外伝 短き刃、長き道 その3 ― 刃となれ ―
夜更け。
道場の奥座敷。
本宮景綱は、独りで杯を置いた。
門人たちは憤り、声を荒げる。
「なぜ、あのような輩に……!」
「当主が本気であれば――」
本気であれば。
景綱は静かに目を閉じる。
斬れた。
それは事実だ。
だが――止めた。
己は
家元よりも先に、観る者になってしまった。
その言葉は、敗北より重い。
斬れなかったのではない。
斬ろうとした、その刹那。
敵を―― 育てたい。
それは武人としての純粋性を欠いたのか。
それとも、武の到達点だったのか。
理由を問われれば、どう答える。
「情けだ」と言えば、武門は揺らぐ。
「迷いだ」と言えば、家は腐る。
「敬意だ」と言えば、門人は理解できぬ。
そして何より。
それを口にした瞬間、あの男の武を穢す。
橘宗一郎は、己を崩した。
斬られなかった恩を、誇示で返した。
だがあの眼は嘘ではなかった。
未熟で、真剣で、剥き出しだった。
あの男が今夜、鏡の前に立つことを、景綱は知っている。
自分を責めていることも。
そこへ、
「私が斬らなかった」
と公にすればどうなる。
宗一郎は救われるか?
否。
永遠に“情けで生かされた男”として残る。
それは武ではない。
武とは、他人の情で立つものではない。
己の足で立つものだ。
だから景綱は言わぬ。
己の迷いも、己の選択も。
全て、己が背負う。
門の威が揺らぐなら、それも自分の責だ。
家の名を削る覚悟くらいは持つ。
杯を置く。
「当主……なぜ黙しておられるのです」
門人の問いに、景綱はただ答える。
「負けは負けだ」
それだけ。
それ以上は言わない。
言えば、武が軽くなる。
言えば、自分が軽くなる。
沈黙は、弱さではない。
沈黙は、選択だ。
景綱は灯りを落とす。
闇の中で、呟く。
「斬らぬことを誇るな。斬れぬことを恥じよ」
それが、己への言葉だった。
だが、それがすべてではない 違う
ー止めたー その責務は負う
ー止めたー そのことは恥ではない
-止めたー 己は何を刹那に見たのか
いや、見た
未完を 未完の武を
止めたなら斬られるな
斬るなら迷うな
迷うなら斬るな
斬らぬのなら…
斬らぬのならば…
今は答えが無い
刀は迷わない
己を映すのみ
ならば、今だけは
「己は 刃となれ」
次に繋ぐ刃となれ 己を斬れ 相手は斬るな
そして…
育てるために…




