昼の紅茶、夜の紅茶5
思いもしなかった誘いに私は目を丸くする。
「前に言っていただろう? 新しい品物を買い付けに行きたいって。行くならギョウジョーも彷徨いてるし腕の立つ者がいた方がいいだろう。俺もギルドで雇った冒険者なんかより自分の手でレナを守りたいからな」
なんだか非常に照れくさいことを言われた気がした。
それは深く考えると頬が熱くなりそうなので置いておくことにして。
「私のただ本を読んだだけの知識より、研究者さん達の知識の方が遥かに頼りになるはずよ。だから、私がいても何の役にも立てないと思うけど……」
「いや、特にそんな意図はない。ただ俺がレナと離れたくないだけだ」
「なっ……!?」
せっかく置いておくことにした照れくさいことを真正面から言われるともう逃れられない。
私は熱くなった頬を両手で必死に冷やす。
「それに、レナは好奇心旺盛だから、研究所に行くのも楽しいんじゃないかと思って」
「それは……まぁ……」
実を言うと魔物を魔法以外の方法で遠ざけることが可能なのか、私も気にはなっていた。
その方法がわかれば、私の仕入れの旅にも役立つかもしれないし。
明日から急に店を閉めたらお客様が困るかしら……なんて、行くつもりで考え始めていた自分に気がついて、ふるふると首を横に振る。
「でも……魔法省には行きたくない。例え支部でも……」
その理由をジーンに言うべきか、と考えて、でもそうなれば私のすべてを明かさなければならない。
──逃げ続けている私のことも。
何と説明したらいいか口ごもっていると、ジーンが先に口を開く。
「わかった。俺が魔法省にいる間は宿で待っていてくれたらいい」
「……ありがとう」
ジーンは私が言いたくないことを察して聞かないでおいてくれる。
こんなに優しいのに、ジーンにすべてを話す勇気がない自分が悔しい。
「それじゃあ一緒に行ってくれるっていうことでいいか?」
ジーンは私の顔を覗き込むようにして尋ねる。
そんなに至近距離にジーンの顔があると、途端に鼓動が跳ね上がって冷静な判断ができなくなりそうだ。
本当にずるい。
「……行くわ」
「本当か!」
ジーンはパッと顔を明るくして本当に嬉しそうに笑う。
ただ私がジーンについて行くと言っただけなのに、それが彼をここまで笑顔にさせたのかと思うとむず痒い気持ちになる。
「ジーンの仕事の邪魔にならないといいのだけど」
「邪魔になんてならないさ。レナが側にいてくれる方が俺も安心して頑張れそうだ。ここに置いて行ったらいろいろと不安だからな……」
「不安? エバークラインで危険なことなんて何もないわよ」
「俺にとっては危険なやつがいるんだよ。俺のいない隙に猛アタックでもかけていたら嫌だからな……」
「猛アタック?」
「いや、なんでもない」
ジーンはよくわからないことを言って、適当に誤魔化してから私の頭を撫でた。
その手付きが優しくて、なんだか私も誤魔化されてしまう。
「それじゃあ今日はそろそろ帰るかな。遅くまで悪かったな」
ジーンがソファから立ち上がる。
今までふわふわとした温かい気持ちだったのに、急に心細くなって私も慌てて立ち上がった。
「……いいえ。元はと言えば私が……」
泣いてしまったから。
と、言うのもなんだか気恥ずかしくて口ごもると、ジーンがまた私の頭を優しく撫でる。
なんだか今日で一気に子供になってしまったみたいだ。
ジーンが私を甘やかすから、私もそれに甘えてしまう。
今まで味わったことのない甘やかされるという行為は、私には甘すぎて逆らえない。
「今日会えてよかったよ」
「……ええ、私も」
ジーンは今まで見たことのない蕩けるような笑顔で私を見る。
近距離でそんな顔して触れられていると、なんだかこれからキスでもされてしまうような──
そんな想像をして、私は顔を赤くしてしまう。
何を変なことを考えているんだろう。
ジーンが私に優しいのは、私の知識を求めてのことなのに。
そう思うと胸がちくちく痛む。
なんだか今日の私はふわふわと夢の中にいるような気持ちになったり、辛く苦しい気持ちになったり、自分の感情が上がったり下がったり忙しい。
今までこんなに感情を乱されることなんてなかったのに、ジーンのことを考えていると気持ちが安定しない。
私がいろいろ考えて難しい顔をしていたのか、ジーンがふっと笑って私を抱きしめる。
さっき私が泣いていた時とは違って優しい包み込むような抱擁だ。
「ジ、ジーン……」
「明日出られそうか? 店を閉めるのに時間が必要なら待つが」
「いや……平気よ、明日行く。お店はお祖父ちゃんの時なんて突然一月閉めることもあったみたいだから、常連さんは慣れっこなの。むしろ、休まなくていいのかって心配されるくらいだから」
「そうか、じゃあ明日の朝また迎えに来る」
見上げるとジーンが優しく微笑んで私を見ている。
私はこくりと頷いて、ジーンを見送るために身体を離し、二人で一階に降りた。
たった半日離れるだけなのに少し寂しいと思うなんてどうかしている。
お祖父ちゃんのことを思い出すと時々やってくる耐え難い焦燥感。
それが起きたばかりだからそんな風に思うのだろう。
「あ、そうだ。紙と書くものはあるか?」
階下に降りるとジーンは突然そんなことを言い出した。
「ええ、あるけれど」
私はお店の方から紙と万年筆を持ってきてジーンに渡す。
ジーンはテーブルの上でさらさらと何かを書いて私に手渡した。
紙には文字と何らかの暗号らしきものが書いてある。
「俺の家の住所と……一応地図だ」
「……地図」
復唱して暗号だと思っていたものを見ると、たしかに『ダスカー雑貨店』『俺の家』という文字が書いてあった。
しかし、私には文字で読んだほうが場所がわかりやすいみたいだ。
「西住居区の……意外と近いのね」
「そうだろ」
ジーンは得意気なので、地図を見たわけではないことは黙っておこうと思う。
それにしても本当に近所だ。
私の足でもそうかからない距離だった。
「俺は気配に鋭い。寝ていても家の側に人が潜んでいれば気がつくし、少なくとも戸が叩かれれば必ず起きる」
「?」
突然始まった話が何を意味するのかいまいちわからなくて首を傾げる。
ジーンはそんな私を見て目を細めて微笑む。
「いつ来てもいいから」
「えっ……?」
「夜中でも朝でも。いつ来ても歓迎する」
まるで私の心の中の寂しさを見透かしたような言葉に鼓動が速くなる。
恥ずかしい。だけど、嬉しい。
「それじゃあまた明日」
ジーンが家の裏口の扉から外へ出て私を振り返る。
その瞳に案ずるような色が感じられて、私は意識して笑顔を作った。
「おやすみなさい。気をつけて帰ってね」
「誰に言ってる」
ジーンはニヤリと笑う。
確かにジーンほど強い人なら何かあっても返り討ちにするだろう。
「レナこそしっかり戸締まりしろよ」
「わかったわ」
「じゃあ……おやすみ」
ジーンは手を伸ばして私の頭をもう一度撫でてから背を向けた。
そして今度は振り返らずに帰っていく。
「おやすみなさい」
聞こえないだろうと思いながら小さく声をかけて扉を閉める。
一人きりになった部屋でしばらく立ち尽くし、ふと手の中を見るとジーンの描いた下手な地図があった。
くすりと笑ってそれを机の上に置く。
「いつ来てもいい、か」
ジーンの戦闘力は目の当たりにしてわかっているので、寝ていても気配がわかるというのは本当のことだろう。
それに、たぶん本当に歓迎してくれる。
しばらく付き合ってわかったジーンの人柄ならそうだろうとわかった。
さっきみたいに心細くなって駆け込んでも笑って迎えてくれそうだ。
ザヴァルにもエバークラインで暮らすことにした時に「何かあったらすぐ家に来いよ!」と、言ってくれたけれど、ザヴァルは実家で暮らしているから深夜に行くのは憚れる。
だけどジーンは一人暮らしだ。
何かあったら本当に頼ってもいいのかもしれない、と思う。
エバークラインに来てから、いや、生まれてから誰かに頼ってもいいんだと思うことは初めてのことだ。
一人きりで寂しいけれど心は温かい。
テーブルの上にはジーンが淹れてくれた紅茶のカップが置いてある。
「洗っていく」と、言うジーンの申し出を断って私が洗おうと置いておいたものだ。
洗おうと手に取って、一口分残っていることに気がつく。
話に夢中で最後の一口を飲み忘れていたのだ。
すっかり冷めた紅茶を口に運ぶ。
その味は、冷めているというのにやっぱり昼に飲んだ紅茶よりも美味しく感じたのだった。




