第21話
庭園で座り込むさわに、ぱさりと上着がかけられた。
驚いて振り向けば、そこにはリードが立っていた。
「お久しぶりです。さわ様」
そういったリードの目が、心配そうな目をしている。
「リード」
名前をつぶやけば、リードはさわの手を引いて立ち上がらせた。
「なぜ、泣いているのかを、お聞きした方がよろしいですか?」
優しい手つきで、さわの涙をぬぐう。
「ううん、ありがとう。だいじょうぶ」
二週間ぶりだろうか。この人を見たのは。
リードはいつも、表情が変わらない。最初はガラスのような目だと思ったが、1日話せばその目が様々な感情をにじませるのに気づいた。
後宮に入ってからは見ることもなかったそれが、今は優しい色をしている。
「ネオに、後宮から出たいと仰ったと聞きました」
さわの涙が止まるのを待って、リードはいつもの低い声で言う。
「……うん」
「どうしても、ですか?」
「うん」
頷くしかできないさわの頭にリードは手のひらを載せる。
「私は、あなたが願うなら、叶えるほかはありません」
そしてゆっくりと撫でた。
「リード、今日、優しい」
くすっとさわが笑えば、リードは頭に載せた手をさわの頭の後ろにずらして、抱き寄せた。
「申し訳なかったと思っているのです。二週間、放っておいたことを。あなたを泣かせたくはなかったのですが……」
「べつに、大丈夫だったよ?」
「大変身をなさって、他の后候補に反感を買ったと聞きました」
「そっか、リードに目立つなって言われてたのに。私目立っちゃったね。ごめん」
「そんなことはいいのです。……嫌がらせをされていたとか?」
「……っ」
「ネオが、今日やっと吐きました」
「ちょ、ネオは悪くないの! 私が口止めしてて!」
「分かっています。でも、強がらなくてもよろしかったのです。怖かったでしょう?」
そうしてぽんぽんとさわの背中をやさしくたたく。
だめ、今やさしくされたら、こまる。
私、ずるいことをしそうになる。
「だいじょうぶ、だから離して」
ぐっと決意を決めて。さわは言う。腕から逃れようともがくと、意外にも強い動作で阻まれた。
「いやです」
そう言ってリードはさわを離さない。
「昨夜、女神の声を聞けるものが、夢見であなたのことをみたそうです。巫女の見た夢では、光がある一人の女性と話をしていたと。救いの鍵は歌にあるとも言っておりました」
急に女神の話をしだしたリードに、思わずさわの動きは止まる。
「お心当たりは?」
そう聞いたリードは、私にではなく、誰か別の人に向けて声を発していた。さわはそのことに、自分の背後から聞こえた声で気づいた。
「さわは歌が歌えるようだ。おそらくそれだろう」
さっきまで広間にいたはずの声が、リードの問に答えた。
「では、もう後宮にいる必要もございませんね」
リードの腕の中で、振り向くことも出来ずに、二人の会話を聞いていた。
「ベガ様。さわ様の歌を知ったのはいつのことです?」
「昨夜だ」
「報告が来ておりませんが?」
「今日はミラクが后候補として宮に上がって忙しかったゆえだ。他意はない」
「そうですか」
「何か言いたげだな」
「えぇ、何かあれば知らせていただけるようお願いしたはずですが?」
「さわが歌えること自体、何かというほどでもなかろう?」
「ではなぜ、ミラク様が急に今日、后候補として宮に上がられたのかを聞きたいですね。ミラク様がサラネストに来るのは来月では? しかも后候補としてではなかったはず」
「……」
「答えに詰まるということは、分かっていたのでしょう。ミラク様に、さわ様の歌を聞かせるつもりだったのでは?」
「えっ……」
ちいさなさわの疑問の声は二人の耳には届かなかったらしい。
「……あいつは歌の力を見極める能力を持っている。さわの歌になにかあれば、あいつなら気づくと思ってな」
「そのために后候補の名までくれてやるなど、やりすぎです」
「……」
言い合う二人の会話から、ベガは自分の声をミラクに聞かせるつもりなのだと分かった。
そしてそれは、今のさわには耐えがたい苦痛だった。
「やだ」
はっきりとした声で、さわは言う。
「あの人の前で歌うのは、いや」
今度こそリードの腕から逃れて、振り返ってベガに言う。
「私は、あの人の前でも、あなたのまでも、歌わない。絶対に、歌わないわ」
帰るためには歌えと女神は言ったのに。
気づけばさわはそう言って、リードの手を引いてベガの前から立ち去った。
何度か廊下を曲がり、自分の部屋へ向かおうとするさわに、リードは強い力で止めた。
「さわ様、さすがに、あなたのお部屋へ行くのは……」
ここは後宮。本来ならリードとて、入れる身ではないのだ。
「あ、ごめん! なんか平常心が、なくなってた……」
立ち止まって、壁に背をつけたさわはため息をつく。
全然、私らしくない。あぁ。もう。
「よろしければ、今夜、ここを出ましょう」
リードはさわの手のひらを取って、恭しくひざまずいた。
「今日?」
「えぇ、今から」
「いいの?」
「あなたが後宮を出たいと言った一端が分かった気がしました」
「……」
「離れたいとお思いならば喜んで協力いたします」
リードは思ったより鋭い。
さわとベガとの間に何かを感じ取ってくれたのだろう。
「うん、ありがと」
だから彼の手をとった。
だってもう言ってしまった。
ベガの前では歌わないと。
でも、帰るためには歌わないと。
なら、離れなきゃ。
彼の元から。
ふっと視界が変わって、気づけば大きな家の前に二人で立っていた。
すこしくらくらとする。
「移動術は初めてでしたね。すみません、すぐにそのめまいは治まりますので」
そう言ってゆっくりと手を引いて門を開け歩く。
「ここは私の家です。後宮ほどに整えられた場所ではありませんが、精一杯お守りしますので、ここですごしていただけますか?」
庭を抜けて家の扉を空けながら、リードはさわに問う。
扉の中は英国風の優しい空気をした家だった。
「いらっしゃい」
そう言って笑ったのは、10歳に満たないほどの小さな女の子。
「ララ、ただいま」
「おかえりなさい、お兄様」
ちょこんとドレスのすそをもってリードにお辞儀をした。
「これは妹のララです。煩いかもしれませんが、お相手してやってください」
リードがララを抱きかかえながらさわのほうを向いていった。
さわはララの目をまっすぐに見ながら「さわです」と自己紹介する。
キラキラ目を輝かせたララは、リードにおろしてとせがんでさわの前に立った。
「ララと申します。お姉さまは綺麗な髪をしてらっしゃるのね。今度ララの髪もきれいにしてくださいますか?」
女の子の関心はいつだって美容のことだ。それは若くたって同じこと。
膝を曲げて、ララに目線を合わせて「喜んで」と答えた。
きゃっきゃと笑って、ララがお部屋に案内します。と手を引いてくれた。
二階の角の部屋が、リードが用意してくれた部屋らしい。
そこへつくと、ララがさわにこういった。
「今日は、ゆっくり休んでくださいとお兄様が言ってました」
兄に頼まれた仕事を見事遂行したと、セリフが言い終わったララは誇らしげだった。
「ありがとう。ララは素敵な女の子ね」
そう微笑んで、ララに淑女の礼をする。彼女を子ども扱いしないで、対等のように扱うさわを、ララは大層気に入ったようだった。
「どういたしまして! お姉さま、おやすみなさいませ」
とてとてと歩いていくその姿は愛らしかった。
さっきまで荒れていた心がすっと穏やかになった。
めげてた気持ちが少し上向いた。
小さな子と話すと元気が出る。
部屋に入ってパジャマに着替え、ベッドに入る。
ベガから離れたこの屋敷で眠るのは、すこしほっとした。