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同じ目線

 実験槽のガラス面に無数の光が走る。

 床の円陣が明滅し、壁際のホムンクルスたちのまぶたが、一瞬だけ震えたように見えた。


 ――次に夜が満ちる時、願いは形になる。


 光が消える。


 気づけば、研究室にはいつもの静けさが戻っていた。


 影はどこにもない。

 魔導灯も、実験槽も、何事もなかった顔をしている。


 ノアはその場に立ち尽くした。


 今のは何だったのか。

 幻か。

 妄想か。

 疲労か。


 そう思おうとする自分もいた。


 だが、床の円陣の一角に、見覚えのない細い線が増えていた。


 その瞬間、言い訳は消えた。


 ノアは膝をつく。

 指先で線をなぞる。


 冷たい。

 確かに刻まれている。


「……ほんとうに」


 声が揺れた。


 恐怖なのか。

 期待なのか。

 自分でも分からない。


 ただ胸の奥に、ひとつだけ確かな熱が灯っていた。


 そして次の夜。


 箱庭の灯りは、いつもより落としてあった。


 細い水路の音だけが、部屋の奥で静かに鳴っている。


 ノアは扉の前で息を止めた。

 それから、ゆっくりと開ける。


 最初は、何も変わっていないように見えた。


 低い枝。

 小さな卓。

 花を集めた器。

 彼女のために整えた小さな森。


 いつも通りの箱庭。


 だが、次の瞬間。


 空気が揺らいだ。


 魔導灯の光がわずかに歪む。

 水面が細かく揺れ、葉の影が床の上でかすかに伸びた。


 枝の陰から、白い足が見える。


 人の足だ、と一瞬思った。

 けれど違う。


 もっと細く。

 もっと儚く。

 それでいて、もう掌の中に収まる大きさではない。


 続いて、淡い色の髪がこぼれた。

 花びらみたいな髪が、肩を過ぎ、胸元へ流れている。


 最後に、その顔が上がった。


 ノアは息を呑む。


 見覚えのある顔だった。


 何年も見てきた。

 怯えた目も、薄い唇も、細い顎の線も、知っている。


 知っている。


 なのに、まるで初めて見るようだった。


 大きい。


 ただ、それだけのはずだった。


 妖精のまま、大きさだけを揃える。

 影が言った通りになっただけだ。


 それなのに、世界そのものが変わって見えた。


 もう掌に乗せる存在ではない。

 見上げれば目が合う。

 手を伸ばせば、触れられる。


 同じ部屋の、同じ空気の中にいる。


 背には半透明の羽が残っていた。

 衣も、人の服とは違う質感のまま、彼女の身体を包んでいる。


 妖精であることは、何ひとつ変わっていない。


 ただ大きくなっただけ。


 ただ、それだけだ。


「……あ」


 間の抜けた声が漏れた。


 何年も止まっていたものが、こんなにもあっさり形になってしまった。


「リリィ」


 呼ぶ声が震える。


 彼女は答えない。

 怯えたように肩を引いた。


 その仕草すら、今のノアには信じられないほど美しく見えた。


「ほんとうに……」


 笑わずにはいられなかった。


「できた」


 胸の奥から、安堵と達成感と歓喜が一度にこみ上げる。


 同じ大きさ。

 同じ目線。

 同じ距離。


「やっと」


 ノアは一歩近づいた。


 彼女が小さく身を引く。

 その動きにすら気づいていながら、今は止まれなかった。


「やっと、同じだ」


 泣きそうな顔で、ノアは笑った。


 届く。

 もっと近くへ行ける。

 見下ろすのではなく。

 閉じ込めるのでもなく。


 今度こそ、ちゃんと向き合える。


 ノアは手を伸ばした。


「大丈夫」

「怖くないよ」


 その声は、昔から変わらない。

 優しくて、穏やかで、彼女を傷つけまいとする声だった。


 ただ今夜だけは、熱を帯びていた。


 リリィはさらに奥へ下がる。


 それでも、ノアの表情は崩れない。


 怯えているのは分かる。

 急だったからだ。

 慣れていないだけだ。

 同じ大きさになれたのだから、これから変わっていく。


 きっと。


 ノアは箱庭を見回した。


 枝の高さも、椅子の大きさも、寝台も、すべてが急に小さく見える。


「ああ、作り直さないと」

「もっとちゃんとしなきゃ」

「今度は、君に合うように」


 見たかったものが、ここにある。

 何年も焦がれていた光景が、ようやく形になった。


 だからノアは、心からそう言った。



「これでもっと、仲良くなれるね」


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