一 アメリカ空母轟沈す
青くかがやく大海原が無限に広がり、それを写したような蒼穹とはるかかなたでまじりあう。
海洋と天空の突き抜ける水天一色の青さはまさに生命の喜びと恵みの色、目にも鮮やかな悠然たる大パノラマは見るものの心をつつむ。
その海上に、隊伍を組む鋼鉄の巨獣の群れ。
山脈にも比肩する巨体、その背に、翼をたたんで休む鉄の天使達を大勢乗せた艦が、多くの護衛艦を引き連れ、青き海を行進している。
それこそまさしく、アメリカ合衆国海軍が世界にほこる原子力空母、ニミッツ級8番艦、<ハリー・S・トルーマン>の英姿だ。
島がそのまま移動しているかのような圧倒的質量の航行、それだけでも壮観無比の光景だが、さらにイージス巡洋艦、イージス駆逐艦、艦隊のバックアップを担当する高速戦闘支援艦などの何隻もの護衛艦が脇をかため、海中にはロサンゼルス級原子力潜水艦がサポートについている。
原子力空母を中核とした各種艦船群の一大兵力、無敵とさえいってよい力の象徴がそこにあった。
空母の甲板上には、主翼を折り畳んだF/A-18スーパーホーネット戦闘攻撃機が何十機も所狭しと駐機され、大空に飛び立つときを首を長くしてまっている。
防空の索敵をになう早期警戒機や電子戦機も、陽光を浴びて燦然ときらめく。
機体のあいだを、幾人もの整備兵が忙しく縫って走りまわり、おのおの仕事に追われている。
さえぎるものがなにもない洋上の強烈な日射から保護するためのヘルメットとサングラスは必須の装備だ。
空母の航海日程は長期におよぶため、さまざまな施設が内部に用意されている。
病院や商店、理髪店もあれば今日の懺悔もできる教会もあるし、アイスクリーム・バーだってある。
アイスクリーム・バーはいつ行っても行列ができるほどの大盛況ぶりで、下士官だけでなく、士官がならんでいるときもある。
だから同僚とならんでいるときに、日ごろ憎々しく思っている上官の悪口で話に花を咲かせていると、前にその本人がならんでいたりすることもじゅうぶんあるわけだ。
小規模の都市といってもよい空母の一角、テレビのあるレクリエーション・ルーム。
きょうは訓練や任務の予定がない十数人の非番の飛行士たちが暇潰しに集まり、テーブルでポーカーをしたり、テレビのチャンネルの権利を争ってアームレスリングをしたり、たわいもないことで談笑したりして、めいめいに時間を過ごしている。
いずれ劣らぬ、屈強で優秀な戦士たちである。
トランプとにらめっこしているひとりの男が、一種のポーカーフェイスのつもりか口を開く。
「やっと帰れる。半年もこれじゃあな」
煙草を片手に紫煙をくゆらせ手持ちのトランプを眺めていた男が静かに笑って反応し、
「ペルシャ湾はきらいか?」
会話をしかけた男が肩をすくめる。
「二度とごめんだね。あんなクソ暑い甲板にいたら、『スポーン』のアル・シモンズみたいになっちまう。さっさと帰りたいよ。そんでもう金輪際、きたくない」
<ハリー・S・トルーマン>は今回、ペルシャ湾にて、第5艦隊の海上治安活動の支援任務を帯び、出港。
六ヶ月にわたる作戦日程を遺漏なく消化し、いまは帰港の途についていた。
海の上での六ヶ月は長い。
なによりペルシャ湾の凶悪な太陽に熱せられた空母甲板は殺人的酷暑となり、艦載機を発艦させるスチームカタパルトの蒸気もあいまって、日中は摂氏六十度を上回るなどざらであった。
地獄である。
その地獄の任務もひとまずは終了し、みな帰還と休暇に胸を踊らせていた。
大西洋をぬければ母国はすぐそこだ。男の言うのもむりはなかった。
「なんだってタリバンの連中はさっさと降伏しないんだろうな。そうすれば戦争も終わって、おれたちもこんなとこに来ることなかったのに」
トランプの采配にすべてを懸けるひとりがガムを噛みながら言う。
「リオの連中がサンバに狂うのと同じさ。あいつらにとっちゃ腐れジハードが生きがいなんだろうよ」
「つきあわされるこっちのことも考えてほしいよ……」
ガムを味わい、札を捌く。
「現政権も弱気だよな。戦闘終結宣言をしたはいいが、自爆テロで死んだアメリカ兵の人数は、とっくに戦争中の戦死者数をこえてるんだろ? いつまでこんな泥沼の状況を長引かせる気なんだ」
煙草を深く喫い、煙と息を長く吐く。
「いっそ核を撃ち込んでなにもかも吹き飛ばしてやればいいのさ。日本だって原爆を二発落としたとたん従順になった。無条件降伏どころか、占領してくれてありがとう、在日米軍基地も出ていかないでずっといてくださいと、六十年以上たったいまでも言ってるくらいだからな。いつまでもチマチマやってないで、核でイラクを世界地図から消してやればいいんだよ」
「核を使えば世論が黙っていないぞ」
トランプを持つ手が閃き、場に置かれる。
「じゃ、何か? このままイラク派兵が長引いて、おれたちの仲間がこれ以上やつらのジハードごっこで殺されてもいいってのか? 冗談じゃねえ」
みなスートと数字をさぐりあいながら、トランプをくる。
「大統領も大統領さ。この期におよんで核兵器削減を表明するなんて。核はアメリカの特権であるべきなのに」
「日本の与党は誉めちぎってたな。核廃絶への大きな一歩とかなんとか」
短くなった煙草を憎々しげに灰皿に押し潰す。
「あの国は安全保障の観念がなってねえ。戦争がない状態が平和だの、世界から戦争をなくすにはすべての国から軍隊を取り除けばいいだの、まるで見当ちがいのことをほざいてやがる。問題の根元がわかってねえ証拠だ。それに……」
胸元のポケットから箱をとりだし、新しい煙草をぬく。
「こんどの核兵器削減案には、イワンは応じるらしいが、中国はそのそぶりもみせなかった。世界の核保有国がすべての核を捨てたとしても、ズボンを穿かなくても核武装なんてスローガンを掲げてた中国は、絶対に核を一発たりとも捨てやしねえぞ。そうなるといちばん困るのはどこの国だ? 発射から十分程度の射程内にいる日本じゃねえか。実際問題、核軍縮の潮流は、中国に有利にはたらいてる。なにしろ中国にとっちゃ、よその国が勝手に核を減らしてってんだからな。相対的に核保有率があがるわけだ。そうでなくとも、いまこの瞬間、台湾で有事が起こったらどうする? 核をもってる中国に、日本はどんな要求でも呑まざるをえなくなるぞ」
星の紋章が刻印されたジッポで煙草に火をつけ、紫煙を吟味する。
「それでも日本は鸚鵡みたいに『核はダメ、核はダメ』と繰り返す。核兵器の脅威と有用性は、唯一の被爆国の日本が一番よくわかってるはずなんだが」
「幼い国だな、日本って」
そばかすだらけの兵が鼻で笑う。
「だから、おれたちアメリカが面倒みてやらなくちゃいけないのさ。オモイヤリヨサンってやつをもらってな」
「核兵器をもちたがる国よりかはマシじゃないか? まだ身の程をわきまえてる」
外野でアイスクリームを舐めている兵が口を出す。
例のアイスクリーム・バーで一時間ならんで買ってきたものだ。
大西洋よりも青い氷菓子で真っ青に染まった舌を見せびらかすと、ポーカーの成り行きを見守っていた兵のひとりが、
「北朝鮮なんか見てみろよ、核をもって、おれたち常任理事国と対等になったつもりでいやがるぜ」
煙草を喫っていた飛行士が不敵に笑う。
「だからだよ。核をもつのは、アメリカだけでいいんだよ。アメリカこそ核を保有するのにもっともふさわしい国だ。アメリカは正義なんだから、な」
「そういうこと!」
最初に会話を仕掛けた男がカードをテーブルに展開し、見せつけるように置く。
ハンドは、ハートの8、クラブの9、ダイヤの10、スペードのジャック、そしてクラブのクイーン。
文句なしのストレートだ。
それを見た参加者の何人かが呻く。
「くそ、あと一枚でフルハウスだったのに」
そばかすの飛行士が手札を叩きつけた。
「役にならなかったら、一枚足りないのも全然足りないのも同じさ」
“ストレート”が勝ち誇った顔で見わたしていると、煙草を喫っていた男の不敵な笑みが無言で待っていた。
男は胸いっぱいに煙をいれ、一息ついてから、テーブルに五枚のカードを置いた。
全員の目がその役に吸い寄せられた。
宝くじの番号を見るように、何度も何度も確認する。
「おい、嘘だろ……?」
その言葉を言うのが、精一杯だった。
ハンドの中身は、10、ジャック、クイーン、キング、エース。そしてスートはすべて、永遠の輝きを約束するダイヤ。
「ロイヤルストレートフラッシュだ!」
観衆はみな沸き立ち、特大アーチを打ったメジャーリーガーにチームメイトがそうするように、勝者の肩をかわるがわる叩いた。
勝者は誇らしげに煙草をのんだ。
「おまえな、ポーカーの途中に自分から話を仕掛けるなんてのは、素人のすることだぜ。いいカードが回ってきて、興奮してるってのが一目瞭然だ」
足を組んでふんぞりかえったまま、ここ一番で敗れることになった“ストレート”に言った。
“ストレート”が天国から地獄へ落ちたような顔で返す。
「そんな役、そうそう出すもんじゃない。一生ぶんの幸運使っちまったかもな。きょうにでも死んじまうだろうよ」
苦し紛れの負け犬の遠吠えにしか聞こえないセリフに、王者は余裕の大笑いをするのだった。
◇
海中で息をひそめるように艦隊の護衛をしているロサンゼルス級潜水艦は、その性能の高さから、攻撃型潜水艦としてはもっとも多く量産された傑作艦である。
そのロサンゼルス級潜水艦USS<コロンビア>のソナー室で、ゲームの攻略法を教えてやった見返りにコック長に作らせた、パティ六枚重ねの特大ハンバーガーを頬張っていたソナー担当が、ふいに、聞き慣れぬ音を耳にした。
数ある潜水艦のソナー担当官のなかでも、車のドアを閉める音だけでも車種と年式を言い当てるほどの耳をもち、百年に一人の逸材と誉れ高いこの男の耳朶をうったのは、聴覚だけでなく、からだ全体で感じるような音だった。
むろん、彼でなければ気づきもしない、千歩離れたところで腹の虫が鳴くような、ごくごく小さな音波である。
音は、潜水艦のスクリュー音のような持続的な音ではなく、パルス状の信号に近かった。
どこかで聞いたことがある。
耳聞れないと思うのは、各国の海軍が保有する潜水艦のエンジン音、スクリュー音を聴き分ける方向に慢性的に思考がかたむいているからで、先入観を取り除けば、直感的におもいあたる音が記憶にあざやかによみがえった。
心臓の鼓動音だ。
妊娠した愛する妻のお腹に耳を当てたさい、鋭い聴覚が、母子合わせて三つの心音を捉え、双子だと喜びあった、春うららかだったあの日を思い出した。
あのとき聴いた鼓動に、いま感じた音の波長と成分がよく似ていた。
だが、あまりにも音の大きさが違いすぎる。
もし本当に心臓の音なら、おそろしく巨大な生物だ。
人間などとは比較しようもない。
クジラか? いや、そんな生やさしいものではない。
ソナーがヘッドフォンをして、耳を澄ませる。
また音がした。
艦の真下からだ。
さっきより大きくなっている。
近づいてきている?
ハンバーガーが手からこぼれ落ちた。
グリーンを基調としたモニターを見て、ソナーは艦長に大至急連絡した。
「艦長、こちらソナー室。深度三万フィートで反応を探知。類別不能」
「なんだ?」
「アンノウンの接近を確認。本艦の直下から急速浮上中」
司令室の無数の電子機器のディスプレイの茫洋とした明かりに包まれた中で、USS<コロンビア>艦長らが主スクリーンに釘付けになる。
「潜水艦の速度ではない、速すぎる」
即座に指示を出す。
「総員戦闘配置」
副長が復唱する。
「了解、総員戦闘配置」
「取舵一杯、全速三分の二。<ハリー・S・トルーマン>にも伝えろ。水雷長、魚雷一番から四番まで注水開始」
「了解、取り舵一杯」
「全速三分の二」
「魚雷一番から四番、発射室に装填。注水開始」
士官のひとりが赤い電話をとる。
「USS<ハリー・S・トルーマン>、こちらUSS<コロンビア>。現在本艦へ向け、アンノウン一体が深度三万フィートから急速に接近中」
「艦長、こちらソナー。アンノウンさらに接近、距離二万五〇〇〇! すごいキャビテーションだ、鼓膜がやぶれそうです!」
「おまえの耳が頼りだ、目標の針路は」
「なんてことだ、アンノウン、コース2-7-5に修正。確実に衝突コースです!」
「衝突警報、針路そのまま、突っ切るぞ」
「了解、衝突警報発令」
艦内にかん高い警報音が響く。
狭い艦内でクルーたちが隔壁を駆け抜け慌ただしく動き回る。
「艦長、アンノウンさらにコース修正、本艦に向けなおも急速浮上中。距離九〇〇〇フィート!」
「この艦を狙っているのか……」
おおぜいのクルーがひしめきあうコントロール・ルームは、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
みな、自分の仕事を完遂させようと必死であった。
「距離五〇〇〇!」
艦長が螺旋のコードで結ばれたマイクを握りしめる。
「左舷にぶつかるぞ。総員衝撃に備えろ」
「距離三〇〇〇!」
ソナーが叫ぶように伝えてくる正体不明物体との距離が、クルーたちにはそのまま死へのカウントダウンに聞こえた。
「距離一〇〇〇!」
「繰り返す、<コロンビア>から<ハリー・S・トルーマン>へ、所属不明の反応が本艦へ接近中、打撃群全艦および大西洋軍司令部に……」
「距離三〇〇!」
「来るぞ、なにかに掴まれ」
「距離一〇〇フィートを切りました!」
その直後、艦内の天地が、一瞬で逆さまになった。
乗員は人形のように吹き飛ばされ、艦内に、白い海水の飛沫が瀑布のように弾けた。
◇
「USS<コロンビア>からの通信途絶」
「呼び続けろ」
空母<ハリー・S・トルーマン>の艦橋で、レーダースクリーンを前にした士官と将校たちは、原潜から突然入った緊急の無線に対応すべく、努めて冷静に状況を把握しようとしていた。
<ハリー・S・トルーマン>を中核とする艦隊全体の指揮を掌握するストロエスネル少将は、<コロンビア>から所属不明物体接近の報を受け取った瞬間には、打撃群の艦隊と、同じブリッジにいる直属指揮下のふたりの大佐に戦闘配置の命令を出していた。
少将から命令を受けた航空母艦USS<ハリー・S・トルーマン>そのものの艦長を務めるほうの大佐が、乗員にスピーディーに令達していく。
空母上の航空団の指揮をとるCAGと通称されるもうひとりの大佐が、<ハリー・S・トルーマン>に艦載された第3空母航空団にただちにスクランブルをかけた。
飛行士たちと整備兵が協力して神速で発進準備をすすめ、いましも早期警戒機E-2Cホークアイがレーダー管制のためいち早く飛び立ち、戦闘機も、もうすぐ、最初の一機めが発艦できる段階にあった。
少将の命令を入電した巡洋艦が、麾下の駆逐艦にそれを伝達。駆逐艦に艦載の対潜ヘリコプターを発艦させる。
巡洋艦の指揮を受け、同行している二隻のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦からそれぞれ飛び立った、三機の対潜ヘリコプターが、空母の右舷を航過していった。
「いったいどこの潜水艦だ。われらが無敵の空母打撃群に奇襲をかけてくるのは」
レーダースクリーン上の、通信の途絶えた<コロンビア>の最後に確認できた位置を指で示しながら、艦長は副長に言った。
副長はすぐに、
「潜水艦……でしょうか」
と返した。
「<コロンビア>は、アンノウンは深度三万フィートから接近と言っていました。そんな大深度を潜航できる潜水艦なんて聞いたことありません。それに、<コロンビア>の聴音士、アウグスト曹長は、海軍きっての地獄耳です。相手が潜水艦なら、とっくに艦名まで特定できています」
「新型という可能性もある。海中から接近してきたっつってんだから潜水艦に決まってんだろ」
「しかし……」
その時だった。
「艦長、あれを!」
士官のひとりが、後方の海を指して叫んだ。
艦隊の数カイリうしろで、白い水柱が音もなく上がった。
ここからだと人差し指の長さほどの高さだが、距離を考えてスケールを補正すると、見上げるほどの巨大なものであることは明白であった。
『白鯨』のような超巨大な鯨が潮を吹いたなら、その潮はあれくらいにはなろうか。
みな、手の動きをとめ、食い入るようにその光景を見つめている。
白く吹き上がる水塊の中に、黒く輝く船殻が覗いた。
艦橋の中で、だれかが叫んだ。
「<コロンビア>!」
水柱とともに海面から空高く持ち上げられた原子力潜水艦USS<コロンビア>、その全長一〇九メートルの巨体が、頂点まで飛んだのち、緩慢に落下を始め、再び海中へと還っていった。
距離ぶんの時間差で炸裂音が遅れて聞こえてきた。それは<コロンビア>乗員一三三名の断末魔の悲鳴にも聞こえた。
航空母艦の艦体を海ごと震動させるほどの衝撃音が、全員に事態の深刻さと喫緊性とを強制的に理解させた。
「対潜戦闘! 艦隊の駆逐艦、巡洋艦に魚雷発射準備。ヘリが目標の座標を特定ししだい攻撃を開始する。急げ急げ!」
「了解!」
「全艦に通達。対潜戦闘用意。火器に火をいれろ。これは演習ではない。くりかえす。これは演習ではない!」
「少将、オーシャンホーク一番機から三番機、指定座標に到着。これよりディッピング・ソナーによる探索を開始します」
対潜哨戒ヘリコプター、SH-60Fオーシャンホークからの通信を受け取った通信士が報告する。
オーシャンホークが持つディッピング・ソナーは、海中へソナーの装置を吊り下げて、エコー音を測定し、さらにみずから発した探信音で水中移動物体を探査、追跡する高性能器材だ。
三機の対潜ヘリで捜索をおこなえば、より正確な探査が実現できる。
各々の場所にホバリングしたオーシャンホーク三機が、海面を風圧でえぐりとりながらディッピング・ソナーを吊り下ろす。
そのあいだに、<ハリー・S・トルーマン>のストロエスネル少将のもとには、巡洋艦の艦長から、自分の艦および二隻の駆逐艦の魚雷発射準備がととのった旨の報告がはいる。
艦隊に所属している二隻の駆逐艦は、どちらもアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦で、対潜兵器としてはMk32短魚雷発射装置三連装を二基ずつ装備している。
さらに甲板には、正方形のマスが、蜂の巣よろしく幾何学的に何十も並べられている。
これこそ最新鋭のイージス艦が誇るミサイル発射装置、垂直発射システム(VLS)だ。
格納庫と発射筒をかねたこの一セルに、原則一発のミサイルが埋め込まれるように格納されており、蓋を開放してそのまま発射できる。
装備できるミサイルの種類は、スタンダード対空ミサイル、発展型シースパローといった対空兵器、遠方の地上と水上目標を破壊するトマホーク巡航ミサイルなど多岐にわたる。
そのVLSのセルが、アーレイ・バーク級駆逐艦では九十セルもある。
VLSのほとんどのセルは対空ミサイルに割かれているが、対潜水艦兵装ももちろんある。
アスロック対潜ミサイルだ。
それらの駆逐艦を指揮する一隻の巡洋艦、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦も同様の兵装を有しており、しかもこちらはVLSのセルは六十一セルを二セット、つまり一二二セルも搭載している。
その気になれば、同時に数十本の魚雷がいっせいに敵に殺到することになる。
その瞬間的な火力の前には、炸薬量の少ない短魚雷とはいえ、いかなる潜水艦も原形さえ残らず海の藻屑となるだろう。
対潜ヘリコプターから通信が来た。
さきほどの炸裂の余波がまだ残っているらしく、ソナー員は苦労しているようだった。
「エコー確認……<コロンビア>爆発付近に巨大な物体。深度四〇〇フィート。方位2-5-0に微速移動中……」
次に、ソナーがパルス状の探信音を発信、巨大な物体の詳細をしらべる。
これにより物体の特徴を詳細に分析すれば、データと照らしあわせ、どの国のどの潜水艦か、たちどころに判明するはずだ。
「データ照合……」
そこで一瞬、不自然な間が入った。
航空母艦の艦橋も、不穏な空気に包まれる。
「なんだこれは……」
対潜ヘリコプターのソナー員のあいだで、緊迫したやりとりがあった。
「オーシャンホーク2、こちらには該当するデータがない。なにかの間違いかもしれない、そちらはどうだ」
「こちらオーシャンホーク2、オーシャンホーク1、こちらにも一致するものがない!」
「オーシャンホーク3も同様だ。こんなもの、見たことない……」
オーシャンホーク1のソナー員が息を呑んだ。
「これは……なんだこの大きさは……」
とうとう我慢しきれなくなった空母艦長が、通信士からマイクを奪い取った。
「オーシャンホーク、なんの話だ、目標はいったいなんなんだ!」
「艦長、これは……」
ソナー員の声は、まるでおそろしい悪霊でも目の当たりにしたかのように震えていた。
「いいから採取したデータをこっちに転送しろ!」
<ハリー・S・トルーマン>のコントロール・ルームのモニターに、オーシャンホークから転送されてきたデータが表示される。
それを見た士官のひとりが驚愕する。
「大きい……!」
CAGも見いる。
「全長八〇〇フィート(二五〇メートル)以上ですよ、少将……」
艦長は目を見開いたまま愕然とし、少将は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
スピーカーからオーシャンホーク1の声が響く。
「艦長、これは、これは潜水艦なんかじゃありません! こいつは……」
唐突に、無線がノイズまみれになった。
ノイズのむこうに、オーシャンホークの搭乗員の叫び声が混じる。
「どうしたオーシャンホーク1。応答せよ、オーシャンホーク1、応答せよ!」
オーシャンホーク・ワンに繋いでいる無線からは、無限の地獄に投げ落とされたようなすさまじい悲鳴が続いた。
「<ハリー・S・トルーマン>、こちらオーシャンホーク2。オーシャンホーク1が!」
悲痛な声が割り込んできた。
ホバリングしてディッピング・ソナーを海中へ吊り下げているオーシャンホーク・ワンが、正気を失ったように暴走していた。
いや……ちがう……引っ張られているのだ。
ディッピング・ソナーを海中でなにものかにつかまれ、おそるべき力で引きずりこまれそうになっているのだ。
ソナーとワイヤで繋がれたヘリコプターは前後左右に大きく振り回され、姿勢制御が利かなくなっている。
無線から絞り出される悲鳴に、通信士が両耳を塞いだ。
「もうだめだっ!……」
ノイズに埋もれそうな通信状況のなかで、その声はひときわはっきりと聴き取れた……。
オーシャンホーク1は、ソナーを異常な力で引っ張るなにものかに懸命にあらがったが、ついには均衡と揚力を完全に喪失。
大きく弧を描いて、まっ逆さまに海面へ叩きつけられた。
高速回転する回転翼が一瞬にして破片と化し、機体は群青を溶かしたような大西洋の海へと没した。
同時に、通信も途絶。
「アンノウン急速移動! 方向は……ああっ!」
オーシャンホーク3からの無線だ。
「オーシャンホーク3、どうした」
「アンノウンがこちらに急速接近。回避……間に合わない!」
直後、三番機からの無線は怒号と悲鳴で満たされた。
「ローター出力あげろ、墜ちるぞ!」「なにかが……なにかがソナーを引っ張っている」「くそっ、ディッピング・ソナーを切り離せ!」
ストロエスネル少将の手が閃き、オーシャンホーク2に無線を繋いだ。
「オーシャンホーク2、ただちにソナーを引き揚げ撤退せよ。繰り返す、ソナーを引き揚げ、そこから離脱せよ」
艦隊指揮官の即断に、二番機パイロットが「ア、アイ・サー」と応答した。
そのときだった。
「提督、オーシャンホーク3が!」
空母副長の叫びに、少将と艦長とCAGが顔をあげた。
制御を喪失し狂ったように飛んでいたオーシャンホーク三番機が、突如、ひとつの方向をさだめて飛行しだした。
オーシャンホーク3が意図してそんな挙動をしているわけではない。
ヘリの機体は、飛んでいる方向とは逆にかたむいていたからだ。
海中のディッピング・ソナーを掴み、引っ張っているなにものかが、そのまま高速で走り、対潜哨戒ヘリを強引に引き回しているのだ。
それはまるで、巨大にすぎる獲物が軟弱な釣り人をふりまわしているかのようだった。
「まずい、オーシャンホーク2。ぶつかる、よけろっ!」
悪意が結晶化したような事態だ。
オーシャンホーク三番機は、いましもソナーを巻き上げて離脱しようとしている二番機に吸い寄せられていた。
「オーシャンホーク2、早く高度をとれ」
少将が怒鳴るが、三番機は狙いすましたように二番機へ突っ込んでいく。
そして、勢い烈しいまま、オーシャンホーク3は、オーシャンホーク2の右舷に激突。
二機は接触した瞬間に爆発し、火だるまになってきりもみ回転、黒煙を噴きながら海中へ墜落した。
直後のことだった。
「ウオッ!」
レーダーによる監視のため最初に空母から発艦して警戒網を敷いていたE-2Cホークアイと繋がっている無線から、同機のレーダー観測官の声が漏れた。
E-2Cホークアイは、背中に大型の円盤状の長距離捜索レーダーを背負った航空機で、いわば空飛ぶレーダー施設である。
その高性能レーダーは、機体が標準的な巡航高度たる三万フィートで五六〇キロ先まで見通し、二〇〇〇もの目標を同時に追尾できる。
イージス艦のレーダーの死角を補うべく、高々度から『鷹の目』の名そのままに広く鋭く監視する、艦隊の守り神だ。
そのホークアイのレーダー観測官が、有事のさいには最大四〇機の友軍機を指揮し管制する能力も持つプロフェッショナルたちが、動揺していた。
「USS<ハリー・S・トルーマン>、こちらグリゴリ1。レーダーに感あり。東北東より接近する機影を確認。数は……なんて数だ、所属不明機、五〇〇オーバー!」
「グリゴリ1、どうした、詳細を報告せよ」
「機影、急速に当機に接近中! まもなく接触する」
無線の向こうで、操縦士と副操縦士、三人のレーダー観測官、計五人が半ばパニックになりながらやりとりしている。「なぜこんなに近づかれるまで気づかなかったんだ!」
「わかりません、ですが、まるで、まるで、急に現れたみたいに……」
空母側のレーダースクリーン上にも、ホークアイと無数の機影が映っている。
両者の距離は数キロもない。
もうすぐ、ホークアイをあらわす光点が、蛍の群れのごとき大群に呑まれようとしている。
「こちらグリゴリ1、所属不明機を視認確認」
ホークアイ搭乗員の声が、畏怖と恐怖へと変わっていった。「これは……」
きみの悪い絶句。
「グリゴリ1、どうした、応答せよ。未確認機の正体はなんだ」
たまらずCAGが声をかける。
ひと呼吸の静寂ののち、ホークアイの操縦士がこたえた。
「亡霊が……」
意味がわからず、CAGが聞き直そうとしたとき、ひときわするどいノイズが無線から飛び出し、E-2Cホークアイ早期警戒飛行隊ウォッチャーズ一番機、グリゴリ1との通信が途絶えた。
レーダー上のグリゴリ1の機影も消失した。
「呼び戻せ」
CAGが副官に命じた。
だがこのとき、CAGも含め、指揮所にいた全員が、もはやグリゴリ1は失われたのだということを、いやでも理解していた。
「艦長! アンノウン、接近!」
オーシャンホークが海に没したところから水柱が炸裂し、連鎖反応的に次々にそそり立った。
断続的な水柱の炸裂は、航空母艦<ハリー・S・トルーマン>の方向へと向かっていた。
その瞬間、少なくとも<ハリー・S・トルーマン>の艦橋とCICにいた乗組員たちは、ほぼ直感的にその事態を覚った。
この水柱は、航跡だ。
正体不明の巨大移動物体が、海面直下を高速で走っている。
その物体の大きさゆえ、おしのけられた海水で、航跡が、まるで水中爆発でも起きたかのような高々とした水柱となっているのだ。
そして、原子力潜水艦<コロンビア>を一瞬で破壊し、SH-60Fオーシャンホーク対潜哨戒ヘリコプター三機を海の底に引きずり込んだ巨大物体は、こんどは原子力航空母艦ニミッツ級第8番艦<ハリー・S・トルーマン>に狙いをさだめ、引き絞られた矢のような速力で突進してきている。
迷うことなく、一直線にである。
「回避行動、機関全速、面舵一杯。駆逐戦隊に魚雷発射命令、各個個別に撃て」
艦橋は騒然となり、艦をアンノウンの針路上から外そうと、みな懸命に試みた。
水柱は急激に迫ってきている。
巡洋艦と駆逐艦から水柱へ向かってMk54魚雷が射出、海中へ投下され、猛進を開始する。
驀進する目標の未来位置を予測して発射されたが、物体の速度があまりに速すぎた。
青白い雷跡は、その大半が、立ち上る水柱の後ろをかすめて迷走した。
何本かは目標の横っ腹に直撃、炸薬をお見舞する。
だが、蚊に刺された程度だとでもいうのか、巨大物体の進撃速度に微塵の変化もなかった。
「VLAだ! アスロックを発射しろ!」
三隻の護衛艦の艦長が異口同音に叫び、VLSが開放される。
次の瞬間、各イージス艦の船体から、爆発噴火したかのような爆焔と煙が吹き上がった。
紅炎のなかから爆音と煙幕を露払いのようにして昇っていく、漆黒の魔獣。
垂直発射式アスロック、略称VLAが牢獄のごとき闇の褥から目を醒まし、解き放たれた猟犬のように猛加速して疾走していく。
巡洋艦と駆逐艦から発射されたアスロックたちは、群れをつくって水柱の行く手に矢となって飛んでいき、そこで弾頭を切り離す。
分離した弾頭はパラシュートを開き、減速しつつ海面に着水。
潜水した弾頭は、そこで魚雷としての本性を現し、自らアクティヴ・ソナーを発信しながら目標を探し、海中を全速力で疾走する。
水柱へとまっしぐらに直進するアスロック。
目標と真正面から激突する。
爆発、水中衝撃波。
しかしその爆発がもたらした水飛沫は、アンノウンの炸裂させる水柱に呑まれて消えた。
敵は二十本を超えるアスロックの直撃を受けてもなお、速度を緩めず空母へ突撃する。
「速い……速力一〇〇ノット以上!」
信じられないといったような声。
「艦長、だめです、間に合いません。衝突します!」
「総員、対ショック姿勢をとれ、衝撃にそなえろ」
水柱は見る間に大きくなってくる。
少将が決断を下す。
「退艦……だ!」
即座に艦長が副長につたえる。
「機関停止、原子炉を止めろ。総員に退艦命令だ」
「了解、原子炉緊急停止! 総員退艦せよ!」
そのときだった。
急速接近した逆さの瀑布は、<ハリー・S・トルーマン>の船尾部分から直撃コースで突入した。
瞬間、空母の乗組員は、見えない巨人の手に上から押さえつけられたかのように床にたたきつけられた。
急激な重力の変化。
それは、直下に潜りこんだ巨大物体の背に艦体が乗り上げ、持ち上げられたことによるものだった。
総重量一〇万トンをゆうに越す膨大な質量が浮かび上がったのだ。
刹那ののち、航空母艦の巨躯は下方へ落ち、荒波のごとく豪快な水しぶきを周囲三六十度に撒き散らした。
衝撃音が乗組員の体をつらぬいた。
すぐ近くで落雷があったかのような、すさまじい音である。
音は床の下から艦を揺さぶった。
まるで巨獣が艦底を食い破っているかのよう。
少将や艦長やCAGがそれぞれの部下に命令を叫ぶが、自分の声さえ聞こえぬほどの轟音に、音波ごとかき消されてしまう。
音圧に押し潰され、だれの耳にも届くことはなかったが、無線のスピーカーから、ほとんど叫び声のような言葉が振り絞られていた。
無線は、こう言っていた。
「艦長、こちら機関室! 艦底から、手が、巨大な手が突き破ってきて、原子炉を……」
損傷と激しい浸水によって回線が沈黙、無線がそこでぶつりと切れた。
刹那、艦橋にいた者、飛行甲板にいた者をとわず、空母<ハリー・S・トルーマン>に乗り合わせていた人間全員が、突然、まばゆい閃光につつまれた。
純白の輝き、影さえ真白く塗りつぶすほどの強烈な爆光。
それが、彼らが最後に見た光景だった。
◇
魚雷の第二波発射準備に追われていた巡洋艦、駆逐艦と、対潜にかんしては非武装であるがゆえに距離をとっていた高速戦闘支援艦の乗組員は、<ハリー・S・トルーマン>から突如としてものすごい閃光が走ったのに驚いた。
快晴の太陽を何倍も上回るその明るさにみな一様にうめき声をあげ、ある者は顔を背け、ある者は目を両腕でおおった。
それでも瞼の裏は真っ白に灼け、光と同じくらい強力な熱に、髪や皮膚や制服があぶられた。
そのわずかに青みがかった猛烈な光は、航空母艦の甲板中央を貫通、直線の奔流となって、天をも突かんばかりに噴き上がっていた。
蒼天をつらぬき、雲を渦巻き状にかき回した閃光の噴出は、ひとしきり続いたのち、栓をひねったようにぴたりとやんだ。
空母の甲板に、船底まで貫通する大穴が穿たれ、そこから大爆発が起きた。
真紅の爆炎が火球となってあらわれ、その直径は<ハリー・S・トルーマン>の全長近くに匹敵した。
衝撃波で甲板上のF/A-18スーパーホーネットを始めとする艦載機が何機かプラモデルのように吹っ飛び、ほかの航空機の上に落下した。
艦橋やマストをまとめたアイランドが半ばから崩れ、巨塔がくずれおちるように倒れ込む。
黒煙が入道雲のようにもくもくと昇り、青空に染みをつくっていく。
爆発の衝撃は、艦隊の全艦におよんだ。ブリッジの強化ガラスが粉々に砕かれ、艦橋の人々を蜂の巣にした。
大爆発によって、航空母艦の勇壮な巨体がいともたやすく真っ二つに折れ、引きちぎられるように分かたれた。
激しい浸水。
波頭が白く砕け、艦に押し寄せる。
断面に内部構造を露出させながら、真っ二つになった空母の艦首側が、左舷に大きく傾斜した。
かたむいた<ハリー・S・トルーマン>の甲板上を大きな波しぶきが洗い、艦載されていた戦闘機、電子戦機、早期警戒機や対潜ヘリコプターが転がりながら海へと引きずりこまれていく。
艦尾が大きく持ち上がり、青空に高く高く突き立つ。
数十機もの艦載機が雪崩をうって転がり落ち、ほぼ垂直ちかくになった飛行甲板に主翼や機首をぶつけながら、海へと飛び込んでいった。
けし粒のようにこぼれ落ちているのは、整備兵や飛行士、乗組員たち。何百、何千人もの人間だ。
かれらは高層ビルから無防備に投げ落とされるような心持ちで大海へ放りだされ、水洗便所に落ちた虫のように波にもまれ、沈んでいった。
航空母艦<ハリー・S・トルーマン>もまた、黒い煙を噴きながら急速に海中にその身を沈めていった。
濃い黒煙が途切れたとき、そこにはすでに原子力空母の巨体はなくなっていた。
海は穏やかさをとりもどしていた。
まるで、原子力潜水艦や空母、それに乗っていた数千という人間を一度に喰らい尽くし、満ち足りて、眠りについたかのようだった。




