第十五話 最初の出稽古 ー小さな師匠ー
夏の午前中。
住宅街の奥にある、小さな道場。
古びた門柱の横の表札には、こう書かれている。
「直伝夢野流 湊川道場」
道場の中では、数人の門人が黙々と型稽古をしていた。
静かな空間に、足運びと納刀の音だけが響く。
そこへ、五人ほどの中学生と、引率の教師が入ってきた。
学生の長期休みの時期。
年に二度、
渦が森一刀流の中学生が、この道場へ出稽古に来る。
「今日はよろしくお願いします」
一斉に頭を下げる生徒たち。
その中に、
中学に入ったばかりの少年がいた。
鷹宮蓮。
その日の稽古は、基本中心だった。
座り方。
目付。
抜き付け。
残心。
血振り。
納刀。
ただ、型を繰り返す。
延々と。
形稽古は、多くの子供が飽きる。
やがて型をやらなくなる。
思い切り体を動かしたい年頃には、
どうしても物足りない。
しかし、その中で。
蓮は一人、黙々と繰り返していた。
それを見て、道場主が声をかける。
「君……やったことは?」
「ないです」
「そうか」
道場主は静かに言った。
「では、さっきの動き。もう一度、見せてみなさい」
道場の中央。
蓮は構えた。
抜く。
斬る。
納める。
動きは真面目だ。
当然ながら、ぎこちない。
終わると、道場主は少し考えて言った。
「……形の順番は覚えたかな」
「はい」
「うむ」
道場主は静かに続ける。
「だが、まだ身体には入っていない」
蓮は少し悔しそうにうなずいた。
その横から、声がした。
「左手、引けてません」
蓮が振り向く。
そこにいたのは、
小柄な子供だった。
どう見ても小学生。
話し方からすると、三、四年生くらい。
「え?」
「あと、抜いたあと止まりすぎ」
そして言う。
「ちょっと貸してください」
蓮の木刀を受け取る。
すっと構える。
抜刀。
斬り。
納刀。
動きは小さい。
だが――
無駄がない。
空間を制していた。
小さな体さばき。
だが、それ以上に、
場のすべてを抑えている。
蓮は思わず言った。
「……大きい」
少年が眉をひそめる。
「はぁ?」
「嫌味?」
そして蓮を見る。
「力」
「え?」
「全部、力入りすぎ」
蓮は少し困った顔をした。
少年は木刀を返す。
「それと」
顎を指差す。
「顎。顎を引く。首を抜かない」
蓮は思う。
(なんで俺がこんなクソガキに……)
(こいつ俺より四つぐらい年下だろ…)
だが、構えた。
言われたことを思い出しながら。
抜く。
さっきより、少し滑らかだった。
少年が言う。
「出稽古?」
蓮はうなずいた。
「先生に連れてこられた」
「嫌なの?」
「いや、別に」
少年は振り向く。
「父さん」
奥へ声をかけた。
「今日の出稽古の人、居合嫌いなんだって」
奥から落ち着いた声が返る。
「そうか。
だが、続けなさい」
少年の父。
この道場の主だった。
蓮がもう一度型を行う。
終わる。
少年が言う。
「今の、いいですね」
蓮は驚く。
「本当?」
「はい」
少年は真面目な顔で言った。
「さっきより全然いい」
蓮は少し照れたように笑った。
「ありがとう」
その日からだった。
蓮は月に一度、この道場へ来るようになった。
そして毎回、
「おい、これで合ってるか?」
向かい合って同じ型をしている
あの少年に聞く。
少年は必ず言う。
「違います」
「え?」
「もう一回」
蓮は何度も繰り返す。
抜く。
斬る。
納める。
何十回も。
ある日、蓮が先に畳へ座り込んだ。
「……腕が死ぬ」
少年は平然としている。
「まだこの型、十回目です」
「十回!?」
「さっき三十回やるって言いましたよ」
蓮は天井を見た。
「俺の先生よりきついぞ……」
少年は少し笑った。
「居合って、そういうものです」
蓮は少し黙る。
そしてぽつりと言った。
「面白い」
少年が少し驚く。
「そうですか?」
「うん」
蓮は鞘を正す。
「剣道と違う」
そして言う。
「剣そのものって感じがする」
少年は少しだけ目を細めた。
「……変人ですね」
蓮は笑う。
「その誉め言葉、よく言われる」
その様子を、
道場主が遠くから見ていた。
弟子に言う。
「あの子は続く」
「どちらですか?」
道場主は笑った。
「両方だよ」
蓮はまた同じ型を繰り返していた。
少年が腕を組んで見ている。
「蓮、左手」
「ぶれた。もう一回」
蓮は苦笑しながら構えた。
「はいはい、お師匠さま」
まだ蓮は知らなかった。
このクソガキこそ――
一学年下の
自称、可憐な美少女剣士。
湊川 澪
その人だということを。
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「なぁ、明後日の土曜。澪の家、行っていいか?」
「なにそれ。女の子の家に来るなんて……蓮も年ごろ?」
蓮は少し笑った。
「お前、昔からそういう言い方するよな」




