いまいましい邪視の目!」
飛行士の耳孔から、脂っぽい血が流れでてきた。
溶解した脳味噌と脳漿が混じったのが、耳から漏れてきているのだ。脳が液状化しながらも、飛行士は喋りつづける。
「あいつは、おれたちを憎んでる。おれたちを八つ裂きにして焼いて灰にしてもまだ足りぬほどに憎悪している。あいつはおれたちを皆殺しにするまで絶対に許したりはしない。おれたちは、おれたちはみんな殺される。おれたちは、みんなあいつに殺される!」
狂乱した叫びは、もはや飛行士の断末魔の絶叫にも聞こえた。
「おちつけ、いまここにそいつはいない。きみのいう、奴とはなんなんだ? 何者なんだ? 答えてくれ!」
「巨大な……」
飛行士が、目と耳と鼻から血をだらだら流しながら答えた。
「巨大な……怪獣……」
なに? 怪獣だと?
そう思ったとき、飛行士が握りこぶしほどもある血塊を吐き、その表情が、凍りついたかのように固定され、動かなくなった。
血に染まった光彩に浮かぶ瞳孔が収縮し、針で開けた穴のように小さくなった。
一拍ほど遅れて、心電図をモニターしていた機器から、長い長い電子音が弔鐘のように響きわたった。
心電図の波形は、完全な平坦を表示していた。
「ピンポイント・ピューピルズだ! 生命維持装置を最大。電気ショックを持ってこい!」
とたんにあわただしくなったICUのなか、宇宙服のような格好の医師やスタッフが髪をふりみださんばかりに動き回る。
「チャージ、二百!」
「クリア」
「離れろっ」
ジェルを塗った電気パッドを飛行士の胸板にあてがわれ、電圧による衝撃が送られる。
からだが跳ねる。
生命の鼓動はもどらない。
電気ショックを三回くりかえした医師は、悄沈してかぶりをふった。
会議場の女性秘書官ら何人かが、モニターから顔をそむけた。
「将軍」
ヒットリアはチトーを呼んで、
「いまの映像を見て、どう思う?」
液晶から目を離さないまま訊いた。
チトーは逡巡して、重い口を開いた。
「おそらく、大統領と同じです」