紅嫌いの吸血鬼
ワタシ達にとって、血はただの食糧に過ぎなかった。
人間から貰える赤は美味しくて、大好きだった。
ある日、住処がハンターに襲われた。
お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも。
――流れるものは、同じ“赤”で。
夜まで待って、気絶した少年をこっそり村近くの森に置いて来た帰り道。サリーが口をきゅっと引き締め、わくわくが堪えきれないといった表情で振り向いた。
「これってサ! ワタシ達の初勝利デスネ!? お祝いしまショ!」
日が完全に地平線の底へ旅立ち、いよいよ持って本調子となったサリーはぴょんぴょん跳ねてはしゃぎ、パーティ、パーティとしきりに口にした。
呆れたマリオンが「うちにそんな資金ないですよ」と言うと、サリーは「えー!」と大げさな声を漏らし、そんなこと言わずに、とブーブー言い始めた。
「折角の初勝利くらい、ドーンとお肉食べ放題、デモ……」
……かと思えば、急に大人しくなる。
「……サリー?」
不審に思ったミヒトが声を掛けるが早いか、サリーの膝ががくんと折れた。ミヒトは倒れるサリーを慌てて抱き留め、驚いて何度も名前を呼ぶ。
「うわっ……、サリー!? どうしたんだ、サリー!!」
顔色がとても悪い。元々日に当たらない吸血鬼は青白い肌色をしているが、その範疇ではない。暗く、土気色とも取れる顔色は、本当に血が通っているのか心配になるくらいだ。
「とにかく、早く洞窟へ!」
マリオンに急かされ、ミヒトはサリーを担いだ。とんでもない力を秘めた吸血鬼だが、こうなってしまえばただの華奢な女の子。あまりの軽さに驚きながら、帰路を急ぐ。
***
「サリーちゃんなら大丈夫……、ゆっくり眠れば良くなります」
マリオンが用意してくれた干し草の上にサリーを寝かせ、心配そうにするミヒトにティナが声を掛けた。なんでも彼女は貧血がちで、はしゃぎすぎると眩暈を起こすらしい。
(……そうか、血を飲まないから……)
吸血鬼にとって血は、必須栄養素に加え精力や魔力も含まれる、完全栄養食だと聞く。それを摂取出来ないというのは、人間なら主食しか摂ることが出来ないようなものだろう。
小麦と水、それから塩さえあれば人は生きていけるが、肉や野菜などのたんぱく質、ビタミンが欠ければ体力だって落ちるし、健やかとは言えない。
「普段は倒れるほどの貧血は起こさないのですが、最近は資金が尽きていて、お肉やお魚があまり買えませんでしたから……」
鋭い牙を持ち、生態も肉食に近い彼女にとっては栄養不足だったのだろうと嘆くティナを横目に、ミヒトは吸血鬼にしても青白い顔をして眠るサリーを見て考えた。
(かなり辛そう……。栄養、足りてないんだろうな)
どうにかしてやれないだろうかと悩んでいると、ふと思い至った。
「サリーが血を怖がり始めたのは、いつから?」
彼女は生粋の吸血鬼。生まれた時から、母乳と共に血を与えられて育つと聞く。ある程度体が出来ているならまだしも、幼少期に人の血は必須の筈だ。
聞かれて、ティナはサリーの方を見た。呼吸を荒くしている彼女の寝汗を、タオルを持ってきたマリオンが丁寧に拭いてあげている。
「マリオン。サリーちゃんの部屋、すぐ寝られるように整えておいてあげてください」
マリオンはわかりました、と答えて、広間の奥に歩いていく。その背中が小さくなるのを見届けてから、ティナは彼女から聞いたという身の上話を教えてくれた。
「彼女は昔、魔界との境界近くにある洞窟に暮らしていたそうです」
家族は両親と、姉が二人。彼女は末の妹で、年の差が大きく姉や両親に血を分けて貰っていたらしい。その頃までは、血が大丈夫だったということだろう。
彼女が血が苦手になったのは、翼が機能するくらいの年――十歳程度だろうか。その日は飛べるようになったのが嬉しくて、言いつけを破って縄張の外まで遠出してしまった。
満足し、さて帰ろうかと空を見上げれば、闇の端から白が侵食していることに気が付いた。これでは飛ぶことは疎か移動もままならず、木陰に潜り込んで夜を待つことにした。
「当時は子供でしたから、初めて一人で過ごす昼が心細くて、早く家族に会いたくてしかたがなかったと、彼女は言っていました。それで、日が沈んで直ぐに、飛び立ったのだと」
洞窟の前に戻って来た彼女は、中に入ることを躊躇った。遠出を叱られるからではない。血のにおいが、普段よりも何倍も濃く、不快に感じられたからだ。
静かすぎる洞窟に恐る恐る踏み入って見た光景は、凄惨なものだった。
あちらこちらに、人間が倒れていた。服装からしてハンターだろう。血に濡れた銀の武器が散乱している。彼女は急いで奥に走り、広がっていた光景を見て、口を押える。
「――赤かったのだと。家族の血も、同じように……」
全滅だった。人質にでも取られたのだろうか、下の姉が銀のナイフを持った男と重なり合うように奥で倒れていて、両親と上の姉がそこよりも手前で力尽きていた。大量の、赤を流しながら。彼女は堪えきれず、嘔吐した。そして、自分が吐いた赤に怯え、どこに行くでもなく、なるべく住処から遠くまで行こうと、がむしゃらに飛び立った――
「……その後、この近くで行き倒れていたところをスーさんが見つけました」
「そう、か……」
当時のサリーの心境を想い、ミヒトは俯いて、自分の手元を見た。そして、ある決心を胸に、ティナに問いを投げかける。
「……ティナ、サリーが怖がってるのって、血の見た目と臭いなんだよな?」
質問の意図がわからず、ティナは怪訝そうにしながらも、頷いた。
「なら、意識の無い今なら……」
ミヒトは鋭利な石を使い、自分の指を切った。驚くティナとスーの前で、血の滴る指先を、そっとサリーの口元に近づける。
「本で読んだことあるんだ。吸血鬼にとって人の血は、特別に栄養価が高い――コップ一杯程でも、数日は健やかに活動出来る程にエネルギー効率の良い物だと」
勇者を目指していた以上、魔族についての知識もある程度は勉強している。最も、こんな場面で役に立つことは、一度も想定していなかったが――
「ん、ぅ……」
雫が一滴落ちると、小さなうめき声を上げ、サリーが僅かに身動いだ。
かと思えば、唐突にミヒトの指先に食らいつく。
驚き身をこうとするミヒトだが、吸う力が強く指を引き抜くことが出来ない。
「……甘い……」
目を閉じたまま、うわごとのようにサリーが呟いた。
そして、サリーはゆっくりと起き上がり、口を離す。
指先と唇の間に、一筋の赤い糸が引かれる。
「甘い……、おいしい、おいしい……デス……」
起きたのかと思ったが、サリーは蕩けた目をミヒトに向け、ふらふらと言葉を発している。……明らかに様子がおかしい。
青ざめていた顔色は、まるで酔っているかのように赤くなっている。
「お、おい、大丈夫か……?」
心配するミヒトの手を、サリーが両手で握りしめた。
流れ出る血液も目に入っている筈だが、少しも怖がる素振りを見せない。
「……サリー……?」
蕩けた瞳と、見つめ合う。
今のサリーは、普段とは似ても似つかない、吸い込まれそうな雰囲気を醸し出していた。
「……ッ……」
紅潮した頬。薄く開かれた唇から漏れ出る吐息が、なんだか妖艶で、生唾を飲んだ。
動揺するミヒトに向けて微笑み、サリーは再度指先に顔を近づけた。そして、ゆっくりと口を開き、一滴も血を落とさぬよう優しく咥え込んだ。
「う……」
ぬるりとした感触に指先を吸われ、なんとも言い難い気持ちになる。
――ただ指先を舐められ、吸われ、血を味わわれているだけなのに、どうしてこうもいけないことをしているような気分になるのだろうか……。
せめて誰か何か言ってくれれば多少は救われるのだが、みんながみんな人が変わったサリーと、彼女が醸し出す妖しさに萎縮してしまい、数歩距離を置いたまま、ただ見守ることしか出来ない。あのスーですら、口を三角の形にして唖然としている。
静かになった洞窟内に響き渡るのは、彼女が指を舐める形容しがたい水音と、時折、恍惚としながら漏らす喘ぎ声にも似た小さなうめき声だけで。
早くこの状況が終わるのを祈りながら、ミヒトは心を無にして指を吸われ続けた。