63.それぞれの胸の内
男は閉ざされた扉の前で拳を握りしめ短く舌打ちをする。後ろには案内をしてきた使用人が控えているが、そんなものは気にしない。男にとって使用人など壁と同じ、いても気にかけることなどない。
だからこそ男は苛立ちを隠すことなく床を蹴った。
話にならないと一蹴された。時間の無駄だったとも言われた。
「…クソっ!」
大変なことが起きる前に和解を中止にするべきだと進言したが、宰相であるクロビィスは一切歯牙にもかけなかった。
( 家柄だけの無能が! )
流石にこの悪態だけは心の中で吐き捨てる。
ディディエ家は代々帝国宰相を務める家柄だ。確か息子である長男は名を捨て軍人などになり、次男が跡を継ぐという。そして長男よりも目立つものも持たないとも。
だけどディディエの名を持つが故に次期宰相として決まっているのだと。まさに家柄だけの世襲。
もしそこに生まれていてさえいれば、次の宰相は自分であったはずだ。
…いや、元のままであっても優秀な自分であれば似たような立場にはなれたであろう。そうだ、父親が要らぬ失態を犯さなければ。
林材業と石材の採掘、それに伴う輸出でそこそこ潤っていたヴァルベスト領。しかし今は領地も失い子爵へと降爵した、元ヴァルベスト伯爵令息オスカーはぎゅっと眉を寄せる。
「……クソ…っ」
再び小さく舌打ちを打つと踵を返し、使用人の案内の声を無視して玄関を目指す。一度通った道を覚えれぬほど馬鹿ではない。馬鹿なのは状況を見切れぬ者たちだ。
( あんな獣と変わらぬ者たちと和解だと? )
父親の失態で唯一良かったところは暴力だけが取り柄の獣たちを追い出せたことだと言うのに。
( …ならば…、 )
男――オスカーは歩きながら乱れた髪を後ろに撫でつけ不敵に頬をあげる。
ならば話を聞かざるを得ない状況をもっと作り上げればいい。あの野蛮な獣人たちに直接手を出すことは難しいだろうが、丁度良い標的を見つけてある。
遠目であったが野蛮な集団の頭である獣人と一緒にいた小さな標的。姿形からして人間と獣の間に出来た子供だ。獣人などと番うなんてと…苦々しく思うがその場は気持ちを治め、後で役人にそれとなく聞きたところ、頭である獣の身内だと言う。
これは使えるな。と判断して、事実がどうかを見極めるために人を送った。戻った頃には結果が出てるだろう。
まあ失敗していたとしてもそれはそれだ。こちらまではたどり着かないようにしているので問題はない。
苛立っていた気分が少しだけ晴れる。が、会談が行われるまでは今日を合わせばあと四日しかない。
やるべきことを頭の中で整理していると、そういえばと思い出す。
宰相の部屋から入れ違いに出て来た男。全体に白っぽい男だったが服装はどう見ても貴族ではなかった。
どこかで見たような気もするが、それよりも。
( 一介の平民が宰相と会えるだと? )
自分でさえもあらゆる伝を使いそれでも無理で、結局先触れなしの突撃で仕方なしの面会にこぎつけたというのに。
…やはりあの宰相は駄目だ。価値ある人間の判断も出来ないとは。
だがまあそんなことはどうでもいい。
オスカーは小さく頭を振って雑念をはらい、足早に領館を後にした。
**
ベッドにポンと乗り上げると、思った以上に体が沈みシィアはびっくりして目を丸くする。
そんなシィアを見ていたトーリが笑って言う。
「ここは元々貴族の別荘だったらしい。だから備え付けの家具も立派なんだろうね」
「そうなんだ」
沈んだ体をゴロリと転がし起き上がったシィアは、隣のベッドに荷物を置くトーリを見る。
当初、トーリはシィアだけここに残し自分は違う宿に移ると言い。けれどそんなことシィアが受け入れるはずなく。
「トーリが違うところに行くならシィアも行く!」
そう断言するとシィア以外の全員が慌てて首を振り、トーリはすぐに発言を撤回した。
その上で、シィアはトーリと同じ部屋がいいと言い張っての今だ。何故だかワイズがとても渋い顔をしていたけど。
「用事はもう終わったの?」
「ああ、たぶん」
「たぶん?」
「いや、今日はもう呼び出しはないと思う」
「じゃあ一緒にいられる?」
「…ああ」
シィアのキラキラとした眼差しにトーリは苦笑を浮かべざるを得ない。シィアは常にトーリと一緒にいることを望む。それは初めてあった時に交わした、置いていかないという約束でもあるから。
けれどそれは、何れ終わる約束でもある。
トーリは隣のベッドに腰を掛けると少し真面目な顔で口を開いた。
「シィア、一応確認しておきたいんだけど」
「うん?」
「ワイズやグエンダルはシィアの本当の身内だ。血の繋がりが全てではないけれど、それはやっぱり切っては切れないものだと思う。だから――」
「シィアはトーリといる」
すぐにトーリが言おとしてることが分かり、シィアは声を遮り言う。
「ワイズやグエンダルがそうだったとしてもシィアはトーリといたい。それにトーリが今言ったよ、血の繋がりが全てじゃないって。おとうさんおかあさんだって血は繋がってなかったけど、二人はシィアの大事な家族だった、大好きだった」
いや、今でも大好きだ。でも今一番なのは。
「シィアはトーリが好きだからトーリといたい」
「……」
そう告げるとトーリは何とも言えない顔で黙る。困ったような後ろめたいような。
けれどその中に滲む安堵の色を見つけて、シィアはホッと息を吐く。
トーリが言おうとしていたのはおそらくこうだ。ワイズやグエンダルといた方がいいんじゃないか?――と。
そしてそれに対してのシィアの答え。
ジッと見つめているとトーリは眉尻を下げた。
「…あまり最善とは言えないけど、シィアが望むなら僕は構わないよ」
「うん、じゃあ一緒にいる。いたい」
最善かどうかを決めるのはシィアだ。誰に言われても、そこは曲げるつもりはない。
シィアのそんな気持ちを察したトーリは小さな息をひとつ吐いたあとに緩く頬をあげた。
「わかった。それならこの話はおしまいにして、お茶にでもしようか」
「お茶?」
「シィアが好きそうなお茶をもらって来たんだ。シィアもお菓子を買って来ただろ? それでお茶にしよう」
そんなトーリの言葉に、一緒にいられるとわかったことでシィアの顔も晴れやかなものに変わり、満面の笑みで「うん!」と頷いた。
植物に埋もれたガーデンハウスでほのぼのとお茶会をする二人からは離れた裏門。その柵の前で項垂れる数名の狼獣人たち。
「港に船がある。明日の明け方には出航する手筈だ。お前たちはそれに乗り本国へ帰れ。それからの話は戻ってからする」
ダレルの声に粛々と従う様子を見せる中で一人だけが反論の声をあげた。プロメテだ。
「ダレル! 私たちが抜ければ警備が手薄になる!」
「ハッ、お前たちが抜けたって何も変わらねぇよ。特にプロメテ、お前はな」
「――はあ!?」
そんな声を投げつけたのはグエンダルで、いきり立つプロメテを冷たく睨む。
「弱いやつはいらねぇ、協調を乱すやつもな。ただの足手まといだ」
「私は弱くなんてない!」
「へぇそうか。なら試して見るか?」
「…っ…!」
グエンダルから殺気が放たれるとプロメテは耳と尻尾を丸めその場に尻をついた。試すまでもない。
「そこまでにしとけ、グエンダル」
ダレルが呆れた息を吐きつつ止めて、怯え慄く彼らに言う。
「二言はない。さっさと港へ向かえ」
「……」
今度こそ返される声はなく。他の仲間に起こされたプロメテも一応は大人しく従った。
バインガレエズの獣人にとって、強さは正義だ。一番強い者が上に立つ。強者の言葉は絶対であり、理不尽なことでも従わねばならない。
もしそれが不服であれば己の強さで覆せばいいだけ。要するに負かせばいい。単純でわかりやすい条件。
そんなバインガレエズのトップであるワイズは当然圧倒的な強さであるが、その後継者であるグエンダルも差はあるとは言えそれに継ぐ強さを持つ。
プロメテはそんなグエンダルに憧れていた。
だからこそ最近姿を見せないグエンダルに会えると知り無理やりメンバーに入り込んだのだ。
先祖返りの森狼の黒い毛並を持つグエンダル。強い者と戦うことが好きで弱い者には見向きもしなかったはずなのに、あんな弱い半端な者を気にかけるなんて。
鋭い牙も長い爪も持たない、人間と大差ない姿の弱々しい姿の子供。強くて怖く、そして美しいグエンダルの側にいるには相応しくない。
プロメテはギリと歯を食いしばる。
間違った状況は正せねばならない。ワイズは当然として、グエンダルもダレルも本当の血縁ということで目が眩んでいる。早く目を覚まさせないと。
だから今はまだ戻るわけにはいかない。と、そのためにはどうするかを必死に考えながらプロメテは足を進めた。




