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ある冒険者の話  作者: 整腸剤神
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治療院にて

「レイチェル!! 大丈夫なの!?」


 秋の夕暮れ。見舞い客の足音もひとしきり落ち着いて、夜の帳が降りるのを待つばかりになった治療院。

 湿った包帯のにおいと、誰かがこぼした薬草茶の残り香がまじりあって、滞った空気の中にかすかな苦みを残している。

 隣の寝台では年配の男が規則正しい寝息を立て、廊下の向こうでは何かを洗う水音が遠く小さく響いていた。

 そんな夜に向けて徐々に深さを増していく静けさを、大声が打ち破った。

  聞き覚えのある声だった。

 ずいぶん焦りを含んだその声の主は、同居人の──あるいは、ここ数か月に渡り、家賃の分担分を立て替えてくれている我らが聖人──メアリその人だった。

 自分は治療院の寝台に押し込められていた。依頼の遂行中に左腕を折ってしまったのだ。メアリがやってきたのは、治療もひとしきり終わって、退屈のあまり窓から流れる雲の数を数えていた、丁度その時だった。

 メアリは、共同部屋の入口に立って、勢いよく開け放った扉の取っ手を握ったまま、肩を上下させて激しく息を切らしている。

 その姿が目に入った瞬間、思っていなかった来客に、思わず目を瞬かせた。


「メアリじゃん。どしたのさそんなに慌てて」


 寝台の上で上半身だけを起こし、無事な右手をひらひら挙げて答えてみせる。のんきすぎたのだろう、メアリの金髪が、怒りに逆立つように揺れたのを見て、遅まきながら失敗を悟ったけれど、手遅れだった。

 メアリは、繊細な作りの靴で、どかどかと激しく床を踏み鳴らしながら詰め寄ってきた。その耳元で揺れる赤石の耳飾りが、怒気に当てられて不吉に揺れている。


「あんっったねえ…! どしたのさじゃないでしょ!!」


 指先が、力強くびしりと空気を叩いてこちらに向けられた。


「昨日帰って来ないから何してるのかと思ったら、さっきギルドの人が家に来て、あんたが治療院に担ぎこまれたなんて言うから!!」


 メアリは、夜の街に立つために仕立てた、艶やかな本繻子の服を身にまとっていた。

 胸元が大胆に開いたその装いは、白い寝台と薬品の匂いに満ちたこの場所では、あまりにも浮いている。 顔には化粧が済ませてあったけれど、唇にだけ紅が引かれていない。きっと、仕事前の大事な時間に報せを受けて、身支度を放り出し、着の身着のまま駆けつけたのだろう。


「ああー」


 間の抜けた声が出た。


「そいえば、そんなのあったね」


 冒険者登録をしたとき、万が一の事態があった際の緊急連絡先の欄があった。そこに何も考えずにメアリの名前と住所を書き込んだことを思い出す。まさか、たかが腕一本折った程度で連絡が飛ぶとは思ってもみなかった。

 仕事で数日帰らないなんていつものことだし、メアリもそのくらいでは心配しないだろうから、怪我のことは、退院してから話せばいいやと思っていたのだ。


「ああーじゃない! こっちは心臓が止まるかと思ったんだから!!」


「ごめんって。ちょっと腕を怪我しただけだよ。大丈夫。命に別状なし」


 なるべく怪我が軽く見えるように、添え木を当てて包帯で巻かれた左腕を掲げてみせる。

 けれどメアリは、左腕にぴたりと視線を止めて、安心するどころか、きゅっと強く唇を結んだ。

 その視線を追って自分の腕を見る。それまで気づかなかったが、包帯には赤黒い染みがところどころ滲んでいた。

 失敗その2。強がっているつもりはないけれど、怪我人が人を安心させるというのは、なかなかどうして難しい。


「……それ、折れてるの」


「うん。ぼきーって」


 軽く言ってみせる。


「でももう治療師に看てもらったから。何日か大人しくしてたら、若いんだし骨なんて勝手にくっつくってさ」


「そう……」


 メアリが小さく息を吐く。

「よかった……」

 彼女はほんの一瞬だけ、力が抜けたような顔をしたあとで、すぐにいつもの調子に戻った。

「……なに。あんたなんで笑ってんの」


 え、と無事な右手で頬に触れる。無意識に、口元が緩んでいたのだろうか。

 だとしたらそれは多分、目の前の少女が、自分の仕事を放り出してまで、自分のために今ここにいてくれていることが、不覚にも、たまらなく嬉しかったからだろう。


「メアリが来てくれたのが嬉しくってさ。もうさあ、急な入院だったから暇で暇で。痛みとかより退屈の方がずっと辛くって」


 メアリは、呆れともなんとも言えない顔をして、寝台の側にあった粗末な椅子にどっかりと腰を下ろして脚を組んだ。夜の装いにはあまりにも似合わないがさつで粗暴な座り方に、思わず少し吹き出してしまう。するとじろりと鋭い視線が返ってきて、慌てて手で口元を隠し、視線を天井に逃がした。


「……で。左腕以外は無事なのね」


「擦り傷と打ち身くらいだよ。それ以外は元気そのものだよ。へーきへーき」


 メアリは納得していない顔をした。

 冒険者にとっては無傷の範疇でも、彼女のような王都の壁の中で暮らす人にとってはそうではないということを、この頃はまだ十分理解できていなかった。

 彼女は深くため息をつきながら、服の裾を整えた。


「それで」

 

 視線が戻る。


「今度はどんな無茶をしたの。あんたのことだから、どうせ身の丈に合わないような大層な依頼でも受けて、派手にすっ転んだんでしょう。正直に言いなさい。じゃないともうお見舞いなんて来てあげないから」


「いやいや、そんなことはなくって。これはそのーあれだよ。不慮の事故……ではなく、伏兵とか、そういう……」


 適当な言い訳を並べて誤魔化そうとしたが、メアリの瞳には、嘘をついたら承知しないと書かれていた。観念して右手で頭の後ろを掻く。


「知りたい?」


「いいから言いなさい」

 

 腕を組みながら、冷たさを装う彼女の声。

 ここまで心配されて話さないというのも、彼女に失礼だろう。


「ふっふっふっ、それじゃあ聞いてもらおうじゃないか。この≪炎の娘≫レイチェルの、輝かしい冒険譚を! ……あ、あだだだだ!」


 勢い込んで左腕を振り上げると、さすがに痛み止めの術式も万能ではないようで、鈍い痛みが走った。慌てて腕を胸に抱えてうずくまる姿を見て、メアリがこめかみを指で揉んだ。


「……ごめん、やっぱり帰っていい?」


「だめ」


 即答。ここまで来て逃がすつもりはなかった。

 窓の隙間から、夜の冷気を含んだ乾いた空気が忍び込んでくる。

 窓の外では、季節が冬に傾きつつあった。

 ――それじゃあ、とひとつ息を吸う。

「これは、薬草採取の依頼での話なんだけど――」

 静かな病室に、語りが落ちていく。




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