第七話 裏 剣士学園録 ー半歩の重みー
観客の声は届かない。
空気が、粘る。
剣が――凌がれた。
(打たれる……)
雪は覚悟した。
そのはずだった。
なのに。
身体が沈む。
蓮の打ち付けより、さらに深く。
さらに低く。
考えるより先に、身体が動いていた。
手が、あるべき場所へ向かう。
刃を連れて。
一閃。
静かな衝撃が走る。
(なぜ……)
雪の思考が追いつかない。
(なぜ、私は動ける?)
(どうして、動けた?)
世界はまだ静止していた。
その静寂を破ったのは、審判の声だった。
「勝者 本山雪」
その声で、雪は初めて外界へ戻る。
途端に、観客のざわめきが押し寄せた。
雪はゆっくり息を整える。
そして、蓮を見る。
その瞬間――
時間が巻き戻る。
春日。
あの動き。
試合場の端で見た、あの半歩。
(この動き…)
雪は気づく。
私は知っている。
春日の動きを。
そして――
その制し方も。
突然、身体の奥から技が浮かび上がる。
知らないはずの動き。
組み手では使ったことのない動き
形にもない
だが、身体は知っていた。
呼吸するように。
当たり前のように。
(なぜ……?)
思考はまだ追いつかない。
だが一つだけ分かる。
蓮の剣が、それを呼び起こした。
あの一撃がなければ。
私は――
負けていた。
雪は静かに頭を下げる。
「……ありがとうございます、蓮先輩」
蓮は何も言わない。
そのまま階段へ向かう。
背中は静かだった。
雪は動けない。
まるで動き方を忘れたかのように、試合場に立ち尽くしていた。
やがて観客が引き、試合場は静けさを取り戻す。
中央には、もう誰もいない。
雪は控室へ続く廊下を歩いていた。
長刀袋を肩にかけ、足音だけが響く。
背後から声がした。
「勝ったな…」
振り返る。
父だった。
本住吉流家元 その人だった。
雪は一礼する。
「はい、お父さん」
父はそれ以上言わない。
ただ歩き出す。
雪も並んで歩いた。
しばらく沈黙が続く。
やがて父が言った。
「相手は、鷹宮君だったな」
「はい」
少し間を置いて、雪は言う。
「……強いです」
父は小さく頷いた。
「だろうな」
廊下の窓から、夕方の光が差している。
父は歩きながら言った。
「雪」
「はい」
「お前は、なぜ勝てたと思う」
雪は考える。
そして答えた。
「……型を守っていたから、でしょうか」
雪が顔を上げる。
父は窓の外を見たまま言った。
「お前は守っているのではない」
「型に守られている」
雪の足が止まる。
父の声は変わらない。
「本住吉流は長刀の流派だ」
「長い武器は強い」
「間合いも、制圧力もある」
父は続ける。
「だから守れてしまう…」
雪は黙って聞いている。
父は静かに言った。
「……だが、それは正しくない」
雪の指がわずかに動く。
父は続けた。
「剣は守るためにある」
「そう言う者もいる」
「それは方便だ」
廊下に静けさが落ちる。
父はゆっくり言う。
「型を守る」
「流派を守る」
「それはな…」
「過去を背負い」
「未来を育てるということだ」
雪は言葉を探す。
だが、出てこない。
父は言った。
「今日の試合…」
「本住吉流の動きではなかったな」
雪の瞳が揺れる。
父は続ける。
「だが」
「本住吉流だった」
沈黙。
父は前を向いたまま言う。
「守とはな」
「一番、孤独な立場だ」
数歩進み、父は言った。
「だから」
「雪は剣となれ」
「本住吉流の守だ」
父はそのまま先を歩く。
雪はその場に立っていた。
決勝戦の光景が浮かぶ。
蓮の剣。
本来なら負けていた。
本住吉流に守られた
そして――
春日の動き。
迷いなく出る、半歩。
雪は小さく呟く。
「……守破離」
その言葉
まだ、
雪の中で重さを持っていなかった




