幕間 歩み ー夜の半歩ー
夜。
訓練場の灯りは、もう半分ほど落ちていた。
静かな空間。
中央の板の間に、一人だけ人影がある。
春日。
短くも太い木刀を右手に持ち、ゆっくりと構えている。
誰もいない。
審判も、観客も。
ただ、足音だけが響く。
半歩。
踏み出す。
止まる。
そして、歩む。
同じ動きを繰り返していた。
大きな動きではない。
わずかな前進。
それだけ。
踏み込みではない。
ただ、歩む。
――そこに居るべき場所へ移るだけの動き。
春日はもう一度、半歩を出す。
その時。
後ろから声がした。
「それ、誰に教わったの?」
春日が振り向く。
道場の入り口に、女性が立っていた。
名も知らない人だった。
しかし――どこか見覚えがある。
春日は少し考えて答える。
「誰にも」
女性は笑った。
「嘘はだめですね」
ゆっくり歩いてくる。
春日の足元を見る。
少し懐かしそうに言った。
「その動き……少し懐かしいです」
春日は黙って聞いていた。
ふと、いい香りがした。
女性は続ける。
「でも、それ……」
「斬るための剣じゃないはず…」
少し首を傾げる。
「あなたのは、ちょっと寂しい剣の在り方ね」
春日は何も言わない。
ただ、もう一度半歩を出す。
女性は頷いた。
「それ、何のための動きなのかな?」
春日は静かに答えた。
「勝つための動きです」
女性は首を振る。
「…違いますよね」
少し笑う。
「そうね、逃げているだけ……かな?」
そして続けた。
「その歩み……」
「本当は、戦わない場所へ行く歩みじゃないのかな…」
道場の空気が、静かに揺れる。
春日はまた半歩を出す。
その瞬間――
ふと、言葉がよみがえる。
(剣ってのはな)
(普通は、相手へ向かう)
(本当に強いやつは)
(戦う相手のいない場所へ行く)
春日は止まった。
昔、同じことを――言われた。
女性は静かに言う。
「その歩み……」
「誰にも教えない」
「教えられない」
少し笑う。
「なんて 言わないでね」
春日は黙って聞いている。
その目に、
先ほどと異なる何かが宿っていた。
女性は最後に言った。
「急に、いいお顔。 になりましたね」
春日は向き直り、一礼する。
「ありがとうございます」
女性は手を振る。
「こちらこそ」
「練習に水を差しましたね」
「ごめんなさい」
そして帰りながら言った。
「昔を思い出しました」
「ありがとう」
道場に、再び静けさが戻る。
春日はもう一度、半歩を出した。
誰もいない場所へ。
静かに。




