第十一話 離の剣 ―型を離れた刃の先―
三段の攻撃。
投擲。
袈裟。
そして鞘打ち。
ほぼ同時だった。
観客席の誰もが、息を止めていた。
だが――
春日は動いていた。
投げられた刀を外受けで弾いた瞬間、身体を半歩沈める。
続く袈裟の軌道を外す。
鞘の打撃は――
紙一重で頬をかすめた。
春日の裏拳も、澪には届かない。
静寂。
澪がゆっくり振り向く。
春日は、まだ立っている。
観客席からざわめきが起きた。
「今の……」
「全部、避けたのか……?」
澪の口元がゆっくり歪む。
「やっぱり凄いね」
春日は静かだった。
答えない。
澪は続ける。
「さっきからずっと見てる」
「避けるだけ」
「流すだけ」
「でも――」
澪は右手の鞘を差し直し、残った居合刀を静かに納めた。
そして笑う。
「わたしも見てるよ」
澪が、帯を鞘を正す。
「だからさ」
その声は楽しそうだった。
「そろそろ」
静寂が落ちる。
観客席の空気が張り詰める。
雪は、手すりを強く握りしめていた。
澪が動く
澪の…直伝夢野流居合術の動き。
鞘引き。
抜き付け。
澪の身体が、大きく見える。
居合とは、瞬時に空間を制する武術。
この空間を制しているのは澪の動き…
残心。
血振り。
納刀。
静寂の中 一連の動作
真剣勝負のはずなのに、澪の動きはどこか演舞のようだった。
美しい。
(澪……)
雪の目から、静かに涙がこぼれていた。
切っ先は、春日には剣は届かなかった
ただ、春日は、構えも解かず、静かには呟いた
「…綺麗だ…」
一拍おいて
再び、春日に向けた澪の抜き付け。
刹那の間合いで春日が身をかわす。
切っ先が目の前を走る。
続く打ち下ろし。
そこには、もう春日はいない。
だが――
半歩。
間合いが詰められていた。
たった半歩。
春日の右脚が動く。
三角蹴り。
鋭い蹴りが、澪の腹部へ突き刺さる。
鈍い音。と、同時に破裂音。
澪の鞘が割れた
鞘が盾となり、蹴りの威力が奥まで届かない。
だが、衝撃で鞘が砕ける。
破片が四方に散った。
乾いた音が、試合場に響く。
「待て!」
審判の声。
澪は残心を取っている…
ーーーーーーーーーーーー
夕方。
構内の道場裏の小道。
試合の喧騒は、もう遠くに消えていた。
西日が建物の壁を赤く染めている。
澪は歩きながら、肩を回した。
「いやあ……久しぶりに本気でやった」
前を歩いていた春日が、ふと立ち止まる。
「今日は楽しかったよ、春日君」
振り返る澪。
春日は小さく頭を下げた。
「澪先輩。今日はありがとうございました」
澪は笑う。
「お礼を言われるようなことした?」
「…しました」
春日は少し考えてから言う。
「……ちゃんと、戦ってくれました」
澪は少し意外そうな顔をした。
「ちゃんと?」
春日は視線を落とす。
「多くの人は」
少し間を置く。
「途中で、やめます」
「危ないから、とか」
「勝負にならないから、とか」
「理由はいろいろです」
夕日の光が、二人の影を長く伸ばしていた。
「でも、先輩は 」
一呼吸置いて、春日は顔を上げる。
「最後まで来ました そして… 綺…」
澪はしばらく黙っていた。
そして、ふっと笑う。
「そりゃいくでしょ」
軽く肩をすくめる。
「だって君」
少し目を細める。
「面白いもん」
春日の表情が、ほんの少しだけ柔らぐ。
それは試合中にも見せなかった、小さな変化だった。
澪はそれに気づいて、くすっと笑った。
「お、やっと笑った」
春日は少し困ったように言う。
「笑ってません」
「いや笑った」
「笑ってません」
澪は楽しそうだった。
「ま、いいや」
空を見上げる。
夕焼けが広がっている。
「直伝夢野流居合術。
なかなか、いいでしょう?」
少し肩を回す。
「ちょっとアレンジしてたけどね」
澪は笑いながら続ける。
「今度、教えてあげようか?
先輩としてさ」
春日は少し考えてから、静かに答えた。
「はい。お願いします」
少し間を置いて、春日は続ける。
「……先輩とは」
言葉を探すように視線を落とす。
「また、手合わせをお願いしたいです」
澪は一瞬だけ目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑う。
「お、光栄だね」
春日はもう何も言わない。
だが、その表情はどこか穏やかで優しいまなざしだった。
二人はしばらく、夕焼けの道を並んで歩いた。
その少し離れた場所。
校舎の影の向こう。
雪は、二人の背中を見ていた。
澪が笑いながら歩く姿。
その隣を、静かに歩く春日。
胸の奥が、わずかに揺れる。
(あの剣は……)
言葉にならない。
雪は静かに目を伏せた。
夕焼けの空に、長い影が伸びていた。




